白兎事件編44(その後3/木戸の葛藤)
木戸さんのお話です。
激重盲目男子代表の木戸さんですが、微妙に純粋なところがあります。
(木戸)
「いいなぁー、俺も東京付いて行きたかったぁー」
「掃除の邪魔だ」
テーブルの上に体を預けていると、ヒツギに足元をガンガン掃除機でどつかれた。
仕方なくテーブルを持ち上げる。付いてくんなって言われたけど俺は納得いってない。だいたい、東京なら俺の方が絶対詳しいのに。
「俺、4年もあっちに住んでたのに」
「木戸、椅子も退けてくれ」
「はいはい」
「ねぇ、カウンターの椅子も退ける?」
「はい⋯⋯」
知った声がしたので目を向けると、またいた。
「龍司さん!?俳優って暇なんですか!?」
「今日の撮影は夕方だよーん。そもそも向こうは夜中だからね」
「寝てろよ!」
テーブル席が2つしかない狭い店の中で、でかい男が3人も集うと無駄な圧迫感しかない。
ヒツギは黙って掃除機をかけている。俺も龍司さんの相手は面倒くさいので布巾を出してテーブルを拭くことにする。
龍司さんはのんびり椅子を持ち出して座り出した。長い脚を組んで眺められるのも居心地が悪い。
「ねぇ、帰って⋯⋯」
「あの子と上手くいった?」
何で龍司さんがそんな事聞いてくるのか。
「逃げられてましたよ」
「ヒツギさぁん」
「あはは、そりゃ良かった」
オイオイ、ちょっと待て。
聞き捨てならねぇぞ。何で良かった?何が良かった?
顔を上げる俺を見て、龍司さんはにんまりと笑みを携えている。
「さいっあく⋯⋯」
「で、何でお前らはふたりで掃除してんの?」
「置いて行かれたんですよ。女子の買い物に付いてくるなって」
「と言うことは買いに行ったのは⋯⋯」
「龍司さん、俺の香流だから!もう興味持たないで!」
「なぁに?お前のじゃないよ」
ぐぅのねも出ねぇ!
「あぁーもう!絶対香流は俺のこと好きなのになんでこんなことに!」
「掃除終わったらお土産飲む?」
「ねぇ、行くなら夏椎のとこ行ってよ!学校生活心配でしょ!ひとり息子でしょ!」
「俺は夏椎には自由に育って欲しいから〜」
「この現状を夏椎が知ったらなんて言うか⋯⋯!」
とは言ったが、俺は考える。
夏椎ならゴーサイン出しかねない!アイツ香流に懐いてるもんな!龍司さんと香流が上手くいけば夏椎に母親が出来て翔真と晃も抱きかかえられて俺勝ち目ねぇ⋯!?
「柚木香流は男の子ですからー!!」
「うるさい」
「今は女の子の買い物してるのにねぇ」
この事実を絶対香流に知られるわけにはいかない!
とにかくさっさと掃除を終わらせて酒飲んで龍司さんは帰そう!お願いだからしばらく帰ってこないでね!!
お昼ご飯はヒツギが鶏の照り焼きを作ってくれた。龍司さんの持ってきてくれたビールに合うけど、美味しかったけど、香流が帰ってくるんじゃないかとハラハラしてそれどころじゃない。
なんか龍司さんとヒツギが仲良くなってるし!
まぁ龍司さんいい人なんだけどさぁ。香流のことさえなきゃもう少し楽しめたのに⋯!
モヤモヤを流し込むためにビールを思い切り煽る。
空になった缶をテーブルへ置いた俺のスマホが光っていた。愛敬からだ。
『どうやら意識し過ぎてパニック起こしているようなので、しばらく恋愛モード禁止で』
―――何だって!?
えっ、可愛すぎん!?
「なに悶えてんの」
「俺の先輩が可愛すぎて尊みがヤバい」
「ほー?」
龍司さんが俺のスマホを覗いてくる。
ヒツギも一緒に覗いてきた。俺は幸せを噛み締めながら長い息を吐く。
「女の子になった途端意識してくれて俺幸せ」
「なるほど、恋愛に慣れてないのね。道理で初心な反応だったわけだ」
「ちょっと待て、何したの龍司さん」
「キスしようとしたら、ちゅーしない!って真っ赤になってたよ」
「マジで何してんの!」
何であの状況でそんなことになるんだよ。香流を龍司さんに託したのは完全に俺のミスだ。
龍司さんは来るもの拒まず、去るもの追わずのイメージだったんだけど。
何で香流にそんな興味持ってんの?確かに女の子になった香流は可愛らしいけど!でも男の子の香流も可愛かったんだからいきなりそういうスイッチ押すのはやめていただきたい!
「とにかく、香流は恋愛禁止ですからね!そもそもアンタは俳優さんなんだから恋愛禁止ですよ!」
「初心な子をじっくり落としていくのも悪くないよねぇ」
「言い方がいやらしいんだよなぁ!」
もう本当に最悪!絶対俺の方が香流のこと愛してるのに!
夕方近くなって、ようやくマネージャーさんに引きずられて龍司さんが帰っていった。俺とヒツギは駅まで香流達を迎えに行って、改札を抜けてきた香流のあまりの可愛さに全力で我慢を遂行する健気な俺。
ヒツギの店に帰ってきて、愛敬が買ってきた服を広げている。
香流との距離が遠い。隣のテーブルで楽しそうに笑う香流が可愛い。
あ、ヒツギに呼ばれてカウンターへ行っちゃった。仕込み手伝うのかな。今日も香流のご飯が食べられる俺は豪運の男だ。
「見すぎ」
柳瀬に脇腹をどつかれた。普通にいってぇ。
「あの顔に胸があるのは凶器だなと思って」
「俺の方が乳はでけぇぞ」
「残念な谷間はしまってください」
今日の香流は、いつも通りの可愛すぎるファッションだけど胸だけしっかり主張している。腰が細くて脚が長くてスタイル良すぎだな。眼福すぎて拝み倒してぇわ。
下着、付けてんのかな。⋯⋯何色買ったんだろ。
見てぇなぁ。夏になったら水着とか着てくれるんかな。香流とふたりで海行きたい。
「香流くん、女の子だと身長私とあんまり変わらないんですよね」
いつの間にか柳瀬の隣に座っていた愛敬が、独り言のように呟いた。
「蓮くんとの身長差エグいからもう少し背の近い人の方がいいんじゃないですかねぇ」
「分かった、左目抉る」
「お前、店掃除してたんじゃねぇの?」
柳瀬の言うことはもっともだ。せっかく掃除したのに血で汚すのは忍びない。
「はぁー⋯⋯縮みてぇ」
「そんな願い口にする男初めて見ました」
「柚木は背が高いのと背が低いのどっちがいい?」
柳瀬が聞くと、香流は手元を動かしながら不思議そうに首を傾げた。
「そりゃ背が高い方がいいんじゃねぇの」
胸がキュンと高鳴った。
「その方が強そうだからでしょ」
中川さんが焼酎を飲みながらクラッカーを食べている。
香流は両手でガッツポーズをつくった。とても可愛らしい。
「おれも大人になったらヒツギみたいになる!」
「200cm目指しちゃう?」
「おれはまだまだ伸び代があるからな!」
まだ成長を諦めてねぇんだ。可愛い。
香流が2メートル超えのムキムキになっても愛せる自信がある。でも顔可愛すぎて想像つかねぇや。
「柚木は男として生きていくの?」
中川さんの質問に、全員一斉に黙った。
香流だけがきょとんとしている。
「平日は男で土日は女でいく」
「何で土日?」
「しばらくA地区の調査をするからだ!」
何それ、聞いてねぇんだけど。
「何それ、聞いてねぇんだけど!?」
一言一句柳瀬と被ってしまった。
香流はドヤ顔でピースしている。アホ可愛いんだけど、何がどうしてそうなったのか分からない。
ずっとA地区のこと避けてたのに。ヒツギの店に来るくらいで、それ以外は絶対来ようとしなかったのに。
「ちょっとトラウマ克服したから、見聞を広げようと思って!」
「わぁ、立派だねぇ」
「せっかく女にもなれるんだから活用しないとな!」
理屈がよく分からんけど、可愛いが過ぎるな?
柳瀬は何か言いたそうな顔をして、ため息をついた。
柳瀬を横目で見ながら、俺は片手を上げる。
「俺は反対です」
昨日。
ヒツギの店で飲んでいたら、パッセルから柳瀬へ連絡が入った。
両手両足の骨が折れたロゼッタが部屋で寝かされていたと。随分高熱で、今もタナの看病を受けて過ごしている。
柳瀬は「どんな連れ回され方してたんだ」と呆れてたけど、俺は覚えがある。
緑色の体のひしゃげた異形。
それを連れた柳瀬の母親。
柳瀬にはまだ伝えていない。伝えるべきかまだ迷っている。
「女にならなくていいから、先輩は大人しく表にいて下さい」
俺が意見すると、香流はびっくりした顔で固まっていた。
俺に反対されると思ってなかったんだろうな。でも安全をとるならもう諦めて処理した方がいいに決まっている。
香流には見えないところで。
「蓮くん、香流くんが女の子でいようとする理由分かってるんですか?」
「愛敬こそ、相棒の暴走止めろよ」
「⋯⋯そりゃ、手放しにいいですよとは言えませんけど!」
「俺も反対。⋯⋯って言っても柚木が聞くわけねぇけどなぁ」
柳瀬が苦笑いしながら頬杖をつく。
そうだよな。分かってる。一度決めたら曲げねぇよな、香流は。
でも、少なくとも柳瀬の家にはもう連れて行けない。
ロゼッタが異形に変わるリスクがある以上、側に連れて行けるわけないだろ。
「こんにちは」
「お疲れ」
しんと静まり返った店内に、川崎さんと黛さんが現れた。
もう保護者も来たしアホなこと言わないだろ。俺は立ち上がると店先へ足を運んだ。
「保護者の方来たんで俺帰りますね」
「蓮くん、反対の理由はあるんですか?」
「ま、俺の意見は一意見でいいですよ。じゃあね、先輩」
確証のないことを口にするのは好きではない。
ロゼッタの裏側である萌葱は、生きた人間を食う。それは地球の人間だけだと思ってたけど、あの時襲っていたのは異世界の人間だった。
俺が記憶する萌葱の状態は人型だった。人を襲う時のやり方も見たことがある。けど、あんな化け物の形状は見たことがない。
ヒツギの店を出ると、もう夕刻に差し掛かっていた。
香流のことは心配だけど、川崎さんと黛さんがいればちゃんと帰れるだろ。
香流が女の子になる理由なんて知らねぇよ。そもそも、女の子になったから龍司さんが興味持ってしまったんじゃねぇか。
男の子で良かったよ。香流は香流だろ。女の子になった途端、どうしようもなく疼く胸にも俺は腹が立ってんだ。
家に向かって歩いていると、地面に寝そべった女の子が2人の男に取り囲まれていた。
あーあー、まだ夕刻なのに。こんな表通りで、誰も女の子を助けようとはしない。
俺も知らん。目を逸らすと、ぐんと服の袖を引っ張られた。
「助けに行くぞ!」
は?
声を出す前に、キラキラと光る金髪が靡く。
何の予兆もなく現れた香流は、女の子の側にしゃがみ込んだ。近くにいた男なんてまるで見えていない。
「お嬢ちゃん、どこから来たの?迷子かな?」
「この子は今から俺らと遊びに行くんだよ」
香流は無視して女の子の首筋に手を触れる。
自分の上着をかけてあげて、体を起こそうとしたところで、俺も諦めて手を貸すことにした。
「お兄さん達、こんにちは〜」
「あっ、木戸!」
「この子、昼間から飲んで潰れちゃったから介抱してやろうと思って〜」
あー、白々しいー。
香流から女の子を掠めとって、抱き上げる。どこの誰かは知らんけど、どう見たってアンタらが潰してんじゃん。
「俺ん家運ぶわ」
「分かった、ついて行く」
「おい、木戸くーん?」
「じゃあ金髪の彼女が俺達とおいでよ」
「俺ら男だけでさみしーんだよー」
俺は少しだけ考えて、男たちを見下ろした。
「その子、俺の彼女だから」
女の子を肩に担いで、もう片方の手で香流の手を繋ぐ。
手ぇ、小さ。でも繋ぎ返してくれるの尊い。
香流、否定しなかったな。まぁあの状況で否定出来ねぇか。⋯⋯彼女だって。アホか俺、すぐ広まるぞこの話。
ふたりとも無言で歩き続ける。てか、何で出てきたんだろう。俺が出て行ったから?
期待してしまう。今すぐ抱きしめて閉じ込めてやりたいけど、右肩に乗る謎の女の子が邪魔だ。
マンションに入って、エレベーターの6階を押す。
エレベーターが動き出しても、香流は何も言わなかった。もしかして怒られたと思ってんのかな。いや、怒ってはねぇけど。俺が勝手に焦ってるだけで。
家に辿り着いて、香流の手を離す。
名残惜しいけど、鍵を出すためだ。鍵を開けてドアを開けて、香流に中へ入るよう促す。
「おじゃまします」
礼儀正しくて可愛い。香流は中へ入ると、電気をつけてパタパタと介抱の準備を始めた。
俺は女の子をベッドに下ろす。派手なピンク色の髪と、乳も腹も脚も出した露出の高い服。
この服、香流が着たら似合うだろうなぁ。しょうもない妄想をしていると、洗面器に冷たい水とタオルを入れた香流が駆け寄ってきた。
「お酒、飲まされたのかな。通りがかって良かった」
香流はタオルを絞って、女の子の顔を拭いてあげている。
吐いた跡があったもんな。ぼんやりしていたら、香流が俺を見上げてきた。丸い瞳に心臓が疼く。
「蓮、水入れてあげて」
「あ、うん」
―――名前、呼んでくれんだ。
ふたりの時は名前呼んで欲しいって言ったの、覚えててくれてんだな。どうしよう、嬉しい。そんな単純なことで喜んでしまう。
コップに水を入れていると、ベッドから「うぅ」と呻き声が聴こえた。
良かった、意識ありそうで。ほとんど帰ってこない場所とは言え、うちで死なれるのは困る。
「⋯⋯ここは?」
「お前、道路で寝てたんだぞ。大丈夫?」
「うわぁ、女神がいるぅ⋯⋯」
分かる。女神感あるよな。香流は美しくて可愛らしくて神々しい。
「はい、水」
「ありがとう、蓮。水飲めそう?」
「あれ、蓮もいる⋯⋯。なに、助けてくれたの?」
誰だっけ?
全く記憶にない。すげぇ派手な髪色だなぁと思うくらいで、どこの誰かが出てこない。
何も言えずにいると、女の子はへらへらと笑っている。水を飲んでぷはぁーっと大きく息を吐いた。
「『抜きっ子倶楽部』のヒオだよぉ。前お店来てくれたじゃーん」
「え」
香流の目が冷たい。
俺は慌てて両手を振った。断じて利用はしていない!
「頼まれて棚の移動手伝っただけだよ!ちょっと、語弊のある言い方しないで!」
「あはぁ。遊びに来てくれてもいいのにね。おねーさんはどこの店の子?」
「この子は表の子!余計なこと教えないで下さい!」
「あははぁ。お持ち帰りかぁ〜。蓮、ごめんねぇベッド占領しちゃって」
ヒオさんなんて俺は知らないけど、向こうは俺を認識しているから余計なことは話せない。
香流を見下ろすと、もう冷たい目はしていなかった。心配そうな瞳でヒオさんを見上げている。
「どんなお店なの?」
いや、何聞いてんだこの子は。
「ゴムアリ本番アリの優良店だよぉ」
分かるかなぁこの説明で。
「⋯⋯うん?」
分かってねぇ顔してんなー!お目目くりくり!
「ねぇ、おねーさん蓮の何?」
「中学の先輩」
「えー?付き合ってないなら蓮ちょーだい」
「木戸はものじゃない」
「うはは。まじめー!表の子おもしろーい!」
香流が分かりやすく困っている。
女の子の扱い方も分かってないのに、その上A地区の子相手は荷が重そうだ。対極にいる生き物だもんな。
ま、とりあえず。
「ヒオさんだっけ?酔いが覚めたなら出てってどーぞ。ここ俺の家なんで」
「えー?やったぁ!蓮のベッドで寝たなんてみんなに自慢出来るじゃん!」
「語弊のある言い方せんで下さい」
「じゃあ語弊なくしよーよー。蓮ならタダでいいよぉー」
「自分の体を安売りするもんじゃないですよ」
動かないヒオさんの腕を取って、立ち上がらせる。
よし、ふらついてないな。意識しっかりしてんな。吐いたみたいだけど詰まってなさそう。
動かないので、仕方なく手を繋ぐ。もう早く出てって欲しい。この人の倫理観は香流に悪影響だ。
「ねぇ蓮付き合ってよ。あたし大きい人好きなんだよねぇ」
「好きな人いるので無理です」
「じゃあワンナイトでもいいよぉ」
「好きな人いるので無理です」
そもそも俺はこの人のことを知らん。
色んなところに顔を出してるから顔を知られてるのは自覚してたけど、正直めんどくせぇなぁ。
有象無象共には興味がない。せっかく愛しの香流が女の子になったって言うのに、他の女の子に余所見するような目は俺には付いていない。
エレベーターを開けると、付いてきていた香流も黙って乗り込んできた。すごく静かに俯いている。
「お店まで送ってよぉ。足ふらふら」
「ハイハイ。先輩、危ないので留守番してて下さい」
「⋯⋯ついてく」
あーもう、右腕が重い。面倒な噂を立てられると仕事に支障が出るので振り払うことも出来ない。
「ねぇ、ちゅーしよ。仕事頑張るから」
「酔っ払いすぎですよ。家に帰った方がいいんじゃないですか?」
「じゃあ蓮の家で寝る。あたし裸でも寝れるよ」
「風邪引きますよ」
マンションを出たら、もうすっかり日が落ちていた。
この中を香流連れて歩くのは気が引けるな。でも付いてくるって言ってたもんなぁ。ほんと言うこと聞かねぇ子だこと。
「先輩、手繋いで」
「⋯⋯ん」
あら、素直。右腕は重いけど、左手は幸せだ。
えーと、この人の店どこだっけ。風俗街は店が多くてややこしいんだよな。
しかし、なんだこの状況。好きな子連れてお店の女の子と風俗街を歩く俺。
道行く人にすげぇ見られてる。すみません、冷やかしみたいですよね。送り届けたら速やかに帰るので許して下さい。
狭い路地の両脇に、ピンクや紫の看板が立ち並んでいる。
「『マーメイドぽよぽよ』、『秘めやかナイト』、『鎧女子専門店』」
香流さん、口に出さないで。笑っちゃう。
見下ろすと、頭の上にいっぱい「?」が見える。お店の意味、分かんないよねぇ。俺もよく分かんない。
「色んな種類のお店があるんだよ」
「ふーん?」
「ねぇ、蓮。先輩って処女?」
何故俺に聞く?
香流には聞こえていないようで良かった。俺が黙っていると、ヒオさんはつまらなさそうな顔で俺から腕を離した。
「しょうもな。やっぱり男なんて処女が好きよね」
言いながら、ヒオさんが香流の前に立つ。
ひらりと髪を流して、ヒオさんはにんまりとした笑みを浮かべた。
「あたし、アンタみたいなお綺麗な子大嫌い」
わぁ、どストレート。
酔っ払ってるとは言え、助けてくれた子になんて物言いだ。苛立つ俺とは対照的に、香流はきょとんと目を見張っていた。
「あたし達みたいな女のこと、バカにしてるんでしょ。学もない、身体で稼ぐしかない女だもんね。経験のないアンタには分かんないと思うけど―――」
「バカにしてない。尊敬してる」
ヒオさんの口が止まった。
「身体を張って仕事するなんて誰にでも出来ることじゃない。格好いいと思う、けど⋯⋯」
「な、何よ」
「身体は大事にして欲しい。道路に寝るような飲み方するのはだめだ」
「⋯⋯っ」
すごく、正論だ。
正論だけど、この場所では暴論にもなる。
「もういい。蓮、顔はいいけど女見る目ないね」
ヒオさんが背を向けて去って行く。
見る目ない訳ないじゃん。こんなに可愛くて、優しくて、残酷なほどに綺麗で。
この人が俺のものにならないかもしれないなんて、考えるだけで死にそうだよ。
「怒られた⋯⋯」
ぽつりと香流が呟く。
怒られたと言うか、一方的にキレられたと言うか。とりあえずこの場所を早く後にしたくて、香流の手を引いて元きた道を歩き始める。
あぁ、もう。視線を感じる。絶対この人には手を出さないで欲しい。もし万が一何かあって、傷が付くようなことがあれば俺は許せる自信がない。
「木戸」
どうしたって香流の外見は目立つ。路地の向こうで鼻の下を伸ばす男の顔面を殴りつけてやりたい。
「―――蓮!」
風俗街を抜けたあたりで、俺は香流を振り返った。
香流は、ネオンの光がこんなに似合わない。
住んでる世界が違うよ。香流がここに来るのは間違ってる。
こんな瘴気と欲望が渦巻く街に、この人の姿があることを俺が許せないんだ。
「帰って下さい」
傷付けたくない。
嫌な思いをして欲しくない。泣かせたくない。苦しい思いをさせたくない。
「先輩は、表にいなきゃダメだよ」
もうずっと男の子でいてよ。
恋人になれなくていい。誰かに取られるかもしれないなんて、俺は分かっているようで全然分かってなかったんだ。
このまま一生友達でいい。男だったら香流は誰とも恋人同士にならないんだろ。
「帰らない」
見下ろす香流はこんなに小さくて、女の子なのに。
視線だけは真っ直ぐで、いつもみたいに可愛くて、そんな香流のことが好きでどうしようもない。
「話せば分かってくれる。おれはもう逃げたくない」
「言葉が通じる奴らばかりじゃないのは先輩が一番分かってるだろ!」
手を引いて歩き始める。
警察庁に帰さなきゃ。あのふたりはもう帰っただろうか。このアホ引き取ってくんねぇかな。
「先輩が嫌なこと言われて俺が許せねぇの!」
「おれはあんまり気にしてないけど」
「好きな子が酷いことされて平気な男がいるか!」
香流の足が止まった。
あ、しまった。恋愛を持ち出すなって愛敬に言われてたんだった。
「ご、ごめん⋯⋯」
香流が黙って近付いてくる。
見下ろすとつむじが見える。意識して女の子なんか見たことないから、その小さくて華奢な身体に足が竦んでしまう。
香流が顔を上げた。
綺麗な瞳だ。この星そのものを宿した瞳。大きくて丸い瞳は、男の子の時と全く変わらない。
「いい加減に、しろ!」
懐に潜られた瞬間、視界が反転した。
投げ飛ばされた?理解が追いつく前に、香流が上から覗き込んでくる。
「いつまでも子ども扱いすんな、ばか!」
息が、詰まる。
見上げた香流は長い金髪を垂らして、不敵に笑って見せた。
「ちょっとデカイからって調子に乗んな。お前くらいいつでも投げ飛ばせるんだからな!」
「⋯⋯可愛すぎる」
「大体なぁ、見た目が変わったくらいで急に弱くなるわけねぇだろ」
身体を起こして、香流の小さな手を取る。
香流も握り返してくれた。たったそれだけの事が、胸を鷲掴みにされたように苦しくて仕方がない。
「心配なら側にいればいいだろ。お前はいつも勝手に側にいるんだから」
「⋯⋯じゃあ、ここにいる時は絶対俺の側にいて」
抱き寄せると、とても柔らかくていい匂いがする。
俺の言ってることはただのワガママだ。俺だって仕事が入れば四六時中一緒にいられるわけじゃない。
全部包み込めるくらい小さいこの人の、馬鹿みたいに大きな優しさが大好きだ。その優しさを曇らせたくない。
「女になるとでかいなぁ、蓮」
「⋯⋯怖い?」
「怖くないし、⋯お前は女の子の方がいいんだろ」
俺の腕の中で、香流がもぞもぞと動く。
上目遣いが可愛すぎて心臓がうるさい。なんで?いや、何でじゃない。少しは俺のために女の子でいようとしてくれてるって理解していいの?
「可愛すぎて吐きそう」
「は!?お前も飲み過ぎ!?」
「ねぇ、俺の前以外では女の子にならないで下さい。先輩が俺以外の彼女になるの嫌です」
「めんどくさいなぁ、もー」
「⋯⋯だって香流が好きだもん。誰かに取られるのやだ」
情けなくても、格好悪くても、香流が俺以外のものになるのは嫌だ。
こんな路上じゃなければキス出来たのに。さすがに風俗街の入口だから道行く人の視線を感じる。
香流の身体から手を離すと、香流は俯いていた。小ぶりな耳まで赤くなっていて、やっぱり保留なんかじゃ嫌だと胸が騒ぐ。
でも、ちゃんと告白するならここじゃねぇなー!
「あ、いたいた。木戸くーん。話終わったよ」
「何してるのこんなところで」
黛さんと川崎さんの声がして、香流が疾風のように俺から離れていった。
あともう少し抱きしめたかった。残念に思う俺に、黛さんが一枚の紙を渡してくる。
「詳しくはヒツギくんの店で話すよ。もう仲直りしたんだろ?」
「どうせロクな説明無しにここに出入りするって言ったんでしょ。みんな心配してたよ」
「悪かったな、説明下手で!」
―――まさか、保護者合意の元だったとは。
ロゼッタのこと、黛さんがA地区を把握出来ていない現状、この場所の衛生面、そして香流が柳瀬に裏側を背負わせたくないこと。
話を聞いても俺は反対だと思ったけど、柳瀬は何故かすんなりと合意していた。
「A地区のゲートを開くのは反対だけど、確かにA地区の住人管理は黛くんに任せた方がいい。ここ最近、不透明な出入りも増えてたしな」
「『白百合の純潔』のお姉さんが柳瀬の店にいたこと?」
「あぁ。もう女の振りしなくて良くなったし、俺も本腰入れてここの統括に尽力する。まぁ店には立つけどな。俺の美しさは稼ぎ頭だから」
さらりと自画自賛するなぁ。誰も何も言わんけど、中川さんだけがパチパチ拍手している。
「住人データの収集、及びA地区に出店している店舗データをB地区の管理体制と同様に俺がまとめるから、B地区長は柊に委任しようと思って」
「はぁ、それで俺が柊さんの仕事を請け負うと⋯⋯」
「俺と柳瀬くんの仕事の補佐もね」
「わぁい、香流と一緒にいられる時間が増える!」
「A地区の用心棒は私が請け負いますよ。お任せ下さい」
「データ収集とか全くする気ねぇ顔してやがる」
「適材適所ですよ!」
なんか良いように言うなぁ。
柳瀬が隣の愛敬の肩を抱いて、その上で頭を撫でて甘やかしている。ほんとそういうところ。俺だって隣に座る香流の頭撫でたい。
隣に座ってくれたの嬉しい。前に川崎さんと黛さんが座ってるからだろうけど、期待してしまうのは悪いことじゃないはずだ。
「木戸、ごめんな。『白百合の純潔』事件が終わったら旅に出たいって言ってたのに」
そういや言ってたなそんなこと。
えー?今更ひとりで?あともう少しで手が届くはずのいい感じの好きな子が隣にいるのに?
「今度ふたりで旅行行こうよ」
「は⋯⋯!?」
「香流と一緒がいい。⋯⋯だめ?」
顔を覗き込んで尋ねると、香流はぷいっと顔を逸らした。
かわいー。耳まで真っ赤っか。どんな想像してるのか頭の中覗きたいなぁ。
「弟としてどう思うよ」
「複雑かな⋯⋯」
「すみません、ご家族の前でイチャつかせてしまって」
「後で言って聞かせておきますので」
ねぇ、柳瀬と愛敬は俺の何なの?
そうだ、柳瀬の家には行かないよう言っておかないと。黛さんはなんか良くわかんねぇけど、川崎さんは真人間だ。ロゼッタの側にいるのは危ない。
「川崎さんもA地区に出入りすんの?」
「あぁ、しばらく俺達の階層に工事が入るから⋯⋯。翔真と晃も一緒に暮らせるよう、壁を取って家を広くしようと思って」
「奥の使ってない部屋は龍司さんと夏椎が暮らす予定だぞ!」
「はぁー!?」
腹の底から声が出た。
ちょっと待て!龍司さんが!?香流の隣の家に!?
ダメに決まってんだろ!百戦錬磨の職業俳優だぞ!恋愛幼稚園児の香流なんかすぐ手篭めにされるに決まってる!
「夏椎はともかく龍司さんはダメだろ!」
「何でだよ、親子なのに」
「い、いつから!?いつから一緒に暮らすの!?」
「確か龍司さんが帰ってくるの春って言ってたような⋯⋯」
春⋯⋯。
そうか、龍司さんの撮影が終わるのが春だからか。そうなったら夏椎と一緒に暮らし始めるわけだな。
よし、春だな。春までに香流と恋人同士になる。あわよくば結婚する。他の男が入る余地を与えないようにしなければ。
「じゃあ、春まで俺と暮らしましょう」
「何で!?」
「せっかく帰ってきた愛敬と柳瀬のイチャイチャ邪魔しちゃダメですよ。先輩は俺とイチャイチャしよ」
「け、賢吾も行くならいい」
「何で?」
「それでもいいですよ」
とにかく柳瀬の家から香流の家族を引き剥がしたい。
川崎さんがすごく複雑そうな顔をしている。でも、ロゼッタの不確かな情報をまだ口に出せない以上近寄らせたくない。
「先輩と川崎さんは俺の家で預かります!それでいいよな、柳瀬!」
「まぁ好きにすりゃいいけど」
「柚木の家に行けないなら俺はどこにお風呂入りに行けばいいのぉー」
「俺ん家に来ればいいですよ!」
「まぁ木戸の家の方が柚木の家よりは広いけどさぁ⋯⋯」
「冷蔵庫ちゃんと買いますから!」
「まだ買ってなかったのかよ!」
よし、何とか言いくるめたぞ。これで香流達がロゼッタの被害を受けることはないはずだ。
ロゼッタの両手と両足が治るまでになんとか確信を得ないと。それと、香流がA地区をウロウロすんなら安全の確保もしておかないと。
住人管理のデータ収集、店舗数の把握、実態調査に警察庁の仕事とやる事がいっぱいある。
それに加えて、一番大事なのは香流とお付き合いを始めること!!
俄然やる気が出てきた!やる気に満ち溢れたまま飲む酒は、格別に美味しかった。




