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地球の果ての島の物語  作者: 亜滝紅羽
志賀夏椎編
23/27

志賀夏椎編19(空洞)

(夏椎)

 

「しいちゃんも天丼食べる?」

 

 ゼウスさんとの面会が終わって、まだ仕事中だと言う柊さんと別れた後、俺と柚姫さんは天界の公園に来ていた。

 滑り台やブランコなどの遊具が置かれたエリアや、ピクニックをするような芝生広場と2つのエリアがある。芝生広場の中央にはテラス席のあるカフェもあった。何人かの天使が、座って何かを飲んだり食べたりしている。

 俺はまだぼんやりとする頭で、静かに柚姫さんの後を着いてきていた。

 屈託のない笑顔を浮かべる柚姫さんは、ゼウスさんの言っていたことを理解していたのだろうか。

 そんな事を思うほど、柚姫さんは幼くて無邪気に見える。どうしてか大人だとは到底思えなかった。


「柚姫さん」

「なぁに?」


 俺が声をかけると、柚姫さんはこてんと首を傾げる。

 俺は言葉を詰まらせた。声をかけたのは俺の方なのに、口から言葉は滑り出してくれない。

 何を言いたかったのか。何を問うべきだったのか。

 分からない。いきなり、お前は人ではないと言われたことも。それをあっさりと受け入れた自分も。

 そのくせ、今更どうしようもない苦しさを抱えている自分も。

 柚姫さんに何を問えばいいのか。それは、自分で何とかすべきじゃないのか。


「⋯⋯なんでもありません」


 空虚な言葉だ、と思った。

 俺はただ俯くことしか出来ない。そんな俺の手を引いて、柚姫さんはどこかへ歩き始めた。


「大丈夫よ、ゆずお金持ってるのよ!」


 弾んだ声で話す柚姫さんは、一体何をどう解釈したんだろうか。

 唖然としてしまう。まだ何も言えないでいる俺に、柚姫さんはくるりと振り返って花のような笑顔を見せた。

 

「天界のお金はコインなのよ!」


 柚姫さんも、―――人間ではない。柚姫さんは分かりやすく人間離れしている。空を飛ぶし、人の感情の機微とはどこか違う尺度で生きているように見える。

 まるで、おとぎ話の妖精のような。


「天丼食べよ!」


 柚姫さんはどこまでも明るい。自分の幸せを俺と一緒に分かち合おうとしてくれているのが分かる。

 その優しさが嬉しくもあり、少し、苦しいような。今の自分に与えられてもいいものなのかどうか、今の俺には分からなくて。

 頷くことしか出来なかった。

 俺が反応を見せたことで、柚姫さんは満足そうにしてくれたけど。


「椎ちゃん、あのね―――」


 目の前で。

 柚姫さんが何かを言おうとしている。俺の視界の先で。

 

 柚姫さんの背後に紫色の口が見えた。


「柚姫さん!」


 咄嗟に、柚姫さんの手を引いた。

 柚姫さんの小さな身体を、抱き寄せる。でも、間に合わない。


「―――っっ!!」

「え、え!?」


 落ちる。

 足元の芝生が、消える。

 喰われた。脳が理解した。背後で口が閉じる。瞬間、訪れる暗闇と落ちていく感覚。


 次に地面を踏んだのは、ゴツゴツとした乾いた土の上だった。


「柚姫さん、大丈夫ですか!?」


 柚姫さんを見下ろすと、柚姫さんは大きな瞳をパチクリとさせて俺を見上げている。

 ひとまず無事に見える柚姫さんに、俺はほっとした。ただ、無事かどうかはまだ微妙なところだ。なんせ、見える景色はどう考えても天界とは結びつかない。

 ひび割れた赤茶色の地面。上を見上げても空はなく、地面と同じ赤茶色の土に覆われている。

 周りには何も無い。ただただどこまでも広い空間。

 音もせず、光もない。なのに、不思議と周りの景色は見えている。

 光源はどこにあるのか。俺が辺りを見回していると、柚姫さんがつんつんと服を引いてきた。


「何ですか?」

「天丼食べれなくてごめんね⋯」

「いや、柚姫さんが謝ることでは⋯」


 どう考えてもあれを避けるのは不可能だったし、あまりにも突然の出来事すぎた。

 口だけがぽっかりと空間に浮いていた。紫色の唇で、中は空洞。一体、何の仕業なのか。

 昨日見た、あの謎の生き物を思い出す。

 あの口は柚姫さんを狙っていた。柚姫さんを抱き止めていた俺は偶然巻き込まれたに過ぎない。

 むしろ、一緒に落ちて良かった。柚姫さんだけではどうしようもなかったはずだ。

 とは言え、俺がいたところでどうにもならなさそうだけど。


「柚姫さん」

「なぁに?」

「飛べますか?」


 ひとまず、ここで出来ることは何か考えてみる。

 何の能力も持たない俺では解決策も何も思いつかない。けれど、柚姫さんは小首を傾げていた。


「ん、と⋯⋯」


 柚姫さんはぎゅっと目を瞑ったり、パタパタと両手を動かしてみている。


「⋯⋯飛べない」


 それを何度か繰り返して、そして、最終的にべそをかいた。


「精霊さんも妖精さんも見えないのよ」


 柚姫さんも辺りへ目を配る。地面はどこまでも続いているのに、木も草も生えていない。風も吹いていない。


「空気も見えない⋯⋯」

「空気?」

「たぶん、ここで生き物は何も生きていけないのよ」


 空気がないということは、つまり、宇宙と同じような空間だろうか。

 柚姫さんの言葉を受けて、俺はぞっとする。俺がここに立っていられることが、何よりも俺が人間ではないと証明しているようなものだ。


「椎ちゃん、人間じゃなくて良かったのよ」


 今まで、呼吸をしている感覚はあった。普通に食べて、息をして、人として生きていると思っていたのに。

 今までの常識が覆される。

 俺は何も返せなかった。ヘドロのように渦巻く胸中が落ち着かなくて、顔を上げられない。


「嬉しくないのよ?」

「嬉しくは⋯⋯ないです」

「うん。ゆずも嬉しくなかったのよ」


 柚姫さんは真面目な顔で俺を見上げた。

 笑っていない柚姫さんを見るのは初めてだ。キラキラとした色鮮やかな瞳が真っ直ぐ俺を射抜くようで、どこまでも無機質に見える。


「椎ちゃん、人間じゃなかったのよ」

「⋯⋯それは、聞きました」

「ゆずも、人間じゃないのよ。―――人間じゃなくなったの」


 柚姫さんは静かな微笑みを浮かべた。

 

「人でないのはダメなことなの?」


 柚姫さんの真っ直ぐな瞳は、不思議と、地球そのものに見える。

 何故か、エリックさんの言っていたことを思い出した。美しい地球の管理人。それがこの人だと言われても、俺は否定する言葉を持たない。


「人じゃなくたって、笑っていいのよ。幸せを追求する権利は、人も人以外もみんな等しく平等なのよ」


 柚姫さんは俺の手を握った。

 小さな手が温かくて、胸の奥のヘドロが溶かされていくようだ。破天荒で幼くて掴みどころのない人だけれど、この人の言うことはすとんと胸に落ちていく。


「だから、悲しい顔をしないで。ゆずは、この星で生きているなら、笑って欲しいのよ。椎ちゃんは人であっても、人でなくても椎ちゃんよ」


 柚姫さんは、今度はにっこりと柔らかく微笑んだ。


「だから、大丈夫よ。椎ちゃん、楽しいこと考えて生きてくのよ!」


 柚姫さんの笑顔は、嘘がない。本当に俺の事を思って、そう言ってくれているのが伝わってくる。


「⋯柚姫さん」

「うん?」

「ありがとうございます」


 俺も、ぎこちなくでも微笑み返した。

 まだ、全て受け入れられたわけじゃない。

 納得したことと、飲み込んで消化するのとでは意味が違う。

 けど、柚姫さんの言うことも理解出来る。


 人でなかったとしても、今までの人生が否定されたわけじゃない。


 父さんと母さんのもとに産まれて、生きてきた。それだけは確かな事実で、俺は歪なんかじゃない。

 それだけはちゃんと分かるから。


「いいのよ!ゆずの方が先輩なんだから!」

「先輩⋯⋯」

「人じゃなくなった先輩!」

「初めて聞いた先輩の名前だ」


 ふふ、と2人で顔を見合せて笑った。

 ちゃんと笑える。柚姫さんは不思議な人だ。人じゃなかったとしても、柚姫さんは間違いなく人に思えた。

 優しい人だ。紛れもなく。きっと、色んなものを乗り越えて、そこに立っているひとりの人間。

 俺達はくすくすと笑い合う。この空間に似つかわしくない光景だと思いながらも、笑うことを止めることが出来なかった。

 そんな時。


 不意に、


 ゴロ、と遠くの方で音がした。


「ごろ?」

「何の音⋯」


 2人同時に、音のした方へ顔を向ける。

 そこには、何故かゴロゴロとこちらへ向かって転がってくる鉄球が見えた。

 それはもう真っ直ぐ、こちらへ向かって。


「柚姫さん、逃げましょう!」

「逃げるのよ!」


 俺達は慌てて走り出した。

 鉄球のスピードは速い。そして、何故か走り出すと道が一本道へ変動した。

 さっきまであんなにただただ広いだけの空間だったのに。


「よ、避けれないのよ!」

「飛んでみます!?」


 ぺちゃんこになって潰されるよりは、助かる可能性があるかもしれない。

 鉄球の音が近い。鈍色の丸い球が恐ろしい音を立てて2人をすり潰そうとしている。

 柚姫さんが、俺に向かって飛びついてきた。俺は柚姫さんを受け止めて、思い切り道の外へ飛び出す。


「飛ぶ!」


 小さな柚姫さんがぎゅっとしがみついてくる。途端に、今度はふわりとした感触が俺達を包み込んだ。


「今度は何だ!?」

「雲⋯⋯?」


 雲は空気中の水分が集まったものだ。乗れるわけがない。

 でも、俺達は雲のような何かに乗っていた。ふわふわと柔らかく、まるでマシュマロを集めたクッションのようだ。


「景色が、変わった⋯?」


 赤茶色の乾いた地面は消え、辺り一面雲だらけの景色に変わった。相変わらず自然物は一切見えないし、鉄球もいつの間にか消えてしまっている。


「椎ちゃん、大丈夫?」

「あ、はい。俺は大丈夫です。柚姫さんは?」

「ゆずも平気よ!びっくりしたぁ〜」


 柚姫さんはほっと胸をなで下ろした。ひとまず2人とも怪我がなくて俺も安堵する。


「なんで景色が変わったのかな?」

「さぁ⋯⋯」


 分からないけれど、どうにも遊ばれているような気もする。

 まるで悪趣味なゲームの中に閉じ込められたようだ。あの口の主がそうさせているのなら、ここからの声は聞こえているかもしれない。


「あの、ここから出してくれませんかね!」


 俺は声を張り上げた。柚姫さんも俺に続くように両手を上げる。


「ゆず、お兄ちゃんのところへ帰りたいのよ!」

「俺だってここから帰りたいです!」

「一緒に帰るのよ!」


 2人で口々にそう言うと、雲がうねりをあげて動き始めた。

 タオルを捻じるように雲が突き上げると、ぽこん、と白い人型の何かが現れた。

 俺達は同時にそれへと目を向ける。

 白い人型はゆらゆらとクラゲのように揺れている、と思いきや、突然、俺達に向かって突撃してきた。

 俺は避けると同時に柚姫さんの腕を引いて、くるりと回転させた。白い人型は勢いを殺せぬまま走り抜けていく。その後ろに思い切り蹴りを叩きつけた。

 バタン、と白い人型が倒れる。


「椎ちゃん、強いのよ!」

「動きが短調だったので⋯⋯」


 話していると、追撃が来た。2体目だ。

 見たところ白い人型は武器も何も持っていない。ただ真っ直ぐに突撃してくるだけだ。

 俺は柚姫さんを抱き上げて、逃げるように雲の上を走り始めた。


「走りにくい!」


 足元がふわふわする。まるでエアーマットの上を走っているようだ。


「椎ちゃん、どこ行くの?」

「とりあえずここから離れます!」

「追っかけて来てるのよ」


 俺の肩口から柚姫さんが顔を出して、後ろを覗いている。


「何体来てますか?」

「いち、にー、さん、よん⋯⋯ご!でも足は速くないのよ。椎ちゃんすごいのよ!」


 柚姫さんが肩口で嬉しそうに拍手をした。

 途端、足元の雲がかき消える。走りやすくなった。俺は全力で走りながら柚姫さんに尋ねる。


「まだ追ってきてますか?」

「もういないのよ」


 柚姫さんがそう言うので、俺は足を止めてゆっくりと柚姫さんを地面へ下ろした。

 今度は、草原の上だった。

 見渡す限り草が生えている。柚姫さんをちらりと見ると、首を横に振るので本物ではなさそうだ。


「⋯⋯あれ?」


 ふいに、柚姫さんがぽつりと零した。

 俺も顔を上げる。

 草原の真ん中に、ひとりの老人が立っていた。ぼやけていて顔はよく見えないはずなのに、俺はあの人を知っていると直感で理解する。

 老人が、澱んだ瞳を上げた。


 その瞬間。


 ぶわり、と。


 身体が怖気だった。

 

 見てはいけない。


 思い出してはいけない。

 

 いけないいけないいけないいけないいけない。


『―――何故お前が生まれてきた』



 ★★★★★


 


「きゃあ!?」


 柚姫は何かに弾き飛ばされた。

 地面に激突する前に、白い雲が柚姫を受け止める。その側には白い人型もいた。柚姫の肩を優しく抱いて佇む白い人型は、飛んできた何かに潰されて崩れ落ちてしまう。


「椎ちゃん!」


 柚姫は叫んだ。


「椎ちゃん……!」


 柚姫は泣き出しそうになりながらも、懸命にその名を呼んだ。


 赤い瞳。


 濃い赤色の霧が、真紅の霧が、少年の身体を這い回っている。

 柚姫には何が何だか分からなかった。いきなり夏椎から出た何かに飛ばされて、敵だと思っていた白い人型は柚姫を守るように立ちはだかっている。


「椎ちゃん!」


 逃げ出したい気持ちを懸命に押さえ込んで、柚姫は夏椎の名前を呼ぶ。

 柚姫には、分からなかった。

 あの老人が何なのかも。

 その名前を呼ぶのが正解なのかも。

 

 ―――そもそも、アレが夏椎なのかどうかすらも。


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