白兎事件編49(その後・8/雲雀と柚姫)
白兎事件編おしまいです!
次回はA地区編へと続きます。
(黛)
初めて出会った時は、異様な雰囲気に圧倒されてマトモに顔を見られなかった。
慣れてきて顔が見られるようになると、脳に深い切り傷を付けられたようにずっとその笑顔が離れなくなった。遮れない光が差し込んで、影すら作れない。狂ったようにリフレインするのは、さすがの俺だってこれが異常な事態なんだと気付いていた。
問題は、どっちなんだと言うことだ。
香流はマジで落ち着きがなかった。授業中じっとしないどころか、学校を飛び出して動物達と遊びに行ってしまう。先生も夏休みが始まる頃にはもう注意するのも諦めていた。
そのくせ記憶力が無駄に良くて一度見たものを覚えてしまうから、文字も一瞬で覚えた。本は読みたがらなかったけど、図鑑は気に入って賢吾とよく眺めていたのを覚えている。
対する柚姫は、可哀想なくらい理解力が乏しかった。
数を覚えられない。ひらがなを書けない。真面目に取り組んでいるのに、見当違いな理解をしてしまうので思考回路どうなってんだと俺は何度も頭を抱えた。
ほんと、バカなんだよ。バカすぎて勉強に関しては正直何度も見捨てたかったけど、柚姫は絶対に理解できるまで諦めなかった。
仕方ないからこちらも手を替え品を替え、賢吾と一緒に作った『妖精さんでも出来るお勉強』シリーズはそこそこの売上を出した。
柚姫はバカだけど、諦めない。一度決めたことを投げ出したりしない。
母親に見限られた、何のやる気も見出だせなかった俺の慌ただしくも美しい日々。
気付いたら好きだと腑に落ちて、お日様が登る大木の上で賢吾にひたすら想いを聞いてもらっていた。賢吾は途中から目が薄目になっていたけど、とにかく聞いてもらわなければ気持ちの整理がつかなかったんだよ。
好きになったのは柚姫の方だった。
けれど、あのアホが色んな我慢を経て耐えていた事実を知って、支えたいと思ったのは香流の方だった。
必然的に選ぶ仕事も決まって、そのために出来ることをこなしていく。目で追うのは柚姫なのに、頭の中は香流で埋まっている。視覚と脳回路の整合性が取れなくて、賢吾に話を聞いてもらっていたら2時間経ったくらいで布団を頭から被せられた。
神の力を得たって、全知全能の能力が使えたって、芽生えた恋心だけはどうにもならない。
そのことを高校生くらいでやっと理解した。
柚姫には言えない。好きだけど側にいたいのは香流の方だなんて口が裂けても言えない。
そのままズルズルと大人になってしまって、働き出すと現世へ赴いた柚姫と会う回数も減った。
香流と過ごしていると、忙しくて思考する暇もない。休みの日だって島のメンテナンスをしながら、鴫の学校生活に必要な物を揃えたりと結局柚姫の事を考えている暇なんてなかった、はずなのに。
やっぱり会うと目が奪われる。
好きだと脳が警鐘を鳴らす。
俺はダメだ。全然ダメだ。自分の感情すらコントロール出来ない。
だから柚姫と一緒にいるのは嫌なんだ。
「兄さん、早く行って下さいよ」
部屋で蹲る俺を蹴って、鴫が冷めた声をかけてくる。
俺の部屋なのに、勝手に入ってくる。ありとあらゆる電子機器を完璧に配置した俺の部屋は、鴫曰く「黄泉へと続く部屋」らしい。
「待ち合わせ時間に間に合わなくなりますよ」
「鴫、今日暇?」
「暇でも行きません。賢吾兄さんとの総意ですから、香流兄さんも連れて行かせません」
俺の最後の砦が⋯⋯。
「ほら、俺の服貸してあげるからさっさと着替えて下さい。よれたシャツでデートは行けないでしょ」
「やめて、瞑っちゃう!」
「いいですか、兄さん!これはチャンスなんですよ!陰キャオタクが輝けるかもしれない瀬戸際なんですよ!」
「陰キャオタクは女の子とデート出来ないの!」
「家電量販店に行くだけでしょ!柚姫姉さんは兄さんにエスコートなんて求めてないですから!」
「それはそれで男としての矜恃が傷付く」
「いいから着替えなさい!」
高校生の弟がお母さんみたいな怒り方してくる。
鴫に服と一緒に部屋からつまみ出されてしまった。仕方なく服を広げてみるけれど、なんだこのオシャレな服。いつの間にこんな服買ってたんだアイツ。
なんでズボンに柄があんの?こんなの俺が似合うと思う?申し訳ないけど生まれてこの方平均男子なんですけど?
「⋯⋯はぁ、着替えよ」
廊下で座り込んでたって仕方ない。柚姫との約束を破るわけにはいかない。
幼なじみとは言え、アイツらとは家族同然のようなものだ。柚姫は妹。俺は兄。よし、今日はこれでいこう。この言葉をしっかり脳内に定着させなければ。
しぶしぶ着替えて部屋に戻ろうとしたら、鞄を投げ渡された。部屋に入るなと言うことですかね。なんというスパルタだ。
「必要最低限の用意はしましたから、このまま家を出てどうぞ」
「俺に心の安寧は与えられないのか⋯⋯」
「休日くらい陽の当たる場所で活動しなさい!」
「平日は陽の当たる場所にいるよ?」
「通勤だけでしょうが!」
なんでコイツこんな脳筋に育っちゃったんだろう⋯⋯。
香流のせいかな。鴫のことは大事に育てようと思ってたのに涙が出るわ。
玄関を開けると、お日様がとても眩しい。
あー、目が痛い。サングラスつけよ。鞄に手をかけると、目線の先に知らない子どもがいた。
迷子?
背の低い子どもが、長い黒髪の上にハンチング帽を被って、大きな眼鏡をかけている。
「おはよう、まゆ」
「えっ!?」
声をかけられて驚いた。声が柚姫だ。良く見たら柚姫だと分かるくらいで、完璧に変装している。
「髪が黒い」
「ウィッグよ。黒も似合う?」
「あ、うん何でも可愛い」
キモい褒め方してしまった。
違うだろ!賢吾だったら「黒もすごく似合ってて可愛いよ」とか言うのに!俺はダメだ!
「⋯⋯何でも」
「すみません」
「なんで謝るの?まゆは変なのよ」
口元に手を添えて笑う柚姫は、いつもの服装とは感じが違っていた。
俺はファッションとか良く分からないけど、それも似合っている。あと、足元のブーツがこけそうでちょっと心配だ。
足元を見ているのに気が付いたのか、柚姫は片足を外側へ少しだけ上げた。
「厚底ブーツ買ったのよ。ゆず小さいから、子どもに間違われたくないもの」
確かに柚姫は小さい。見慣れてるからあんまり考えたことなかったけど、外から見たら大人と子どもに見えかねないの⋯⋯か。
いや、俺は断じてロリコンではない。柚姫は同い年の大人の女性だ。見た目はどうでも中身はしっかりしていることを俺はよく知っている。
「こうしたらデートに見える?」
いきなり柚姫に右腕を取られた。動悸きっつ。死ぬ。死ぬよ?俺人間なんだけど?
見下ろす柚姫の顔がニコニコしていて、何も言えない。え、このまま歩くの?どうやって?ロボットになりかねないけど、俺。
ギクシャクしながら、家を離れていく。
今日は良く晴れている。右腕が少し重くて、柔らかい。いや、そういう意味じゃなくて。
でも、兄と妹もこんな風に歩くよな。香流と柚姫もしょっちゅうくっついてるもんな。
柚姫にとっては俺も兄みたいなもんだ。よし、そう考えるとちょっと落ち着いてきた。
「向こうで待ち合わせかと思ってた」
「可愛く変装出来たから早く見せたかったのよ!」
「柚姫、もうすっかり芸能人だもんなぁ⋯⋯」
柚姫は現世では森谷さんと一緒に暮らしている。
服屋でアルバイト始めた頃はこんな風になるなんて思わなかった。テレビに映って、柚姫の声が音楽に乗って、絵空事のように思えるけど柚姫はもうすっかりいっぱしの芸能人だ。
「森谷さんは?」
「天界に遊びに行ったのよ」
絶対上から見てるなあの野郎。娘のデート覗き見するんじゃねぇよ。相手俺だけど。
歩いていても、さすがに視線は感じない。みんな行くところがあるんだよな。土曜日だから人も多いし、すれ違う人が多いので少しだけ柚姫の体を引いた。
「柚姫、反対歩いて。道路は危ないから」
「うん」
「柚姫は歩幅が小さいからなぁ。今日は何も予定ないしのんびり行きましょ」
「⋯⋯いいの!?」
驚かれてしまった。まぁやることはあるけど、別に急ぎではない。その分明日引き篭るだけだ。
「他にもしたいことあった?」
「新しく出来たショッピングモールがあるのよ!それに、行ってみたいカフェもあるの!」
「盛りだくさんだなぁ」
「⋯⋯だめ?」
「別にいいよ。柚姫が楽しい方が嬉しいから」
あ、これもキモいか!?
言ってから口を塞ぐ。柚姫は何も言わないけど、腕を離す気配はないからセーフか?
余計なことは考えたくないから、柚姫の顔は見れない。それでもなんとか真っ直ぐ前を向いて歩くことは出来る。
騙し騙し今日を乗り切ろう。とにかくキモいと思われたくない。兄としてギリギリセーフくらいのラインを保ちたい。
「ふふ。電車久しぶり〜」
ねぇ、もう可愛いんだけどどうしたらいい?
兄って妹のこと可愛いって思うよな。これもセーフですか。教えてAIさん。
「人がたくさんいるから手を繋いでいい?」
「⋯⋯柚姫さん、手汗ヤバかったらごめんなさい」
「むしろ冷たいのよ」
柚姫は何だかずっと楽しそうだ。俺と出掛けて楽しいのか分からんけど、楽しそうなのは見ていて可愛い。
柚姫とふたりで出掛けるなんて学生以来だな。中学、高校の時は柚姫の勉強のためにふたりで学校で過ごしていたし、柚姫専用の教科書や参考書を集めるために本屋に行ったりもした。結局それは見つからなかったけど。
東京は人が多すぎる。空いた席に柚姫を座らせて、吊革を持って少し安堵する。
黒髪にキャスケット帽で上から見たら誰か分からないのがありがたい。でもスカート短くてあんまり下は見れない。
「まゆ、今日の服鴫くんの?」
「あ、うん。これ着てけってうるさいから」
「せっかくだからまゆの服も買いに行くのよ。一緒に選びたい」
「えぇー⋯⋯着ていく場所ないのに」
「そしたらまたデート出来るのよ」
ど、と心臓が脈打つ。
え、待って?
もしかして2度目があるの?
隣のおばさんがくすくす笑っている。やめて。微笑ましそうに見ないで。ごめんなさいこちとらもう25歳なんです、学生ではありません。
人の多い電車内でする話じゃない。どんな反応が正解か分からない。
プシュー、と電車が止まった。降りて行く人波にほっとしていると、柚姫が隣の席をぽんぽんと叩いた。
「空いたのよ」
知ってるっ!
オイル切れのロボットみたいな動きをしながら、電車の席に座る。固めの席に座って、柚姫の足に当たらないようになるべく足を閉じる。
目的地はどこだ。まだ乗ってなきゃいけないのか。肩が触れる。触れたとこから変な汗出そう。
「あと何駅⋯⋯?」
「5駅なのよ」
絞り出すように聞く俺に、柚姫はのんびりとした口調で答える。
よし、電車の中の広告でも見てよう。目線を上げた瞬間、『結婚』の文字が目に入ってぶわっと鳥肌が立った。
あぁ、生きた心地がしなかった。
ようやく目的地の駅に着いて、電車を下りてどうやってここまで歩いて来たか分からない。
家電量販店に入ると、入り口付近のテレビに柚姫が映っていてギョッとした。当の柚姫は平然としているので、俺も平然を装って柚姫と並んで歩く。
「何買いに来たんだ?」
「今度のお歌が旅行のお歌なのよ。それで、旅行先でホットサンドを作って食べるっていう映像が入るらしいのよ」
「ホットサンド⋯⋯」
えらく思い切ったMVだな。柚姫に料理をさせるなんて。
柚姫は家事関係に関しては壊滅的だ。だから一人暮らしはさせられないと森谷さんが呼び寄せた。島でも香流が家事を全部請け負ってる、そんな柚姫にホットサンドはレベル高すぎないか?
「食パン入れて、ハムとチーズ挟んで、食パン入れて、蓋閉じて、ボタンを押す⋯⋯」
呪文かな?
「失敗したくないから、撮影と同じホットサンドメーカー買うのよ。まゆなら料理出来るから、変なところあったら教えて欲しくって⋯⋯」
なるほど。
俺を呼んだのは仕事のためか!
俺が呼ばれた合点がいった。だから俺だったのか!賢吾は料理は壊滅的、香流は教えるの下手くそだもんな!
デートも柚姫がよく言ってることだもんな。あぁ、良かった。変なプレッシャーが吹き飛んでいく。これは学生時代の延長線だな。
それにしても努力家だな、柚姫は。そういうところがすごい好感持てるんだよな。香流だったら多分速攻他の誰かに頼んで逃げてただろうに、自分でやり遂げようとするところがやっぱり好きだなと思ってしまう。
「どこのメーカー?」
「えっと、アルファベットがいっぱいのところ」
「沢山あるんだよなぁ。画像とかないの?」
「ねぇ、飴玉入れて綿菓子作る機械だって!」
「買いませんよ」
「せっかくだからオーブンレンジも欲しいな」
「最新のものを買いましょう」
「先輩差別は良くないよ!」
ふたりで柚姫のスマホを覗き込んでいると、どこかから知っている声が聴こえたきた。
げ、と思った頃には遅かった。勘のいい香流がこちらへ顔を向ける。
「あれ、まゆがいる」
「気付くの早過ぎない?」
宣言通り、休日は女の子の姿の香流は長い髪を不思議な纏め方で止めている。
隣の柚姫も顔を上げた。柚姫ははっとして、ちょっとだけ悩んで、ひらひらと手を振った。
「柚姫もいんの?一緒に行⋯⋯」
「香流ちゃん、俺達の目的地は冷蔵庫ですよ」
今日は黒髪眼帯姿の木戸くんが香流の腕を引く。その近くに中川くんもいた。
中川くんは一瞬気まずそうな顔をして、すぐに笑顔に切り替わった。いや、俺は別に一緒に回ってもいいんだけど。柚姫も構わないんじゃないか?
「なんだよ」
「いくら家族とは言えデートの邪魔しちゃいけません。じゃあ、おふたりともまた今度」
「デート?まゆが?柚姫と?」
「復唱しちゃうんだぁ⋯」
目立つ3人組は店の奥の方へ消えて行った。
いや、どんな偶然よ。島にも家電量販店あるのに。なんでわざわざ東京に?
「⋯⋯追う?」
行きたいのかなと思って聞くと、柚姫は曖昧な笑みを浮かべて首を振った。
あれ、珍しい。いつもなら「お兄ちゃんの隣はゆずよー!」とか言って走って行くのに。
なんか元気なくなった。さっきまであんなに楽しそうだったのに。
俺といるのを見られるのが嫌だったとか?
デートだって人に言われたくなかったとか?
どうすればいいのか分からず、柚姫のスマホをもう一度覗き込む。目的のホットサンドメーカーは、目立つ場所に配置されていた。
「柚姫、あったぞ」
「⋯⋯まゆは」
「ん?」
「まゆは一緒に行きたいの?」
一緒に行きたいかと問われれば、別に一緒に行きたいわけではない。
香流の友達は香流の友達であって、俺の友達ではない。それに香流とはほとんど毎日職場で会うし、今話したい内容も特にない。
「いや。今日は柚姫との約束が先決だから」
ホットサンドメーカーの箱を取って、もうさっさと店を出ようと足をレジへ向ける。
柚姫は何も言わない。まだ落ち込んでそうだけど、俺から手を引いていいものかどうか。大丈夫かな。セクハラとかで訴えられないかな。
いや、でも柚姫は妹だもんな。
「次は服見に行くんだろ?」
勇気を振り絞って柚姫の手を取る。子どもみたいな小さな手は、温かくて柔らかい。
歩き出すと、柚姫も後ろを着いてきた。着いてきて、また俺の腕にしがみつく。
「ゆずがまゆに似合う服選ぶのよ」
「はい、助かります」
なんか分からんけど、ちょっと機嫌直ったかな。
とりあえず持ち運びに不便なので袋をもらって、家電量販店を後にした。所要時間10分もかからなかった。
煌めいたお店屋さんで、チャラそうな店員さんと柚姫があーだこーだと服を選んで、店を変えて、今度はギャルっぽい店員さんと柚姫があれでもないこれでもないと服を選んで、何だかんだで3着も買うことになってしまった。
今度は柚姫の服を見に行くと言ったけど、さすがに俺には敷居が高すぎて入れん。入ったことのない建物の中で、紙袋を携えたまま柱にもたれかかって柚姫の帰りを待つ。
しかしなんでこんなに服屋があるんだ。建物ほとんど全部服屋なんだろ。服なんかネットでしか買ったことないです。
はー、と思わずため息が零れる。柚姫のためじゃなきゃこんなとこ絶対入らないな。
周りを見れど女の子しかいない。一緒に店に入る男もいるけど、俺にはレベルが足りないなぁ。黛雲雀の人生が終われば入れるようになるのかなぁ。
ふと、電車の中で見た一文字を思い出す。
『結婚』
もうすぐ柚姫も25歳かぁ。昔、ばあちゃんの白無垢見て、プリンセスのテレビ見て、お嫁さんになりたいって騒いでたなぁ。
柚姫は人ではないから、結婚はしないだろうか。どうしよう、いずれ結婚したい人出来たのとか言われたら。お兄ちゃんとして耐えられるかなぁ⋯⋯。
次の生でまだ好きなら。
なんて。絶対好きだと思う。その時に柚姫が誰かと結婚してなきゃいいなと思うけど、それを止める術を俺は持たない。
「まゆ、ただいま!」
「おかえり、柚姫。いい買い物は出来た?」
「うん、⋯⋯それでね、あの。このままカフェ行ってもいい⋯?」
柚姫は元気だな。俺も別にまだ疲れてはない。
柚姫も紙袋を2つ抱えている。その靴であまり荷物を持たせたくないので、柚姫に手を差し出す。
「いいけど、このまま行くならそれも俺が持つよ」
「えっ!?い、いいのよ。まゆ、ホットサンドメーカーも持ってくれてるのに」
「じゃあこれ持って」
俺が持っていた小さい方の紙袋を渡して、柚姫の大きいのは有無を言わせず受け取る。
俺だって平均男子並みには力はある。少なくとも柚姫よりはある。宝石野郎3人組と違って細身でもない。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「⋯⋯雲雀」
急に名前を呼ばれて、膝が抜け落ちた。
しかし荷物は死守する。出来れば急な破壊光線は止めていただきたい。心の準備が足りない。
「柚姫さん」
「はい」
「急に名前で呼ぶのは勘弁してください」
「むー」
なんだその返事。否定か肯定かどっちなんだ。
荷物が多いので、手も繋げないし腕も組めない。なるべく柚姫の隣を歩きながら、周囲に気を配る。
途中で、柚姫が足を止めた。じっと見ている先はウェディングドレスで、何とも言えなくて俺は視線を逸らした。
昼時のカフェは混んでいて、列が道路までずらりと並んでいる。
老若男女様々な人がいる。一体人間はどこから湧いてくるのか、どの星も大抵人間が一番蔓延る種族なんだよな。
カフェの隣にも建物がある。こちらもお洒落な建物だ。フランス語で『小鳥の畔』と書かれている。
「まゆ、1時間で入れ替わりだって」
「あぁ、ならついでにお昼ご飯食べる?」
「でもホットサンド食べて欲しかったのよ⋯⋯」
「本番いつ?」
「次の水曜日なのよ」
うーん、確かに直近ではあるな。
ここで食べたら柚姫は無理か。そんな食べるタイプじゃないもんな。俺は多分いけるけど。
あ、でも。
「昼はここで食べて、夜はホットサンドにしたら?」
「夜までいてくれるの?」
「構わないよ。夜なら森谷さんも帰ってくるだろうから、せっかくだから色々試してみよう」
並んでも入りたい店だったんなら、試したいメニューがあるんだろ。
「ここでは好きなの頼めばいいだろ。その方が並びがいあるんじゃない」
帰りにぶらぶら寄り道してれば、そのうちお腹も落ち着くだろ。
今日は寒くなくて良かった。列が長かろうと苦でも何でもない。ただ、柚姫が疲れなきゃいいけど。ちらりと見下ろすと、俺の方を見ていた柚姫とがっつり目が合った。
ついびくっと肩が跳ねてしまった。ダッサ!それでも顔を背けるのは悪い気がして、目線だけおでこへ逸らせる。
「まゆ、デート慣れてる?」
「はっ!?し、したことないけど!?」
「だってもっと挙動不審になると思ったのに⋯⋯」
俺的にはだいぶ挙動不審かと思いますけどね。
前に並ぶ人の肩が震えている。後ろの人やべぇ奴だって思われてるきっと。
「柚姫が喜ぶと思ったことをやってるだけだよ!」
「そういうところよ!」
「ど、どういうところ?」
「⋯⋯っ悔しいのよ〜⋯!」
そんなこと言われても。
柚姫以外好きになったことがないから最適解が分からない。俺のやり方は間違ってたってことか!?
「ご、ごめん⋯⋯?」
「謝ることではないのよ」
「はい」
「まゆ、⋯かっこいいのよ」
は?
やっべぇ一瞬宇宙が見えた。かっこいい?俺が?言われたことないよそんなこと。
見下ろす柚姫の頬が赤くて息が詰まる。見た目はずっと変わってないはずなのに、見せる表情がどんどん大人っぽくなっている。
列が進んで、前の人と距離があく。俯く柚姫の手を引いて、コンクリートを歩く。
「柚姫だから頑張ってるだけだよ」
「⋯⋯お兄ちゃん、女の子になったけど」
「あぁ、さっきもそうだったな」
「お兄ちゃんには頑張らない⋯⋯?」
「あいつの場合、むしろ頑張って欲しいのはあいつの方なんだよなぁ。この間もロクに説明もせずA地区ウロウロするって宣言して大変だったんだから」
「それはお仕事のこと⋯⋯」
言って、柚姫はふふっと声を上げて笑った。
顔を見られない。笑顔は破壊力が強すぎて召されてしまう可能性がある。
「まゆは、お兄ちゃんとはデートしない?」
「全然したくない。あんなどこ行くか分からん奴連れてデートしたいなんて、木戸くんが頭おかしいだけだよ」
「ゆずとはデートしたい?」
聞かれて、喉が締められたように言葉が出なくなった。
顔が熱い。何でそんなこと聞いてくるんだよ。そんなこと改めて聞かれると、兄と妹のお出かけじゃなくなってくるだろ。
「ふふ。まゆ、顔真っ赤なのよ」
「すみません⋯⋯」
「次は遊園地に行きたいな」
「さすがにハードル高いです」
「じゃあ植物園がいいのよ」
「それくらいなら⋯⋯」
つい答えてしまって、はっとする。柚姫は、イタズラが成功したようににんまりとした顔で俺を見上げていた。
「今日買った服着てきてね」
「⋯⋯はい」
次のデートも了承せざるを得ない状況を作られてしまった。
いつの間にこんな策士になったんだ、こいつ。
柚姫はカフェでたくさん写真を撮って、ランチメニューとケーキセットとお目当ての生ドーナツプレートを頼んで大満足な顔をしていた。
俺は柚姫が残したものを平らげる係だ。どれも美味しかったけど、俺的にはちょっと物足りない。カフェのご飯って見た目綺麗なんだけど量が少ないんだよな。
カフェを出て、柚姫と森谷さんが住むマンションへ向かう。途中でスーパーに寄って、必要そうな食材を買い込んでいるとどこからともなく森谷さんがやって来た。荷物持ちに出てきたのかと思ったので遠慮なくスーパーでの荷物は全てお任せする。
買ったばかりのホットサンドメーカーを軽く洗って、柚姫が呪文を唱えながらスイッチを入れる。
待っている間、テレビを付けるとCMに志賀龍司が出てきた。そう言えばこの人も香流とデートしたんだっけ⋯⋯正気の沙汰じゃないな。
「この子も島に来るんだっけ?」
「この子って⋯⋯。人間の縮尺で物事を話せよ」
「じゃあ俺は人間だと何歳?」
「柚姫達の父親なら50歳くらいじゃね」
どうでもいいので適当に答えておく。どうせ見た目歳取らねぇんだから何でもいいだろ。いいなぁ魔族ってやつは。
受肉しないと地上で行動出来ないってシステム作ったの誰だよ。俺だったわ。あの時は俺が地上に下りるなんて思ってなかったもんなぁ〜!
「再来年になったら鴫がこっちに来るんでしょ?」
「あぁ、どこかで家借りるってさ。両親とは住まないみたいだよ」
「まぁご両親は東京住みじゃないもんね」
「そ。せっかくだったら他の国にも行きゃいいのにな」
木戸くんと言い、鴫と言い、離れても島の近くにはいたいんだな。
しかも通う大学も同じ。そういや結構仲いいんだっけ、あのふたり。鴫が木戸くんに懐いてるのがちょっと⋯⋯いやかなり不安だ。
「学部は違うけど、目指してんのは同じ大学だから色々木戸くんに教えてもらってるみたいだよ」
「木戸⋯⋯」
「こら、闘志を燃やすな」
「―――できた!」
柚姫の声がして、俺達は視線をホットサンドメーカーへ向けた。
森谷さんの家はリビングにテレビがあるから、後ろでテレビの音が聴こえている。柚姫はキッチンから嬉しそうに出てきて、「じゃん!」と皿に乗せたホットサンドを見せてくれた。
見た目はきちんとホットサンドに見える。両端も閉じられて、綺麗に見える。
見た目は、食べ物だ。森谷さんと顔を見合わせる。さて、どちらから行くか。三日三晩のたうち回った悲劇はまた繰り返されるのか。
「上手に出来たな、柚姫」
「うん!まゆ、食べてくれる?」
「よしきた」
任せろ。ちゃんと胃薬が救急箱に入ってあるのをチェック済だ。
まだ熱いけど、手に持って勢いに任せてかぶりつく。あっつ。⋯⋯でも、ちゃんとハムとチーズの味がする!
「美味い!」
「ほんと!?」
「柚姫が人の食べられるものを作れるなんて⋯⋯!」
森谷が感動している。俺も同じく感動して、胸がじぃんと熱くなった。これは多分ホットサンドのせいだな。
「機械に任せたら作れるんだねぇ」
「細かく設定を聞いた甲斐があったのよ!」
「美味いから、他の食材も試してみたいな」
まぁ賢吾なら一秒持たずに壊すだろうけど。アイツは料理の神に見放されている。炭になったホットサンドが思い浮かんで心の中で合掌しておいた。
「なぁ、俺も試していい?」
「いいのよ!」
「楽しそうねぇ」
見ているだけの森谷さんも楽しそうだけどな。それにしてもパンってあんま腹にたまらない気がする。今日は余計な力は使っていないはずだけど、島から離れると結界維持に使う力が余分に食われてんのかもしれない。
パンならさっき死ぬほど買ったし、死ぬほど食おう。この面子なら遠慮もいらない。
「柚姫、次は俺が作るよ」
「可愛いのがいい!」
「急にハードル上げてくるじゃん⋯⋯」
「なぁ、お前らいつ結婚するの?」
ねぇ、いきなりなんの爆弾?
手榴弾が来たよ。手が止まったわ。聞こえなかったふりして動きを再開した手が震えている。
「けっこん⋯」
話を蒸し返さないでください、柚姫さん。
バナナを剥く手が言うことを聞かない。なんとかバナナを剥き終えた俺は、その柔らかい実を食パンの包容力で包み込んだ。
「子どもの時に言ってたじゃん。柚姫のお嫁さんブームの時に、香流と賢吾は家族だから雲雀と結婚するって」
「いつの話を出してくるんだよ⋯⋯」
いやそれは覚えてるけど。小学校1年生の時の戯言だろ。
あー、やだやだ。大人ってつい最近のことのように昔のことを確定事項で話すけど、俺にとっては子どもの頃の記憶なんて半分時の彼方だ。その件は覚えてるけど、俺がなんて言ったかまでは覚えてない。
消去法じゃねぇか、とかだったかな?
まだ子どもだから無理、とかだったっけ。
人の記憶なんて案外曖昧なもんだ。でもその話を受けた記憶はないぞ。あの時の俺はまだそんな病的じゃなかったもん。
「だいたい、黛雲雀はじいさんになったら死ぬんだよ。柚姫だって嫌だよなぁ」
「嫌じゃないのよ」
「えっ」
耳を疑った。
それと同時に思い切りホットサンドメーカーに指を挟んだ。いってぇ!!
「雲雀⋯⋯何やってんの」
「今の俺の知能指数は赤子同然」
「まゆ、全然わかってないのよ。ちゃんと考えてね。宿題よ」
「⋯⋯はい?」
脳内が沸騰している。
いや、え?分かるよ。分かりますけど、分かっていいの?
解は出ても、それを飲み込むのは別の問題だ。ぐちゃぐちゃの回路構造がアウトプットを阻んでいる。
「パパ、パンに合うおかず食べたいのよ!」
「何がいい〜?シチューでも作ります?」
「賛成よ!」
勝手に話を終えられて、勝手に話を変えられている。
宿題、宿題ね。昔俺が柚姫によく言ってたな。結局一緒にやってたけどな。
宿題なら今考えなくてもいいな。
怪我したのが利き手でなくて良かった。腫れた右手の人差し指が痛くてヒリヒリする。
「まゆ、冷やす?」
「このくらいすぐ治るよ。柚姫も気をつけて使えよ」
「はーい!」
顔さえ見なきゃ普通に会話は出来る。それからいくつかホットサンドを作って、森谷さんが作ってくれたブラウンシチューを取り囲んで3人で夕食を取った。
初めて柚姫がお酒を飲んでるのを見たけど、カクテルサワーを3杯も飲んでいたけど平然としていた。香流と賢吾が弱すぎるんだよな。ぶっ倒れて爆睡していた兄ふたりを思い出す。
ふたりとは玄関先で分かれて、紙袋を手に下げて駅までの道を歩く。顔に当たる夜風が心地いい。
ふたりが住んでいる家から、島へ続く駅に向かうまでは電車ひとつだ。日が変わるまでには帰れるな、と思っていたら道の目の前に人だかりを見つけた。
マイクを持っている人、カメラを抱えている人。
それも複数いる。通り際に覗くと、その中央には茶色い制服を着た男の子が困った顔で手や首を振り続けている。
その子と、バチ、と目が合った。
「あ、友達が来たんでこれで!」
「は?」
男の子がカメラマンを押しのけてこちらへ駆けてくる。俺と同じくらいの背丈で、中学生か高校生くらいかな。柊が愛読している少女漫画のヒーローのような爽やかなイケメンだった。
「助けてください」
イケメンの男の子は俺の背中を押して、小さな声で呟いた。
なるほど、何らかのトラブルに巻き込まれてるのかな。俺は咄嗟に男の子の手を取って、全力で走り出す。
「俺は警察だ。ひとまず安心していいよ」
「あ、はい!」
「多少驚くこともあるかも知れんけど、守ってやるから心配すんな」
後ろから人が追ってくる。俺は空間を縦に切り裂いて、身体を捩じ込んだ。
男の子が抜けた瞬間、空間を閉じる。辿り着いた駅のホームが騒がしくなるけど、無視して電車へ乗り込む。
人混みの中で、男の子の手を離さないように集中する。周りの誰かは俺達を不思議そうに見ているけれど、話しかけては来ない。無用なトラブルに巻き込まれるのは勘弁だからだ。
「君、家族は?」
「⋯⋯今は、いません」
「なるほど。ならうちで引き受けてやろう」
俺が言ったタイミングで、ふ、と人混みが掻き消える。
男の子は目を見開いた。大きな瞳を忙しなく動かしている。電車の中は俺と男の子だけで、向こうの車輌に数名の人外がパラパラと見えた。
「き、消えた⋯⋯?」
「消えたのは俺達の方かも知れないけどね」
男の子から手を離して、臙脂色のソファーに腰掛ける。
隣に座るように示して、俺は両手を組んだ。
「さて、詳しい話を聞こうか。訳ありの少年」
白兎事件編読んでいただきありがとうございました!




