白兎事件編47(その後・6/石田と川崎・黛雲雀)
止まった針が進むお話。
物騒な警察庁内です。
(石田)
初めて会った時に、瞳の色素が薄くてとても綺麗だなと思った。
剣道部なのに眼鏡をかけていて、家族の話をするのがすごく楽しそうで、賢いのにキツい筋トレにしがみついて、気が付けば俺も必死で追いかけていた。
その甲斐あってリンゴなら片手で潰せる。羨ましがる香流がおかしくて何個も潰していたら、普通に怒られた。そしてそのリンゴはジャムになった。
「期末テストがやってくるぅ⋯⋯!」
賢吾の家のテーブルに突っ伏して、パソコンのキーを無駄にカタカタと動かす。
前に座る賢吾は、静かに本を読んでいる。いつもの事ながら全然聞いてない。
「ねぇ、聞いてますかー」
「頑張ってください」
「手伝ってぇー」
「何でみんなして俺に仕事頼んでくるの⋯⋯」
呆れながらも、本を畳む賢吾は優しい。
はぁー、好き。ふたりになると塩対応になるのもほんと好き。
異次元に綺麗な友人がいれど、俺には賢吾が一番綺麗に見える。何より性格がいい。内面の美しさが見た目に反映されているとても良い例だと思う。
「今日は真面目に仕事するんだね」
「在宅ワークってやつですよ。一度体育館を全壊するんだってさ」
「あぁ、香流から聞いたよ。体育館だけで済んで良かったね」
「今週いっぱい学校行けないから、生徒達もお休みだよ。子ども達喜んでたんじゃない?」
「今日は朝からクラスメイトとカラオケ行くって連絡があったよ。楽しめているようで良かった」
賢吾が柔らかく微笑む。ずっと翔真くんと晃くんのこと心配してたもんな。普通の学生生活送れるようになって良かった。
「香流は?」
「仕事に行ったよ。久しぶりの仕事だからもみくちゃにされるんじゃないかな」
「うはは。アイツ人気者だもんな!」
特に老人と子ども受けがいい。ばあちゃん達なんかファンクラブ作ってるって生徒達から聞いた。
香流と話をして、胸のつかえがとれた俺はとても晴れやかな気持ちでいた。女バージョンの香流は慣れないけど、暴走している志賀先輩と木戸くんを見るにすごく可愛いんだな。俺には良く分からない感覚だけど。
「で、どこを手伝えばいいの?」
「俺は文章題考えるから、はじめの計算式作って」
「ご褒美は?」
「何でも好きな本を買ってあげよう」
「1冊で足りるかなぁ?」
あ、その顔めっちゃ好き。
ギュンって心臓が鷲掴まれた。男に戻ってから賢吾の可愛さが天井知らずなんだけど。俺こんな賢吾のこと好きだったっけ?
いやー、マジで賢吾が俺が戻った事実を受け入れてくれて良かった。正直、LINEを打つ手が震えていたことを俺は誰にも打ち明けていない。
男に戻ったよ。
おめでとう。
その一言だけのやり取りで、恋人関係を継続するか否かはまだ話せていない。
あの飲み会の日も、やっぱりチューハイ1杯で潰れてたもんなー!早めに水飲ませたはずなんだけどなー!
少し前まで賢吾の家は香流と柚姫がよく来ていたのに、今はめっきり遊びに来なくなってしまった。
代わりに、香流の家にみんな集まっている。今は香流の家にも柚姫の家にも誰もいないけど、その家とももうすぐお別れだ。
フロアの壁をなくして、香流と柚姫と賢吾、そして翔真くんと晃くんの5人暮らしになる。
そして、廊下の奥側には志賀家が住む、と。
いやぁー、このタイミングで戻る!?どうせなら春先の方が良かった!
そしたら一緒に暮らしたかったなんて欲は出なかったのに!どうして男の体はこんなに言うこと聞かないんだ!良く我慢してたな賢吾!
賢吾って多分ストレートだよな!?俺が戻ったらどうなんの!?香流は俺と賢吾がお付き合い継続だと疑ってなかったけど、アイツ恋愛に関してはなんも考えてないもんなぁー!
わざわざ白紙の紙を持ってきて、手書きで計算問題を考えてくれる賢吾に胸が疼く。
いやだなぁ、別れたくない。せめて友達ではいたい。
でも、そうなったら賢吾は普通に女の子と結婚して、ごく普通の幸せな家庭を築くんだろうな。
俺には無理だった。どう足掻いても俺は女にはなれなかった。
きっと、それが答えだとはもう理解はしている。
こんなことなら、飲み会の時木戸くんの質問を遮らなければ良かった。日和ってカミングアウトする形になってしまった自分を恥じる。まぁ、みんな普通に受け入れてくれたけど!
木戸くんの質問、俺ももっかい賢吾に聞きたい。
「川崎さんは、男の子もイケる口ですか」
今更ぁー!?今更それを聞くの!?
どんな顔で?どのタイミングで?一緒に暮らしたいって提案流されたのに!?
「なんも思い浮かばん⋯⋯!」
「ねぇ、いくつ問題作ればいいの?」
「高1から高3まで全範囲、10問ずつでよろしく」
「注文の多い⋯⋯」
賢吾、相変わらず字綺麗だな。香流はめちゃくちゃ字汚いのに。
ふと、香流の話を思い出した。
俺に話してもいいと思ってくれた。俺を自分のテリトリーに入れてくれた。
嬉しかったなぁ。あんな過酷な経験、誰にでも言える話じゃないだろうに。
「香流から昔の話聞いたよ」
パソコンから目を離さずに、俺は端的に告げた。
視界の向こうで賢吾の手が止まる。何となく顔を見れずに、独り言のように話を続ける。
「香流、妙に潔癖症なところあるもんな。中学の時、修学旅行ですげぇ綺麗に身体を洗うから香流らしくないなと思ってたんだよ。高校入っていきなり出来た壁の理由も分かった。⋯⋯俺は聞いたけど、聞かなかったことにしようと思ってる」
「どんな話だった?」
悲痛な声に、視線を上げる。
そりゃ、そうだよな。
苦しかったのは賢吾だって同じだ。大事な人を助けられなかった後悔は俺にだってよく分かる。
自分だけが何も被らず、ぬくぬくと生きている現実。
「香流の許可がないのに話せないよ」
「⋯⋯うん」
「でも、もう大丈夫だって言ってた。大丈夫じゃないだろうけど、きっと乗り越えてる途中だと思うよ」
賢吾は立ち上がって、こっちに歩いてきた。
何となくしたい事が分かって、手を広げる。額を肩口に乗せてくる賢吾の頭を撫でて、背中に手を回す。
「見守るだけも、辛いよなぁ⋯⋯」
中学の時の、時々暗くなっていた賢吾の表情が鮮明に思い出せる。
家族の話をする時はすごく嬉しそうなのに、時折見せる沈んだ表情が気になっていた。母さんに話したら、「何でも知るのが友達じゃないよ」と言われたので聞かずにいたけれど。
母さん、正解だったよ。
簡単に踏み込める話じゃなかった。あの時軽々しく口に出していたら、きっと今はなかったと思う。
「賢吾も、よく頑張ったな」
眼鏡を外して、テーブルへ置く。
しっかり抱き締めて、賢吾の顔を隠すように腕で覆う。固くなって申し訳ないけど、賢吾が弱音を吐けるのは俺だけだろ。
恋人以前に、俺達は親友なんだから。
「これからも俺達人間が頑張って支えてあげような!」
「何も出来ないのに⋯⋯」
「俺達が命を全うすることが大事なんだよ。長生きしような」
いつか、必ず置いていく事になる。
だからこそ、生きてる間にたくさん思い出を作るんだ。アイツらが一生忘れられないくらいに。
「まずはその前にテスト問題作成ですけど⋯⋯」
「せっかく格好良かったのに」
「文化祭に命かけすぎた成果だな」
「それは成果と呼ぶのかな?」
額を合わせて、ふっと吹き出す。
かと思えば頬にキスされた。おぉ?今度は額にもキスが降ってくる。
俺は上がる口角を抑えきれず、賢吾の後頭部を掴んで唇を合わせた。
「⋯⋯なぁ、先に進んでいい?」
「仕事終わったらね」
俺の前に天使がいる⋯⋯。
よっしゃ、やる気出た!今の俺は冴えている!
もっかいしようと思ったら、玄関が開いた。さっと賢吾の後頭部から手を離す。
「賢吾くん、拓次くん、お昼休憩にしますー?」
愛敬ちゃんを先頭に、後ろに香流と木戸くんもいる。
3人とも警察庁の制服だ。
「木戸くん、制服超似合うね!」
「そのお陰で午前中全く仕事になりませんでしたけどね!」
「ドアの向こうがうるさくて申し送りが出来ないって柊先輩静かにキレてましたよ」
「俺のせいじゃないですぅー」
「良かったなぁモテて」
「先輩のヤキモチ可愛すぎん?ほら、妬かないで一緒にご飯作ろ」
「妬いてない!」
ぷいっと顔を逸らして、キッチンへ向かう香流には今日は胸がない。
いつもと若干骨格も違う。賢吾と一緒にじっと見ていると、香流はドヤ顔で手のひらを出してきた。
「向こうの世界の大和を参考にした!これで完全に男だろ!」
「う、⋯⋯うん?」
何か言おうとする俺に、木戸くんがしーっとジェスチャーで止めてくる。
愛敬ちゃんはさっと口元を押さえた。これは笑いを堪えるポーズだ。
「今朝木戸と愛敬と一緒に調整したんだ!これからはこの姿で働く!」
「あ、うん。可愛いと思うよ」
「先輩、何作る!?俺カツ丼食いたいなぁ!」
迂闊な賢吾に被せるようにして、木戸くんが大きな声を出しながら冷蔵庫を開けた。
ごめん、俺も笑いそう。本人真剣なんだけど、顔変わってないから正直一切変わってないようにしか見えないんだけど。
むしろ今までが細すぎたんじゃない?今も細いけど、健康的に見えなくもない。本人嬉しそうだから何も言えないけど!
「ヒレ肉しかないけど」
「ヒレカツ美味しいからいいんじゃない?」
料理の話題につられて香流の思考が飛んでいった。良かった、笑わずに済んだ。愛敬ちゃんと目が合って、お互いサムズアップする。
「解呪の魔石はどうしてるの?」
「将次が管理してる」
「将次、優秀だな」
「あ、ルフ帰ってきた。ルフもご飯食べる?」
言ってた通り、警察庁では男で貫くんだな。土日は女でいくのはA地区に赴くためだと聞いた。
俺にとってはあまりいい印象はないけれど、前に会ったあの女の子のためだと言う。
ロゼッタちゃんだっけ?学校にも行かず、A地区でどう過ごしてんのか⋯⋯。母さんの仇だけど、俺は口を挟めない。みんなの動向を見守るだけだ。
「賢吾と石田もヒレカツでいい?」
「うん」
「大盛りで!」
「大盛り⋯⋯じゃあエビフライ追加するか」
「香流くん、私はヒレカツなしでエビフライがいいです!」
「はいはい。木戸、サラダよろしく」
「愛を込めて作るね」
「普通に作れよ」
軽口を叩き合いながら、ふたりは楽しそうにキッチンに立つ。あ、椅子足んないな、と思っていると、簡易の折りたたみ椅子を賢吾が出していた。さすが、仕事が早い。
「ここがなくなったら昼休憩どうしましょうかねぇ。タナさんにお弁当作ってもらいましょうか」
「あぁ、それなら俺が弁当作ろうか?」
「俺も!」
「俺も」
「えー?じゃあやっぱり俺もまゆの家行こうかな」
「俺が届けるのでご心配なく!」
木戸くん、必死だな。そんなに必死にならなくても、俺は大丈夫だと思うんだけど。
テーブルの上の仕事道具を片していると、愛敬ちゃんが俺と賢吾の間にひょこっと割り込んできた。
「私達はデザートにアイスでも買いに行きましょうか」
愛敬ちゃんが木戸くんに優しい⋯⋯!?
「香流はミルクだな!」
「あ、うん」
「木戸くんは何!?」
「新しいのがあったらそれがいいでーす。なければ適当で」
「よし、賢吾行こう!すぐ行こう!」
「もう、落ち着きないなぁ⋯⋯」
3人で連れ立って、家を出る。
吹く風はもうすっかり秋だ。んーと伸びをして、階段へ向かって足を向けた。
★★★★★
(黛)
最高に居心地が悪い。
何故みんなして俺の部屋に集まってくるのか。電子機器があるから正直出て行って欲しい。
モニターの前で、心臓に毛が生えた柊が黙々と仕事をしている。今はニールに入っている店舗の一覧表を、名前順ではなく分野別に区分分けしている。
「よし、休憩時間だから家に帰ってくる」
「柊様」
「何、黛統括地区長」
「俺を置いて行かないで」
退出しようとする柊の腕を掴んで、懇願する。なんなら土下座も辞さない所存だ。
「私は帰ってベルガモットちゃん(猫)とランチをしたい」
「じゃあ俺も行く!」
「男性を家にあげるのはちょっと⋯⋯」
「お前この前香流を家にあげてたじゃん!」
「柚木地区長の分類は男性には入らない」
それは本人が聞いたら凹みそうだなぁ!
あぁ、柊が出て行ってしまった。アイツ振り返りもしねぇ。
落ち込む俺の肩をぽんと叩いて、志賀龍司はにこやかに微笑む。
「まぁ、仲良くしようじゃないか!」
「香流は賢吾の家にいますよ!」
「知ってるけど。昼はお家でご飯食べてるって教えてくれたもの」
スマホに口付ける姿が様になっている。ムカつくなぁ、高身長イケメン俳優様よぉ。
「律儀に返事返してくれて可愛いのよ」
「いいなぁ、連絡先知ってるの」
また増えた。
部屋を出て行こうとする俺の腕を掴んで、加瀬がニコニコしている。何でコイツはここにいるんだ。現世へ帰ったはずなのに!
「なぁ、俺の平和な職場にお前らが揃うのは勘弁なんだけど!」
「まぁまぁ、俺の親みたいなものじゃないの」
「お前の生存に関して俺は一切関与してない!!」
「ニケは生真面目だからねぇ」
「軽率にその名前で呼ぶな!」
ゼェゼェと肩で息をしながら、ふたりを見上げる。
腹立つぅー!でけぇー!悪かったなど平均男子で!
「もう帰って!」
「何で?」
「何っ⋯⋯!?ここは俺の領域だからだよ!ふたりして人の結界スイスイすり抜けやがって!」
「だって黛くんの術はひねりがないから法則性が分かりやすいんだもの」
「お前なんか大っ嫌いだ⋯⋯」
どうせ独創性なんてものは皆無だよ。だって俺は平均男子だもの⋯⋯。
「それはそうと、随分と独創性のあるプレゼントをくれたね」
柚姫が撮った動画のことか。
つい口角が上がる。プライドの高い加瀬の事だ。各方面から糾弾されて腸が煮えくり返っているに違いない。
なんせ、加瀬が消したのは日本のトップだ。
あれから日本は島へ手を出している暇なんてないくらいに混乱の渦の中にいる。香流から手を引いたのもそれが原因だろう。
「人の記憶は弄れても、映像媒体は根元から根絶したところで他の土から生えてくる。まるで雑草だね。上手くやったものだ」
「だろぉ〜?柚姫は大気に溶け込めるんだ。だって柚姫は自然の管理者だからな」
「何故君が偉そうに⋯⋯あぁ、なるほど。君はあの子に愛欲を抱いているんだね」
「言い方に気をつけろ!」
愛欲なんか抱いたことねぇわ!こちとら顔見るだけで精一杯なんだよ!!
加瀬は虫けらでも見るような目で俺を見下ろしてくる。俺は目を逸らした。だって好きになったのは人の時だったんだから仕方ない。
「純粋だとは思ってたけど、まさか20年近く傍で過ごしていて何も出来ないとは⋯。君を軽蔑するよ」
「うるせぇわ!」
「でも楽しいよね、成就するまでの片思い期間!」
「うるせぇわ!」
なんか慰められんのも腹立つ!
「奇っ怪な現象は人の頭で理解は出来ないものだ。どうにかして辻褄合わせをしようかと思っていたけど、存外日本に住む異界のものが扇動してしまってね。この姿を捨てなければならなくなってしまった」
「は、はーん。香流は妖怪の長に愛されてるからな。ダブルパンチでざまあみろだ」
「だから、使えるものはないかと思って⋯。その昔、行方不明になって生死の分からなくなっている子どもなんてどうかな?」
一気に大気を凝縮させる。
加瀬の目の前に叩きつけると、加瀬は笑顔のまま指で弾いた。それを志賀龍司が手のひらで受け止める。
「痛ぁい⋯⋯」
「パソコン守ってくれてどうもありがとう」
「どうやら君への嫌がらせにはなるみたいだね」
「絶対に許さねぇぞ。賢吾を冒涜するな」
「賢吾?なんで川崎?」
あぁ、志賀龍司は知らねぇのか。
さっき助けてもらったお礼に教えてやるか。どうやらコイツはこちらの味方のようだしな。
「賢吾は捨て子だ。森で暮らしていた香流が助けて一緒に暮らしていた。本名は峯岸全。今も日本では行方不明として処理されてる」
「なるほど、それは確かに使い勝手が良さそうだ」
志賀龍司はにこりと微笑んだ。
瞬間、加瀬の周りの空気が歪む。これは無重力空間か?慌ててパソコンの周りに結界を張る。
「川崎はダメだよ。川崎は俺の大事な後輩だ。それに、そんなことをすればあの子が悲しむ」
「随分入れ込むね」
「息子がお世話になっているからね。ふたりには笑顔で過ごして欲しいのさ」
加瀬は肩を竦めると、志賀龍司の形成した何かを消し去った。
良かった、電子系統は無事だ。俺にとっては命と同じくらい大事な我が子達だもんな。はぁーとため息が零れる。
「なら別の何かを使うよ。黛くんはともかく、龍司は敵に回したくないからね」
「オイ」
「うふふ。光栄ですわ」
「でも、この姿も気に入ってるんだよ。正史の世界ではあの子の旦那様だからね」
加瀬はニコニコしながら、左手の薬指を指さした。
腹立つけど、結界を維持している以上俺はコイツには勝てない。仮に全力で向かったってこの身体が持つか分からない。
もう香流を連れて行かれることはないからどうでもいいけど、あまり居座られるのはいい気がしない。
そして一切帰ってくる様子のないあの魔王にも腹が立っている。アイツ体良く逃げやがったな。
「さて、何も好き好んで君に会いに来たわけじゃないんだよ」
「俺もお前になんか会いたくねぇわ!」
「同盟を組まないか?僕も奴らのやり方にはほとほと呆れているんだ。上手く癌は取り除けたようだけど、まだまだあの子には敵が多い」
「同盟⋯⋯」
ベリアルの気配が消えたのは、恐らく柳瀬くんが取り込んでいるからだ。
神を超えた存在は死ぬことは無い。俺も然り、加瀬も然り。そして、志賀龍司も然りだ。
「あの子の周りには面白い子が多いね。神に等しい力を持つ天使に、ベリアルの半身、全てを飲み込む強欲。そして地球とは異なる世界の女神。よくあそこまで集めたものだ」
「いや、それに関しては勝手に寄ってきただけだよ⋯⋯。俺は一切関与してない」
「あの子も困った子だねぇ」
香流が中学生の時に呑気に過ごしながら集めたメンバーだ。紹介された時には俺も度肝を抜かれた。森谷さんは電話越しに爆笑していた。
「全員香流に心酔してるからな。ちょっとやそっとの障害じゃ香流は討てないぞ」
「すごいよね、誰一人取って代わろうという魂胆がないなんて。特に強欲の彼は物凄い精神力だ。感心するよ」
「木戸くんは香流以外に興味ないからなぁ」
ふたりで話したのは『白百合の純潔』事件が初めてだったけど、俺が漏らした神の気配を木戸くんは誰にも話さなかった。
口が堅いのは信用に値する十分な条件だ。神の席が空いたら俺は是非彼を押し上げたい。
「まぁ、彼の全ての欲があの子に向かってると考えるとゾッとしないでもないね」
「⋯⋯⋯」
そこはノーコメントで。
「龍司。あの子に笑顔で過ごして欲しい点は僕も同意するよ。あの子は笑顔が似合う、光そのものだ。この星がなくなったあとは僕が引き取ろうと思っている」
「いや、何でだよ。俺が柚姫と合わせてふたりとも連れていくよ」
「愚直な力の使い方しか出来ないニケにふたりは重いよ」
「あ?人の身体さえなければ力は対等だろ、クロノス」
「喧嘩ばっかりねぇ、アンタ達⋯⋯」
ついに志賀龍司に呆れられてしまった。
どうにも加瀬とは相性が悪い。鼻にかかった言い方をする加瀬に神経を逆撫でさせられる。昔から合わないと思っていたけど、コイツとは本気で合わねぇんだな。
「同盟の件は合意してやる。ただし、島の中は俺の領域内だ。勝手な行動は慎めよ」
「もちろん。ここにいる以上君の指示には従うよ」
「香流のことは現世の人間に漏らすなよ!また寄越せって言ったら同盟なんか破棄してお前を潰しに行くからな!」
「君の大事な妖精姫に危害が及ばなければいいね」
「―――てめぇ!」
「もー、喧嘩しないの。もうすぐあの子が帰ってきちゃうよ」
はっとして口を噤む。睨み合いながら無言でいると、志賀龍司は呆れ顔で肩を竦めた。
「ともかく、あの子はここにいれば安全なんでしょう。俺達は普段通りの生活を守れるよう尽力するってことでいいかな?」
「⋯⋯せめて、賢吾が死ぬまでは穏やかな暮らしを続けさせてやってくれ」
これは、俺の我儘でもある。
場所が変わっても、あの日々を続けたい。温かくて笑顔に満ち溢れていた、泣きたくなるくらい穏やかな時間を失いたくない。
ガチャ、と扉が開いた。目を向けると、弁当箱を持った香流がぽかんとしながら俺と志賀龍司と加瀬へ視線を移す。
「香流、愛敬と木戸くんは?」
「A地区長室で仕事の話してる。まゆが昼ご飯食べてないかなと思って弁当持ってきたんだけど」
もう、ほんといい子!!
「ごめん、弁当ひとつしか持ってきてない⋯⋯」
「そんなこと気にしなくていいから!ありがとうね!」
駆け寄って香流から弁当箱を受け取る。まだほんのり温かい弁当箱からいい匂いがする。一気にお腹が空いてきた。
「こんにちは。今日は男の子なんだね、香流ちゃん」
俺の上に志賀龍司がのしかかってきた。非常に重い。
「龍司さん、夜はちゃんと寝なきゃダメだぞ」
「やだ。心配してくれるの?ありがとう」
「まゆと何の話してたの?」
心配そうな顔して。香流の中では俺は非力な人間だもんな。
いや、実際非力な人間だけど。結界維持のせいでロクに力を使えない。さっき加瀬に攻撃したのと電子系統に結界を張ったので余分に力を使ったから正直倒れそう。
「ご挨拶してたんだよ。香流ちゃんの家族とお友達になりたくて」
「そっか。良かったな、まゆ」
「今度子ども達連れてハイキングでもしない?久しぶりに史磨山に登りたいなぁ」
「いいよ。夏椎達、今週学校休みって言ってたから。喜ぶと思う」
「香流ちゃんも来てね」
「俺は仕事だけど⋯。まぁ、見回りのついでに見に行くくらいならいいよ」
「ねぇ⋯⋯どいて⋯」
非力な俺が押し潰されちゃう。顔を上げられない俺の上で、勝手な話が進められていく。
「柚木くん。君のお陰で改心したから何かあればいつでも呼んでね」
「あ、うん?俺なんかしたっけ?」
「困ったことがあったらいつでも頼ってね。だから連絡先教えて」
「それは別にいいけど⋯⋯。加瀬さん忙しいんじゃねぇの?」
「君のためならいくらでも時間を割くよ」
「無理しすぎて倒れるなよ」
止めたいのに止められない!コイツら好き放題しやがって!
また扉が開いて、今度は「あー!」と木戸くんの声がする。
「どうりで帰りが遅せぇなと思ったら!先輩、こんな不埒な大人に騙されちゃダメですよ!」
「俺も大人だ!」
「この空間だけ巨人族の間ですかね?雲雀くん、可哀想に⋯⋯」
やだ、泣きそう。脳みそ筋肉の愛敬に憐れまれるなんて俺可哀想。
「もう俺C地区長室でご飯食べる。部屋貸して香流」
「うん。じゃあな。龍司さん、加瀬さん」
あぁ、付いてきてくれる香流の優しさが身に沁みる⋯⋯。
龍司さんを振り払ってB地区長室を後にする。なんかまだ話してるけど、あとは木戸くんと愛敬に任せよう。
「お前、本当に加瀬さんと連絡先交換したの?」
「したよ。あの人、悪いやつじゃないだろ」
「お前の基準がよう分からん」
C地区長室のドアを開けると、がらんとした中がとても落ち着く。
珍しくテーブルが片付いている。⋯って、片付けたのは木戸くんか。香流はいつも四隅に物をどけるだけだもんな。昔からキッチン周り以外はがさつだもんなぁ。
パイプ椅子を片手に持って、テーブルの前で開く。俺が座っても座ろうとしない香流を促すと、大人しく席についた。
弁当を開けると、ヒレカツの卵とじとご飯が入っていた。甘い匂いが俺好みだ。
香流は何か言いたそうな顔をして、弁当を食べ始める俺を見つめている。俺が何も言わずに香流の言葉を待っていると、香流はおずおずと小さく口を開いた。
「⋯⋯まゆは、死なないの」
そりゃ、聞きたいよなぁ。
だから知られたくなかったんだ。黛雲雀として、香流のそばにいられる時間は長くはないって。
「俺は人間だよ。当然寿命も人間だ」
「⋯⋯そっか」
「だから残せるもんはたくさん残してやるよ。俺がいなくても警察庁を維持できるようにしといてやるから」
「嫌だ」
香流の作ったご飯は美味しい。
優しくて、心も満たされる。これを手放すのは惜しいなと俺だって思うよ。
「すぐ還ってくるって言ったろ」
俯く頭を撫でて、もう見慣れた黒髪を梳く。
「新しい肉体を見つけたらすぐ戻るから。受肉しないと地上で活動出来ないんだよ、俺は」
「それって、見た目は変わってもまゆってこと⋯⋯?」
「そういうこと。だから、安心しろよ」
少しは安心したのか、香流が眉を下げたまま顔を上げる。
可愛いやつだ。つい笑ってしまう俺だって、香流に魅入られたもののひとりだ。アイツらのことは全くもって笑えない。
「俺はずっと、生きてるのが苦痛で仕方なかったんだ」
香流から手を離して、弁当を見下ろす。
「何億年も生きていると、生きている意義が分からなくなる。だからと言って命を冒涜する真似はしたくなかった。これは俺なりの流儀ってやつだ」
ヒレカツを口に頬張る。うん、やっぱり香流のご飯は美味いな。
「俺は志賀龍司に関しても、お前に関しても、一切関与しないと決めていた。傍観者の立場で見ているつもりだったんだ。黛雲雀が俺を下ろすまでは」
「まゆは、まゆじゃないの?」
「いや、俺は黛雲雀だよ。お前だってそうだろ。日生楪羽であっても、柚木香流として生きている。魂が混ざって溶け合っていると言う表現が正しいかな」
「な、なるほど」
「分かってねぇ顔して頷くな」
デコピンをして、俺はふっと笑みを零す。
香流は額を押さえて、むっと眉根を寄せた。すぐ顔に出るよな。すぐ顔に出るくせに、しんどいことだけは異常に隠すのが上手かったんだ、コイツは。
「俺がお前の側にいるのは、償いでも同情でもなんでもない。ただ俺がお前といたいからいるだけだよ。これからもずっと側にいるから、甘えてりゃいいよ」
「じゃあ報告書書かなくていい?」
「いや、それは自分で書けよ」
香流は嫌そうな顔でパソコンを開いた。俺は胸ポケットから眼鏡を取り出して香流の前へ置く。
「ブルーライトカットの眼鏡だよ。これ付けてりゃちょっとはマシだろ」
「まゆが俺に優しくない」
「もう俺はお前の上司だからな。キリキリ働け柚木くん」
「働いたらちゃんと褒めろよ」
「何可愛いこと言ってんだお前⋯⋯たくさん褒めるわ」
しぶしぶ眼鏡をかけて、パソコン作業を始める香流を横目に弁当を食べる。
香流とふたりでいるのも久しぶりだな。いつも誰かしら側にいて、賑やかだもんな。
「まゆ、俺が女になってもドキドキしないんだな」
いきなり何言い出すんだコイツは。
思わず箸で掴んでいた米が落ちる。米は弁当箱へ落ちて、それと同時に俺は額を押さえた。
「そう言えばしないな!?」
「子どもの姿はダメなのにな。やっぱり柚姫感がないからかな」
何の脈絡もなく香流が子どもの姿になった。
瞬時に俺は目を押さえる。香流がケラケラ笑う声が聞こえる。
「こっちの方が柚姫と同じだもんな?」
「やめて!俺をいじめないで!俺はロリコンじゃない!」
「ろりこんってなに?」
「聞かなかったことにして!」
ちらりと指の隙間から覗くと、まだ視界に金色が見える。
「早く戻って!」
「もう戻ったよ」
「お前なぁ、俺の気持ちをいたぶるのは良くないぞ!最近になってようやく隣に立っても平気になってきたんだから!」
「まゆ、今度の土曜日空いてる?」
「なに急に!別に仕事以外することないけど!」
「じゃあ東京の電気屋さんに付き合って欲しいのよ」
「いいけど⋯⋯?」
あれ、香流の声と違うな?
指の隙間から、キラキラした瞳が覗く。目が合った俺は、ぶわっと顔中に熱が集まった。
「雲雀くん、ご飯食べましたー?あ、柚姫ちゃん!来てたんですね!」
「明日の撮影に使ううさぎ耳パーカー取りに来たのよ!」
あれ、さっきの会話、気のせいか?
香流を見ると、もう元に戻っていた。戻った、って本当だったのか。でも眼鏡は外している。⋯⋯邪魔だったのかな?
「疲れた!もう止める!ルフ、見回りいこ!」
「せめて5分は頑張れよ、お前」
「本当にじっとしない人ですねぇ」
窓から飛び出していく香流を見送って、食べ終えた弁当箱の蓋を閉める。
まぁ、アイツはあれでいいか。ようやくいつもの日常が戻ってきた感じがする。
それにしても隣の部屋のカオス具合が怖いなぁ。自分の部屋なのに戻りたくないわぁ。
「ちょっと休憩⋯⋯」
「おや、雲雀くんが眠そうなのは珍しいですね」
「部屋戻れないからちょっと仮眠するわ。愛敬、後はよろしく」
「私だって嫌ですよ、あの巨人族の部屋へ行くの」
文句を言う愛敬は無視して、腕を枕にしてテーブルへ突っ伏す。
俺の背中に何かがかけられた。重い瞼は閉じたまま、「ありがとう」と礼を言うと小さな手が頭に伸びてくる。
「⋯デート、楽しみにしてるのよ」
いや、寝れるかぁ。
早鐘のように打ち付ける心臓の音がうるさい。扉の閉まる音を遠くに聞きながら、もう眠ってしまえときつく目を瞑る。
香流が女になったって、俺の視線の先は変わらないよ。
笑顔が、声が、苦手なことだって逃げずに一生懸命立ち向かう姿が、くるくる変わる表情が、ずっと脳裏に焼き付いて離れない。
「⋯⋯今世で足りるかな」
唸るように呟いた言葉は、静かすぎる部屋ではやけに木霊するようだった。




