白兎事件編14(神と鬼・2)
(柚木)
暗闇の中、いくつもの手が伸びてくる。
痛い。内臓が捻り切れるような激痛と、吐き出したいのに無理やり蓋をされる悪臭と。
それだけなら耐えられた。家族が無事ならなんでも良かった。
「お前が悪い子だからみんな燃えてしまったんだよ」
嫌だ。
それだけは嫌だった。どうしようもなく。
痛いのも苦しいのも俺だけでいいから。奪わないで。みんなはどこへも連れて行かないで。
もう無理だった。弾けるようにアイツらの存在を否定した。
いなくなってしまえ。
そう願っただけだった。願っただけだったなんて、酷い子どもじみた言い訳だ。
それまで耐えてこられたのに。中身が抜け落ちた布切れが舞う度に、誰の血なのか何なのかよく分からないものを何度も吐き続けた。
おれが男に生まれたから。
だからダメなんだって。何回も切り落とされて、抉られて、夜を越える度に元に戻る身体に吐き気がして。
否定される。否定するくせに上から抑え込まれる。
お前が悪いと。お前だけが我慢をしろと。指示には黙って従えと。言われた通りにしなければ今度は柚姫や賢吾にも同じことをするからなと念押されて。
それでも柚姫が笑うなら。賢吾は隣にいてくれるし、村へ行けばまゆがいたから。
でもみんなおれのせいで焼け死んだ。
おれが悪いから。
おれの我慢が足りなかったから。
あと何回我慢したら殺さないでくれる?
あと何回死んだら許してくれる?
やっぱりアイツらの言う通り、おれが悪かったのかな。
結局、いつもその結論に落ち着くから、いつまで経ってもあの暗闇から抜け出せないでいる。
目を開けると、明るい部屋だったことにまず安堵した。
見慣れた白い天井が視界に飛び込む。背中に当たる感触が柔らかい。
ぼんやりしていると、視界の端に赤いものが目に入った。
ん?赤?
何で、と顔を向けると木戸が何故かニコニコ微笑んでいる。
ほんの少しだけ、安堵した。
良かった。家族には倒れたことを知られたくないから。
「⋯⋯今、何時?」
「夜中の2時くらいかな」
「また寝ずにお前⋯⋯」
「先輩が起きるの待ってたんだよ」
何で、と言いかけてあぁ、と納得した。
⋯⋯あんまり知られたくはなかったな。もういい加減引き摺るのも長い話だ。傍から見ればいつまでもいつまでも馬鹿らしく見えるよな。
「⋯⋯呆れただろ」
「呆れないよ。子どもの時のトラウマってそんな簡単に克服できないんだって龍司さんから聞いた事がある」
「トラウマ⋯⋯」
そんな大したものなんだろうか。
いや、―――これはただおれが弱いだけだ。
「⋯⋯おれの身体は日付が変わると傷が癒えるようになってる」
おれはゆっくりと身体を起こした。
あの時から一切の成長を見せず、止まったままの身体。怪我ひとつ残さない身体。
切られた箇所も壊れた内臓も酷ければ日にちはかかるけれど、いずれは完全に元に戻る。
さぞ鬱憤を晴らすには便利なおもちゃだったことだろう。
「トラウマを語る権利なんかおれにはない」
「相変わらず自分を責めるのには容赦のない人だなぁ」
木戸はうーんと唸った後、ぺしっと優しくデコピンしてきた。
さっき柳瀬にされたのより痛くない。何も言えずにいると、木戸はまっすぐにおれを見て口を開いた。
「もういいよ」
『もういいよ』
おれを包んでくれたしわしわの手を思い出す。
優しかったあの人。おれの大事なあの人。
好きだった。大切だった。
否定され続けたおれを、優しく肯定し続けたひと。
「ほら。過去に嫌な事があっても、これから楽しいことたくさん見つけようって俺に言ったのは先輩で―――」
「⋯⋯⋯」
「えっ」
目の奥が熱い。
ぽたぽたと手の上に水滴が落ちる。
鼻の奥がツンとする。
苦しいくらい胸が痛い。
掻きむしりたいくらいなのに、身体は動かなくて。
息継ぎをするように、口を開けることしか出来ない。
「ごめん、なさい」
口が勝手に開いてしまう。
一方的な謝罪は誰のため?
誰に許して欲しかった?
「いいんだよ」
しわしわじゃない腕が身体を覆い隠す。
止まらない涙に触れる手は大きくて、ごつごつしている。
「香流のことなら何でも許すよ」
この人はおれを許してくれる。
甘えた思考が頭をもたげる。あの時感じたのと同じ、全て吐き出してしまいたい欲が襲ってくる。
「おれが住んでたところは、『永霊会』っていうところだった」
本当ならおれは拾われる予定はなかったけど、賢吾がいるから「仕方なく」一緒に部屋に入れてもらっていた。
おれはいらない子だから、アイツらから何も与えられることはなかった。でも、柚姫も賢吾も自分のものを分けてくれたし、必要なものは森谷が買ってきてくれたからアイツらのことなんかどうでも良かった。
「どうでも良かったのに、いつも「お前なんかいらない子だ」って、「女みたいなのに男で歪だ」って⋯⋯殴られるのは嫌だった」
おれは醜いんだって。柚姫だけでいいのに、おまけの香流って言われるのは少し嫌だった。
それでも、言わなかった。アイツらがそう言うのはおれがひとりの時だけだったから。森谷はずっと一緒に行こうって言ってくれたけど、それも嫌だった。
家族と離れたくなかった。
賢吾と離れたくなかった。
「⋯⋯でも、1度だけ。⋯⋯ばあちゃんに、嫌だなぁって言ったんだ」
日生のばあちゃん。
小学生になって、村に通うようになったおれを気にかけてくれた人だった。
8歳の誕生日から始まった気持ちの悪い行為を、噛み砕いて飲み込めなくてそれでも柚姫達にも森谷にもどうしても知られたくなかった。
気持ち悪いと思われたくなかった。
あの日。久しぶりにお腹がすごく痛くて。治癒が上手くいかなかったんだと思う。気持ち悪くて熱もあって学校をサボっていたおれを、ばあちゃんは探し出して布団に寝かせてくれた。
温かくて優しくて、何でかばあちゃんはおれの話を聞いてくれるような気がして。
許してくれるような気がして。
もう嫌だなぁとつい口から出てしまった。
ばあちゃんは思ったとおり、おれのことを気持ち悪いって言わなくて。その時初めて大人が「もういいよ」って抱きしめてくれたのがどうしようもなく苦しくて。
もう12歳なのに、6年生ってお兄さんになったねぇって言ってたのに、ばあちゃんはおれを小さい子みたいに抱きしめて泣いた。
話してくれてありがとうとよく分からないことを言って。うちの子になるかって。柚姫と賢吾も一緒がいいと言ったらしわくちゃの顔で笑って。
「———でもその日、村は燃やされた」
誰も残らなかった。
跡すら残らなかった。
「おれがばあちゃんに言ったせいだ」
助けて欲しかったわけじゃないんだ。
ただ聞いて欲しかっただけだ。
それすら許されなかった。断続的な痛みの間に諭され続けた。それを破ったおれが悪いんだよ、と。
その日は酷かった。何をされたのかはあまり覚えていないけど、森谷が言うには1週間は寝込んでいたらしい。
目が覚めたらおれは全部忘れてて、後から森谷がおれの記憶を書き換えたんだと知った。
おれと柚姫は村で拾われて育てられたなんて、とても都合のいい記憶変換を。
村はまだあって、子どもの少ない村から島へ移住しただけなんだよと。
もう、どこを探してもばあちゃんはいないのに。
「⋯⋯おれが殺したんだ」
おれさえ耐え続けていれば良かったんだ。
―――でも、それはいつまで?
自分の大人の姿を見るとふと思う。この姿だったらもう終わってた?
声変わりしていたら?
治癒が出来ないくらい身体が破壊されたら?
分からない。おれにはアイツらの気持ちが理解できない。理解したいとも思えない。
歪に生まれたおれが何の欲も持ってはいけない。それを持ちたいと思わないことも、生物として歪だとアイツらに指をさされ続けているようだ。
★★★★★
(木戸)
俺の腕の中にいるこの小さな身体が耐えてきたことを思うと、何も言葉にならなかった。
ひとに優しい人だと思ってた。
でもそれは、自分を否定され続けた結果の産物だった。
この人にとっては、自分以外は価値ある存在なんだ。自分だけがその価値の外側にいて、賞賛することで自分を保っている。
自分が好かれることなんかないと信じきっている。
そんなわけない。この人の優しさに救われたのは、俺だって同じなのに。
「⋯⋯だから、おれは誰かに好かれるようなやつじゃない。お前もさっさと別の誰かを見つけた方がいい」
「え。香流以外にいないけど」
離れようとする香流の肩を押さえ込んで、しっかりと目を見て伝える。
香流の顔が悲痛に歪む。嫌だよね。押し付けられたくないよね。でも、俺はここから動かない。
「香流の言ってることは間違ってる」
否定するしかない。
香流の思い込みを壊していかないといけない。そうでないと、いつか香流が壊れてしまう。
「だから⋯⋯」
「そもそもさっきの話のどこに香流が悪いところがあった?」
「全部だよ」
「全部違うよ」
俺は躊躇わず、香流の身体を抱き寄せた。
ガチガチに緊張して、それでも大人しく収まってくれる香流の頭を撫でる。
ごめんね俺の手はしわくちゃじゃなくて。
大きくて嫌いな手だろうなぁ。
それでも逃げないのは、ようやく助けを求めてくれたんだと解釈していいのかな。
「たくさん我慢してきたね」
「⋯ちがう、おれが我慢出来なかったから⋯⋯」
「香流がたくさん我慢してくれたから、俺はそんな香流に救われたんだよ」
もういいよ。
もう自分を否定しなくていいよ。
この人は誰にも言えない。誰にも助けを求められない。そうすることが悪い事だと教え込まれて来たことを今更俺が変えられるとは思わない。
でも、裾を摘むような弱さで、初めて誰かに手を伸ばそうとしている。
俺はそれを握り返さなきゃいけない。この手を逃すともうこの人は誰にも縋れない。
そんな気がする。
「俺はここまで頑張って来た香流をちゃんと好きだから。どんな香流であろうと好きでいるから、他の誰かの所になんか絶対に行かない」
「⋯⋯おれは何も返せない」
「返さなくていい。大体いつもあげすぎなんだよ。俺からは貰うだけにしといてよ」
出会った時から。
ただ命を奪うことだけを義務付けられた俺の前に現れた、眩しすぎる光だった。
首を並べて、腕を噛んで、足を落として、断末魔を脳に刻みながら命なんてものは本当に無意味だと感じていた。
何も無かった。
俺には何も無くて、ただ奪うだけが存在意義で、言われた通りにしていれば雨に当たらずに済むからそれで良いと。
その日も殺すつもりだった。柳瀬のガキを殺してこいと命じられて、何も考えずに指示されるまま柳瀬の家まで行った。
声がしたから2階にいるのかと思って、新緑の葉を茂らせる桜の木の上へ登った。そこから見えた金色の髪が、水面に映る太陽のように輝いていて。
届いた楽しそうな笑い声がとても心地よくて。
長い睫毛が、意志の強そうな大きな瞳が、華奢な肩が、白い肌が、今まで見たどんな生き物よりも美しくて。
なんて綺麗な人なんだろうと思った。
こんな綺麗な人が存在するこの世界はなんて素晴らしい所なんだろうって本気で思ったほど。
言葉を覚えようと思ったのも、人との関わりに触れたのも、誰かを大切にしようと思えるのも。全部くれたのは俺のたったひとつの光だ。
今の俺を作ったただ一人の大切な人。
「俺はもう香流からたくさんもらったから、俺からの好きはもらっておいてよ」
ずっと、傲慢な片思いを続けている。
純愛なんかじゃない。香流だけに向かう俺の欲は重くて醜い。
でも、きっとそんな俺だから香流のためなら何でも出来る。
「俺は香流の存在そのものが好きなんだよ」
無意味なものも、香流がいれば意味のあるものに変わっていく。この人を前にすれば全てどうでも良くなるくらい、その一挙一動にずっと目を奪われていた。
今だって、泣いてる香流が可愛くて愛しくて仕方がない。
★★★★★
(柚木)
「俺にとっては香流が生きてるだけで感謝だよ」
「なんで、お前はいつも、意味わかんねぇこと言うんだよ」
「いや、生まれてきてくれてありがとうございますって本気で思ってるよ。⋯⋯香流のおばあちゃんも一緒だったよ。だから、話してくれてありがとうは香流に対する感謝の言葉だ」
―――嫌だ。
嫌だ。嫌だ。聞きたくない。思い出したくない。
向き合いたくない。理解したくない。それくらいならずっと何も言わない方が、溜めてきた方が、積み上げた方が、ずっと楽だ。
「―――こわ、い」
好きでこんな姿に生まれてきたわけじゃない。
嬉しくない。女に見えるなんて一度も嬉しいと思ったことはない。
でも、ばあちゃんは言うんだ。
『香流の手は温かいねぇ。もう立派な男の子だねぇ』
ばあちゃんはおれのことを女の子みたいだって絶対言わなかった。
救われてた。聞かせてごめん。おれが縋ったから。まだ生きられたのに。まだたくさん一緒に話したいこともあったのに。
ただそばにいられるだけで良かったのに。
全部燃えてなくなった。
おれの痛さとかしんどさとかどうでも良いから、ただ救われて欲しかったよ。
「怖い、もう、壊れるのが怖い⋯⋯!」
頭の中が楽しかったことと痛かったことと嬉しかったことと嫌だったことがぐちゃぐちゃに織り交ざってどうしたらいいのか分からない。
憶えている。風景も光景も。優しかった言葉。諭すように叱られた事。一緒に料理をした事。怪我をして心配してくれた優しさも。
柚姫も賢吾も雲雀も、おれにとってはあの記憶全てだ。アイツらがいなくなったらおれには何もない。本当に何も無かった事になってしまうような気がして。
帰りたい。何をされても我慢するから。今度は間違えないから。
もう一度だけでいいから。
ずっとずっと頬が熱くて気持ち悪い。
目が痛い。視界が悪い。溶けそうな程歪んだ頭が気持ち悪い。
思い知る。救えなかった後悔を。何も出来ない無力さを。手を差し伸べてくれた人が自分のせいでいなくなってしまった罪悪を。
おれは神様になんかなりたくなかった。
★★
何かに頭を包まれた。
大きな手だった。
声がする。目を開けたいのに開けられない。瞼がひどく重い。
勢いよく身体を起こすと、何かとぶつかった。
「⋯⋯おはよう」
「賢吾?」
賢吾がベッドサイドで頬を押さえている。
その隣には柚姫がベッドにもたれて眠っていた。
「もう昼前だぞー」
リビングの方からまゆの声もした。
何か作っているらしい。まだ働かない頭でおれがぼんやりしていると、賢吾がそっと瞼に触れてきた。
「腫れてる」
苦々しく言われて、思い出す。
そういえばアイツどこ行った。
「木戸は?」
「朝、俺達を呼びに来てからどこかへ行ったよ」
「⋯⋯あれ、今日仕事は?」
「行けるか」
賢吾が怒っている。
何で?
記憶にある限りでは最近は何もやらかしてない。何で怒ってんの?
昨日帰ってくるの遅かったから?でも寝てたんだよな?
おれがぽかんとしていると、賢吾は眉根を寄せたまま、今度はため息をついた。
「⋯⋯いや、ただ側にいたかっただけだよ」
その割にはめちゃくちゃ嫌そうに言ってくるんだけど。
そんな賢吾を、向こうからまゆがからかうように笑った。
「自分はさっさと恋人作ってんのに、香流が誰かを連れ込むのは嫌なんだってさ」
「雲雀!」
「連れ込む?何を?」
「木戸くん、泊めてやったんだろ?」
泊めてやったと言うか、愛敬が帰ってくるまでは勝手に住むと言うか⋯⋯。
「木戸は送ってくれたんだよ」
「あれ、ようやく観念したんじゃないの?」
「しない!」
あからさまに賢吾がほっとしている。嫌すぎる勘違いを放置しなくて良かった。
「そうか〜。ま、俺はどっちでもいいけど」
「俺は全然良くない」
「賢吾には石田がいるでしょうが」
まゆが作った料理をテーブルに並べていく。
石田。そうだ、石田はどうなった。夕飯の時はいつも通りに見えたけど、あれから大丈夫だったんだろうか。
「賢吾、石田は泊まったのか?」
「俺のベッド占領して、朝から部活だーって張り切って出て行ったよ」
「⋯⋯泣いてなかった?」
聞いたら、何故か枕を顔面に投げつけられた。
何で?
「お前は人の事ばっかり⋯⋯!」
「まぁまぁ、いつもの事じゃないの」
何がなんだか良く分からない。おれは寝てただけなんだから、石田の方が心配じゃねぇの?
何を言えばいいのか分からなくてじっと賢吾を見る。賢吾も何も言わない。次に口を開いたのは料理をテーブルに並び終えたまゆだった。
「香流、俺達はどこにも行かないよ」
何だよ、急に。
言葉が喉につかえる。賢吾の手が子どものままのおれの手に触れる。
大きな手だ。出会った時に引いた手は、おれより小さかったはずなのに。
いつしか逆転して、目を逸らしたくなったのはいつからだったかな。
「⋯⋯崖から落ちても泣かなかったのに」
賢吾が小さく言って、おれの頬を拭った。
涙腺が壊れてしまったのか、涙が勝手に溢れてくる。ようやく涙を流す方法を思い出した眼が、燃えるように熱い。
「あの時は村の大人総出で探しに行ったもんなぁ」
「当の本人はうさぎとりすに囲まれてぐーすか寝てるし」
「あの時の賢吾の顔は面白かったなぁ。人間って絶望したらこんな顔するんだって思ってさぁ」
「雲雀」
賢吾が咎めるように睨み上げた。まゆはケラケラ笑って、ぽんぽんとおれの頭を撫でる。
「死ぬまで側にいるよ」
「⋯⋯死ぬとか言うなよ」
「死んでもすぐ帰ってきてやるから、ちゃんと待ってろ」
「死んでもちゃんと覚えとけるように約束する」
「何だそれ⋯⋯」
「俺達は家族だろ」
まゆも賢吾の隣にしゃがみ込んだ。珍しくサングラスをかけていない。
大人みたいな顔しやがって。これじゃおれが駄々をこねる子どもみたいじゃないか。
黙って泣いていたら、急にがばっと柚姫が顔を上げた。キョロキョロ視線を動かして、おれと目が合うと慌てて抱きついてくる。
「お兄ちゃん、お土産買ってきたのよ!」
「お土産⋯⋯」
「あのね、すごく美味しかったから、みんなで食べようと思って!これからもずーっとお土産買ってくるから、みんなで一緒に食べるのよ!」
「何買ってきたの?」
「お菓子たくさん!」
今度はパタパタと忙しなく柚姫は玄関へ駆けて行った。
柚姫は当たり前に一緒と言う言葉を使う。
まるで一緒ではなくなる時がないみたいに。柚姫だって泣いてたくせに。いつか終わる時が来るのを受け入れられないのは同じなのに。
「香流、泣いた後はちゃんと楽しい事も想像しような」
「例えば?」
「え、賢吾が聞くの?んー、例えばぁー⋯⋯。あ、賢吾と石田の結婚式とか?」
「それはすごく楽しい事だね」
「冬になったら雪山に行ってソリをするとか?」
「雲雀、昔骨折してなかった?」
「した⋯⋯。じゃあ、香流の好きなペンギン見に行く?」
「水族館ピックアップしなきゃね」
「後はぁー⋯⋯そうだな、もうすぐお前らの誕生日じゃん!お前と柚姫の誕生日ケーキとか!」
「⋯⋯作んのおれじゃねぇか」
「そうだよ、お前が作んの。あと最低でも60年は作ってもらわなきゃなぁ」
まゆが笑う。おれは涙を流し続ける目を伏せた。
「⋯⋯ばあちゃんのケーキが食べたい」
ばあちゃんのケーキは優しい味がした。
おれが作ったってばあちゃんの味には近付けない。また食べたいなと思っただけなのに、顔を上げると柚姫が涙を流していた。
「うわ、伝染した!」
「さすが双子」
「落ち着いて、柚姫。今日も撮影なんでしょ。目が腫れるよ」
「だ、だって、だって⋯⋯っ」
「それはそうと腹減ったな。まゆ、なに作ったの?」
「相変わらず自由だな兄の方は⋯⋯」
たくさん泣いたから喉も乾いた。
⋯⋯なんかお腹も空いてきた。
伸びをして身体を起こす。服も昨日のままだから気持ち悪い。
でも、なんかちょっとスッキリしたな。
家族の前でばあちゃんの話をしたのなんていつぶりだろう。
ばあちゃんにはたくさんもらったから、きちんと返せないのはやっぱり少し苦しい。
まだ思い出したくない事も多くて、先に進んだとは言い難い。でも、いつまでもあの場所で止まっている訳にもいかないよな。
多分、おれはロゼッタと自分を重ねていた。ロゼッタを許すことでおれも許されたかったんだ。
だから、もう手を下さないと決めた。それをしてはならないのだと決めていた。それは誰に対してではなく、自分で自分に嵌めた手錠でしかない。
でも、おれは怒っている。
おれがどれだけ痛くても苦しくても耐えられたのは家族を守りたかったからだ。その家族に手を出そうとする奴らに防戦一方は癪に障るんだよ。
そのためには。
「決めた」
「何を?」
「おれはもっと強くなって何でもぶん殴れるようになる」
「あれ、お前からは手を出さないんじゃなかったっけ?」
「まゆが殺されるくらいならおれから殴りに行く」
「えっ、物騒⋯⋯」
「お前らはおれが絶対守ってやるからな!」
強くなって、いつか神でも邪神でも何でも殴り飛ばせるようになる。
もう無力さで後悔したくない。
「ねぇ俺が殺されるってどういう事?」
「とりあえずおれは腹減った。お、チャーハンだ」
「香流、顔洗っておいでよ」
「後でシャワー行くから先に食べる」
「ゆずはお兄ちゃんの隣!」
「はいはい、いつもの席いつもの席」
「もう、怖いんだから!後でちゃんと教えてよね!」
「そう言えばまゆ何でサングラスかけてねぇの?」
「視線さえ合わさなきゃ大丈夫!」
「情けねぇ⋯⋯」
昔から変わらない。おれの隣に柚姫、前に賢吾が座って、まゆは柚姫の前に座る。
この位置が当たり前。
今は別々で食事を摂ることも増えたけど、4人でいる時はあの時と何も変わらない。
「袋のラーメンしか作れなかったのに。まゆ、成長したなぁ」
「俺が一番お兄さんだからね」
「でも副菜も汁物もないよね」
「炭しか作れない賢吾が言うな!」
「ゆず、まゆのご飯も好きなのよ」
「ぐっ⋯⋯」
「まゆ!賢吾、水!水!」
「全く成長してないんだけど」
この居場所を守るために強くなる。
ばあちゃんとじいちゃんに、いつかじいちゃんになった賢吾と雲雀が笑って会いに行けるように。
おれはまだ強くなれる。
家族には絶対に手出しはさせない。それだけは、痛みと屈辱の中折れなかった大切な誓いだ。
子どもの柚木は10〜12歳前後で成長が止まっています。
鏡を見る度に嫌悪感が出るので、鏡はなるべく見ないようにしています。




