白兎事件編19(作戦は立てられる人が立てましょう・1)
(柚木)
「柚木、ちょっといい?」
アリアスと話している途中、賢吾に呼び出された。
一応夏椎に確認すると、黙ったまま頷かれる。行っていいってことなのかな。立ち上がっても、夏椎は俺を引き止めはしなかった。
病室から出て扉を閉める。入院している人達が暮らすフロアはとても静かだ。賢吾は俺の耳元に口を寄せて、小さな声で話し始めた。
「目が覚めたならなるべく早く移動した方がいい」
「もう退院させてもいいの?」
「良くはないけど、襲撃があったことを考えるとこのまま病院に置いておくのは危険だよ」
「退院することになったら中川に頼もうと思ってたんだ。じゃあこのまま迎えに来てもらうか」
スマホを取り出して、中川に電話をかける。中川はすぐに電話に出てくれた。
「どうしたのー?」
「アリアスが目を覚ましたから、保護してあげて欲しい」
「誰⋯⋯」
賢吾は黙って俺からスマホを取り上げる。そのまま小声で話し始めた。
「夏椎が連れてきた兎の獣人を退院させてあげたいんだけど、どうやら彼女も狙われているようなのでこのまま教会で匿ってもらえないかな」
「あぁ、夏椎くんが柳瀬に誘拐されたって言ってたっけ。兎の獣人の子がアリアスちゃん?」
「そう。魔のものの血筋でないことは確認済で、しばらくリハビリが必要だから養生させてあげて」
「はいはーい。すぐ向かうね!」
賢吾はスマホを俺のポケットに戻した。全部話が済んでしまった。さすが賢吾、話が早い。
「ありがとう」
「香流、何か俺に隠してることはない?」
「あるけど⋯⋯ない」
俺の家が特定されてるってことは、賢吾のことも特定されてるってことだよな。
でも、離れたくないからそれは言えない。病院は結界があるから安全だし、警察庁だって俺も木戸もいるから安全だから。
「香流」
大きな手で俺の両頬を包んで、賢吾が俺を見下ろす。
怒ってるけど、何も言わない。黙っていると今度は抱き締められて、ため息をつかれた。
「無茶はしないんだよ」
「うん⋯⋯」
「香流は俺の大事な兄なんだから、自分を大切にして」
ぎゅっと強く閉じ込められたあと、賢吾は俺から離れていった。
大丈夫。守るから。家族を守るために俺は生きていられる。
「退院の手続きしてくる」
「分かった。アリアスに言ってくる」
声をかけると、賢吾は片手を振って返してくれた。怒ってるけど、返事はしてくれることに俺は少しだけほっとした。
病室へ戻って退院の準備を待っていると、職員に連れられて中川が入ってくる。
中川は小さな紙袋の中に入っていたブランケットを出して、アリアスに被せてあげた。それから、俺の方を向いて飛びつくように抱きついてくる。
「黛くんがモニター何台も起動させながらあれこれ指示出すから目も身体も疲れたよ〜」
「お手伝いありがとな」
「どういたしまして!」
話している間にもアリアスの準備は進んでいく。
俺達は一旦受付へ下りることにした。ここにいたって邪魔になりそうだ。夏椎はもう手を繋がずに、それでも俺の隣から離れようとはしなかった。
「川崎くんに会えるかな?」
「たぶん下りてきてくれると思うけど⋯⋯」
受付の椅子に座って、アリアスが下りてくるのを待つ。特にすることもないのでぼーっとしてたら眠くなってきた。ウトウトしてたら、夏椎に肘で小突かれる。
「ちゃんと起きてましょうね」
「眠い⋯⋯」
「寝足りなかったのかなぁ。俺の肩使う?」
「ん」
「「ん」じゃないんですよ!甘やかさないで!」
夏椎が寝かせてくれない。俺はたくさんの生き物に命令したから眠いのに。
「何してるの⋯⋯」
目を擦っていたら、賢吾が向こうからアリアスを連れて歩いてきた。アリアスは車椅子に乗って、何度も俺達に向かって頭を下げている。
「あ、川崎くん!」
「中川。わざわざありがとう」
「いいよぉー。俺も川崎くんに用があったんだ!」
中川が立ち上がったから、枕がなくなってしまった。
仕方なく俺も立ち上がる。夏椎も俺に続いて立ち上がった。せっかくちょっと眠れると思ったのに、夏椎は厳しい。
眠気を抑えながら見ていたら、中川がズボンのポケットからピラピラの紙を取り出した。それを賢吾に「はいっ」と渡す。
「川崎くん!今回の請求額これに書いて。後で柳瀬に渡しておくから」
「いや⋯⋯」
「えっと、アリアスちゃんの入院代金でしょ?柳瀬が窓割ったでしよ?柳瀬が病室に穴開けたでしょ?そのせいで川崎くん減給でしょ?あと何やったんだっけ」
「俺の減給まではいいよ⋯⋯」
ふたりで顔を突き合わせて、請求書と手書きで書かれた紙に中川があれこれ書き足していく。
随分と膨れ上がった金額を目にして、中川はうん、とひとつ頷いた。
「俺の友達が大変ご迷惑をおかけしました⋯⋯」
遠い目をしながら中川は頭を下げる。
俺も一緒に頭を下げておいた。柳瀬のしたこととは言え、柳瀬が病院へ謝りに来るとは思えない。柳瀬はそういうやつだ。
「気にしないで。柳瀬にも怪我がなくて良かった」
「天使より聖人君子だよぉ⋯⋯」
「賢吾は俺の自慢の弟だからな!」
「はいはい」
ちょっとは機嫌が直ったのか、賢吾が頭に手を置いてきた。俺の方が撫でたかったのに、と思って見上げると、賢吾は怒ってないいつもの笑顔を俺に向ける。
「本来なら寝たきり期間が長かったしリハビリもした方がいいんだけど、また狙われると危ないからね。後のことは中川に任せるよ」
「うちは子ども達もいるしいいリハビリになると思うよ!」
魔のものや悪意のある人から身を守るには教会以上にうってつけの場所はない。
中川はアリアスの車椅子を押して歩き始めた。賢吾は最後に俺の頭をぽんと叩いて、アリアスに向かってひらひらと手を振る。
「入院お疲れ様。お大事に」
「あ、ありがとうございました!」
アリアスは首を向けて頭を下げた。下げすぎて車椅子から落ちそうな勢いだった。
急ぎで退院が決まったせいで、洋服を用意出来なかったからアリアスはまだ病衣だ。
それも柳瀬に買ってもらおうと中川は勝手に請求書に追加していた。相変わらず中川は柳瀬に対しての遠慮がない。
「じゃあまたね!川崎くん、ペン貸してくれてありがとう〜」
「今度はホラー映画じゃない時においで」
「ほんとだよ。石田くんに言っておいてね」
病院の正面玄関を抜けると、まだ外は眩しいくらい陽が照っている。
歩き出そうとした俺の腕を取って、夏椎が見上げてきた。俺が首を傾げると、夏椎はにこりと笑顔を向けてくる。
「香流さん。教会へは俺が中川さんと行くので、香流さんは警察庁にちゃんと帰ってくださいね」
「⋯⋯分かってるよ」
俺が発信源って言ってたもんな。つまり俺の居場所は向こうに特定されてるってことだろ。
俺は今後アリアスには会わない方がいい。何かあったときは中川か夏椎を通じて教えてもらえばいいかな。
「帰って黛さんのお仕事手伝うんですよ」
考えていたら、嫌なことを言われた。
まゆの手伝いだけは嫌だ。俺はゆっくり首を横に振る。
「⋯⋯夏椎。俺は目がいいんだ」
「だから何ですか」
「あんまり細かい字とかモニターを見るとすごく疲れる」
「休憩しながら仕事して下さいね」
今度はやんわりと薄く笑んできた。
何を言っても怒られそうで、何も言えなくなる。色々考えたけど何も思い浮かばないので、しぶしぶ俺は一度だけ首を縦に動かした。
「なんのお話?」
「香流さんに警察庁へ帰ってお仕事頑張って下さいねって労ってたんです」
「夏椎は優しいねぇ」
確かに、夏椎は優しいとは思う。思うけど、俺はまゆの手伝いはしたくない。
どうやって逃げようか。とりあえず帰って報告だけはしなきゃなぁ。そのままルフと一緒に見回りに出ようかな⋯⋯。
「そうだ、アリアスちゃんはいくつ?」
突然、中川がアリアスに話しかけた。
柔和な中川は誰に対しても人当たりが良い。アリアスはあまり緊張していない様子で答えた。
「冬には15になります」
「なら俺と同じですね」
「そうなんですね!」
「そっかぁ。じゃあ、アリアスちゃんは身売りに加担はしていなかったんだ?」
間髪入れず中川が切り込むような発言をする。
一瞬、アリアスの瞳が見開かれた。ぞわっと一気に鳥肌が立つ。
思わず足を止める俺の前で、アリアスは何度も首を横に振った。
「私の血の魔力は、純潔でないと効果がないのです」
「そっか。良かったねぇ」
中川はにこりと優しい微笑みを浮かべる。
どっどっどっと心臓の音がうるさい。耳まで届くような鼓動の音が不快だ。
「でも、呪術に加担していたのは事実ですから⋯⋯」
「それは君が殺されかけたので相殺だよ。君自身が罪を犯さなくて良かった」
中川は優しくアリアスの頭を撫でた。
それから、俺の方を向いてウインクをしてくる。中川の顔を見たら少しだけほっとして、無意識に握りしめていた拳に気付いた。
拳を緩めると、爪の跡がくい込んでいる。ダメだな。俺はダメだ。考えないようにしないと、すぐダメになってしまう。
「教会でゆっくり養生すればいいよ。同じ年頃の女の子もいるし、何より俺の結界はすごいんだからね!」
「怖い⋯⋯」
「何で!?」
ゆっくり歩いていく3人を見送りながら、俺は何も声をかけなかった。
アリアスに意図しない苦しみが与えられなかったなら、それなら良かった。ぐちゃぐちゃに絡まった糸が気持ち悪くて吐きそうだけれど、黙って飲み込んでいく。
奥へ、奥へ、もう上がってこないように。
アリアスは中川に任せておけば安心だ。後は、夏椎の言った通り『白百合の純潔』をどうするかだな。
とにかくまずはまゆに報告しないと。俺は中川達とは反対方向へ足を向ける。
———と同時に、跳躍した。
病院の庇に手をかけて、ホルスターからハンドガンを取り出す。
高校生のとき、柳瀬に渡されたトカレフと呼ばれる古い拳銃。引き金に指をかける前にドン、と音がして右手が痺れた。打撃が重い。身体を捻ってとにかく人のいない場所を目指す。
これは例の死神じゃない。
病室の窓枠を利用して上を目指す。姿も攻撃も見えない。唐突に訪れる衝撃を寸前でいなすのが精一杯だ。
窓枠と外壁の突起を利用して、ジグザグに跳躍を繰り返す。
愛敬の防御魔法のお陰で拳銃でいなせばそれほど痛みもない。ただ反撃も出来ない。相手の姿も視認出来ないまま、俺はようやく屋上へたどり着いた。
目の前で空気が歪むのが見える。柵から手を離して、両踵を屋上の溝にかけて逆さ吊りになった。上部でまた衝撃音が聴こえる。
そして、見えた。
「何だあれ!?」
今までの死神が明るく見えるほどの、圧倒的な黒。
蓑のような外套を背負い、顔のような部分には頭蓋骨に似た、人と山羊の骨のような、理解し難い何かが埋め込まれている。
俺は咄嗟に身体を起こして柵から屋上へ飛び移った。さっきまでいた場所が抉れている。
くそ、いちいち姿を消すのが鬱陶しい!
拳銃を向けてももういない。代わりに背後に鳥肌が立つ。しゃがんで、回転して、避ける事は出来ても攻撃に転じられない。
このままでは押し負ける。
ただ、見える。空気の歪みは見える。
俺は後ろに飛びながら、ホルスターバックからもう一丁の銃を取り出した。
口径の広いブランダーバスと呼ばれていた散弾銃だ。
両手が塞がっているので、足だけで後ろへ回転しながら進む。避けながら、塔屋に背中をピタリとつけた。
今度は真横で空気が歪むのが見える。目も向けずに左のハンドガンを撃つ。銃弾が破裂したのを合図に、視界の端にある黒めがけて次は右。
何かが視界に映る度にひたすら連射する。
そして、黒が真下に来た。
「物理ぃ!!」
両手の銃をそこへ思い切り叩きつけてやる。
当たって、ない。そのまま地面に手をついて側転しながら身体を捻る。避けられるけど、こちらも当たらない。
「物理効かねぇのかよ!」
相性最悪だ。俺に魔法は使えない。
そこで、ふと俺は思い出した。ゼウスが言っていたことを。
細胞の破壊。攻撃に転ずる能力の使い方。
咄嗟に顔を引いた。真横で衝撃音がする。
考える暇もない。ええい、習うより慣れろ!俺の教訓だ!
集中しろ。目と身体の感覚を切り離せ。
目で避ける。身体はひたすらにマナを巡らせる。攻撃は大きい方がいいな。右手の散弾銃へマナを流す。
まだ撃てない。大丈夫、脳は何度も経験した攻撃が当たらない位置を把握出来ている。
それと奴の攻撃パターンが見えてきた。奴は衝撃を出す時は微かに姿を現す。姿を消したままでは致命傷になる攻撃は出来ないんじゃないか。
「おい、殺す気で来いよ!どうせ治るの知ってんだろ!」
言った瞬間、許可を得たと言わんばかりに眼前に奴が現れた。
俺は人差し指を押し込んだ。
それと同時に、衝撃音は―――
しなかった。
代わりに、もふっと顔面が何かに埋まった。
「ふぁ!?」
俺が顔をもふもふから引き抜くのと同時に、真上から切先が降ってくる。
ビシリと音を立ててコンクリートが割れた。奴はもういないのか、木戸が「遅かったー!!」と頭を抱えて蹲っていた。
頭に角を生やした鬼の形態になっている。俺が固まっていると、手乗りサイズのルフが飛んできて俺の肩の上に止まった。
「⋯⋯消えた?」
「ごめーん、来るのが遅くなって⋯⋯」
「別に呼んでねぇけど」
それよりも、今は目の前の緑のもふもふが気になってしょうがない。
触れると、手が埋まるくらい柔らかくて気持ちいい。
顔も手足もない、謎の生き物。でも敵意は感じない。
触っていると、緊張感が解れていく。俺は誘われるままばふっと緑のもふもふにもたれかかった。
「先輩?何これ?」
「知らなーい」
「ねぇ。お願いだからこんなところで寝ないで」
見上げると、木戸が人の姿に戻っている。いつもへらへらしてるのに、困った顔が何だか面白い。
「いってぇ!」
俺の身体に触れる前に、木戸が声を上げる。
痛い?何で?こんなにもふもふなのに?
「もー!先輩!警察庁帰るんでしょ!」
「いちじかんたったらおこして⋯⋯」
「相変わらず三大欲求が睡眠欲に極振りすぎる!」
べつにおまえがいるからいいだろ。
思った言葉は口に出せずに、俺は心地良さに身を委ねた。
★★
(木戸)
言ってる間に寝た。可愛い顔して健やかに寝た。
緑の謎の生き物は俺に向かって棘を伸ばしている。ぽっかり空洞が出来た手の甲をさすりながら、俺はめちゃんこ可愛い寝顔を見下ろす。
触れないし、起こせないし、さっきまでの状況を聞きそびれてしまった上、そもそもコレが何だかよく分からないし。
何だこのどん詰まりの状況。
ご褒美タイムかな!
(木戸くんは根がポジティブな幸せな男だよ!)
「えへへ。待ち受けにしよー」
まだ緊張感が解れきっていないのか、大人の姿のまま寝ている先輩は珍しい。
たくさん写真を撮って、俺は約束通り1時間経つまで大人しく愛らしい寝顔を眺めていた。
とっても幸せな時間だった。




