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地球の果ての島の物語  作者: 亜滝紅羽
白兎事件編
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64/74

白兎事件編24(A地区へようこそ・1)

(柚木)


 騒ぎが落ち着いたあと、子ども達には手伝ってくれたことを感謝して、一旦学校へ帰ってもらった。

 それから島中の動物達にあの紫の異形の捜索を命令する。少し待っていたら、ルフが飛んできて身体を左右に揺らした。 動きが可愛くて見入っていたら、ほっぺたを突つかれた。ちょっと痛い。

 あの紫の異形は無事に根絶出来たようでほっとする。

 柊にもきちんと報告をした。柊から、「アレはグールと言う魔物らしい」と教えてもらった。何であんなに大量発生したのか原因は分からないけど、今回のことで何も被害報告は出てないそうだ。

 最後に、きちんと報告書を出すよう言われたのでそれは後で木戸にお願いしよう。

 四神は獣型に戻してから、言われた通りなでなでとハグはした。四神達も機嫌良く現世へ帰って行ったので、謎の異形騒ぎの件はこれでひとまず解決だ。

 良かった、まゆと愛敬がいなくても何とかなって。どっと疲れた俺の肩の上で、ルフがもふもふの羽毛を擦り寄せてくれた。

 

 志賀親子は一旦木戸に任せて、俺はひとりで家に戻って来ていた。

 中川と連絡を取りたかったし、顔も髪もベトベトだったのでシャワーを浴びたかったからだ。それに、翔真との約束も守らなきゃならない。

 とても疲れたので大人の姿を解いて、子どもの姿でシャワーを浴びながら考える。

 

 今回の件は柳瀬に知られたら絶対怒られるから黙っておこう。

 そもそも、襲われていた人間は誰だ。あんな奴今まで見た事ない。現世から迷い込んだのか?

 でも、現世から迷い込んだ人間がニールの名前を知っているとは思えない。

 B地区、C地区の人間は全て覚えている。A地区に人間は住めないと中川が言っていたよな。

 なら、あの男は人間だったのか?


「香流お兄ちゃーん!」

「わっ!びっくりした!」


 急に浴室のドアを開けられて、俺の心臓がぎゅっと縮んだ。

 瞬時に翔真がドアを閉める。何なんだ、一体。身体の泡を流しながら、翔真へ声をかける。


「どうした?」

「夏椎パパも、とりあえずおれの家にあげたんだけど!これから夏椎のお誕生日会しようかって話になっててー」

「あ、あぁ。すぐ上がる」


 シャワーを止めて、慌てて大人の姿に戻る。

 でも、もう翔真は知ってるのか。少し考えた後、もういいかとやっぱり子どもの方へと姿を落ち着かせた。

 お誕生日会をするならマナは節約した方がいい。途中で姿を維持出来なくなるのは避けたい。


「夏椎パパが川崎先生にも会いたいんだってー」

「賢吾はまだ仕事中だろ」


 浴室のドアを開けると、思い切りタオルと服を顔面に叩きつけられた。

 そしてまたドアを閉められた。


「着替えてから出てきて!」

「何で?」

「ちゃんと!戻って!着替えて!出てきて!」


 何で自分の家なのにそんなめんどくさい事しなきゃならないんだ⋯⋯。


 そう思いながらも、翔真の迫力に負けたおれはしぶしぶその指示に従った。



 ★★★★★


 

(夏椎)


 誕生日特典が効いたのかは分からないけれど、俺達3人はクラスメイトの許可を得て翔真の家に帰ってきていた。

 上手く言っとくよーと真生さんとさくらさんが言ってくれていたので、今日くらいは甘えようと思う。今から学校に戻って授業を受ける気持ちには到底なれなかったのでありがたい。


 だって父さんが来てるんだから。


「まさか龍司さんが来るとは思わなかった⋯」

「びっくりした?」

「あのねぇ。事前に連絡下さい。さすがの俺も怒りますよ」

「だってお前に言ったら愛しの先輩に会わせてくれないでしょー」

「当たり前でしょ!物事には順序ってものがあるんですよ!」


 木戸さんには言われたくないと思う。


 俺は内心突っ込んだ。口に出さないのは話をこじらせたくなかったからだ。


「いいじゃないの。久しぶりに家族全員揃ったんだから!」

「家族じゃねぇんだよなぁ」


 肩を組む父さんの腕をどけながら、木戸さんはめんどくさそうな顔をした。父さんはさめざめと涙を拭う振りをする。


「こんなに可愛がってるのにほんっと冷たい弟だよ。拾ったのは俺なのに柳瀬にばっかり懐きやがって」

「柳瀬にも懐いてねぇんだよなぁ」

「俺ずっとフレンドリーに話しかけてたのに!全部総スルーだったくせに、柳瀬の家に行き始めてからめっちゃ喋るようになったじゃないの!この浮気者!」

「だって先輩と話がしたかったんだもん」

「あの子のどこがいいのよ!」


 木戸さんが口を開いた瞬間、俺と晃がテーブル越しに腕を伸ばした。

 そして同時に木戸さんの口を塞ぐ。


「簡潔明瞭に」

「⋯⋯一目惚れです」

「よろしい」


 俺と晃は席へ戻った。

 父さんは何だか楽しそうにおぉーと拍手をする。木戸さんは拗ねた顔をしてるけど、木戸さんの惚気話は長いし止まらない。これは適切な処理だ。


「晃くんだっけ?あの時夏椎を守ろうとしてくれたんだよなぁ。ありがとねぇ」

「いえ⋯⋯。夏椎に守られていたのは俺の方です。昔から、今に至るまでずっと」


 晃は深く頭を下げた。

 それは俺だって同じだ。晃がいなければおじいちゃんと過ごす毎日を耐えられなかったと思う。

 晃もお母さんにネグレクトを受けていた。父さんのいない家に帰るより幼稚園で過ごす方が幸せだったのは、俺も晃も同じだ。

 

「そういや晃も10年前に親死んじゃったんだっけ?」


 あっさりとした口調で木戸さんが尋ねた。


「あぁ。あの女なら死んで清々している」


 淡々と。

 道端に死んでいる虫けらを見るような口調で、晃は言った。


「晃⋯⋯」

「夏椎が気にする事じゃない」


 見上げる俺に向かって、晃は柔らかく微笑んだ。


「あの女と暮らしていた頃より、柚木といるほうが落ち着きはないがよっぽど人らしく過ごせていた。あの出来事について俺は悲観していない」

「へぇ。大変だねぇ親がいるって。みんな龍司さんみたいな親だったらいいのにな」

「やだ蓮ちゃん、俺の事褒めてる⋯!?」

「夏椎に関してはいい父親してんじゃないですか?なぁ、夏椎」

「はい!」

「やだ、俺の家族いい子⋯⋯!」


 口元に手を当てて感動している父さんを、木戸さんは冷たい目で見つめている。

 あの人、そんな顔するんだ。香流さんの前では見たことない表情だな。世の女性達が卒倒するのも頷ける。

 

「ただいまー」


 あ、翔真が帰ってきた。でも香流さんを連れてはいない。


「香流さんは?」

「ケーキ作ってる」

「ケーキ作れんのあの子」

「警察官より料理人の方が向いてんじゃねぇかなって柳瀬が言ってましたよ」


 確かに、と俺だけでなく晃も頷いた。翔真だけは不服そうに頬を膨らませる。


「香流お兄ちゃんが警察官じゃなかったら出会えなかったんだから、警察官でいいの!それで、どこで誕生日会するの?」

「ヒツギんとこでいいんじゃねぇかなぁ」


 俺が「え」と言う前に木戸さんはもう電話をかけ始めていた。

 父さんとの電話の時と同じく、木戸さんの行動は早い。早すぎて止める隙もない。


「ヒツギって誰?」

「俺の友達。なぁー、今日暇?店貸し切ってもいい?」

「何だ急に」

「誰?」

「木戸です」


 電話の向こうから微かに柳瀬さんの声が聴こえた。

 木戸さんは気にする様子もなく、のんびりとした口調で了承前提の話を続ける。

 

「俺そっち行って準備手伝うわ。人数多そうだから立食でいいかなぁ」

「お前も愛敬も俺が断らない前提で話を進めるな⋯⋯」

「ヒツギが俺のお願い断るわけがないという確固たる自信はある」

「全てにおいて先輩方優先だけどな」

「先輩と中川さんはともかく柳瀬なんかほっとけよ」

「おいてめぇ、聞こえてんぞ」

「柳瀬?」


 父さんがぴくりと反応した。

 ちょいちょいと木戸さんを手招きする。木戸さんは何の躊躇いもなく父さんにスマホを手渡した。


「と、う、ご、くーん?いるの?」


 即座にスマホの通話が切られた。

 無情なツーツーと言う音が木霊する。俺と木戸さんは顔を見合せて苦笑いした。


「柳瀬さん、父さんの事知ってるって言ってましたけど⋯⋯」

「相性悪そうだもんなぁ」

「今行けば会えるかな?」

「龍司さん、柳瀬にも会いたいの?」

「あぁ、アイツ俺の事大っ嫌いだから!」


 父さんは爽やかな笑顔で言い切った。

 木戸さんは早速椅子から立ち上がった。やっぱり行動が早い。俺の頭がまだ処理できていない。


「よし、今すぐ行きましょう!」

「だから何もかもが早い!勝手にA地区に行ったら香流さんに怒られますよ!」

「昼間ならみんな寝てるし大丈夫!」

「そういう問題じゃないような気がするんですけど」


 そう言ってる間に木戸さんと父さんはもうドアに向かって歩いている。慌てて俺も椅子から立ち上がった。


「え、本当に行くの?A地区?」

「あのふたりを放っておけないよ!」


 俺がドアを開けると、木戸さんはまた誰かに電話していた。父さんがニコニコしながら俺に手を差し出してくる。


「中川さん、先輩のとこいる?」

「うん、いるよー。何で分かったの?」

「先輩がケーキ作り始めたから来るかなと思って⋯⋯」

「ひとを食いしん坊みたいに言う!」

「食いしん坊じゃないならそのつまみ食いする手を止めろ!」

「節度を守ってつまみ食いしてるよ」

「つまみ食いのスピードを遵守(じゅんしゅ)してない」

「つまみ食いってスピード違反あるの?」


 いつもながらなんかアホな会話してるなあの人たち⋯⋯。


「今から夏椎達連れてヒツギんとこ行ってきまーす」

「ヒツギのとこ?はぁーい」

「えっ」


 香流さんの言葉を遮って、木戸さんは電話を切った。

  本気でA地区へ行く気だこの人。俺が呆然としている上で、巨大なふたりが階段の端へ向かって足を動かしていく。


「中川さんって名前は木戸から聞いた事あるな」

「アホ属性の腹黒天使ですよ」

「やだ、ボロクソ言うじゃん⋯⋯」

「木戸さん、香流さんに直接言わなくて大丈夫なんですか?」

「直接言ったら止められるに決まってるから中川さん越しに言ったんだよ」


 俺はなるほどと納得した。

 この人達の関係性が良く分かる。アホと策士が綺麗に分かれている。すごい絶妙なバランス感覚だな。


「木戸さんはアホ属性じゃなかったんですね⋯⋯」

「俺が夏椎にどう思われてたかよく分かるわぁ」


 木戸さんは翔真と晃を抱き上げて、廊下の端から身を乗り出した。

 父さんも木戸さんに続いて飛び降りる。この人達に簡単に飛び降りれる高さじゃないんだけどなぁと突っ込むのも馬鹿らしい。


「飛び降りるなら先に言ってよ!」

「この方が早くない?」


 先に下りた翔真と木戸さんが揉めている。晃は呆然と固まっていた。うん、22階から飛び降りるのは死を覚悟するよね。


「面白い島になったなぁ〜」

 

 父さんが空や地面へ視線を移して感心した声を上げた。

 この島には人以外の生き物がたくさんいる。大小様々、色も形も様々な生き物が穏やかに談笑しながら歩いて行く光景は、いつ見ても映画の中の世界のようだ。


「いいなぁ、楽しいなぁ」

「絶対父さんならそう言うと思った」

「おれ達はこっちの方が当たり前だけどねぇ」

「それもそうだな」


 翔真と晃がそう言うと、父さんはふたりを振り返って笑いかける。


「今度一緒にドイツへ行くかい?」

「犬に戻っちゃうからやだ」

「あはは、振られたなぁ」

「でも!おれが代わりにこの島を案内してあげるよ!未来の警察官だから!」

「それは楽しみだ」


 翔真はすっかり父さんに懐いている。楽しそうな父さんと翔真の姿を見て、俺もとても嬉しかった。


「今度学校にも行きたいなぁ」


 住宅街をのんびり歩きながら、父さんがぽつりと呟いた。


(いく)は元気かなぁ」

「幾?」

「夏椎は覚えてないか?まだ赤ちゃんだったもんなぁ。俺と同じ剣道部で、俺が夏椎から離れなきゃならない時色々と面倒見ててくれたんだよ」

「⋯⋯さすがに覚えてないよ」


 小さい頃、なんとなく父さんと一緒に授業を受けていたことは覚えている。その時に誰が側にいたかなんておぼろげ過ぎて記憶の中に浮かんではこない。


「島にいた人間なら死んだんじゃないですか?」

「俺が卒業する前に転校したから島からは出てたはずだけどなぁ」

「ねぇ父さん、どんな人?」

「剣道部にいた髪の長い女の子で、女子の中で一番強くて料理がめちゃくちゃ下手だった!」


 父さんはしみじみと思い出すように言った。

 何だか懐かしむような顔が物珍しい。そう言えば、父さんの子ども時代の話を聞くのは初めてだ。


「夏椎のミルクを直火にかけようとした時もあって」

「煎りミルク⋯⋯」

「夏椎の事はありがたいことにみんな可愛がってくれたからあの時はすごく楽しかったなぁ。出来ることが増える度に学校中で大騒ぎしてたぞ」

「なんか恥ずかしいんだけど!」

「まぁほとんど死んじゃったんだけどさぁ。もう1回会えるなら感謝したかったねぇ」


 郷愁を語る父さんの顔は、悲しんでいると言うよりは懐かしんでいるように見える。

 中川さんは、あのピンクゴールドの髪を持つ小さな女の子が原因で島のみんながいなくなったと言っていた。

 誰もいなくなった街で、香流さん達だけでどうやってここまで島を立て直したのだろう。俺がアメリカで過ごしている間にも、当たり前だけどこの島にも時間が流れていた。


「死んだ人間は戻らないですよ」


 木戸さんが淡々と事実を述べる。

 父さんはあははと笑って応えた。


「お前は相変わらず冷たいねぇ」

「木戸さんは、あれからどうしてたんですか?」

「色々あったよ。でも何だかんだで先輩達とは付かず離れずだったなぁ。だって俺は翔真と晃の事知らねぇもん」

「うん、俺達も見たことない」

「俺は高校の時はしばらく島を離れてたし、大学にも行ってたし、ここ最近の事しか詳しくないからさぁ」

「大学!?」


 俺達3人は同時に声を張り上げた。

 木戸さんと父さんは不思議そうにしている。なんだか妙な単語が聞こえた気がするんだけど。木戸さんを見上げながら、俺ははっとする。


「あ、島に大学もあるって言ってましたね」

「俺は東京の大学行ってたよ」

「何で!?」

「え⋯⋯?日本国籍あるから⋯⋯?」

「木戸、今どれくらい話せるんだっけ?」

「今は8ヶ国語くらいかな」


 なんか⋯⋯なんか⋯⋯


「もう喋らないで下さい⋯⋯」

「お前の俺のイメージどんなだったの⋯⋯」


 その図体で高学歴かつ8カ国語話せるなんて別の意味で残念すぎる⋯⋯。

 

「木戸さんは何でそんなお勉強したの?」

「さっきも言ったけど、俺はどうしても先輩と話したかったんだよ。そんで勉強してたら覚えた言葉以外にもいっぱいあるんだって思って、色々見たくなって、あちこち飛び回ってたら勝手に覚えちゃった」


 まるで旅人のようだ。ひとところにじっとしない奴だと香流さんが言っていた理由が良く分かる。

 

「木戸さんって香流さん以外にも興味関心があったんですね」

「え、ないよ。俺は回り回って先輩のためになる事以外は一切しない!地球の言語以外は一切興味ねぇもん!」

「じゃあ地球の言語以外がこの島で定着したら?」

「死ぬ気で覚える」


 ブレないなぁこの人は。

 俺はある意味安心した。やっぱりこの人もアホの部類だった。


一途(いちず)が聞いて呆れるくらい一途だなぁ」

「モテモテなのにねぇ。うちのクラスでも騒がれてたよ」

「残念ながら俺の顔は使い所ないのよ。出来れば背も低いまま可愛く大きくなりたかったなぁ」

「背が低くて可愛いって小波ちゃんみたいな感じ?」

「違う!」

「小波ちゃんってお前のお姉ちゃん?」

「あんな恐ろしい姉ちゃんいらねぇわ」


 とりとめのない話をしながら歩いていると、C地区とA地区を遮る鉄柵のゲートが見えてきた。

 視界の端まで、一切の隙間なく鉄壁がそり立っている。そんな身のすくむような光景に、俺は思わず萎縮してしまう。


「初めてここまで来た」

「それもそうだな」


 翔真と晃も木戸さんに隠れている。住宅街からは想像も出来ないような物々しい雰囲気は、まるで牢獄のようにも見えた。


「まぁ、昼間は静かなもんだよ」


 木戸さんは軽々と鉄柵のゲートを開けた。覗いてみると、中はずらりと飲み屋が立ち並んでいる。

 暖簾(のれん)作りの小さなお店や、BARと銘打たれた看板が備えられているお店。バニーガールのお姉さん人形が入り口に立つお店もあった。


「C地区寄りは普通の居酒屋も多いよ。奥に行くとややこしい店も多いから子ども達ははぐれないように」

「俺は?」

「お好きにどうぞ」


 木戸さんは父さんに呆れた視線を向けた。息子の前で何言ってんだこの父親は。俺は黙って聞かないふりをする。


「どんなのがあるの?」

「知らないですよ。俺は先輩以外興味ないもん」

「あぁ、不能なんだぁ⋯⋯。まだ若いのに⋯⋯」

「そーですよ!」


 やけくそ気味に木戸さんは叫んだ。その前方から、木戸さんと父さんより背の高い男性がゆっくりと歩いてくる。

 彫りの深い顔立ちに、浅黒い肌。頭にはバンダナを巻いている。ヒツギさんは、父さんを見ると軽く頭を下げた。


「初めまして。木戸の友人です。木戸の事はいつもお世話しています」

「でしょうねぇ」

「柳瀬は?」

「あの後すぐに帰った」

「でしょうねぇ」


 軽い会話を交わしながら、木戸さんとヒツギさんが前を歩き始める。

 2人並ぶと威圧感がすごい。特にヒツギさんは大きくて、父さんが誰かを見上げる姿を俺は初めて見た。

 

「おい木戸、子連れで来る事は柚木さんの許可を取ったのか?」

「いいかヒツギ、先輩の説得には中川さんが一番適任だよ。俺は後で怒られる役目を担うの」

「あのなぁ⋯⋯」


 自信満々に言うことではない。

 ヒツギさんは俺達を振り返った。父さんは目を輝かせている。まるで新しい玩具を発見した子どもだ。


「でっかいなー」

「巨人だね!」


 翔真は臆することなくぴょんぴょんと跳ねて楽しそうだ。そのまま、ヒツギさんの腰元へ飛び付く。

 ヒツギさんは少し考えて、ひょいっと翔真を肩車した。翔真は「うわー!」と声を上げて尻尾を左右に揺らして楽しそうだ。


「ヒツギ、先に店へ案内してあげて。俺は電話しながら行くわ」

「分かった。昼間はあまり変なものは出ないが、念の為俺の側にいるといい」

「おれヒツギお兄ちゃん大好き!」


 今までになく懐くスピードが早い。物珍しさと高揚した気分が合わさっているのか、翔真のテンションがいつになく高く見える。

 木戸さんが歩くスピードを緩めて後ろについた。俺は何となく耳を澄ませて、木戸さんの電話越しの会話を盗み聞きする。


「なぁに、先輩。もう俺が恋しくなっちゃった?」


 やっぱり。電話の相手は香流さんだった。木戸さんが丁寧な対応をするなんて香流さん以外に考えられない。

 

「アーコイシイコイシイ。で、ケーキ以外にいるもんある?」

「⋯⋯怒ってない!」


 木戸さんが声を張り上げた。予想に反して穏やかな口調の香流さんは、心底不思議そうな声で尋ねる。


「何で俺が怒んの?」

「いや⋯⋯俺が勝手に話を進めたから⋯⋯」

「保護者がいいなら俺が止めるのもなぁ。それにヒツギの店なら別にいいだろ。すぐ帰れるし、俺もすぐ帰る」

「えー帰るの?」

「何で帰るのー?」

「俺の方が怒られてるけど⋯⋯」


 電話の向こうで中川さんが木戸さんを援護する声がした。つまみ食いはきちんと検挙出来たのだろうか。俺の誕生日ケーキなのでそこは気になるところだ。

 

「たまにはうちに泊まればいいじゃない。一緒に寝ようよ」

「別にいいけど」

「あのーそっちで勝手にイチャつかないでくれます?」


 全然援護ではなかった。どうやら中川さんは木戸さんの全面的な味方と言う訳ではないらしい。


「何もいらないならもう切っていいか?」

「電話かけてきたのはそっちなのに冷たい。先輩はいつ来るんですかー」

「賢吾が帰ってきたら一緒に行く」

「川崎くんが心配なんだよねぇ」

「あぁ、そういう事か。ならこっちで食事も準備して待ってますよ」


 川崎さんは普通の人間だと言っていたもんな。A地区へ入るのに心配な気持ちは理解出来る。

 俺も父さんがいるから普通に歩いているけれど、怖くないと言えば嘘になる。食べられるのは嫌だし、この静けさがどうにも不気味で心地の良い場所ではない。


「あ、先輩が中川さんの家行くなら俺も行きますからね!」

「分かった、結界強化しとく!」

「全然優しくねぇこの天使!」

「もうめんどくさいから中川がうちに泊まれよ⋯⋯」

「はーい!」

「えぇ〜中川さんが来るのぉ〜?じゃあホラー映画用意しとこ」

「ねぇ何で!」


 電話越しに香流さんが笑っている。

 香流さん、声を上げて笑うこともあるんだ。いや、そりゃそうか。友達同士で話している香流さんの声が子どもっぽく聴こえて、少しだけ胸がモヤッとする。


「ただいまー!」

「あれ、石田くんだ」

「ただいまってなんだよ⋯⋯。じゃあな、木戸。また後で」

「はぁい」


 電話が終わった。

 木戸さんは満足そうな顔をしてスマホを眺めている。本当に幸せそうな様子は、全身で恋をしていると物語っているようだ。

 木戸さんなら数多の女性から選び放題だと思うのに、木戸さんが選んだのは天然でアホ街道を邁進している香流さん。

 恋というものは不思議だ。俺には理解し難い感情だなと思っていたら、父さんが木戸さんの隣に並んだ。


「ついさっきまで一緒だったのにまぁーデレデレしちゃって」


 父さんはからかうように木戸さんの額をつついた。

 木戸さんはへらっと表情を崩してスマホに口付ける。

 

「だって声だけでも可愛いんですよー」

「木戸さんは盲目すぎますよ」

「だってあんな可愛いのいたら他は目に入らないでしょ!」

「あんまり可愛い連呼するとまた嫌がられますよ」


 俺が咎めても、木戸さんは全く気にした様子がなくニコニコしている。


「あはは。夏椎と木戸が楽しそうで良かった良かった。お前ら昔から仲良かったもんなぁ。特に夏椎は木戸にはよく懐いてたから」

「あの家に俺以外まともな奴いなかったんですよ」

「それはそう」

「木戸からもらった絵本すごく大事にしてたもんな。まだ家に置いてあるぞ」

「あれ、くれたの柳瀬さんらしいよ」


 俺が声のトーンを落とすと、父さんは声を上げて笑った。


「そうだったっけ!」

「てか、龍司さんは何でそんな柳瀬に嫌われてんの?」

「柳瀬の仕事の邪魔するのが仕事だったからかな!」

「あぁ⋯⋯」

「でもアイツ友達出来てからかなり丸くなったよな」

「そーですかねぇ」


 木戸さんは呆れ混じりに肩を竦める。何しても様になる木戸さんは、整った顔立ちを思い切り歪めた。


「柳瀬は身内以外には変わらずやべぇ奴ですよ」

「確かに⋯⋯」


 病院でも女の人相手に引くくらいの拷問をしていた。

 でも、香流さんといる時は引くくらいデレデレしていた。二面性が両極端な人だ。


「着きましたよ」


 翔真を肩に乗せたヒツギさんが、振り返って端的に告げた。

 居酒屋の立ち並ぶ一角に、シンプルな木のドアプレートが扉に掛けられている。

 ドアプレートには『居酒屋「柩」』と書かれていた。


「龍司さん、料理は俺とヒツギで作りますから子ども達と飾り付け頼みますよ」

「はぁーい!」

「えー、楽しそう!」


 俺、自分の誕生日の飾り付けを自分でしなきゃならないのか⋯⋯。


 俺は何とも言えない気持ちになりつつも、楽しそうな父さんを見上げてまぁいいかと苦笑した。

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