白兎事件編20(生態調査・1)
(夏椎)
文化祭の準備や、『アリス作戦』と名付けられた『白百合の純潔』一網打尽作戦を大人達(主に柳瀬さん)と画策したり、たまに友人達と放課後遊びに行ったりと充実した日々が過ぎたある晴れた日曜日。
やる事がないとうだる翔真がいつも通り起き抜けに香流さんへ電話すると、「じゃあ動ける格好で警察庁の前に来い」と何かのお誘いを受けた。
とりあえず俺達はいつもの格好で警察庁の前へ向かう。
警察庁の前には相変わらず美少女にしか見えない香流さんと、ジャージ姿の木戸さんと、登山服を着た⋯⋯
「会長だ!」
高校2年生で中高一貫校生徒会会長の、黛鴫さんが立っていた。
「おはようございます。野球以来ですね」
「何で会長がいるの!?香流お兄ちゃんに呼び出されたの!?」
「違う。元々鴫と2人で行く予定だったんだよ」
「季節の変わり目毎に、史磨山に住んでる動植物の生体調査を香流兄さんとしてるんです」
「ちなみにこっちは呼んでない」
「今は一緒に住んでるから!」
木戸さんは胸を張って言った。とても自慢げで腹が立つ。
「まぁ、不穏な噂もあるし木戸さんがいた方が安心ですよ」
「不穏な噂?」
俺が首を傾げると、鴫さんはふっと優しげに笑う。笑うと兄弟良く似ていた。
「巨大な百足が史磨山に出るって生徒から聞いたので」
そんな優しく笑って言うことだろうか。
想像してしまった。ぞわりと全身に鳥肌が立つ。
「むかで⋯⋯」
「遠足でよく学生が行く山だから、子どもが噛まれたら危ないだろ」
「それも警察の仕事?」
「いや、俺の趣味です」
鴫さんはリュックから1冊のノートを取り出した。
表紙には、史磨山生体調査ファイルVOL7と書いている。
「小学生の自由研究からずっと付けてるんですよ」
「もう10年近くつけてるか?」
「ほらこれ、去年見つけた綺麗な鳥」
「鴫は絵描くの上手いよなぁ」
ワイワイとみんなでノートを覗き込む。
そこには、とてもリアルな動物や植物が描かれている。中には明らかな魔物っぽいものもいて、説明文に『山羊を丸呑みしていた』と書かれてあった。怖い。
「先輩は絵下手くそですもんねぇ」
「うるせぇな」
「え、そうなの?香流お兄ちゃん絵下手なの!?」
「芸術関連は大体ダメですよね。歌だけ妙に上手いけど、絵も下手だしダンスも出来ないし字も汚いもんね」
「悪かったな!」
そうなんだ。それは是非見てみたい。
俺達の視線を受けて、香流さんはイヤイヤと首を振った。被せてフォローするように鴫さんがノートの新しいページへ人差し指を乗せる。
「今日は百足の絵を描こうと思ってるんです」
生徒会長の目が輝いている。
俺は引いていた。この島の人はやっぱり感覚がおかしい。俺は大きい百足は見たくない。
でも帰りたいとは言えない雰囲気になっている。帰ってゲームしたいと言い出せない。元来引きこもりだった俺には陽の者たちの行動力は重すぎる。
俺はちらりと晃を見上げた。
晃も百足は嫌なんじゃないだろうか。と言うか、休みの日に山登りなんて嫌だって言ってくれないかな。
晃の歯に衣着せぬ言い方を期待していると、俺の視線に気付いた晃がふっと口角を上げた。
「夏椎の好きな毛の多い動物がいるといいな」
すごく優しいけど、違う!
何でそんなにやる気なんだ。どちらかと言えば晃も引きこもり側じゃなかったっけ!?
そして香流さんは無慈悲に号令を出した。
「じゃ、そろそろ行くかぁ」
「⋯⋯はぁい」
「はーい!」
しぶしぶ手を上げる俺に比べて、翔真の何と元気なこと。
友達付き合いも大変だ。俺はひとりきりの静かな空間を思い出しながら、遠い目をした。
史磨山は俺が昔住んでいた頃にもあった山で、現在はB地区とC地区を挟んだ場所に位置している。
標高600メートル程の小さな山で、各学校の遠足によく使われている。小さな子どもも歩けるように登山道が舗装されており、ロープウェイも完備している。
⋯⋯と鴫さんが教えてくれたのに、香流さんが指をさしたのは獣道もない本気の山道だった。
そしてそこを木を伝って進んでいくという暴挙に出る。本当にこの人は常識をどこに置いてきたんだろうか。
「何で地面を歩かないんですか?」
「え?木の上の方が楽しいから」
小学生みたいな答えが返ってきた。
香流さんが一番山登りにそぐわない格好をしているのに、ひょいひょい身軽に進んでいく意味が分からない。俺も運動は得意とは言え、香流さんのスピードに合わせて不安定な木の上を進むのはさすがに疲れてきた。
「香流さん、速すぎます!」
「えぇ⋯⋯。こんなにゆっくり進んでるのに⋯⋯」
文句を言ったら不服そうにされた。不服なのはこっちの方だ。
肩で息をしていたら、ひょいと木戸さんが俺を片手で抱え上げてくれた。もう片方には晃もいる。
「お前らは現代っ子だなぁ〜」
「木戸さん、頼りになる⋯⋯!」
「見直したぞ赤いの」
「はっはっは。俺は力持ちだからな!」
「翔真は大丈夫?」
「おれはまだいけるよー」
さすがは犬。小型犬のポメラニアンとは言え、全く息が切れていない。
そして何故か人間のはずの鴫さんも息を切らせていなかった。え、黛って言ってたし人間だよな?不可思議な顔で俺が鴫さんを眺めていると、視線に気付いたのか鴫さんは柔和な笑みを浮かべた。
「俺は真っ当な人間ですよ」
「鴫はいっぱい習い事してたから何でも出来るんだよな!」
「兄さん方には勝てませんけどね」
この人、比較対象がバグっているのではないだろうか。
運動能力天井知らずの香流さんと、電脳お化けの黛さんが常識だと思わないで欲しい。俺があまりに複雑怪奇な顔をしていたのか、鴫さんは苦笑いした。
「さすがの俺もあれが常識だとは思ってないですよ」
「龍司さんも大概あれだけどなぁ」
「いや、父さんは常識を弁えて⋯⋯ないなそう言えば」
言われてみれば俺の父親は飛行機でハイジャックを捕まえてコーラを振る舞うひとだった。
俺は香流さんを見上げる。視線を受けた香流さんは不思議そうな顔で首を傾げた。
「どうした?」
「香流さんは飛行機乗ったことありますか?」
「ないけど⋯⋯」
なかった。比較できなかった。
「?」マークを浮かべながらも香流さんは身軽に進んでいく。
道中でリスやモモンガや小鳥が香流さんの頭や肩に代わる代わる乗って擦り寄っている。その時だけゆっくり進むのが俺的には腑に落ちなかったけど、本人は気付いていなさそうだ。
「やっぱり鳥は可愛いなぁ」
「鳥⋯⋯」
香流さんが落とした言葉に、翔真は分かりやすく眉根を寄せる。
鴫さんは堪えきれないようにくすくすと笑った。
「香流兄さん、鳥好きが漏れてますよ」
「別に他の動物が嫌だなんて言ってねぇだろ!」
頭に鳥を乗せてまるで説得力がない。
「ふーん。香流お兄ちゃんは鳥がいいんだ」
「翔真。これはルリビタキでこっちがコガラ」
「いや、鳥の名前を知りたかったわけじゃないんだけど。⋯⋯まぁおれはペットじゃなくて弟だからいいけどっ」
「翔真くんと俺は弟仲間ですね」
「!えへへ、そうだね!」
鴫さんと翔真がさっそく仲良くなっている。そのコミュニケーション能力の高さが羨ましい。
俺はほのぼのと笑顔を交わす弟コンビを見てはっと気付いた。そう言えば木戸さんも俺の家族みたいなものだった。でも、兄と言うより⋯⋯
「叔父さん⋯⋯」
「何、急に悪口言われた?」
「あ、いや。そのおじさんじゃなくて。木戸さんは、父さんの弟?みたいなものだから」
「えーじゃあ俺も弟属性なのかなぁ」
なんか違う気がする。鴫さんと翔真の間に木戸さんは入らない気がする。
違和感がすごい。それが顔に出ていたのか、木戸さんは「なんかごめん」と俺に謝った。
「香流兄さんも兄さんからは弟扱いされてますね」
「はぁー?まゆの弟なんて絶対嫌だ!俺が兄!」
「賢吾兄さんは?」
「アイツも弟!俺が1番兄!」
それは無理がある、とは俺はあえて口に出しては言わなかった。
「いや、無理があるでしょ」
代わりに木戸さんが突っ込んでくれた。頭にまた別の鳥を乗せた香流さんがむっとした顔をする。
「俺はお前の先輩だぞ」
「俺は先輩のこと先輩だと思ったことはないですけど。世界で1番可愛いとは思ってるよ」
「子どもの前でそれやめろ!」
「じゃあ帰ってから言ってもいい?」
「もう聞いたから今日は聞かない!」
いつもの痴話喧嘩が始まった。
翔真がむくれて、鴫さんは何故かニコニコしながら2人を眺めている。俺と晃は突っ込むことを諦めて周りの景色を楽しんでいた。
と、そこで香流さんが急に足を止めた。
慌てた翔真が木の枝から落ちかけて、鴫さんが後ろから抱きとめるように支える。
木戸さんは焦りもせずスピードを落として、俺と晃を太い幹の上に下ろした。そして、しー、と指で話さないよう指示を出す。
「2体いるな」
小さな声で香流さんが呟く。鴫さんが翔真を俺達の元へ連れて来て、にこりと微笑みを浮かべた。
「見た事あるやつ?」
「ない。地球産でもない」
「久しぶりの侵略者かぁ」
「喜ぶなよ」
木戸さんは何だか楽しそうだ。香流さんはそれを咎めるように見上げた。
深い山の中だ。視線の先は木々が鬱蒼と生えていて、開けている場所も少ない。
俺には木の隙間からは何も見えない。目を凝らしてみても、木の群れしか見えなかった。
「香流さん、何がいるんですか?」
「黄色と紫色の百足っぽいの」
「そんな派手なのにここからは見えないんだ⋯⋯」
俺は改めて香流さんの目の良さを実感した。
どれだけ目を凝らしてみても、黄色も紫色も俺の目には入ってこない。
珍しく香流さんは立ち止まったまましばらく考え込んでいた。
いつもなら考え無しに突っ込む人なのに。俺達がじっと見上げていると、香流さんは何とも言えない顔で唇を尖らせた。その様子を見て、鴫さんは口元に手を当ててくすくすと笑いを噛み殺す。
「香流兄さんは虫苦手ですもんね」
「そーなの!?」
香流さんの思わぬ弱点に翔真の目が輝いた。
香流さんはとても不服そうだ。視線は百足の方を向いていても、動きあぐねているのが見て取れた。
「確かに、カブトムシとか好きそうなのに全く反応しないですもんね」
「お前は俺をなんだと思ってんだ」
俺の中の香流さんのイメージは小学生男子で固定されている。
木登り好きで、高いところも好きで、後先考えずに行動しては周りが苦労を買っている。
イメージ的にはカブトムシとかクワガタとか集めてそうなのに。なんだかちょっと意外だった。
「何で虫が苦手なの?」
「⋯⋯小さい頃、ひとりで外で寝てた時に、動物達が集まってくるのと同じでうじゃうじゃ昆虫が集まって来たことがあって⋯⋯」
香流さんはぶんぶん首を振った。想像するだけで俺の全身に鳥肌が立っていく。
「まぁ、それで柚姫に泣きついた事があるんだよ⋯⋯」
「それは無理ですね」
「うん、おれも無理」
「苦手なのも仕方ないな」
俺達は全面肯定した。誰しも苦手なものはある。虫に集られるのは俺だって絶対に嫌だ。
あの細かい脚を見ると、何とも言えない背筋がゾワゾワする感覚がする。
黙り込む俺達を見て、木戸さんがぽんぽんと俺達の頭を撫でた。気持ちの切り替えを手伝ってくれる優しさが身に染みる。
「ま、苦手なものくらい誰にでもあるって事だよ。で、俺が行ってこようか?」
香流さんに甘い木戸さんが自分を指さして言った。香流さんはまた首を横に振る。
「ダメに決まってんだろ」
「ダメなの?」
「こっちに来たら俺が対処しなきゃならなくなるだろ!」
「あぁ、それで悩んでたの?」
木戸さんは呆れたように眉尻を下げた。
「あのねぇ、百足が苦手なのに俺がいなくてどうするつもりだったの」
「⋯⋯あんなにでかいと思わなかった」
「別に俺が先輩の虫嫌いを馬鹿にしたことなんかないでしょ。ほんと先輩はアホだなぁ」
「うっ⋯⋯」
図星を付かれて香流さんは拗ねたような顔をする。動かない、動けない香流さんは珍しい。それにしても、木戸さんと鴫さんは巨大な百足は嫌じゃないのかな。
「木戸さんと鴫さんは平気なんですね」
俺が尋ねた瞬間、香流さんが急に走り出した。
あーあ、と木戸さんが小さく零す。
「えっ!?あんなに嫌がってたのにどうしたんですか!?」
「多分、誰か襲われてんじゃないの?」
「あんなに嫌がってたのに⋯⋯」
とりあえず、後先考えずに動く癖は本当にあの人の悪癖だ。
呆然としている俺達の前で、はーやれやれと言いながら木戸さんは両手を広げた。
「子ども達、全員俺から離れないようにー」
俺達は素直に大きな身体へ飛びついた。
★★★★★
(テナ・アレン)
今日は楽しいハイキングのはずだったのよ。
おばあさん3人で集まって、いい景色を見ながらお弁当を食べようと提案したのは誰だったか。
いや私だったわ。
この島に来て、お友達が出来たのよ。おばあさん同士楽しくお喋りしながら一緒に歩く楽しさは、死にかけたあの山とは全然見える光景が違ってねぇ。
まさか、道を外れるとは思わないじゃない。
まさか、こんなでかい百足がいるとは思わないじゃない。
「ひぃぃぃ!」
お友達と手を取り合って死を覚悟する。
百足が巨体を起こす。ガチガチと顎が動いている。
あぁ、食べられて死ぬなんて⋯⋯!
飢えて死ぬのとどっちがマシかしら!?
百足が身体を振り下ろす。その直前に、どん、と大きな音がした。
『ピィィィ!』
耳を劈く金切り声が山に木霊する。
「ばあさん、怪我はないか!?」
「ゆ、柚木ちゃん!」
百足を蹴り上げたのは、顔見知りの警察官の女の子だった。
可愛いお顔で行動がイケメンなのよ。ババア株ノンストップ爆上がりよ。
「登山道から外れてるぞ。後で案内するから木陰に隠れてろ」
「で、でも動けないの⋯⋯」
「仕方ねぇな。じゃあ俺の後ろで待ってろ」
微笑みきたわー!いつも笑いかけてくれてありがとうー!
内心はわわと柚木ちゃんを見つめるババア達の瞳は輝いているわ。ええ、私たち輝いているわ!
もう一体の百足が、横から巨体を薙いで柚木ちゃんを叩きつけようとする。
でも柚木ちゃんはそれより早く跳び上がって、ちょっと躊躇った後百足に指で触れてくるんと回転する。そのまま両踵を叩きつける鮮やかさよ!
百足が悶えているわ!柚木ちゃんは軽やかに着地して、
「なんか痛い!」
ちょっとアホなのがまた可愛いわ!
「先輩、大丈夫ー?」
「木戸!」
またイケメンが来たわ!身長差20cmといったところかしら!?うん、ちょうどいいわね!
「子ども達は?」
「避難させてる。鴫は楽しそうにお絵描き始めてたよ」
「アイツもブレねぇな」
柚木ちゃんは赤いイケメンと何かを話すと、こちらへ駆け寄ってきた。
「誰が動けねぇの?」
「わ、私達全員よ⋯⋯」
「全員は運べねぇな⋯⋯」
柚木ちゃんはうーんと悩んだ後、手を差し伸べてきた。
こんなに可愛らしい女の子なのに、まるで王子様みたい。きゅんと胸が高鳴る。
そして足腰に力が漲ってきた。
「柚木ちゃん!私、歩けそうな気がする!」
「アタシも!」
「わたしも!」
「え、えぇ?」
後ろの百足なんか目に入らないくらいよ!あんなのもう怖くないわ!
でも差し出された手は握るわ!
「柚木ちゃん、綺麗なお肌ねぇ」
「アタシも手を繋ぎたい!」
「私もよ!順番ね!」
「何でもいいから早く避難するぞ」
柚木ちゃんはちらりと後ろを振り返ると、私達と手を繋いで百足から離れて行った。
あの赤いイケメンに絶対の信頼を寄せているのね。
あの赤いイケメンなら大丈夫だと思ってこっちへ来てくれたのね。
⋯⋯いいね!




