白兎事件編24(A地区へようこそ・2)
(柚木)
木戸と電話をしていたら石田が帰ってきた。
例の異形騒ぎで学校が休校扱いになったらしく、人間は早々に帰されたそうだ。石田も自分のクラスの子ども達に守られながらここまで帰ってきたんだーと上機嫌だった。
そして、俺はつまみ食い犯罪を抑制すべく追加でパンケーキを焼いた。
3枚重ねのパンケーキに好き勝手に生クリームやバターやメープルシロップを乗せて、中川と石田はとても幸せそうな顔をしている。
その間に全速力でケーキを冷蔵庫へしまう。後はヒツギの店へ持って行くだけだ。
誕生日ケーキだろうと、コイツらの前に置いておくと食べられかねない。中川と石田が揃うとブラックホールが形成される。その証拠に切っておいたフルーツがもうなくなっている。
「もうお前ら先に行っとけよ!」
また振り出しに戻された。後で夏椎に好きに飾らせてやろうと思ってたのに!
「今はおやつの時間です」
「中川は1日に何回おやつの時間があるんだよ!」
「⋯⋯5回?」
「香流、アレは?果物をお花の形に切ってみたら?」
「お前らの前ではしない!」
消え去るまでが一瞬過ぎて労力に見合わない!
もう果物や飾りの類は向こうで準備しよう。お腹を空かせた石田が帰ってきたのは予想外だったんだから仕方ない。
ため息をついた俺のスマホが鳴った。柚姫の歌が部屋へ流れる。この着信音は家族の誰かだ。
「まゆ⋯⋯」
表示を見ると、『黛雲雀』の文字が浮かんでいる。
すぐには出れずにいると、パンケーキを口へ詰め込んだ石田が不思議そうな顔でこちらを見てきた。俺ははっとしてスマホをテーブルへ置く。
「なに、その顔。めっずらし。喧嘩でもしたの?」
「喧嘩はしてない」
俺は少し悩んだ末、スピーカーをタップして電話に出た。
「今いいか?」
「やっほー、黛くん」
中川が先に声をかけた。こういう時、中川の機転はありがたい。緊張感が滲み出ていたまゆの声が柔らかく変化する。
「中川くん」
「俺もいるよー」
「石田?学校は?」
「お休みになったよ。変な異形が人を襲うかもしれないからだってさ」
「あぁ、柊から聞いたアレか⋯⋯」
俺は何も言わない。黙り込む俺に、まゆも何も言わない。
「中川くん。今からの予定は?」
「夏椎の誕生日会をしにヒツギの店に行くよー」
「なら、そのまま俺がいいと言うまでまで帰って来ないでくれ。いいか。絶対に警察庁へ近寄るな。俺と森谷さんで何とかするから、避難しとけ」
電話の向こうで、誰かがまゆを呼ぶ声がする。
まゆはそのまま通話を切った。ツーツーと電子音が響いて、画面が真っ暗に変わる。
俺達は顔を見合わせた。
「めちゃくちゃ怒ってたね」
「あんな怒ってるまゆ久しぶりだな」
「香流がタブレット破壊した時以来じゃない?」
「嫌なこと思い出させんなよ⋯⋯」
まゆが買ったばかりのタブレットを階段から落として半日口をきいてくれなかった苦い思い出が蘇る。
わざとじゃなかったのと、ちゃんとごめんなさいをしたら最終的には許してくれた。それでも全然近寄れないくらい空気が重くて、石田と賢吾が間に入ってくれなかったらもうしばらく長引いてた気がする。
恐怖の感情を思い出した今なら分かる。あれはすごく怖かった。
「それにしても何かあったの?」
ナイフとフォークを置いて、中川が射抜くように俺を見てくる。
中川も怒らせてはならない人物だ。俺はあっさりと観念して経緯を話すことにした。
「いつも通り見回りして帰ったら、警察庁に知らない男がいて⋯⋯」
そこで一旦話を区切る。
木戸の事は言う必要ないよな。なんか後輩に助けられたって中川に言うのはちょっと嫌だ。
「⋯⋯向こうは俺のこと知ってるみたいだったけど、俺は知らない人だった。でもまゆは知ってるみたいで、そいつが俺に近付くのを苛立ってる様子だったな」
「どんな人?」
「背が高くて茶色い男だった」
「⋯⋯⋯」
中川は何も言わない。中川の真面目な顔久しぶりに見た。思わず俺と石田はじっと眺めてしまう。
「中川って真面目な顔似合わないよね」
「石田は人のこと言えねぇよ」
「あ、警察庁から離れるならうち来る?うちだったらB地区だし夏椎達とも近くにいられるよ」
石田が嬉しそうに両手を打った。
そしてその魂胆は。俺は石田の額を軽くゲンコツした。
「お前なぁ、たまには自炊しろよ」
「なんでご馳走が目の前のあるのに手元のカップ麺食べなきゃならないんだよ!」
「誰もカップ麺食えとは言ってないだろ!」
「⋯⋯石田くんのところはダメだよ」
ぼそ、と中川が呟いた。
え、と俺達は中川を見る。中川はふるふると首を横に振った。
「石田くんは人間の女の子だもん。柚木が行けばパンケーキにハチミツ、パフェにチョコソースだよ」
「例えが全然分かんねぇ」
「つまり、襲われるから危ないよってこと?」
「そう」
中川はきりっとした表情のまま頷いた。
俺は全然分からないけど、食いしん坊同士何か通じるものがあるらしい。
「それに石田くん純潔でしょ。学校の寮には結界は張れないし、昼間はともかく夜にふたりきりはダメだよ」
「純潔⋯⋯」
石田が分かりやすく落ち込んだ。テーブルに突っ伏すので、俺はパンケーキのお皿をそっと避ける。
「何凹んでんの?」
「香流には分かんないよー!どんなに可愛くても結局お前は男だもん!俺は目が覚めたらいきなり女になってたんだよ!」
石田の嘆きは最もだ。中学3年生のある日、朝起きたら女の子になったと泣きながら報告を受けたあの日は衝撃的すぎて忘れられない。
でも、石田は石田だから俺はあんまり気にしていなかった。柳瀬と賢吾は親身になって色々調べてたけど、賢吾と恋人になってからは柳瀬も段々と投げやりになっていった。
石田はまだ男に戻りたいとごねてるけど、柳瀬的にはどうせ元々女顔だったし、川崎くんと付き合ってんだからどっちでもいいだろという見解だ。
「賢吾もさぁ!最初は気を使ってくれてたくせに今では俺のことすっかり女の子扱いなんだもん!毎日可愛い可愛いって褒めそやされる気持ちが香流に分かる!?」
「分かる」
「分かるんだ⋯⋯」
俺だって毎日毎日可愛い可愛いと息をするように言われている。アイツはそれしか言えないのかと疑うレベルで可愛いを連呼してくるのでもう聞き流せるようになってきた。
「もうBGMだと思うようにしてる」
「そういえばさっきも軽くあしらってたねぇ」
「いいか石田。俺は男なのに可愛いって言われるんだぞ!お前の方が百倍マシだ!」
「そう⋯⋯なの!?」
「そうかなぁ」
中川が同意してくれない。むっとしても、中川は心底不思議そうな顔をする。
「だって可愛いって褒め言葉じゃない?女の子だろうが男の子だろうが可愛いのはいいことじゃない」
「俺は中川みたいに可愛いで生きてないの!」
「可愛いって言ってくるの木戸くん?」
「そうだよ!」
「香流さぁ、俺みたいにいきなり女の子になったら木戸くんと付き合える?」
「はぁ!?」
俺が何か言う前に中川が大きな声を出した。
「付き合うって何?」
「要するに恋人同士の事だよ。手を繋いだりとかー、ぎゅってしたりとかー、ちゅーしたりとかー、⋯⋯俺なんも出来てないわ⋯⋯」
また石田が凹んだ。俺はちょっとだけ考えようとして、
「大変だな、恋人っていうのも」
話を投げた。
俺には無縁の話だ。興味もないし意味も分からない。
考えることを放棄してお茶を飲む。温かい煎茶は美味しくてほっとする。隣の中川は何か言いたそうに口を開けたり閉じたりして、最終的には口を閉じた。
「中川。俺しばらく中川か木戸の家に泊まる事にする」
「今の話の流れで木戸の家が出てくるのはおかしい」
「アイツは口だけで何もしねぇよ」
木戸が好きって言ってくるのはひよこみたいなもんだからな。とは木戸のプライドを守るために言わないけど、インプリンティングにいちいち反応して騒ぐのも馬鹿らしい。
「荷造りしなきゃなんねぇのかぁ。めんどくさいなぁ」
「なら柳瀬の家はどうかな?服のサイズ同じでしょ?」
「柳瀬の家は着せ替え人形にしてくるからやだ」
「いいや、柳瀬の家にしときなよ!」
中川は言いながら柳瀬に電話をかけ始めた。
止める隙のない行動に俺は首を傾げる。何をそんなに必死なんだ中川は。
「柳瀬!しばらく柚木が泊まりに行くから!」
「えっ何!?幻聴!?」
「現実だよ!」
柳瀬は俺と中川の電話は秒で出る。
こんな強引な中川は珍しい。勝手に決められていく俺の住処を、俺はただ見守ることしか出来なかった。
「さっき嫌なことがあったからすごく嬉しい⋯!新居建てるわ」
「今の家でいいよ!」
「それにしても突然どうした。何かあったの?」
「また詳しく話すけど、黛くんから警察庁から離れてろって言われた」
「⋯⋯そりゃ穏やかでない話だな」
急に柳瀬の声のトーンが落ちた。
柳瀬の低い声は格好いい。俺も石田も何も言わずに黙っていたら、柳瀬の声がまた高くなった。
「柚木に何も持ってこなくていいよって言っておいて〜」
「そう言うと思った。じゃあ夏椎のお誕生日会が終わったらそっちに向かうね」
「夏椎のお誕生日会⋯⋯。あぁ、なるほど。だからアイツがここにいんのか」
「あいつ?」
「うふふ。こっちの話。じゃあ、楽しみにしてるわね!」
柳瀬との電話が終わって、ふぅ、と中川は息をつく。
俺がぽかんとしていると、中川はいつものようににっこりと笑った。
「俺が柚木を守るよ!」
どんと胸を叩いて自信満々な中川は俺にとっては不安しかない。
眉を顰めていると、突然、真上からひらりと何かが落ちてきた。淡い紅色の薄い紙は俺の手のひらの上へ踊りながら落ちてくる。
「なに?」
「⋯⋯⋯」
俺は黙ったまま紙を折り畳んだ。そのまま、椅子にかけていたホルスターバッグにしまい込む。
「なにが書いてあったの?」
「内緒」
「赤かったしラブレター?」
「⋯⋯そうかな」
もう何も聞かれたくない。
壁を張る。何事も無かったように振る舞えるように。俺は口の端を上げて、淡々と言葉を並べていく。
「向こうでなんか作ってるだろうけど。ケーキ以外になんか持ってくか?」
「じゃあマカロン!」
「コロッケ!」
「ちょっとは意見を統一しろよ」
★★
(中川)
⋯⋯怖い。
俺は背筋が怖気立つのを感じながら、柚木の口調に合わせる。
ほら、何も聞くなとその笑顔が物語っている。何事にもしたくないんだと。触れてくれるなと、壁を張った柚木の心の中が見えなくなる。
あの時もそうだった。記憶が濁流のように戻されたはずの柚木は、次の日にはいつも通りだった。怖い。柚木はずっと壊れそうな琴線を保っている。
助けを求めてこない柚木に手は差し伸べられない。心配や懸念は余計な負荷になる。柚木は俺にその役割は求めていない。
「ケーキにマカロンくっつけようよ!」
「コロッケは今食べたいです!」
「分かった」
それでもひとりにしたくなくて、俺は席を立った。キッチンへ向かう背中を追いかける。
いつも通りにするよ。だからちゃんと帰ってきて。見えないところで俺の側から離れていこうとしないで。
懇願にも似た思いを抱えながら、努めてありきたりな会話を続ける。
———紙には、差出人不明で一行だけ書かれていた。
『お人形さんこちらへおいで』
★★★★★
(石田)
「ただいま」
香流が中川くんと一緒にマカロンとコロッケ作りの準備を始めていると、玄関のドアが開いた。
それと同時に、寝室の窓ガラスが割れた。派手な音だった。
「お兄ちゃ〜ん!」
間もなく飛びついてくる金髪のポニーテール。今日は白いワンピースを着ている柚姫は、にっこにこで香流の身体に突撃する。
「柚姫!?」
香流と賢吾が同時に名前を呼んだ。俺が眺めている前で、柚姫はにぱーっと顔を上げて笑顔を見せる。
かと思えば、次の瞬間笑顔を引っ込めた。
「お兄ちゃんが変」
「は?」
柚姫は射抜くように中川くんを見上げる。中川くんは少し間を置いて、香流のホルスターバッグへ視線を移した。
柚姫は香流へ謎のぬいぐるみを渡すと、了承も得ず勝手にホルスターバッグを開ける。中から薄紅色の紙を取り出して、中身を確認すると。
「柚姫⋯⋯?」
「許さない」
一言。
紙を床へ捨てて声を落とした柚姫は、くるりと踵を返した。
慌てて香流が柚姫の手を引く。取り繕った香流の表情が崩れて、見せる中身が子どものそれに見えた。
「柚姫、とりあえずマカロンでも食べるか!?」
「お兄ちゃん!何で怒らないの!!」
ぐしゃ、と。
落ちた紙を踏み潰して、賢吾が静かに微笑んでいる。
「香流、何があったの?」
「何もない」
「嘘よ!」
「だから、何でもない。もう終わった話だろ」
「終わってないのよ!」
柚木ファミリーが喧嘩している。
俺は賢吾が足蹴にした薄紅色の紙を手に取った。材質は花紙のように薄く、少し力を入れれば破れてしまいそうだ。
昔から、柚木ファミリーには地雷がある。
今回踏んだ地雷はこれか。俺は手に取った紙の文言を、中川くんにも聞こえるように読み上げた。
「⋯⋯ 『お人形さんこちらへおいで』」
ちらりと目線を向けた先で、中川くんが驚愕の表情を浮かべている。
あぁ、やっぱり。俺だけが知らない話か。その地雷原を踏み抜いた香流以外の3人がめちゃくちゃ怒っているのだけは分かる。
そして渦中の香流だけが凪のように平然としている。傍から見れば異様な光景だ。香流の表情からは何も読み取れなくて、付き合いの長い俺ですら不気味に思ってしまう。
「賢吾、俺マカロンとコロッケ作るから窓ガラス掃除しといて」
「お兄ちゃん!」
「何度も言ってるだろ。何もないんだよ。俺の代わりにお前らが怒るなら、それでいいよ」
香流はぽんぽんと柚姫の頭を撫でた。
柚姫は悲痛な顔をして、もう一度柚木にしがみついた。香流はもう何も言わずに柚姫に渡された謎のぬいぐるみを返す。黒ベースの仮面とマントをつけたぬいぐるみは、俺はよく知っている。
「それ、『ブラック・メン』のぬいぐるみ?」
話題を変えるため、あえて平然を装ってぬいぐるみを指さした。
張り詰めた空気が緩む様子はない。それでも、香流の意思を尊重してか柚姫は唇を尖らせたまま頷いた。
「⋯⋯椎ちゃんのお誕生日だって聞いたから」
「むき身で持ってくるあたりが柚姫だなぁ」
あはは、と香流が笑う。ピリピリとした一触即発の空気の中でそぐわない軽い笑い声が響く。
本当に異様な光景だ。
香流は笑顔のまま、3人へそれぞれ視線を移した。
「本当にもういいんだよ。久しぶりにそう呼ばれたからびっくりしただけだって」
久しぶり⋯⋯。
香流がお人形さんって呼ばれてたって、何で?見た目が可愛いから?お人形さんほど大人しいかな香流は。
軽口を叩きたい気持ちを抑えて、言葉を飲み込む。
聞けない。聞ける訳がない。
これはコイツらの触れてはならない部分だ。
何を言えばいいのか分からずに黙り込む俺と香流の目が合った。香流はただただ苦笑いで誤魔化してくる。
俺は察し良く頷いた。友達だからと昔の事を根掘り葉掘り聞くものではない。これは母の教えでもある。
「そうだ、賢吾、柚姫。警察庁に変な男が来て、まゆから警察庁へ出入り禁止って言われた。俺はしばらくA地区で過ごすよ」
「変な男?」
「まゆがそいつに現世に帰れって言ってたから⋯⋯現世の警察官かな」
賢吾と柚姫は神妙な面持ちで顔を見合わせた。
「まゆがお兄ちゃんに出入り禁止って言ったのよ?」
「うん」
「⋯⋯そう言えば、現世の事件が香流の仕組んだことになってる可能性があるって雲雀が前に言ってたよ」
「俺童貞狩りしたことになってんの⋯?」
それは悲しそうな顔するんだ。
ちぐはぐな香流の感情が読めなくて惑わされる。無機質な上辺だけの蝋が剥がれて、時折見せる内側が妙にほっとさせられる。
「それでなくとも現世での不可解な事件は島が原因とされる事が多いからね」
「じゃあしばらく現世にも行かない方がいいんだな」
「向こうでは香流の事は知られてないから、むしろ安全かもしれないよ」
「お兄ちゃんがゆずの振りすればいいのよ!」
「それはちょっと⋯⋯」
「大丈夫、柚木は俺と柳瀬が預かるから!」
ずっと黙り込んでいた中川くんが、ようやく口を開いた。
中川くんも、香流と離れることを極端に嫌う。 香流の周りは香流に依存しているひとばかりだ。⋯⋯まぁ俺もひとのこと言えないか。
「あの手紙、柚木を現世へ呼んでるのかもしれないでしょ」
「A地区の方が可能性はない?術師も多くいるし、香流を誘き寄せるつもりなんじゃないかな」
「そうだとしても現世に行くより柚木の味方はたくさんいるよ!柳瀬の部下は柚木の事を知ってる人も多くいるもん」
「でも⋯⋯」
ふたりの不安は最もだ。
A地区には得体の知れない人外も多く住んでいる。軽い気持ちで行って喰われた同僚だってひとりやふたりじゃない。
香流には言わないけど、A地区に落ちた迷い子の末路だって俺は知っている。でも、滅多に怒らない雲雀があれほど怒るなんて異常事態だとも思う。
香流を見ると、ぽかんとした顔をしてまるで他人事のようだ。
理解することを放棄した表情。あどけない顔で誰にも心の内側を見せることはない、強固な壁が立ちはだかっているのが俺にも良く分かる。
「柚木、もう柳瀬に言っちゃったし行こうよ。俺も行くから」
「うん⋯⋯?まぁいいけど」
香流が頷くと、中川くんは安堵したように眉を下げた。
「賢吾と柚姫はまゆと子ども達のことを頼むよ。まゆは忙しいと自分のことが疎かになるからな。石田も手伝ってやってくれたら助かる」
「任せて!」
「⋯⋯ゆずもたまにそっちに行ってもいい?」
「いいよ」
柚姫は不服そうな表情のまま、香流にもう一度しがみついた。
腕ごと巻き付かれた香流が、困ったように微笑んでいる。その顔がぞっとするほど美しくて、香流の家なのに知らない人がそこにいるみたいだ。
「中川、動けないからマカロン明日でもいい?」
「⋯⋯やっぱりずるいのよ!ゆずもお兄ちゃんの避難先になりたかったのよー!」
「柚姫は現世で仕事があるから仕方ないだろ」
「明日はお休みだもん!今日と明日はずっと一緒にいる!」
「分かったよ」
いつもながら香流は柚姫には甘い。
それでも、そのお陰でヒリついていた空気が柔らかなものへと変わった。穏やかな空気を纏った綺麗な双子は、視線を交わして笑い合っている。
「じゃ、賢吾も帰ってきたことだしヒツギの店に行くか」
「荷物はどうするの?」
「柳瀬が全部用意してくれるってさ。割れた窓ガラスだけ掃除して行かなきゃな」
「ゆずも手伝う!」
「割ったの柚姫なんだよ」
寝室へ移動して行く柚木ファミリーを眺めながら、俺は中川くんをちらりと見る。
あの『お人形さん』という文面が引っかかっているのか、難しい顔をして黙ったままの中川くんはとても珍しい。
「中川、大丈夫?」
「⋯⋯マカロン食べたかった」
「お前はそう言うやつだよなぁ」
俺は心底安心した。良かった、中川くんは中川くんで。三大欲求を食欲に全振りしてる天使だもんな。
空になった食器を片付けながら、すっかりいつも通りに戻った空間の中で、俺は誰にも気付かれないよう安堵していた。
みんなの癒し(?)の天使、大食らい中川です。




