白兎事件編16(2人にならない2人暮らし)
空回りしてなさそうで、空回りしてる男です。
(木戸)
香流と暮らし始めてから、今日でもう3日になる。
初日は一緒に眠るどころではなく、泣き疲れて眠った香流を朝まで眺めてから、何となくそうした方がいいような気がして川崎さんを呼びに行った。
川崎さんは血相を変えてすぐに家を飛び出した。残された石田さんが妹さんに連絡してくれると言うのでそれは託しておいて、俺は何をしようかなぁと考えてとりあえず必要最低限の物を家に取りに帰った。
と言っても俺の家も香流の家と同じくらい何も無い。何だったら冷蔵庫すらない。
その日の夜は帰ろうか悩んだけど、家族水入らずを邪魔するのもなぁと思って適当に飲み歩いて時間を潰した。
香流相手だと無限に優しくなれる。俺はすごい。
そして次の日、平日なので香流は子ども達を起こしに行ってから警察庁に来たらしく、俺の方が着くのは早かった。
森谷さんと死神の話をしている時にやって来た香流はもうすっかり目の腫れも引いていて、いつも通りめちゃんこ可愛かった。
俺が何か言う前に、短く「⋯⋯はよ」だけ言うと、すぐに黛さんのところへ行ってしまった。
「行っちゃった」
「行っちゃったなぁ」
ちょっと嬉しそうに森谷さんが俺の言葉を反芻する。
いやいや、まだ決まったわけじゃない。
でもなんか嫌な予感がして来たぞ。
その日の夕方、香流は屋上で子ども達の特訓を見守っていた、らしい。
俺は森谷さんと何故か魔界のゴミ掃除をさせられた。いやいいんだけどさ。いいんだけど、帰ったら子ども達と一緒にご飯の準備してるんだもん。
結局、俺とは一言も話さずに、香流は犬の姿になった翔真を抱えて寝てしまった。
夏椎と晃は布団を用意してもらってた。帰ってもいいぞって事ですかね。いやいや、潔く見張り番を買いますよ。惚れた弱みですからね。
次の日、子ども達を送って行った香流はそのまま森谷さんと病院へ出かけて行った。
置いて行かれた俺は、黛さんと一緒にA地区へ足を伸ばしている。
と言うのも、香流のところに柳瀬から「俺ひとりで回んないから黛くん貸してくれ」と泣き言が入ったらしい。その事を黛さん伝いに聞くこの虚しさよ。
A地区の飲み屋街を抜けると、簡易的なファッションホテルが建ち並んでいる。その奥へ更に抜けていくと、和風建築の大きな建物が見える。
『紅翠館』と打ち出されたその建物の石畳をなぞる様に、紫色の提灯が妖しく彩っている。
『紅翠館』は3階建てだ。A地区内では一番大きな建物で、2階以上が遊女達の個室になっている。
柳瀬の部屋は1階の奥だ。受付を顔パスで通り抜けて、板間を歩いていく。一等広い畳の部屋は煌びやかで、ごく限られた金払いの良い客しか入ることは出来ない。
ただし、相手をしてるのは幻術と言う⋯⋯。ここ入るのにどんだけ金積まなきゃいけないのか俺は知らないけど、ちょっとおじさま方に同情してしまう。
「わざわざごめんねぇ、黛くん」
柳瀬は両手を合わせて頭を下げた。
今日も男の姿だけど女みたいな格好をしている。でも、乳は放り出してないので黛さんはほっとして朗らかな笑みを浮かべた。
「気にすんなよ。同級生なんだから」
「アタシが店を空けることが増えたから、店の管理がうまくいってなくて。黛くんは色んなものを効率化させるのが得意だって言うからさぁ〜」
「具体的にはどんなアプリにする?パソコン借りてもいいかな」
さっきまで乳を放り出している女の子を見てキョドっていた人とは思えない。女の子が見えなくなったら途端にマトモに見える不思議だ。
女の子達は黛さんに興味津々でわらわら着いて来ようとしてたけど、柳瀬がしっしっと追い払った。今もドアの隙間からチラチラ覗いている。
こんなところに来る遊んでない男は珍しいよなぁ。
まぁ俺も遊んでないけどぉ⋯⋯。仕事の話をする2人を見てたら暇すぎて眠くなってきた。
「柳瀬ぇ、布団貸して」
「畳で寝とけ」
「蓮〜、アタシの部屋で寝る?」
「みんなで相手してあげようかぁ?」
「ノーサンキューで。俺には愛する先輩がいるから」
ちょっと避けられてる気がするけどね。
いや、まだ決まってない。俺は黛さんの用心棒を頼まれたんだから、きっと今日も仕事内容が違うだけだ!
⋯⋯違うだけだよな?
「⋯⋯やっぱりお話聞いて、お姉さんたち」
「はいはい、恋バナね」
「アタシ蓮ちゃんのお相手見たことな〜い」
「アタシ見たことあるよ。店出ししたら超売れそうな感じの子!」
「やだぁ蓮ちゃん、アタシらの商売敵じゃん!」
「ちょっと部屋に入ってくるんじゃないわよ、仕事になんないんだから!」
わらわらと露出の多い女の子達が入ってきた途端、黛さんが柳瀬の後ろに隠れてプルプル震え出した。
子鹿のような人だなぁ。
結局、その日の夕方も普通に子ども達がいた。
いや、いいよ。いいんだけど。メンチカツも美味しかったけど。
「先輩、おかわり〜」
「んー」
「俺が代わりに入れてあげるよ!」
翔真が香流の番犬と化している。
小型犬のくせに強ぇ。香流はおかわりを入れてきた翔真の頭を撫でてあげていた。
一挙一動可愛いのが逆に辛い。⋯⋯でも、香流の考えてることがちょっと分かってきたぞ。
そして本日、3日目。
今日も香流は子ども達を送って行くと言うので、しれっと一緒に着いてきた。
香流は何も言わない。大丈夫ですよ、我慢は慣れてるので。学校に着くまでに子ども達と今日は何を食べたいかの話もしておいた。
だから、今日も子ども達を連れて来てもいいんですよ。
翔真も安心したのか、すんなりと学校へと入って行った。
目論見通り、警察庁の帰り道までは2人になる。
⋯⋯はずだったんだけどなぁ。
「え〜、今日トルコライス作んの!?俺も行く!」
何故か石田さんが着いてきた。
生徒達の大学受験会場の下見を兼ねた現世行きの許可証を提出しに行くそうな。へぇ〜、それって今日行かなきゃならないんですかねぇ。
もうさすがに理解したくなくても理解出来ている。
今日で3日目。
これは、間違いなく避けられている。
「なぁ、トルコライスって何?」
「知らないのに作ろうとしてんの?ほらコレコレ」
「なんかお子様ランチみたいだな」
「ロマンだねぇ〜!」
前を歩く2人が楽しそうに笑っている。香流の笑顔はまるで太陽のようだ。和む。
さぁて、どうやってこの状況を打破しようかなぁ。俺は我慢は専売特許だけど、お預けされたまま良い子でいるほどお行儀良くもないんですよねぇ。
それにしても今日の香流も可愛いなぁ〜。うなじ綺麗だなぁ〜。腰細いよなぁ〜。柳瀬のチョイスは間違ってねぇなぁ〜。
ま、今は良い子で見てるから、安心してればいいよ。
さて、今日のお仕事はまた黛さんとA地区へ出向でしたよ。
「せっかく来てくれたのに俺とばっかりでごめんね、木戸くん」
「別にいいですよ。ちゃんと言うこと聞くお約束なので」
今日も向かうのは柳瀬のところだ。柳瀬に頼まれていたシステムだかアプリだかなんだかが完成したって黛さんから聞いたけど、昨日の今日で完成するもんなんだろうか。
「俺は木戸くんと仕事しなよって言ってんだけどね。珍しくアイツがしおらしくお願いしてくるからさぁ」
「えっ⋯⋯!?」
しおらしい香流めっちゃ見たいんだけど!
「ど、どんな感じで!?」
「それは俺からは言えないなぁ〜。本人から聞いてよ」
「本人、子ども使って逃げまくってくるんですけど」
「翔真も立派な番犬に成長して⋯⋯」
そんなしみじみ言わないで欲しい。
「俺はね、先輩の大事なもんは大事にしたいんですよ。だから強引に事を進めるのは嫌なんです!当然、一番大事にするのは先輩ですけどね!」
「大変だなぁ、木戸くんも」
黛さんはふふっと眉尻を下げて笑った。
「せっかくだから、少し昔話をしようか」
学校区は、授業中なのかしんと静まり返っている。
黛さんの声がよく届く。俺が何も言わずにいると、肯定と捉えたのか黛さんはぽつりぽつりと話し始めた。
「双子は本来、ある穏やかな村で拾われる予定だった。それを無理矢理捻じ曲げたのは性格のひん曲がった神々だ」
え、と俺が言葉にする前に人差し指で口を塞がれた。
柔らかな黛さんの黒い瞳が、蜂蜜を溶かしたような黄金へ変化している。
「ずっと、悪趣味なイタチごっこを続けている」
動けない。
まるで全ての時が止まったようだ。
「俺は君のようなイレギュラーは大歓迎だよ」
涼し気な目元が細められる。
黛さんではない何かは、俺を黙らせていた人差し指をゆっくりと離した。
「奴らは俺に黙って双子を肥溜めへ連れて行った。奴らの手口は異なった次元での加虐であって、俺も目と耳を塞がされていたようなものだ。その事に関して俺も憤りを感じてはいるんだよ」
あの日の朝、川崎さんも言っていた。
もっと早く知っていれば香流が手を下すまでもなく、自分が刺し違えてでも殺したのにと。気付かなかった自分がどうしようもなく愚かで、どこまでもアイツにおんぶにだっこな自分が憎らしいと。
知ったのが全て終わった後だったのなら、どうしようもないよな。
⋯⋯香流が言うわけないもんな。どうせあの人は自分が受けた痛みは当然の報いだとでも思ってそうだ。
「⋯⋯俺は存外あの子を気に入っているんだよ」
前に立つのは、恐らく、何らかの神様なんだろう。
あの死神もどきとは次元が違う。俺じゃ勝てない。龍司さんを目の前にした時と同じような、腹の底から足を縛り付けられているような重みがある。
「あの子がどうしても欲しいなら、君も神を目指すといい。俺は君を歓迎するよ」
ぶわ、と唐突に風が吹いた。
嫌な予感がして、咄嗟にポケットに入れていた小刀を黛さんの真横へ突き立てる。
カランと鞘が落ちた。
それに続いて、
パリン、と軽い音がした。
「うわ、何!?」
瞬間、時が動き出す。
黛さんの瞳はいつも通り黒に戻って、俺の奇行に目を回していた。
いや、奇行じゃないんだよ。
黒い塵が風に舞う。あの死神もどきが、確実に黛さんの首筋を狙っていた。
「あっぶね⋯⋯」
てか、何だアレ。
黛さんを見下ろす。香流と同じ背丈の、1コ上の頼りない香流の家族。
パソコンが得意で、非戦闘員の、―――ただの人間。
人間のはず⋯⋯だよな?
「黛さん、狙われてましたよ」
「えっ!?何に!?怖い!」
うん。大丈夫だ、今日も情けない。
「なんか死神っぽい⋯⋯死神もどき?」
「こわー。香流が気をつけろって言ってたんだよ。あー、木戸くんに来てもらって良かった⋯⋯」
へにゃりと眉を下げる黛さんは、人畜無害そうに見える。
いや、実際この人は人畜無害なんだよ。香流の周りの人間はいい人ばかりだ。いい人ばかりだから、香流だってきっと救われてるのに。
「⋯⋯余計な真似しやがって」
香流の平穏の邪魔をしないで欲しい。
駄目なんだよ。黛さんは駄目だ。アレが何なのか分からないけれど、俺が黛さんを警戒対象にするわけにはいかないんだよ。
黛さんを敵対視するなんて、香流が許すわけがない。
本当に余計な真似だ。ええい、見なかったことにしよう。
「黛さん、昼は何食いに行きます?」
「香流から木戸くんの分の弁当も預かってきてるけど⋯⋯」
「もー、そういう所ー!!」
俺は頭を抱えて蹲った。
避けてるくせに弁当は作ってくれるとか何なの!そう言えば黛さんのカバンやけにでかいなと思ったわ!
「先輩のツンデレがしんどい⋯⋯」
「柳瀬くんのもあるから3人で食べろってさ」
「えぇー。あの人いつ作ったの?」
「学校から戻って1回家に帰ってたよ」
「先輩、超優しい⋯⋯」
はぁー、と息をついて俺は立ち上がった。
楽しみがひとつ出来た。香流のお弁当なんて幸せが過ぎる。一緒に住んでるしもうこれはいっそ新婚じゃねぇ?
学校区を過ぎ、閑静な昼間のA地区を通り抜ける。
「黛さんってA地区行ったことあるんです?」
「仕事以外ではないかなぁ。俺もお酒は飲まないしね」
「先輩の家族って下戸ばっかですよね」
「俺は甘党男子だから!」
そんなふんぞり返られても。
「そう言えばさぁ、木戸くんのおかげで香流がようやくばあちゃんの話が出来るようになったんだよ」
「え?今までしてなかったんですか?」
加虐を受けた事だけじゃなくて、そっちも言えなかったのか。
それは⋯⋯しんどかっただろうな。見た目から完全におばあちゃんっ子だもん、あの人。家族にも言えないくらいのしんどさを無意識でも口に出せた、そんな人を自分が殺したなんてどんな気持ちで口にしたんだろう。
詰め込みすぎた積荷がどんどん高くなって、壊れてしまう前に解いてくれて良かった。
「アイツ、記憶が戻ってからはばあちゃんの話を一切しなくなって。俺も森谷さんに過去の事は知らなかったふりしてろって言われてたから、触れていいのか分からなくて。昔はあんなにばあちゃん、 ばあちゃん言ってたからさぁ。香流の口からばあちゃんの名前が出て安心したんだよ。ありがとうね、木戸くん」
「⋯⋯俺は先輩の話を聞いただけですよ」
ハグはしたけど⋯⋯。隠れて髪にはキスしたけど⋯⋯。
「木戸くんは鬼の子我慢の子ですからね。あのままなだれ込まなかった俺の対応は100点満点だったと思いますよ」
「結果、避けられてると」
「人生ままならねぇな⋯⋯」
自分で言っといて何でこんな結果になってんだろうな⋯⋯。
良く分かんねぇけど、初めて涙を見せた相手のこと意識しちゃったりするもんじゃないの?
アイツの前では素直になれる⋯⋯とかないの?
あるわけねぇか、恋愛偏差値幼稚園児だもん。
いや幼稚園児でももうちょいマセてるわ。赤子だわ。よちよち歩きレベルなんだわ。
「まぁ、いいんですけどぉ〜。避けられてるだけで無視されてるわけじゃないしね」
「そう?」
「見てるだけで幸せレベルには好きなので大丈夫ですよ。俺は先輩よりも先輩の事大切にしてるから」
最早これは愛だね。本人に全く伝わってないのが悲しいけどね。
まぁ別に焦ってないし。いいんだよこのままで。この騒動が落ち着いたらまた旅にでも出たいなぁ。
とか色々考えてたら、黛さんが俺を振り返ってふっと微笑んだ。
さっきの、よく分からん神のようなものとは全然違う穏やかな微笑み。
「俺は木戸くんのこと応援してるよ」
『紅翠館』に辿り着いた。
紫色の提灯が、柔らかく黛さんを照らしている。
黛さんから圧倒的兄力を感じる。香流にはないものだ。いやだってあの人完全に次男だもん。長男ではないわ。全然自分を大事にしないくせに自分が一番次男だもん。
「お義兄さん⋯⋯!」
「それはそうと、ここ開けてくれない?怖い⋯⋯」
「わぁ、情けねぇ」
扉を開けた瞬間出迎えてくれたお姉さんにプルプル震える黛さんは、もう兄力の面影は消え去っていた。
その日の夕方、先輩が子ども達と「賢吾の家行ってくる」と言うので、無視して着いてったら微妙な顔をしながらもトルコライスは提供してくれた。
来るって分かってんのに無駄な抵抗すんなぁ。
「木戸さんってメンタル強いですよね」
「だって帰っても食うもんねーもん」
これは本当の話だ。
座るテーブルがないのでベランダに出てたら、夏椎と晃が寄ってきた。
夕風が心地良い。もう秋だもんなぁ、としみじみ思いながら夏椎と晃に笑いかける。
「逃げ回る先輩なんて子兎みたいなもんだよ。本人に言ったらめっちゃ怒られそうだけど」
「そもそも何したんですか?」
「思い当たる節はいっぱいあるんだよなぁ⋯⋯」
でもここまで避けられるのは初めてなので、恐らく原因はアレ一択だろう。
でもそれは俺と香流の内緒のお話なので。
「大丈夫、俺に考えがあるから」
「ロクな事じゃなさそうだな」
「お前らはいつも通り特訓してからご飯食べに来たらいいよ。その頃には元に戻ってる⋯⋯と思うから⋯⋯」
「語尾が小さい⋯⋯」
その日は香流と子ども達は川崎さんの家にお泊まりする事になった。
何故なら、
「この映画のシリーズ面白いよねぇー!」
石田さんがR18指定の新作のスプラッタホラー映画を見ると言うからだ。
「賢吾は断固拒否するから、香流と見ようと思って借りて来たんだけどさぁ!アイツ途中で寝るから⋯⋯」
「シリアスシーン駄目な人ですからね、あの人」
夏椎が持ってきた龍司さんの映画も途中で寝てた。
俺は寝顔を見れて役得だった。
「やっと香流の部屋にもテレビが導入されたしね」
「何でテレビ買ったんでしたっけ?」
「柳瀬くんが買ってきたって聞いたけど?」
「びっくりするくらい先輩には甘えなアイツ」
甘い。甘すぎる。だから謎にサイズがでかいのか。
柳瀬はいつも他人で荒稼ぎして香流と中川さんに散財するシステムなんだよなぁ。どうせテレビだって香流が欲しいって言ってないだろ、こんなでかいやつ。
石田さんが香流の家の冷蔵庫から勝手に出してきたビールと副菜と言う名のおつまみをいそいそと並べる。
準備の手際が良すぎる。リビングに簡易的な居酒屋が出来た。そして、間もなくおどろおどろしい音楽が始まった。
「いえーい!かんぱーい!」
「かんぱーい」
石田さんと缶ビールを打ち鳴らしたと同時に、映画が始まる。
映画の内容はよくある話で、ピエロっぽい何かが人を殺していくというパニックホラーにスプラッタを足した内容だ。
殺し方が結構エグいので子どもには見せられないよ!な内容だ。石田さんは平気どころかところどころケラケラ笑っている。
俺も別に怖くも何ともない。何ならやってた側だし。
日常風景のような懐かしさを感じながら映画を見ていると、突然、ベランダの窓がカラカラと開けられた。
「柚木〜、一緒に寝よ⋯⋯」
中川さんが後ろ手にベランダの窓を閉めたタイミングと、ちょうどピエロのアップがテレビ中に映った場面と重なった。
「いぎゃあー!!!」
中川さんが悲鳴をあげた。
あぁ、この人ホラー駄目な人だっけ⋯⋯。
A地区に出入りしてるくせにビビりだもんな。一瞬で俺の後ろに隠れてくる中川さんは涙目だ。
「中川、ビール飲む〜?」
石田さんは空気を読まない。
「飲むぅ⋯⋯」
飲むんかい。
中川さんはメソメソしながら石田さんから受け取ったビールの缶を開けた。わざわざ椅子を俺の後ろに移動させてテレビを見ないようにしている。すぐに出て行かないあたりが中川さんらしい。
「ねぇ、何で2人で怖いの見てんの⋯⋯?柚木は⋯⋯?」
「先輩なら川崎さんの家で子ども達と寝てますよ」
「中川、大丈夫だよ。飲んでれば何も怖くない」
「うぅ、お酒買ってくれば良かった⋯⋯」
とか言いつつビール飲んでるし。おつまみ食べてるし。自由だなぁこの人。
結局、中川さんはビビりながらも最後まで映画を見ていた。途中、様子を見に来た川崎さんは2作目が始まったことに感情の抜けかけた顔をして固まっていた。
けど、石田さんの手を握りながらも最後まで鑑賞したのは愛だと思う。
「で、中川さんは帰んの?」
「どーしよっかなぁ〜」
香流のベッドで眠りについた川崎さんと石田さんを眺めながら、中川さんはのんびりとした口調でビールを飲んでいる。
映画が終わると、石田さんは寝る準備をさっさと済ませて秒速で寝てしまった。川崎さんはしばらく起きてたけど、明日も仕事だと言うのでお休みなさいをして現在に至る。
「そもそも先輩に会いに来たんじゃないの?」
「もうお酒飲んだらどうでも良くなったよ〜。⋯⋯あ、ちなみに俺は木戸避けに参戦はしてないからね」
「えっ、天使みたい⋯⋯」
「と言うか今日は疲れたから柚木と木戸の小競り合いに付き合う体力ないんだよ⋯⋯」
中川さんはビール片手にしみじみ目を瞑る。
この人天使だよな?飲み屋街のおっさんじゃないよな?顔は可愛いくせに謎な貫禄を出してくるんだけど。
「あぁそうだ。柚木だけど、多分そのうちベランダに出てくると思うよ」
「何でそんな事分かるんです?」
「だって、翔真のために大人の姿のまま寝てるでしょ。どっかでマナを節約しないとあの姿を維持できないはずだもん」
「睡眠欲の塊なのに⋯⋯」
この前映画見た時も寝てたくらいなのに、わざわざ夜中起きてんの?
アホなのかな⋯⋯。いやアホだったわ⋯⋯。
「自己犠牲精神ここに極まれりですねぇ」
「アホだよねえ」
「でもそのアホさ加減が好きなんですよねぇ」
中川さんは微笑んだまま手を振った。行ってこいと言うことだろうか。
促されるままベランダまで歩いていく。あえて音が鳴るように窓を開けると、いつの間にか隣のベランダでぼんやりと空を眺めていた香流がいた。
いや、本当にいた。
さすがは腐っても香流の側仕え。部屋の中でドヤ顔している様が目に浮かぶ。
「⋯⋯!?」
「おっと、逃がしませんよ」
翔真が起きそうなので、なるべく音を立てずに隣のベランダへ侵入する。しー、と指で動作をすると香流はベランダから飛び降りようとするので慌てて抱き寄せた。
小さい香流は軽くて細っこい。
見上げてくる瞳がまん丸から悔しそうに歪められていく。
「⋯⋯まだ起きてたのかよ」
めっちゃ嫌そうな顔するじゃん⋯⋯。
思わずぱっと両手を離した。でも、もう香流は逃げなかった。
「何だよ」
「ツンツンモードに戻ってる」
「つんつん?」
おかしい。香流が全くデレてこない。
2人きりになればちょっとは甘えてくるのかと予想してたけど見事に裏切られた。
そして俺は同時に嫌なことに気付いた。気付いてしまった。
香流の虐待内容が、暴力だけとは限らない事に。
血の気が引いていくのを感じる。何も怖いものはないと自負している俺だけど、香流に関しては別問題だ。
この可愛い香流がどんな目に合ってたかなんて想像したくない。
俺、酷いことしてた?知らなかったとは言え、気軽に触れていい人ではなかった?
大人の状態ならまだしも、今って香流めちゃくちゃ小さいよな。俺の事怖いんじゃないかな。一緒にされたくないけど、俺は酷いことなんて絶対しないけど。
―――俺、無理なんじゃない?
「⋯⋯⋯」
脳裏に浮かんだ自問自答の答え。
思わず言葉を無くす。
黙り込んだ俺を不思議に思ったのか、香流が小さく首を傾げた。可愛い。こんな可愛い香流が何されてたのかなんて、考えるだけで胸が締め付けられる思いだ。
「木戸?」
「⋯⋯俺、迷惑ですか?」
やばい、ずるい聞き方した。
そんな聞き方をすれば、香流は優しいから否定して―――
「⋯⋯ちょっとだけ」
いや、否定しないんかい。
ちょっと迷惑って言われた。若干凹む。
「翔真も賢吾もお前がいるとピリピリするから正直めんどくさい」
「大人しくしてるのに⋯⋯」
「今までのツケが回ってきてんだろ」
香流は子どもみたいに笑った。
でも、実際子どもなんだよな?見た目はだけど⋯⋯。
いくつだっけ?4、5年生で止まったんだっけ。
はい、犯罪。
「⋯⋯っ先輩、大人になって」
「何でだよ」
「お願いします」
その姿を可愛いと思ったら駄目な気がする。これ以上嫌がられたくない。
「せっかく休憩してたのに⋯⋯」
香流はブツブツ文句を言いながらも、大人の姿に変わってくれた。
あれ、でも髪は金色のままで。
「⋯⋯これでいいだろ」
「⋯⋯っ、可愛い⋯」
無理、漏れる。
可愛いが漏れる。
「どっちも可愛いが過ぎる」
「ふーん」
「ふーんって⋯⋯」
「だって俺が何しても可愛いしか言わねぇもん、お前」
「それはそう」
だって可愛いんだもん。
真顔で頷いていると、香流は呆れた顔でベランダに座り込んだ。
「お前、あんなに避けられても俺のこと可愛いとか言うんだな」
「避け方が可愛かったから⋯⋯」
「あぁそう⋯⋯」
俺も香流の隣に座ると、すっごい冷めた目で見られる。その目も可愛いけど心が痛くなるので長時間は勘弁して欲しい。
「⋯⋯避けて悪かったよ」
「気にしてないよ。無視しないでいてくれたでしょ」
俺は香流相手なら無限に優しくなれる。
そんなの常識だ。何されても構わない。それに、香流から謝ってくるとは思わなかったから内心驚いている。
「何で俺のこと避けてたの?」
「⋯⋯内緒」
「内緒かぁ」
どうせ泣き顔見られたの恥ずかしかったとか、川崎さんとか森谷さんに俺とデキてんのって詰め寄られるのが嫌だったとかそんな理由でしょうけど。
分かりやすいんだよなぁ、この可愛い人は。少なくとも俺には分かるよ。ずっと好きだから。
「ねぇ、先輩。俺、この騒動が落ち着いたらまたどっか旅に出ようかなと思ってて」
「⋯⋯ふーん」
「色んな国をさぁ。先輩といつか来れたら楽しいだろうなって思いながら歩くの、結構楽しいんだよね」
例えば、深い渓谷。明るい街並み。岩肌の山も、鬱蒼と繁る森も、香流は好きそうだ。
地球は広い。
ひとつの惑星に、たくさんの国が散りばめられている。そういう文化とか成り立ちや在り方の違いを、肌で感じるのはとても楽しい。
その楽しさを、いつか共有出来たらいいなと思う。
「人はいつか死ぬけど、俺達は長生きするから。俺が勝手に先輩と出掛けたい場所を下見してんの」
「⋯⋯何年後の話だよ」
「何百年経っても変わらない景色もあるんだって。すげぇよなぁ、地球って」
どこにいても香流を思い出す俺も相当気持ち悪いけどなぁ。
と、自覚したら自分に引くわ。片思い拗らせ過ぎだろ。大体、香流は俺のこと無理かもしれないのに。
いやいや、でもさすがに百年後には男への恐怖心も薄らいでいるんじゃないかな。
とか言う間にやっぱり女の子の方が好きだったわとか言われたらどうしよう⋯⋯。まぁそれでもいいけどさぁ、香流が幸せなら。
「⋯⋯⋯」
香流は少し考えた後、ゆっくりと立ち上がった。
金糸が風に靡く。俺に背を向けたまま、香流はぼそりと何かを呟いた。
「⋯⋯好きにすればいいだろ」
振り返った香流は、少しだけ拗ねたような顔をしていた。
「先輩?」
「木戸。俺は神として生きる。地球を守る神として、俺達に危害を加える輩は必ずぶっ飛ばす」
ぞわ、と背筋が粟立った。
魂が疼く。随分前にこの人の手から離れたけど、本気出されたら本能が勝手にこの人に跪こうとする。
でも、それは絶対にしない。
俺は神には屈さないと決めた。隣に並ぶために。愛とか恋とか以前に、友人として対等にいるために。
「ちゃんと前を向くから、お前も付いてこい」
「俺は先輩に従いませんよ」
「知ってる」
そう言いながらも、笑う香流は嬉しそうだ。
「⋯⋯最近、よく村にいた時の夢を見るんだ。俺はばあちゃんみたいな優しい人達がずっと紡がれていくのを守りたい」
「先輩の話ならいつでも聞きますよ。ばあちゃんの話してる先輩もめちゃくちゃ可愛いから」
「お前なぁ⋯⋯」
香流が苦笑いしたのと同時に、部屋の中から子犬の鳴き声が聴こえてきた。
「やべ、起きた」
慌てて香流が金髪から黒髪へと変えていく。絵の具を塗るみたいに変わっていく姿が何とも不思議だ。
俺も小さくなれたら香流に怖がられなくて済むのになぁ⋯⋯。
子どもの時の俺ってどんな感じだったっけ、とか背を向ける香流を眺めながら考えていたら、香流はベランダの窓に手をかけて早口で捲し立てた。
「ばあちゃんの話聞いてくれて、ありがとな!」
そのまま高速でベランダから中に入っていく。
俺はぽかんと固まったまま、しばらく動けなかった。
いや、割と気持ちは素直に言葉にする人だけど。
俺、なんもしてないのに。話を聞いて、抱きしめて、むしろ役得だったなと思ってたのに。
「えぇ⋯⋯。幸せ⋯⋯」
どうせなら顔見て感謝されたかったぁ!
絶対可愛い顔してたぁ!
「もぉ〜〜!!可愛い〜!!」
勢いのままベランダから飛び出したら、勢い余って地面に穴が開いた。
そのまま地下生物さんに溢れる想いを聞いてもらった。先輩可愛いしか言わない俺を地下生物さんは黙って聞いてくれていた。めっちゃいい人だった。
そして次の日。
「お前なぁ、こんなとこに穴開けんなよ!」
翌朝、俺が素直に地面に穴を開けた事を白状すると、先輩はすっごく嫌そうな顔をしていた。
久しぶりに川崎さんと石田さんに子ども達を託した先輩は、俺と中川さんを引き連れてぽっかり穴が開いた箇所へやって来た。なんとまぁ綺麗に奥底まで続いている。覗き込んでも中はよく見えないくらい深い。
「中から何か出てきたらどうすんだよ⋯⋯」
「地下生物さんいいひとでしたよ」
「ねぇ、地下生物ってなに?」
中川さんが怯えている。先輩はそれに対しては何も答えなかった。
「どうやって直すんだコレ」
「せっかくだから地下への通路として活用しません?」
「⋯⋯じゃあ蓋しといて」
「ねぇ、地下生物ってなに」
「暗くて全貌は良く見えなかったけど、いっぱい目と口があって、なんか歯が真ん中に向かって生えてたかな?」
中川さんの顔がドン引きしている。先輩も難しい顔をしている。その中で俺だけが平然としている。
「もう怖いのとグロいのはお腹いっぱいだよぉ⋯⋯」
「普通にいいひとでしたけどね」
「いや、俺だって感謝はしてるんだよ。感謝はしてるけど⋯⋯。蓋はしろ」
「はいはい」
今日の俺の仕事が決まった。なんかこっちへ来てから雑用しかしてない気がするなぁ。
A地区とは違って、こっちは平和だ。先輩は平和が似合う。怖いのも痛いのもない日の元で過ごしてくれるのが一番いい。
「先輩」
「ん?」
「す⋯⋯」
きですよ。
とは、何故か言えなかった。
「す?」
「すごく可愛い⋯今日も⋯⋯」
「何で倒置法?」
あれぇ?
いつもなら好きってさらっと言えたはずなのに。
先輩と中川さんが変なものを見る目で俺を見ている。
「⋯⋯穴、塞いでおきますね」
どうしよう、俺が俺を気持ち悪い。
俺は中学生か。何ひよってんだ。蓮くんもう23歳なんですけど。
「落ちんなよ」
「落ちて親睦を深めるのもアリかもしれないなぁ」
「じゃあ俺の代わりによろしく」
もうすっかりいつも通りの先輩は、笑うと少し幼く見えてそういう所もすごく好きだと思う。
すごく好きなんだけど、口に出すのはどうしても憚られた。中川さんと何か話しながら歩いていく背中を見送って、俺は頭を抱えて蹲る。
「⋯⋯怖ぇ」
一瞬でも脳裏に過ぎったことが怖い。怖いの無いはずだったのにな。先輩相手にはいつも駄目だ、俺は。
あの人には俺じゃない方がいい、って。
そんなの、少しは覚悟してたはずなんだけどなぁ。




