白兎事件編22(過ぎゆく日々・2)
5・翔真と香流
(翔真)
香流お兄ちゃんの様子を見に行こうとする木戸さんを差し止めて、勝手知ったる香流お兄ちゃんの部屋へ入ると知らない女の子が眠っていた。
兎耳のついたパーカーを着て、緑色のもふもふを抱きしめて、細く長い脚を伸ばしながら気持ちよさそうに眠っている。
さらさらの金髪がフードから覗いている。睫毛長っ。今まで見た誰よりも綺麗で幼い寝顔のその子には、おれは見覚えがあった。
と言うか、匂いが一緒だからすぐ分かった。
女の子じゃないわ。この人おれのお兄ちゃんだわ。
「てか、何で寝てんの⋯⋯?」
あの電話から一体何があった⋯⋯?動きやすい服が好きな香流お兄ちゃんが好きで選んだ服ではなさそうだけど。
それにしても可愛いな。360度女の子にしか見えない。なんか胸の奥がうずうずする。
それに、この姿。おれより小さいんじゃない?
木戸さんを差し止めて正解だった。夏椎と晃も置いてきて正解だった。
少し考えて、寝顔に顔を近付ける。
えー。可愛い。昔はあんなに大きく見えたのに。⋯⋯でも、お日様みたいな匂いは変わらないな。
変わらない、と思ってふと出会った瞬間の場面を思い出した。
そうだ。おれは『この人』に拾われたんだった。
あの時は黒髪じゃなかった。何で今まで忘れてたんだろう。
おれは薄情な男だ。いつか忘れたけど、香流お兄ちゃんの髪が確かに突然黒く変わった日があった。
おれは関心を持たずに、夏椎みたいだと思ったくらいだったな。
思い返すと本当に優しくなかった。与えられたものを当たり前に受け取って、それを返そうなんて発想すら思いつかなかった。
今こんなに執着してるのも、別の家族が見つかったらおれは忘れてしまうのかな。
おれが本当に人なら、そんなことないのかなぁ。
「⋯⋯ん」
パチ、と長い睫毛が動いて目が開いた。
目を擦りながら身体を起こした後、おれの顔を見て、香流お兄ちゃんは固まった。
そうだよねぇ、きっと隠してたんだよねぇ。
丸い目が更に丸くなって、言葉を出せない香流お兄ちゃんの代わりにおれが言葉を話す。
「おれ、こっちの姿のこともちゃんと覚えてるよ」
手を伸ばして頬に触れる。
柔らかい。呆然としている頬をつまんで、ふふっとおれは笑った。
「おれは匂いで分かるもん。香流お兄ちゃんが何になってもすぐ分かるよー」
「⋯⋯鍵、閉まってなかった?」
「全然開いてたよ。見られたのがおれで良かったねぇ」
「柚姫ぃ⋯っ!」
声まで可愛くなっている。いつもとは違う、高く澄んだ声。
鍵が開いていたのは柚姫お姉ちゃんが犯人かぁ。なるほど、この服装の合点がいった。
拳を固めてぐぬぬしてるとこ悪いんだけど、その格好のままでいいのかな。
と、そこでようやく気付いたのか、香流お兄ちゃんは慌てて兎耳フードを脱いだ。いくら見た目は子どもでも中身はいつもの香流お兄ちゃんで、目に見えて分かりやすく落ち込んでいる。
「着替えてくる⋯⋯」
「そのままでも可愛いのに」
「絶対他のやつには言うなよ!」
香流お兄ちゃんは強めに言い捨てるとベッドからひょいと降りた。やっぱりちっさい。夏椎より小さい背中を見送って、おれはまた待つことになった。
こんなこと、誰にも言うわけないじゃん。
おれだったから良かったんだよ。そのところをもう少し理解して欲しい。本当に、香流お兄ちゃんは何も分かってない。
「あのままでいたら食べられちゃうな⋯⋯」
いや、それは絶対に許さない。
決めた。おれは警察官になる。香流お兄ちゃんは四六時中おれが側にいて守ってあげなきゃならない。
胸の奥で何かが燃え上がる。メラ、だか、イラ、だか、そういう擬音を胸に抱いているとまた玄関のドアが開いた。
「翔真、香流さんいた?」
「腹減った」
「夏椎、晃〜!」
夏椎と晃が入ってきた。
おれは咄嗟に2人に体当たりする。それと同時くらいにクローゼットが開かれた。
いつもの姿に戻っている。香流お兄ちゃんはおれ達を見ると、はぁーと深いため息をついた。
「何食べたい?」
「はい!おれエビフライの乗ったピラフがいい!」
「分かった。あ、でもエビあったかな⋯⋯。なかったらコロッケでもいい?」
おれは香流お兄ちゃんに飛びついて、耳元でこそっと囁いた。
「うん!おれ、どっちも大好きだよ!」
何も言えずに耳を赤くする香流お兄ちゃんを見上げて、おれはにやけた顔で笑った。
★
(あ、絶対バレたなこれ)
勘のいい夏椎だけはしれっとマリモを抱きしめながら、2人の様子で何があったのかを察知したのだった。
6・マリモの名前
(柚木)
やっぱりエビはなかったので、コロッケを揚げてからピラフの準備をする。
お米足りるかな。最近一升炊きでもギリギリなんだよなぁ⋯⋯と考えながら炊飯器を開けたタイミングで、ベランダの窓がガラリと音を立てた。
「柚木〜、お腹すいたぁ」
予想通り窓から中川が来た。
中川は絶対に玄関から入って来ない。いきなり入ってくる中川に子ども達ももうすっかり慣れたのか、驚きもせず受け入れている。
「中川さん、教会の様子はどうですか?」
「変わりないよぉ。あ、そうだ。アリアスちゃんが歩けるようになったよ」
「じゃあもうすぐ入学ですね」
にこやかに会話している夏椎のうすら暗い魂胆が透けて見えている。
ふふふ、と笑い合う夏椎と中川に何とも言えず料理に打ち込んでいると、いきなり上から重い何かが覆い被さってきた。
「せんぱーい、俺もなんか食べさせて」
「いちいち重い!」
「香流お兄ちゃんにくっつかないで!」
頭突きをするように突撃する翔真に押され、「えー」と木戸が不満気な顔をする。
不満なのは俺の方だ。じとりと睨み上げていると、いつの間にかマリモが俺の足元まで転がってきた。
今は俺の膝下くらいの大きさのマリモが、いきなり木戸に向かって無数の棘を出す。
威嚇している。
俺と翔真の側は変わらずふわふわしている。意志を持って相手を攻撃出来るなんて、なんて賢いペットなんだ。俺がふわふわを撫でると、マリモがほんのりピンクに色付いた。
「お前は賢いなぁ」
「ねぇ、なんで俺にだけ当たり強いのー」
「今までの行動を振り返ってみたらどうかな!」
翔真もマリモと同じように威嚇している。
木戸はそれ以上俺に近付くことなく止まっている。すごい。翔真とマリモのお陰で料理に集中できるからありがたい。
「壁が高ぇ⋯⋯」
「マリモと子犬に負ける190cm」
「随分無駄な図体だな」
「スペース取ってすみませんねぇ!」
無視してさっさとピラフを作り上げる。量を作るにはとにかくスピード勝負だ。キッチンのスペースにも限界があるので、出来上がった食事はさっさと運んでもらわなければならない。
「中川、出来たご飯運んで」
「わーい!ごっはん♪ごっはん♫」
「そこは冷蔵庫なんだけどなぁ」
中川が勝手にビールを吟味している。石田も中川も勝手に置いて行っては飲んでいき、そしてまた買ってくる。これを石田と中川は『置き酒無限ループ』と呼んでいる。
「そうだ。柚木、マリモの名前は決めたの?」
「名前⋯⋯」
「名前がマリモじゃないんですか?」
「マリモは固有名詞でしょ?」
中川がビールを選んでいるので、代わりに夏椎と晃が食卓へ食事を運んで行ってくれた。賢い子ども達だ。
マリモの名前かぁ。確かに、マリモは固有名詞だからずっとマリモって呼ぶのは可哀想だな。俺は腕を動かしながらマリモの名前を考える。
木戸に威嚇できる賢さ。そして高次の奴から守ってくれた格好よさ。もふもふの球体は大きくなったり小さくなったりとても便利だ。
それを総合して考えるなら、思いつく名前はひとつしかない。
「よし、じゃあお前は今日から将次だ」
「どこの将軍かな?」
「ふわふわの球体が全く活かされてない」
「どっから出てきたんですかその名前」
「病院で俺を守ってくれたから!」
フライパンを動かす俺の足元に、もふっとした感触がした。
見下ろすと、将次がニコニコしている。良かった、気に入ってくれたみたいだな。俺も笑顔を返してみんなを見ると、何故かみんな変な顔で固まっている。
「なんだよ」
「なんか違う」
「将次⋯⋯」
何で?
変な顔をされる理由が分からない。俺も変な顔をすると、夏椎が大げさにため息をついた。
「香流さん、ネーミングセンスないですね」
「何でだよ。将次も宙も蓮もいい名前だろ」
「並べられた⋯⋯」
中川と木戸は更に微妙な顔をして同時に呟いた。でもそれ以上は何も言わず、中川はさっさとテーブルについて勝手にいただきますを始めようとしている。
中川の手に持ったビール缶がカシュッと音を立てた。夏椎と翔真はふたりで視線を交わして、俺と中川と木戸を交互に見る。
「宙と蓮ってふたりの名前?」
「そう。俺と木戸の名前は柚木がつけたの」
「宙って名前、似合ってて可愛いよ!」
「ありがとう!俺可愛いから〜」
翔真と中川が微笑み合っていて微笑ましい。俺の家族と友達が仲良くなってくれたことに嬉しくなる。
「何で宙なの?」
「いつか飛べるようにって願いを込めたんだぞ!」
「実際は倒した魔物の粒子を見上げて思い付いてたよね」
「何で蓮なの?」
「その日の漢字の宿題の1ページ目だったからだよね」
中川が何でかすごく遠い目をしている。
木戸は苦笑いして、追加のキッチンのピラフを運んでいった。
「俺の苗字は夏椎が付けたんだよ」
「えっ、そうでしたっけ」
「俺が柳瀬に買ってもらった絵本に出てくる鬼の名前がキドで、夏椎が気に入って俺のことずっとそう呼んでたから」
「あれが柳瀬さんにもらったものだと思うと胸中複雑です」
「柳瀬嫌われてんなぁ」
木戸は柳瀬に懐いてたもんな。今も仲良いし、柳瀬は木戸のことを弟みたいに扱っている。
夏椎の家族でもあり、柳瀬の家族でもある。つまり、柳瀬と夏椎は家族ということになる⋯⋯?
「先輩、それ以上はいけない」
「はっ!?」
「同族嫌悪ここに極まれりですよ。夏椎は草食動物ではありませんからね」
よく分からないことを言いながら、木戸はテーブルではなくベランダの方へ歩いて行く。
「木戸?」
「椅子が足りないからベランダで食べてきまーす」
「じゃあ俺も行く」
「やった。先輩と一緒だ」
「おれも!おれも行く!」
お盆を運ぶ木戸の後ろを翔真がついて行く。俺も軽くキッチンを片付けて、自分のお皿を持ってベランダへ向かった。
★★
(夏椎)
ベランダへ向かって行く3人の背中を眺めながら、俺と晃も中川さんの前に座った。
出来たてのピラフとコロッケからいい匂いがする。本当に香流さんは料理上手で、何を作っても美味しくて尊敬する。
父さんがドイツに発って、1人暮らしだと思っていた俺がこんなに幸せな手料理が食べられるなんて思いもしなかった。この瞬間は、この島に来て良かったと心から思う。
だけど。
「中川さん」
「んー?」
「中川さんや木戸さんがしょっちゅうここへ来るのは、俺の監視のためですか?」
いただきますをして、スプーンを動かしながら俺は静かに尋ねる。
晃は黙って聞いていた。中川さんはベランダから視線を外すと、いつもの朗らかな表情を俺へ向ける。
「そんなわけないじゃん。俺は夏椎が来る前からしょっちゅうここに来てるよ」
「⋯⋯そうなんですか?」
「だって俺は元々柚木ファミリーと仲いいもん。木戸はどうだか知らないけど、俺は柚木が認めた人は認めるって決めてるんだよ。基本的には柚木の決めたことには全肯定の姿勢だから!」
「その姿勢絶対後悔しますよ」
「昔、柳瀬にも同じこと言われたなぁ」
中川さんの言葉を受けて、俺は心底複雑な気持ちになった。
少なくともあの人と一緒にされたくない。眉根を寄せる俺を見て、中川さんは愛らしく小首を傾げる。
「夏椎のこと監視なんてしないよ。柚木が命を狙われてることに夏椎が責任を感じる必要もないよ。だって柚木が高次の存在に嫌われてるのは夏椎が島に来るもっと前からだもん」
「⋯⋯そうなんですか?」
「そうだよ。だって⋯⋯」
そこで中川さんは口を止めた。
うーん、と頭を抱える。突然うずくまる中川さんを俺は慌てて揺すった。
「中川さん?」
「⋯⋯柚木にバレると大変だからこれ以上は言えない⋯」
「当の本人鳥にご飯あげてますけど」
ベランダ勢はいたく平和に食事をしている。中川さんはしーっと人差し指を立てて首を左右に振った。
「とにかく、柚木の事は大切だけど子どもを危険視するほど俺だって大人気なくないよ」
「柳瀬さんは?」
「あの人は強火の人だから⋯⋯」
ふっと中川さんは遠い目をした。
「あぁ、いつからだったかなぁ。柚木の天然より柳瀬の愛情の方が面倒くさいなと思うようになったのは⋯⋯」
そんなこと言われても⋯⋯。
「みなさん、付き合い長いんですね」
「中学1年生の時からの友達だからねぇ。かれこれ12年になるかな?」
「俺は中川のことを見たことないけどな」
「だって晃と翔真が柚木にベッタリくっつき始めたのってつい最近でしょ。ずっと夏椎探しに夢中だったもんねぇ」
「その節はどうも⋯⋯」
「夏椎も柚木にベッタリだよねぇ。可愛いでしょ、俺の神様」
うぐ、と俺は危うくご飯を喉に詰めかけた。
ふふふと中川さんは嬉しそうに笑っている。
「中川さんは木戸さんがアレでいいんですか?」
図星をつかれたことが悔しくて、俺はじとりとした目を中川さんへ向ける。中川さんは相変わらずニコニコしたままで、全く感情が読めない。
「言ったでしょ。柚木のすることには全肯定なんだよ、俺は」
「俺は夏椎が誰かにあんな事されたら嫌だ」
「翔真はいいの?」
「翔真は別」
何だかんだで晃は翔真のことも好いているらしい。ベランダの翔真は何を話しているのかとても楽しそうだ。
「文化祭、楽しみだねぇ」
「⋯⋯そうですね」
クラスメイトにも『アリス作戦』のことはかいつまんで事情は説明してある。
みんなアリアスさんに同情的で、優しく迎え入れてあげようと一致団結していた。
俺は囮にする気満々だと言うのに。クラスメイトの純粋さに胸が痛んだほどだ。
「本当に楽しみです」
けれど、今更作戦変更する気はない。
着々と進む文化祭の準備は、作戦決行への序章だ。
冷酷な思考が脳へ湧き上がってくるのを抑えながら、俺は香流さんの料理に舌鼓をうった。
★★
(翔真)
「香流お兄ちゃん!俺、警察官になるって決めたから!」
「そっかぁー」
うっす。
いや、反応うっすぅ。
「⋯⋯ねぇ、もっとなんかないの?「嬉しい!」とか「俺と一緒にいたいんだな!」とかないの?」
「翔真はそうかなと思ってたから」
「⋯⋯なんで」
おれはつい唇を尖らせる。
香流お兄ちゃんは拗ねるおれの頭を撫でてくれた。それだけで機嫌のよくなる犬の自分が憎らしい。
「俺と一緒に頑張ろうな!」
「うん!好き!」
「夏椎と晃も一緒だぞ!」
「あの、勝手にふたりの就職先決めて大丈夫?」
「夏椎が警察官になったらもれなく父親が付いてきますよ」
頭にハトを乗せた木戸さんが言うと、香流お兄ちゃんはしゅんと肩を落とした。
「それはちょっと⋯⋯」
「龍司パパいい人じゃない?なんで苦手なの?」
「先輩は良く知らない年上の大きい男の人が苦手なんだってさ」
おれが思い返すと、確かに香流お兄ちゃんの周りは同級生か子どもばかりで年上はいない。
警察庁の職員さんと話しているのもほとんど見ない。部下の神獣さんは女の子ばかりだし、確かに知っている限りでは年上の男の人なんてものは存在しない。
「森谷さんは?」
「アイツは元保護者だからいいの」
「香流お兄ちゃんって、案外苦手なものが多かったんだねぇ」
香流お兄ちゃんと良く過ごすようになってから、夏椎のフィルターを外して見えるようになってから、改めて見る香流お兄ちゃんは思っていたより大人じゃなくて子どもっぽい。
「翔真。勢いで誤魔化してるだけでこの人ダメダメだよ。泳げないし本読めないし映画も寝るし」
「あはは!ダメダメじゃん!」
今度は香流お兄ちゃんがむすっとした。
「別に困らない!」
「現在進行形で困ってんじゃん。電話どうすんの」
「⋯⋯賢吾が⋯いるから⋯」
「もー、すぐそうやって川崎さんに頼ろうとする」
「じゃあ木戸が変わって」
「了解しました」
即了承する木戸さんもダメダメだ。これが夏椎の言っていた香流お兄ちゃんを甘やかす大人の実態か。
いや、でもおれも頼まれたら多分しちゃうなー!
これおれもダメダメだなぁー!
でもいっか!おれが賢い大人になればいいんだもんね!
「おれ、立派な警察官になるからね」
「うん?」
香流お兄ちゃんの腕に擦り寄って、お日様の匂いを堪能する。
★
そんな微笑ましい光景を眺めながら、木戸は内心思っていた。
(あれ、これ翔真も性癖壊されてないか⋯⋯?)
このライバル達は一生増え続けるのだろうか。ネズミ算式に増えていくライバルへため息をつく木戸に、頭上のハトがくるっぽーと鳴いていた。




