幕間(ドイツのビアレストランにて)
本編には関係ありそうでなさそうなお話です。
(木戸)
地球と言う星が素晴らしいのは、自然環境もさることながら各国々の歴史や街並みを歩くのも面白い。
ドイツの街並みは中世の雰囲気を残した街並みも多くて、中でもカラフルな木組みの家が並んでいるのは見ていて楽しい気持ちになる。
ドイツでも目立つ赤髪は道行く人に声をかけられることも多い。軽く片手で応えながら、俺は鼻歌混じりにドイツの街並みを歩いていた。
目指す先は昔馴染みの待つ店だ。
昔、孤児だった俺は、その人に拾われてヤクザ家業の家に居候していた。
その人には小さな子どもがいて、その子どもの面倒も時々見ていた。学校生活が忙しくてそんなに構ってやれはしなかったけど、いる時くらいは可愛がっていたつもりだ。
その子どもが、つい最近島に帰ってきた。
と言うのを、父親の方から聞いた。いやまぁ子どもの方の連絡先は知らないんだけどね。父親の方とはたまに連絡を取っていたので。
だってさぁ。あの人は世界の理を無視する存在なんだもん。
地球外の偉い人達に指示を出して、かつ愛されていると言うとんでもない光景を見せられたから。
先輩には近付けないと心に決めた。
先輩、と言うのは俺の最愛の人で、初めて出会った時に一目惚れしてからずっと求愛し続けては無視され続けている。
外見も可愛いし、中身も可愛いし、存在そのものが愛らしい先輩だけど、あの人はあの人でトラブルを招き入れる妙な癖がある。
父親と先輩を関わらせたくなくて、さりげなく連絡を取り続けながら動向を探っていた。最終的にはアメリカに落ち着いたみたいだったから、もうこっちには帰ってこないかなとほっとしたのも束の間の話で。
俺の知らない間に、まさかの先輩がその人の子どもの面倒を見ることになったらしい。
いや、何でだよ。ほんと俺の想定の斜め上をいく人だな、あの先輩は。
絶対黙ってたこと怒られるじゃん。あの親子から俺が志賀組にいたことなんてすぐ分かるだろ。
先輩怒ったら容赦ないんだよなぁ。メッセージもスルーだし(いつものことだけど)。まぁ怒りの感情だとしてもあの人の脳内に居座るのは悪くないけどさぁ。
「お、ここか」
なんて考えていたら待ち合わせ場所に着いた。レンガ造りのビアレストラン。あの人は先に待っているはずだ。
扉を開けて中に入ると、木のテーブルがいくつか整然と並べられている。店の奥、右の角側に座って人懐こい笑顔を浮かべて手を振る人がいた。
待ち合わせの相手、志賀龍司さんだ。
「龍司さん、変わんねぇ〜」
「木戸はでっかくなったなぁ!最後に会ったの中学生になったばっかりだったもんな!」
ハイタッチした後背中をバシバシ叩かれた。強い強い。
店の中はまだ閑散としている。時刻は15時。酒を飲むにはまだ少し早い時間だ。
「今は俺しかいないから大丈夫だぞ」
龍司さんはにやりと笑って俺を見上げた。俺も龍司さんの前に座る。
「どうせここの人たち日本語分かんないでしょ」
「いや、意外とそうでもないぞ。日本語で話しかけてくれる人もいたぞ」
座ったらすぐに店員がビールを持ってきた。龍司さんが頼んでいたのか。てかこの人もう飲んでるし。
龍司さんは上機嫌でビールグラスを傾けた。
「ほら、乾杯!」
龍司さんはにかっと子どもみたいに笑った。
この人の明るさは変わらない。俺もグラスを傾けた。グラス同士が小気味よい音を立てる。
「で、木戸は今何してんの?」
―――いきなり聞いてくる。まぁ今日はその話をしに来たんだけど。
「島の不穏分子を処分する仕事ですよ」
俺はあくまでさらりと答えた。
龍司さんは案外平然と「へー」とか言っている。
「警察とは違うのか?」
「警察の手の届かないとこでね。そういう話を知られたくない人がいるもので」
「例の運命の人のためってやつ?」
「そう!そうなんですよ!」
俺はビールグラスを机に叩きつけた。ビシ、と音を立てて空のグラスが割れる。
「もう通算百回は振られ続けてるんですけどね!そもそも全く伝わってねぇときた!俺の人生全部捧げてんのに永遠に塩対応なんですよ!」
「お、おぅ⋯⋯」
龍司さんが何故かドン引きしている。
ちなみに俺は酔ってない。これは心からの叫びだ。
「ほんとは毎日ご尊顔を拝んで一緒に過ごしたいのにダメって言われるし!今日のことだってドイツ行くねって連絡したのに返事くれないし!既読ついたからブロックされてないだけ幸せだけど俺に一切興味持ってくれないんですよ!」
「あ、うん」
「仕事のことだってブラックな内容すぎて俺が何してるか教えてあげられないし、ほんとは先輩と一緒に楽しく働きたいのにお前は表へ出るなって柳瀬に許可出してもらえないのが辛い⋯⋯」
俺の叫びが止まらない。
「お前まだ柳瀬といんの?」
「そーですよ!あの暴君、俺のやりたくない仕事ばっかり押し付けてくるんですよ!先輩に知られたら嫌われるからやりたくないのにぃ〜!」
「蓮くん、そんな喋るキャラだったっけ」
「10年も経てばそりゃ人格くらい変わりますよ!」
店員さんがおかわりのビールジョッキを持ってきてくれた。
一気にまくし立ててスッキリした。別に聞いて欲しかったわけじゃないけど、柳瀬の愚痴なんて本人に言えないからちょっとだけ溜飲が下がる。
「もうね、地球外生命体は向こうから勝手にやって来てはあの人の信者化していくし、攫われては向こうで勝手に信者増やしてくるし、もう何なのあの先輩!可愛い!好き!でもそのせいで厄介な奴まで勝手にやってくるから裏側がどんどん腐敗化していくんですよ!」
「大変だねぇ」
「今やあの島は完全に二極化してますよ。先輩と言う光に照らされる表側と、俺達が抑え込む裏側と。龍司さんがいた時とは全然違って見えると思います」
そしてそれを俺達は先輩に見せることはない。
悲しいけど、月に1度会えるか会えないかくらいが関の山の現状。子どもの時は毎日一緒にいられたのに、大人になるって悲しいなぁ。先輩は微塵もそんなこと思ってなさそうなのがより悲しい。
「夏椎のいる表側は平和ですけどね。中学校通い出したそうですね、おめでとうございます」
「ありがとう〜。どうなることやらと思ったけど、丸く収まったようで何よりねぇ」
「先輩がいりゃ大丈夫でしょ。あの人の周りにはいい人しかいねぇもん、当然先輩も含めてね」
一気に喋って疲れたのでビールで喉を潤す。
うん、やっぱり本場のビールは美味い。椅子にもたれかかる俺を、龍司さんはどことなく微笑ましく眺めてくるので妙に居心地が悪い。
「⋯⋯なんですか」
「木戸くんが楽しそうだなぁと思って」
「そりゃ学生の時の方が自由で楽しかったですよ。でもまぁ、回り回って先輩のためになんなら頑張れるかな⋯⋯」
「先輩ってどんな子?」
俺はがばっと体を起こした。先輩を語るならビール2杯じゃ足りねぇなぁ。
「まずね、顔が可愛いんですよ!お目目くりくりで宝石みたいですっげぇ綺麗なの!鼻筋も通ってて唇もふっくら柔らかそうで見てるだけで幸せな気持ちになるでしょ!それに、体つきも華奢で折れそうなくらい細いのに均整がとれててまるで美術品なんですよ!声も可愛くて髪もサラサラでマジで全身余すところなく美しい女神様みたいなのに強くて、そのギャップも最早愛らしいと表現するしかないって言うか!それに、当然性格も可愛くて動物と老人子どもに見せる笑顔が一級品すぎて目が眩むんですよね!あとあと、」
「すみませーん、ビールくださーい」
「ねぇ聞いてる!?」
「ごめん、長すぎて飽きちゃった」
どいつもこいつも俺の惚気を最後まで聞いてくれないんだから、もー。
唇を尖らせていると、店員さんがソーセージを持ってきてくれた。去り際にウインクをされてしまうのでぺこりと頭を下げておく。
「お前モテんのに、ひとりに絞って勿体ないねぇ」
「興味ないもん。先輩以外は等しく有象無象ですよ」
「やだ、苛烈ぅ」
「夏椎もきっとたらし込まれてますよ。先輩はそういう厄介な人ですから」
「そう言えば昨日の電話はずっと香流さん香流さんって言ってたな⋯⋯」
龍司さんは分かりやすく落ち込んだ。相変わらず息子バカなんだなぁ。
「夏椎の周りには俺以外の大人があまりいなかったから、信頼出来る人が側にいてくれるのはありがたいのはありがたいけどあんまり懐かれるとパパ寂しい」
「志賀組にはロクな大人いなかったですもんねぇ」
まだ5歳の夏椎を平気で蹴ったり、閉じこめたりしていた鬼畜な奴らだった。
中には俺のように可愛がっていた奴もいたけど、後で理不尽な怒りを叩きつけられるので次第にそういう奴も見て見ぬふりするようになった。その結果が龍司さんによる粛清だ。
俺は学校にいたから詳しくは知らないけど。
あの時は学校も大変だったんだよな。変な白い光が人間を根こそぎ消し去って、先輩は泣きはしなかったけどひどく取り乱していた。
龍司さんに一緒に来るかと誘ってもらったけど、あの人をあのまま置いて行くことは出来なかった。
我ながら初恋を拗らせている。でもずっと好きなんだから仕方ない。
「まぁあの人なら夏椎を任せて大丈夫ですよ。時々俺も見に行くし、安心して下さい」
「お前が行きたいだけだったりして」
「そりゃあそうですよ。俺の人生全部捧げてんだもん」
報われたことはねぇけど。いいんだ、好きな人が幸せならそれで。
それはちゃんと俺の本音だから。
「⋯⋯何にも執着のなかったお前がそんなにねぇ」
龍司さんは兄のような笑顔でふっと口角を上げた。
「そんなお前の愛しの先輩だが、―――まず、俺は敵対するつもりはないよ」
「⋯⋯俺「は」?」
「俺、は。夏椎がお世話になってるし、聞く話だけで判断するのも何だがあの島も表面上は平和そうだ。あと、可愛い後輩の家族だしね」
可愛い後輩とは川崎さんのことかな。
卒業してもちょこちょこ顔出してたくらいには気に入ってたみたいだし、川崎は俺が育てたと嬉しそうに話してたもんな。確かに、川崎さんはいい人だから信用に値するのも分かる。
「ただ、俺の家族はそうでもないらしい」
―――家族。
と、言った。
背筋がうすら寒い。俺ではまだ手の届かない相手。
そもそも龍司さんにすら勝てない。でも、俺は龍司さんは味方だと踏んでいた。
だから何だ、って事か。
「俺の家族はあの子を閉じ込めておきたいらしい。あの子の能力は規格外すぎるってさ。地球上の生き物どころか地球産の神様をも統制出来るんだろ?」
「⋯⋯⋯」
「しかもお前の言う通り、異界も異世界もあの子に会うと傾倒していく。このまま地球に繋がる世界全てがあの子の信望者になったら⋯⋯」
龍司さんはドン、とテーブルを叩いた。
「話の途中だ。木戸に手を出すな」
こっわ。
龍司さんの殺気はドス黒い。ビリビリと空気が振動して、キッチンの奥で店員さんが倒れる音がする。
それと同時に、首筋に当てられていた何かが離れていった。
龍司さんが味方で良かった。心底そう思う。
「あの子に夏椎を取られて拗ねてるんだよ。俺は夏椎の世界が広がるのは悪い事だと思わないけどなぁ」
「⋯⋯龍司さんこそ夏椎に執着してるんだと思ってましたけど」
「連絡が取れないのは困るけど、子どもの自立を見守るのも親の役割だぞ」
そういうものなんだろうか。親のいない俺には分からない話だ。
でも、龍司さんが言うとそうなのかと思える。この人は無駄に説得力のある人だから。
「そうそう。木戸は呪いって知ってるか?」
龍司さんは殺気を完全に消して、にやりと口角を上げた。
急に話を変えられた。俺は腕を組んで頭を働かせる。
「呪い⋯⋯ってよくある呪いですか?人を呪わば穴二つ〜って言う」
「じゃあ邪神信仰は?」
「⋯⋯⋯」
龍司さんはニコニコ微笑んでいる。
あぁ、なるほど。
「⋯⋯こりゃまた厄介なお話で」
「俺は半年はここから動けないから、頑張れよ〜」
お土産話にし辛ぇ〜。
どこから流入してるのか、それとも流入して来るのか。
どちらにせよ龍司さんの家族が関わってるならロクな事態にならなさそうだ。
「半年後には帰ってくるんですよね?」
「あぁ。会いたい奴もいるからな」
「あの島にそんな人いましたっけ」
尋ねると、龍司さんは口元に指を立ててウインクして見せた。
「内緒」
「絶対ロクな話じゃねぇ〜」
「何でだよ。結構な美談だぞ」
「じゃあ聞かせてもらおうじゃないですか」
「話すには酒がいるなぁ」
「アンタが店員気絶させたんですよ」
10年会わなくても、本質は変わらないものだ。
龍司さんは変わらず龍司さんだな。それが分かっただけでもここに来て良かった。
それにしても邪神信仰に呪いか。
A地区にきな臭い団体があるのは知ってたけど、悪さをしているわけではなさそうなので放置していた。一回洗ってみた方がいいかな。
それに、現世に繋がる道の再確認だな。先輩の知らない道もA地区には勝手に作られている。でもあの辺はなぁ、荒れ放題だから連れて行けないんだよなぁ〜。
異界人専用の風俗街や飲み屋街が立ち並んでるところにあんなピュアっピュアな先輩連れて行ったら熱を出しそうだ。弁明するが決してバカにしているんではない。
しっかし、俺が思ってた以上に嫌われてんなぁ。
その事実を先輩は知らなくていい。奴らが好む存在が先輩を慕ってる限り、排されることはないだろう。
それに先輩のバックには最も高次の存在に近い男がいる。アレがいる限り奴らもそうそう手を出さないでしょう。
「龍司さん、後で手合わせしてくださいよ」
「もうちょっと酒入れたらな」
「日が暮れる⋯⋯」
あー、早く先輩に会いてぇな。
結局、この人に付き合って呑んでたら日が傾いて夜になってしまった。
途中、現地の人間が現れては去って、現れては去って、取っかえ引っ変え何の話をしたのかすら覚えていない。
明日も仕事だからって手合わせしてくんねぇし。明日俺も帰るんだっての。
何だかんだであの人のペースに巻き込まれただけに終わったような。得られたものもあったけど、無駄に疲れた感じがする。
何となくめちゃくちゃ先輩の声が聴きたくなって、スマホを開く。
向こうは何時かな。島の時間は日本と同じだから⋯⋯と計算するのももういいや。
どうせ出ないしかけちゃえ。
電話の呼出音が耳に聞こえる。
まぁそれだけでも満足だ。電話が繋がるってことは拒否されてないんだから。
片思い拗らせるとこんな虚しい喜び方するんですよ。自虐的にため息をついて通話を切ろうとした時、
「⋯⋯なんだよ」
声がした。
「えっ」
思わず声に出た。
不機嫌そうな可愛い声は聞き覚えがある。元の姿に戻ってんの?何で?
疑念が頭に湧く前に、先輩は不機嫌な声のまま通話を続ける。
「お前今何時だと思ってんだ⋯⋯。まだ朝の5時だぞ」
「え〜、早起き〜。先輩おじいちゃんじゃないですか」
「起こしたのお前だからな!」
っっ可愛い⋯⋯!
すみませんペドフィリアと罵られてもいいです。ショタコンでいいです。耳元が幸せで変な声が出そう。
ってか、切らないんだよなぁ。
この人のこういうところが好きで、ずっと好きで、愛しくてたまらない。
「先輩、大好き」
「何回目だそれ。何か用があったんじゃないのかよ」
「ただ声が聞きたくて電話しただけです」
「⋯⋯じゃあお前がおれに黙ってたことの話でもするか?」
「それはすみませんでした」
結果的に黙っていたことが悪手になったことは否めない。確かに志賀龍司の事は事前に伝えておくべきだった。
俺が素直に謝ると、先輩は少し黙った後、
「⋯⋯いいけど」
ちょっと拗ねたように言った。
え、何なの?可愛いの?
「先輩、可愛い⋯⋯!」
「可愛くねぇし」
「何でそんな素直なの!?あ、もしかして今日は1人で寝てたから寂しかった!?」
「⋯⋯⋯」
黙った。図星だったらしい。
「もういい、切る」
「あー待って待って!まだ!まだ足りない!」
「お前に付き合ってたら仕事に遅れる」
「仕事行くまででいいから!」
俺の必死さが通じたのか、先輩は通話を切らずにいてくれた。
先輩の子どもの姿めちゃくちゃ見たい。見たいけどビデオ通話にしたら絶対即切られる。
俺の想像力よ働け!
「で、何しにドイツ行ったんだよ。ビール飲みにか?」
「間違ってないですけど間違ってます。志賀龍司さんに会いに行ったんですよ」
「夏椎の事か?」
夏椎の事というより、先輩の事ですよ。
それは黙っておこう。こそこそ守られるのは性に合わない人だ。
「それもありますけど、龍司さんが島の脅威になるか見定めに行ったんです」
「バカ!」
「バカ!?」
「お前、志賀龍司の後ろに何がいるか知らないわけじゃないだろ!下手したら殺されるところだったんだぞ!」
はい、実際殺されかけました。
「おれの見てないところで死にに行くんじゃねぇ!」
「⋯⋯そんな事言う〜?」
そうやって何人もの人をたらし込んでるんでしょうが、この人は。
でも嬉しい。俺に死んで欲しくないんだ。へぇー。
ヤバいニヤける。先輩の大事な人リストの中に俺も入ってるって事だろ?
末席でもいいから。そう思ってくれるだけで幸せで死ねそうだ。
「先輩、大好きですよ」
「お前なぁ⋯⋯、」
「香流」
先輩の声が止まった。
「俺は香流が生きてる限り死にませんよ。⋯⋯約束したでしょう」
何億年かかっても絶対口説き落とすって。
忘れたとは言わせない。
「⋯⋯木戸のくせに呼び捨てすんな」
「蓮って呼んでくれたら謝ります」
「調子に乗んなバーカ」
「はいはいバカですよー。あー、俺今すげー幸せ」
「おれの睡眠時間と引き換えの幸せだけどな」
「じゃあ先輩、電話切ってもいいから帰ったらデートしよ」
「1人で行ってろ」
「電話切らなくてもいいよって事ですね?」
「通話料ヤバいんじゃねぇの?」
「俺は宵越しの金は持たない主義ですから」
「⋯⋯じゃあ好きにしろよ」
どうでもいい会話を続けながら、ホテルへの道を歩く。
先輩はまだ少し眠そうで、まだベッドの上にいるのか物音ひとつしない。
それでも寝ないんだ。声が聞きたいと言った俺に律儀に合わせて、他愛もない会話を続けてくれる先輩が本当に愛おしくて堪らない。
「帰ったら真っ先に会いに行きますよ」
嬉しくなってつい零すと、先輩は呆れたような声で「好きにしろ」と言った。
「先輩。大人の先輩の声も聞きたいなぁ」
「えーめんどくせぇ。まだ準備する時間には早すぎんだよ」
「じゃあそれまで俺がいかに先輩を愛してるかって話でもしますか」
「よし、今すぐ変わるからちょっと待ってろ」
「ちぇー」
半分本気だったのに。
「⋯⋯よし、ちゃんとなれた」
待っていると、可愛らしい少女の声音から柔らかな少年の声に変わった。
こっちの方がちゃんと男の子っぽくて、でも可愛い。好き。男にしてはちょっと高めの声がすごく好き。
どっちも好きすぎて選べない。分身してくれたらいいのに。両手に先輩とか俺幸せで何でも出来ちゃう気がする。
「俺先輩なら何でもいいんだなぁ⋯⋯」
「いきなり何だよ」
「こっちの声も好きです」
「⋯⋯ありがとう?いやあんま嬉しくはねぇけど⋯」
いやめっちゃ可愛い声だから!
引かれるから言わないけど!思うくらいは許して!
「先輩、今日は何するの?」
「見回りと夏椎の特訓。今日はこっちに戻れたから翔真と晃もついでに鍛える」
―――戻れた、ねぇ。
相も変わらず小さい姿の方は全否定か。あんなに可愛いのに。
「帰ったら俺も参加したーい」
「子ども達殺す気か。加減出来ないだろお前」
「先輩が止めてくれたら良くない?」
「良くない。おれで止められたら苦労しねぇよ。愛敬呼ばなきゃいけなくなる」
「愛敬はヤメテ」
アイツ俺に容赦ないんだもん。聖剣痛い。
「折を見てお前も呼ぶから、大人しくしとけ」
「死なない程度に鍛えてから?」
「⋯⋯お前が加減を覚えるのが一番手っ取り早いんだけどなぁ?」
「ははは。俺なんかまだまだですよー。魔王とか龍司さんに比べたら足元にも及びませんから」
「志賀龍司はおれは知らないから何とも言えねぇけど、森谷なら一撃くらいは入れられるんじゃねぇの?」
「先輩、あの人全然擬態してますからね。騙されちゃダメですよ。色んな意味で!」
「はぁ⋯⋯?」
はぁ⋯⋯?じゃない。マジで気をつけて欲しい。
ドイツの街並みを横目で流しながら、歩幅を緩めて歩く。もう夜中なので人通りもまばらで、俺が電話しながら歩いていても気に留める人は誰もいない。
夜風に先輩の声が心地いい。先輩は大人になっても澄んだ声だ。そう、姿かたちは変わっても本質は変わらない。
あの日、出会った瞬間。一瞬で心を奪われた衝撃は今でも忘れられない。
それがこうして俺のために時間を割いて声を聞かせてくれることが、俺の幸福度を無限に引き上げてくれる。
「先輩」
「ん?」
「俺、絶対負けないですからね」
先輩の周りの有象無象にも、先輩の大事なものを傷つける奴らにも。
俺が何してるか知らないままで、護られてる先輩のままでいて。
「別に死ななきゃ負けても逃げてもいいんじゃねぇの」
「ほんと分かってないなぁ〜。好きな人にはいい所見せたいんですよ、男って奴は」
「死んでりゃ世話ねぇだろ」
ばっさり切り捨てられた。ロマンの欠けらも無い。
ほんと靡かねぇの。何言ったら照れてくれんのかな。10年惨敗し続けている俺には分からない。
まぁ、―――分かるんだけどね。先輩は深層では不変を望んでる。だからこの人の周囲も立ち止まったまま進もうとしない。それを変えようとする俺は異物で、先輩はどれだけ愛を囁いても聞かないふりをする。
後何年、何十年、何百年経ったら進めるかな。
気の遠くなる話。でもいいよ。待つって決めたから。
強がりで臆病な先輩が、いつか進もうと思えるその日まで。
「俺は先輩のためなら死すら厭わないって事ですよ」
「バーカ。長生きしやがれ」
俺の世界で一番可愛いあなたのために。
俺はこの捻れた面倒臭い片思いを続けてあげますよ。




