白兎事件編11(翔真と家族)
捨てられた子犬が、ようやく家族をみつけるお話です。
(柚木)
結論から言うと、病院では特に情報は得られなかった。
兎の獣人はまだ眠っている。背中の傷が余程致命傷になったのか、何らかの魔法を使われたせいなのかは今詳しく調べているそうだ。
院長はそう説明しながら、森谷を相手にぺこぺこしていた。その間に賢吾とも話をしたけれど、賢吾の意見も概ね院長と同じだった。
「何か進展があれば賢吾から連絡が来るから、現時点であの獣人から得られる情報はないってことだな」
「起きてこないのは心配だねぇ」
今日は土曜日。学校は休みで、朝から翔真が電話口で家に行きたいとぎゃんぎゃん騒ぐので俺は仕方なく3人を家へ招待した。
ノートパソコンとベッドしかないこの部屋の何が楽しいのか分からない。テーブルにお茶くらいは出してみたけれど、何故か3人とも座る様子はない。
「ねぇねぇ、何でこんなに服が置いてあるの?」
「柚姫と柳瀬が勝手に選んでくるから」
「なんでナイフと銃がダンボールに入ってるの?」
「そこしか直す場所がなかったから」
「このくまのぬいぐるみなに?」
「仕事上必要だったから買った。欲しいならやるよ」
「えっ、いいの!?」
ぱあっと翔真の表情が輝いた。
使い道が分からずテーブルに置いていただけなので、柚姫あたりが欲しがれば渡す予定だった。翔真が欲しいならそれはそれで構わない。
「とりあえずお前ら座れば?」
「まだ面白いものを見つけてない」
そんな真顔で言われても⋯⋯。
「何でテレビないの?」
「興味ねぇから」
「ゲームはしないの?」
「しない」
「本は読まないの?」
「眠くなるから読まねぇ」
「なんかエロいのとか隠してないの?」
「ねぇよ、⋯⋯気持ち悪ぃ」
翔真が、え?と俺の方を向く。俺ははっとして、何も事もなかったように苦笑いで誤魔化した。
「帰って寝るだけの部屋に娯楽品なんていらねぇだろ」
「じゃあ家族写真は?」
「家族が隣に住んでるからそんなもんあってもなぁ」
「小さい頃の柚ぽん見たかったなぁ」
「ない。―――何も残ってない」
翔真はあからさまに眉根を寄せた。顔につまんないと書いている。
「無趣味すぎる⋯⋯」
「つまらない大人だな」
「はい、ごめんなさい」
所在なさげな夏椎がようやく俺の前に座った。翔真と晃はまだ部屋の中をウロウロしている。
全く。本当に何しに来たんだ。何も面白いものはないと何度も言っているのに。
俺の部屋は寝るだけの部屋だ。石田が買ってきた玩具類は全部賢吾の部屋に置いてある。この間、屋上での飲み会の後にも愛敬に「相変わらずつまらない部屋ですね」と普通に悪口を言われた。
「なぁ夏椎。学校は楽しいか?」
「楽しいです。みんないい人達ばかりですよ」
「そりゃ良かったな⋯⋯」
話の途中で、テーブルの上に置きっぱなしだったスマホが振動した。
着信元を見て、無視を決め込む。夏椎が気まずそうな目線を向けてくるけど、それも気付かない振りをする。
一旦、着信が止まった。即座にスマホの電源を落とす。
「どうしたの?」
「何もない」
翔真が聞きながら俺の隣に座った。すると、今度は夏椎のスマホの着信が鳴り始める。
「⋯⋯⋯」
2人して、無言。
はぁ、と俺はため息をついた。翔真はきょとんと俺と夏椎を見比べている。
「出ない方がいいですか⋯⋯?」
「俺はいないと言ってくれ」
「分かりました」
夏椎が通話ボタンをタップする。
電話の内容が気になるのか、晃が夏椎の隣に座った。翔真も俺の隣で聞き耳を立てている。
「おはようございます、木戸さん」
「おはよう。そこにいる先輩に伝えて欲しいんだけどさぁ」
バレている。何で。
「警察庁の前で待ってるって言っといて〜」
「俺は仕事!」
「はいはい。だから迎えに来たんでしょ」
夏椎がそっと俺にスマホを差し出してきた。
俺はしぶしぶスピーカーモードに切り替える。バレているなら仕方ない。
「何で夏椎といるって分かったんだよ」
「そんなもん勘ですよ。今日学校休みだから先輩といるかなと思って」
「⋯⋯何しに来たんだ」
いつもなら木戸とはそんな頻繁に会わない間柄だ。
たまに連絡が来ることはあっても、木戸も基本的には連絡がつかない。愛敬を挟んで所在確認するくらいが関の山だったはずだ。
何を今更。学生時代じゃないんだからそんなしょっちゅう会ってどうする。
そう苛立ちながら尋ねると、木戸は電話越しに平然とした様子で答えた。
「愛敬が消えたから、俺が代わりに相棒役しようと思って」
「⋯⋯は?」
意味が分からない。
隣で、翔真が俺の肩を揺すりながら「小波ちゃん消えたの!?」と慌てている。そう言えば獣人の話ばかりで愛敬の話をするのをすっかり忘れてた。
「お前はA地区の用心棒なんだろ」
「珍しく柳瀬と中川さんが行っていいよって」
「⋯⋯確かに珍しい」
「ま、俺達的には愛敬がいるから安心して先輩を任せてたってのもあるので。愛敬のいない警察は頼りないですから」
「俺は?」
「先輩はいつでも可愛い」
それは聞いてない。そういう事を言ってるんじゃない。俺はスピーカーモードにしたのを激しく後悔した。
「全然嬉しくねぇんだよなぁ⋯⋯」
「そんな事よりいつ下りてくんの?子ども達今日暇?一緒に行くー?」
「えっ⋯と」
「俺達も行く!」
「じゃあみんなでお仕事するかぁ。今日は学校区を見回りながら教会まで行くぞー」
「俺抜きで俺の仕事の話進めるのやめてくれねぇかな」
特に今日の予定は立てていなかったのに、勝手に行動計画を立てられた。しかも子ども達まで巻き込まれている。
確かに晃がいると助かるのは事実だ。何かあった時に影に収納出来るのはとても便利で羨ましい。
でも、夏椎を一緒に探すという名目で仕事を手伝ってもらっていたこれまでとは違って、今はここに夏椎がいる。
とは言え翔真は行くと言っているし、1人で3人を守るよりはアイツがいた方が安全は確保できるか⋯⋯。
夏椎を見ると、やんわり苦笑いされた。早くスマホを返せと言うことだろうか。
「まぁ、木戸がいるならいいか⋯⋯」
俺がそう言うと、翔真が一瞬驚いたような反応を見せる。
その後、すぐにむすっと頬を膨らませた。
「スマホ借りて悪かったな、夏椎。今後もう出なくてもいい番号だから着信拒否しておけよ」
「おーい聞こえてる聞こえてる」
俺は木戸の話を遮って通話を切った。そのまま夏椎の方へスマホをスライドさせる。
「やっぱりろくな話じゃなかったな」
「柚ぽん、あの人とお仕事行くの⋯⋯?」
不安そうに見上げてくる翔真は、木戸の事がどうやら苦手らしい。
そう言えば柚姫も苦手そうにしてたな。アイツ無駄にデカイもんな。子どもには威圧感があるのかもしれない。
「ま、入口にあんなデカくて赤いのがいると他に迷惑かけるしな」
「⋯⋯⋯」
「翔真は行かねぇの?」
むすっとしたままの翔真を覗き込んで尋ねると、翔真は唇を尖らせたまま、
「行く!」
と大きな声を出した。
★★★★★
(翔真)
おれは拗ねている。
まだまだむすっとしたまま柚ぽんの後に続く。おれの隣には心配そうな顔の夏椎と、夏椎の付属品の晃が並んでいる。
なんか面白くない。モヤモヤが晴れないまま柚ぽんの背中を見上げる。
おれは、この人のことを何も知らない。
柚ぽんに川崎先生や石田先生以外の交友関係があることも知らなかった。何で10年も一緒にいたのに全然知らないなんてことがありえるんだろう。
警察庁の前まで行くと、柚ぽんの背中越しに知らない女の子達と話している赤髪の大きな男の人がいた。
長い髪をおだんごにして、立ってるだけで絵になっているほど格好いい。おれがちらりと柚ぽんを見上げると、分かりやすくめんどくさそうな顔をしていた。
「柚ぽん?」
「見なかったことに出来ねぇかな⋯⋯」
「いや、無理ですよ。木戸さん手振ってますよ」
柚ぽんをみつけてこちらへ歩いてくる木戸さんは、ニコニコしている。近くの女の子達がその顔を見てきゃあきゃあ騒いでいた。
「先輩、今日も可愛いね」
「嬉しくねぇ」
確かに柚ぽんは可愛いけど、褒められても全然嬉しくなさそう。
そりゃ大人の男の人だもんね。褒められるなら可愛いより格好いいだよねぇ。
「大丈夫、柚ぽんは男の人に見えないけどちゃんと格好いい時もある⋯⋯もんね!」
「男の人に見えないは余計!」
「えー?その人男の人なの?」
木戸さんと話していた女の子の1人が、木戸さんの後ろからぴょこぴょこ近付いてきた。
黒い髪の綺麗な人だけど、おれよりも歯が尖っていてまるで絵本で読んだ吸血鬼みたいだ。その後ろにも、淡い紫色の髪の人と、金色の長い髪のお姉さんが立っている。
みんな見たことがない人たちだ。この人たちも柚ぽんの友達なのかな。
つい柚ぽんの服を握って背中に隠れていると、
「後ろの子可愛い。弟さん?」
弟、と言われておれの耳がピコンと跳ねた。
ぎゅっと柚ぽんの背中に顔を押し付けて、へへっと笑う。にまにまが隠しきれない。弟だって。柚ぽんとおれってそんな風に見えるのかな。
「ねぇ、それより連絡先教えてよ」
「俺はロリコンじゃないからダメでーす」
「じゃあ大学生になったら遊んでくれるの?」
ちらっと柚ぽんの背中から見上げると、木戸さんがまた囲まれていた。
おれから見ても格好いいもんねぇ、木戸さん。柚ぽんとは違う明確な大人の男の人だ。
柚ぽんは冷めた瞳でそれを見ている。早く終わんないかなぁって顔に書いてある。つい笑ってしまいそうになっていると、金色のお姉さんがこちらへ歩いてきた。
金髪に黒目の、黒いワンピースを着たおれの背丈くらいの女の子。見蕩れてしまうほど綺麗な女の子は、柚ぽんとおれの前に立つとニコリと笑顔を見せた。
「私はお兄さんの方が好き」
柚ぽんは手のひらでおれの顔面を被った。
視界が真っ暗になる。なんとなくされたままになっていると、上から柚ぽんの静かな声がする。
「こんなもん使わなくてもそのままで十分可愛いんじゃねぇの」
歯の浮くような台詞を並べるなんて珍しい。ちょっとだけ不安になって、柚ぽんの服を握りしめる力が強くなる。
「へ⋯⋯!?」
「それと、この島では精神作用系の魔道具は使用禁止だ」
「2日前から学校区で露天商が出てるらしいよ」
「⋯⋯前から思ってたけど、お前のその情報源はなんなんだ」
「お酒」
柚ぽんはため息をついた。おれから手を離したと思ったら、くるりと向きを変えられる。夏椎と目が合って、おれたちは3人揃って首を傾げた。
「これを理解して使ってるか、使っていないかで話は変わるんだけどな」
「つ、付けてきたのは今日が初めてだよ!」
「うん、白いローブのお姉さんがこれを使ったらどんな男もイチコロだって⋯⋯」
「使っちゃいけないって知らなかったの」
声だけしか聴こえない状況だけど、あのお姉さん達が使っちゃいけない何かを使ってしまったのだと言うことは理解出来る。
柚ぽんはおれを守ってくれてる。あのお姉さんが悪い人とは思わなかったけど、いい人だよって声を上げたい気持ちがあるけど、それが正しい気持ちなのかよく分からないから、おれは唇をきゅっと強く結んだ。
「こういう魔道具を素性も分からない相手に使って、無事で済むか分からないんだぞ」
「⋯⋯でも、売ってたんだもん」
「売ってる方が悪くても、分かってて使ってるならそれは言い訳にはならねぇよ」
「そうそう。こわーい人達にみんな仲良く売り飛ばされたり食べられちゃったりする前で良かったね」
「木戸、怖がらせるなよ」
柚ぽんが呆れた声を出しても、木戸さんは笑っている。
木戸さん、柚ぽんに引き渡すために女の子と話をしてたのかな。おれと違って木戸さんにもまどーぐという何かが効いている様子はない。
おれとは全然違う。
背中を向かされて、ただ守られているだけのおれとは全然違う。そういう人が、柚ぽんの友達なんだ。
「⋯⋯だって警察官の彼氏欲しかったんだもん」
「そっちの赤いのは警察官じゃないぞ」
「じゃあお兄さんは?」
「やめといた方がいいよ。その人超絶シスコンだから」
「悪かったな」
柚ぽんは否定しない。思い返す柚ぽんと柚姫ちゃんは髪の色は全然違うけど、よくお互い褒め合っている仲良し兄妹だもんね。
「シスコンは⋯⋯嫌かも」
「よく見たら弟も妹も連れて家族でお出かけじゃない?」
「じゃあ赤いお兄さんだけ一緒に遊びに行こ」
「おー、行ってこい行ってこい。でもその魔道具は置いていけ」
「えー、高かったのに」
「置いてかないならあそこへ連れて行く」
柚ぽんが言うと、女の子達は「うっ」と言い淀んだ後カチャカチャと金属の擦れる音がした。
柚ぽんは受け取った何かを雑にズボンのポケットに全部しまって、警察庁に向かって歩き始める。
「柚ぽん?」
「お出かけは中止。俺は仕事があるから戻る」
おれが何かを言う前に、木戸さんが柚ぽんの腕を掴んだ。
「もー。普通に置いて行こうとする」
「っ、」
柚ぽんは細いから、簡単に木戸さんの腕にすっぽり収まってしまう。
嫌だな、と思うけど止めに入っていいのか分からない。木戸さんは笑いながら、柚ぽんの頭を優しく撫でていた。
「先輩が行くなら俺も行く〜」
「お前は夏椎達連れてどっか行けよ」
「やだ。先輩に会いに来たのに行くわけねぇじゃん。それと、これは危ないから俺が預かりますね」
木戸さんは柚ぽんのポケットからキラキラした何かを取り出して、自分の上着のポケットに押し込んだ。
睨み上げる柚ぽんの頬を撫でて、すごく優しい顔をする。おれ達の誰も、何も言えなかった。
「ねぇ。俺には先輩だけだって何回言ったら分かんの?」
女の子達の顔が一気に赤くなる。
そんな格好いい木戸さんに向かって、柚ぽんはにっこり笑ったかと思えば思い切り頭突きをくらわせた。
「いっ⋯⋯た」
「後輩のくせに調子に乗んな」
「乗ってないですぅ〜。事実を述べただけですぅ」
一気にふたりの空気感が変わって、おれは急に心臓がどっどっどっと痛くなる。
怖かった。柚ぽんが連れてかれちゃうんじゃないかって。呆然としていると、女の子達が赤い顔のまま口々に喋り始める。
「やっばいイケメンなんだけど!」
「ねぇねぇ、ふたり付き合ってんの!?」
「禁断の恋ってやつ!?」
賑やかな女の子達は、木戸さんがしーっと人差し指を口元に立てたことで息を飲んで走って行ってしまった。
しんと静かになる。柚ぽんは何も言わずに、ぷいっと木戸さんから顔を背けた。
「伝えたかったことはそれだけかよ」
「あぁ、そうそう。その露天商が夕方6時以降にふいに学校区へ現れるんだって。他にも持ってる子いなきゃいいけど」
「早急に回収するようまゆと石田に伝えておく」
お仕事の、話をしてる?
おずおずと柚ぽんの服に手を伸ばそうとしたおれの前を、勢いよく何かが通り過ぎて行った。
「香流、蓮〜!」
ピンクゴールドに輝く小さな女の子が、2人の間に突撃していく。
柚ぽんと木戸さんは同時に足元を見下ろした。
「ロゼッタ」
ふたりはまた同時に名前を呼んだ。小さな女の子は、柚ぽんの腰元にすりすりと頬擦りしている。
「ねぇ、ロズずっと待ってたのに遅いよ!今回はどっちが悪いの?」
「木戸」
「俺」
「じゃあちゃんとごめんなさいして!」
「はぁい。先輩、ごめんなさい」
木戸さんが女の子に言われるがまま柚ぽんに頭を下げる。柚ぽんはぷいっと顔を逸らした。子どもみたいな反応をする柚ぽんが珍しい。
「香流!ごめんなさいされたらいいよって言うの!」
「良くねぇもん」
「もー、急に走って行かないでよ」
ぽかんとするおれの前で、また新しい誰かがやって来た。
昨日会った、中川さんと言う人だ。ふわふわした銀髪を揺らしながら、息を切らせて柚ぽんにぎゅうっと抱きつく。
「疲れたぁ〜。もう、走らせないでよぉ」
「中川は体力がなさすぎる」
「転けなかっただけ優秀じゃないですか?」
「宙、ロズより遅いなんて修行が足りんですぞ!」
「わぁ、ぼっこぼこ」
顔を見合せて楽しそうに笑い合う人達は、おれの知らない人達みたいだ。
その中に柚ぽんがいる。おれの知らない柚ぽんがいる。
⋯⋯なんであの人はあそこにいるの?
「あれ、みんなでお出かけするところだったの?」
中川さんがおれ達に気付いて手を振った。
おれは応えられない。固まったおれの代わりに、夏椎が一歩進み出る。
「さっきの人達は何だったんですか?」
「んー、ナンパ?ここで待ってたら遊ぼうって声かけられたんだけど、魅了の魔道具を持ってたから引き止めてたんだよ」
「魅了の魔道具⋯⋯ってことは、惚れ薬的な効果があるってことですか?」
「そうそう。この島では人を意のままに操る系の魔法や魔道具は禁止してるんだよ。特に人間は抗えないからねぇ」
「なるほど⋯⋯」
夏椎は納得してるけど、おれは何を納得すればいいのか分からない。
顔を上げると、しゃがんだ柚ぽんの頬を女の子がふにふにとこねて遊んでいる。仲良さげな光景は、家族のように見えて胸が痛くなった。
「香流、きげんなおった?」
女の子の萌葱色の瞳が、にっこりと細められる。
柚ぽんも同じように瞳を細めるのが、すごく、嫌だ。
「もうなおった」
———ずっと、一緒にいたわけじゃない。
跳ね除けたのはおれの方だ。ただ都合のいい存在にしてたのはおれの方じゃないか。
まるで、いなくなった夏椎の代わりみたいに。
「⋯⋯その子、誰?」
腰まで伸びたピンクゴールドの髪、萌葱色の瞳、白いワンピースがよく似合う可愛い女の子なんておれは柚ぽんから聞いたことがない。
そもそも、中川さんや木戸さんの事も聞いたことがなかった。柚ぽんに川崎先生と石田先生以外の友達がいることすら知らなかった。
おれは柚ぽんのことを何も知らない。
痛感する。
何も教えてくれないくらい、おれは柚ぽんから遠い場所にいる。
そう、自分が選んだことを。
「あぁ、ロゼッタは⋯⋯」
「⋯⋯やっぱりいい」
何がお兄ちゃんみたい、だ。何にも知らないし教えてくれないし、―――おれも知ろうとしなかったし。
おれの飼い主は、夏椎だけだった。ずっと夏椎だけを探していた。
だから、夏椎がいればいいんだ。おれには友達だっているもん。柚ぽんなんてただの世話焼きのお兄さんなんだから。
家族でも友達でもない。ただの名前だけの保護者――。
「夏椎、晃。おれバイト行ってくる」
「え?」
「今日、バイトあったの忘れてた!ごめん!」
返事は聞かずに、全力で駆け出す。
モヤモヤする。ごちゃごちゃする。頭も胸も何かもかもがぐるぐる回っている。
人間の感情は犬のおれには複雑すぎる。
昔は夏椎と晃だけで完結していた。今はたくさん好きな人が増えて、関わる人みんな大好きで、大好きな人に大好きな人がいるのは嬉しいことのはずなのに。
柚ぽんがあの赤い人といるのはなんか嫌だ。
知らない人達と楽しそうにしているのは全然嬉しくない。
何で?おれはそんな遠い場所にいる存在だった?
お兄ちゃんみたいって思ってたのはおれだけ。大好きなのはおれだけ。
あの人の心におれはいない。近所の犬くらいにしか思われていない。
帰ってきた夏椎が友達になって嬉しかった。でも、同時に、おれの家族はもう出来ることはないんだと思うとすごく寂しかった。
おれ、夏椎が家族になれないと分かって、柚ぽんで埋め合わせをしようとしてたんだ。
―――柚ぽんは何も悪くないのに。
おれ、最低だ。責めるべきなのはおれ自身。目を背けてたのはおれの方だ。
柚ぽんは自分からは何も言わないけど、きっと聞いたら何でも教えてくれた。でも聞かなかったのはおれだ。今まで興味を持たなかったくせに、急に色んなことを知らされて拗ねるなんて、幼稚すぎる。
こんなおれじゃあ、家族なんて出来るわけがない。
「⋯⋯っ、」
足を、止めた。
ぎゅっと、貰ったばかりのくまのぬいぐるみを抱きしめる。
寂しい。家族が欲しい。無条件でずっと側にいて、頭を撫でて、大切に思ってくれる誰かが。
お父さんもお母さんも知らないおれに、ただ誰からもいらないと捨てられていただけのおれに、そんな場所求める資格もないのに。
「寂しい⋯っ!」
口に出すときつく胸を締め付けられるようだった。
痛いくらいの感情が溢れてくる。
寂しい。寂しいよ。おれだって大好きなのに。みんな大好きだけど、夏椎と柚ぽんだけは違うの。
おれに居場所を与えてくれた人。
抱き上げて笑いかけてくれた人。
大切で、好きは溢れてくるのに、息が出来ないくらい苦しい。
それなのに、こんなにどうしようもなく、それでもやっぱり大好きが止まらない。
★★★★★
その日は、ひどく雨が降っていた。
「雨⋯⋯」
ザァザァと耳を打つ雨の音が鼓膜を震わせる。
子犬の隣に座る子どもが細い腕を伸ばした。雨粒が腕を伝って肘からぽつりと地面へ吸い込まれる。その様子を子どもはぼんやりと眺めていた。
あー、うるさい。ぬれるのもいやだ。
子犬がブンブンと身体を振ると、隣の子どもが迷惑そうな顔をした。水しぶきがかかったようだけど、そんな事どうでも良くなるくらい土砂降りの雨だ。
真っ白な光が視界の全てを奪い取ったあの日から、街から大人も子どもも消えてしまった。
子犬は待っていた。いつも遊びに来てくれる優しいあの子のことを。でも迎えに来たのはいつもあの子の隣にいた子どもで、思い切り噛み付いてやったのは少し前の話だ。
子どもは、食べることを忘れたのかすっかり痩せてしまって別人のようだった。
たまに誰もいないスーパーやコンビニに入って、子犬にご飯を与えてくれる。そうして1人と1匹でずっとあの子を探していた。
雨に当たるのが嫌で、細い路地の軒下に座り込んでいた。この子どもは家に帰るつもりはないらしく、あの日以来ずっと外で眠りについている。
寄り添う訳でもない。お互い探しものが同じなだけの名称のない関係。
今日も、外で眠るつもりだった。空は暗く時間もよく分からない。そんな時に、その人は突然空から降ってきた。
「いてぇ〜!愛敬、狭いところに落とすのはナシだろ!」
「香流くんが復帰下手なんですよ!」
その人は、本当に訳の分からない事を言っていて。
いきなり上から落ちてきたからさすがに見ていたら、バチリと目が合った。今まで目にした事のない綺麗な瞳が、だんだん大きく見開かれていく。
「犬と子どもぉ!?」
そうして素っ頓狂な声を上げた。
ついでに追加で上から女の子も落ちてきた。
その人は、不思議と噛みつきたくはならなかった。
右手に子ども、左手に子犬を抱えてびしょ濡れのままどこか分からない場所を歩いていく。土砂降りの雨も気にならないのか、時々上を向いて「まだ宿題してんのかなぁ」と零す。
その人は、下から見上げていてもどんな人なのかよく分からなかった。長い睫毛に雫が乗って、それが金色に透けてとても綺麗だと思った。
「ただいまー。愛敬と大乱闘ごっこしてたら犬と子ども拾ったー」
「お前は本当に何してるの?」
「わんちゃん!可愛いのよ!」
その人の家には眼鏡をかけた男の子と、金色の女の子がいた。
駆け寄ってくる女の子を制して、その人は風呂場へ直行して行く。
「コイツら濡れてるから先にシャワー浴びる。俺もびしょ濡れだし丁度良かったな!」
「雨の中外で遊ぶなんて小学生みたいなことしないでよ⋯⋯。香流、タオル置いとくよ」
「わんちゃんはゆずが拭いてあげる!」
「あぁもう、床もびしょびしょ⋯⋯」
眼鏡の男の子は文句を言いながらもテキパキと床を拭き始めた。つられるようにして女の子もその真似をする。
その人はびしょ濡れの子犬と子どもを機嫌よく風呂に突っ込むと、慣れたように丁寧に洗ってくれた。
もこもこの泡が心地良い。途中で角を作ったり笑わない子どもの頬をむにむにしたりやりたい放題だったけど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
シャワーから上がると、女の子が柔らかいタオルで優しく拭いてくれた。眼鏡の男の子がドライヤーを持ってくる。
「そう言えばお前なんて言うの?」
「今更?」
頭を拭きながら急に子どもに名前を尋ねるその人に、眼鏡の男の子が怪訝そうな顔をした。
子どもは何も言わない。ただ虚ろな瞳でじっとその人を見上げている。
「⋯⋯誘拐されたと思ってるんじゃない?」
「街の人誰もいないもんね⋯⋯」
「そうか」
うんうんと何かを納得したようにその人は頷いた。
「大丈夫だ!俺は警察官だから安心しろ!」
「まだ予定でしょ」
「いいや、もう警察官だ!愛敬と毎日見回りしてるからな!」
「いいから学校来なよ」
サイズの合わないTシャツを被せられた子どもは、まだ虚ろな瞳をしている。
けれど、その人をじっと見ていた。見定めているのかもしれない。その人は分かっているのか分かっていないのか、しゃがみこんで優しく頭を撫でた。
「寂しいなら家族になってもいいぞ!」
次に子犬をひょいと抱えあげて、お日様みたいに笑う。
光に透ける金色の髪。優しい声。綺麗な瞳。白い肌と、柔らかそうな頬。本能がその人の事を何だか好きだと認識した。
だから、子犬も口を開いた。
自己紹介の仕方は知っていた。だって、あの子が教えてくれたから。
あの子が付けてくれた名前を、心に刻み込んでいたから。
「おれ、しょーま」
前から言葉を知っていたみたいに、流暢な発音で話す子犬にその人はまた目を大きくした。同じように、眼鏡の男の子も金色の女の子を目を丸くしている。
「しゃ、しゃべっ⋯⋯!?」
「喋った?」
「わんちゃんって喋るの!?」
「香流、何かした?」
「し、してない!」
「あっちは、こう」
子犬が話す度に金色の女の子がはわぁと目を輝かせる。
「か、可愛いのよー!」
「とりあえず森谷さんに報告しようか」
「めんどくせぇし明日でいいんじゃねぇの?」
「不測事態に慣れすぎじゃない?」
温かい空間。
軽快な会話。時折聴こえる楽しげな笑い声。
朧気な記憶の中、そこで暮らした時間は、子犬の中に家族と言う期待を抱かせるのに十分だった。
あの子が見つかったら、家族になろうと夢を見た。
優しいあの子。晃から名前を教えてもらった。俺の大切な夏椎。
その人は、1匹と1人が背を向け続けても構わず生きるための世話をしてくれた。
時々緑の女の子もそばに居た。他にもいたような気がするけれど、翔真と晃にはただ1人の背中しか見えていなかった。
見ていないと、消えてしまいそうな気がした。
それでも恩を着せる訳でもなく、ただいつも側にいてくれた。夜鳴きがひどい時は布団に入れてくれたし、別々に暮らすようになってからも顔を出しては外へ連れ出してくれた。
それでもずっと背を向け続けた。
怖かった。このまま夏椎に会えなくなるんじゃないかって。でも、期待もしていた。夏椎を探して街をさ迷っていても、その人は必ず見つけに来てくれたから。
おれはずるい。おれはひどいことをした。優しさに胡座をかいて、伸ばされた手を振り払い続けて。
そんなおれに、あの人の優しさを受け取る資格なんてあるはずがないんだと今更ようやく気付くなんて。
ただ素直に手を取れたら良かった。
手を繋ぐだけで良かったのに。
おれは馬鹿だ。本当に幼稚で、そんな自分に呆れてしまうほど。
目の前にあったお日様にすら気付けない。
★★★★★
「足速ぇんだよ」
ぼす、と頭に誰かの手が乗っかった。
涙を零しながら勢いよく顔を上げるおれを、呆れ顔でその人は見下ろしている。
いつもそうだ。この人はおれを必ず迎えに来てくれる。
酷いことを言った日も、ケンカした日も、用意してくれたご飯をわざと食べなかった日も。
「ゆず⋯⋯」
「悪かったよ。泣くほど怖かったのか?」
ぼろぼろと涙の止まらないおれの目元を袖口で拭って、柚ぽんはいつものように頭を撫でてくれる。
細いけれど、昔から安心出来る優しい手。
拾ってくれたのはこの人だった。その事実から目を背けて、夏椎と過ごした記憶を美化し続けたのはおれの方だ。
なのに、柚ぽんは絶対怒ったりしなくて。
冷たく言っても、うるさいと背いても、何で寂しい時には必ず寄り添ってくれるの。
「⋯⋯ごめんなさい」
「ん?」
「おれ、ヤキモチやいてたの⋯⋯」
柚ぽんが用事でいない時は、他の誰かがおれと晃の側にいてもらえるよう声をかけてくれていたこと、ちゃんと知っている。
絶対言おうとしないけど、いつも美味しいご飯を作ってくれていたのも知っている。
「柚ぽんのこと、勝手に家族だと思っちゃってたから⋯⋯」
「別にいいぞ」
「⋯⋯ふぇ」
思わず変な声が出た。
柚ぽんがふっと笑った。何でそんな、軽く言うの。
「昔聞いた時は嫌がってたし、今更その話を蒸し返すのもなぁと思ってたんだ。翔真がいいなら柚木になるか」
「⋯⋯何で?」
「何で?」
「⋯⋯何で、いいの?」
零れた疑問に柚ぽんは不思議そうにして、またぽんぽんとおれの頭を撫でた。
優しい手に涙が溢れ落ちる。きっと、おれを生んでくれたお母さんと同じ温もり。
「さっき、寂しいって言ってたからな」
「⋯っう〜⋯っ!」
聴こえてた。
聞いてくれてた。聞いて、答えて、いつだって応えてくれる。
大好き。ごめんなさい、ずっと言えなくて。言いたかった。言っちゃダメだって思ってた。大好きに蓋をして、冷たい態度を取り続けたおれを柚ぽんはいとも簡単に赦してくれる。
「ごめんなさいぃ⋯⋯!」
「何の謝罪だよ」
「今まで優しくなくてごめんなさいぃ⋯⋯っ」
「そうだっけ?」
柚ぽんは昔みたいに屈託なく笑いかけてくれた。
お日様みたいな笑顔。おれを救いあげてくれる、大切なひと。
「家族になってもいいぞって最初から言ってただろ」
堪えきれなくなって、おれは犬の姿に戻った。
飛びつくように抱きついても、ちゃんと受けとめてくれる。違う。いつも受け入れてくれる。それはあの雨の日からずっと。
優しくて、時々うるさくて、怒ったらちょっと怖いおれの優しい家族。
お母さんやお父さんやお兄ちゃんやお姉ちゃんみたいな人。
「香流って、呼んでいい⋯⋯?」
「そんなもん許可いらねぇよ」
「また一緒に寝てもいい⋯⋯?」
「あぁ、いいよ」
「いつも美味しいご飯ありがとう」
「⋯⋯。⋯⋯どういたしまして」
すごく複雑そうな顔をする香流お兄ちゃんを見上げて、おれは犬の姿のままへへっと笑った。
後から追いついた夏椎にも勢いよく飛びついて。家族も友達も、どっちも好きでいられるおれがとてもとても幸せだと噛み締める。
見たことのないおれのお母さんやお父さんに、生まれてきたことをたくさんたくさん感謝したい気持ちだった。




