第9話:クリームパンと切島再生計画。
【週明け:登校】
月曜日。
俺とユイは、いつものように並んで校門をくぐった。
身体は完治している。今日からが「学校」というマーケットにおける、俺の真の初仕事だ。
教室のドアを開ける。
空気は先週と同じだ。一斉に刺さる視線。そして、すぐに逸らされる。
「裏社会と繋がっているヤバい姉妹」という不名誉なレッテルは、まだ剥がれていない。
俺は自分の席に着くと、わざとらしく「ふぃぃ…」と頬を膨らませて、不満げな顔を作ってみた。
(……よし、これで『近寄りがたい狂犬』のイメージを、『少し機嫌の悪い女子高生』へとダウングレードさせる)
トップセールスは、表情一つで商談の空気をコントロールする。
たとえ中身がおっさんだろうと、この「美少女の器」を最大限に利用させてもらう。
するとその時、教室のドアが勢いよく開いた。
「黒崎! なーにふくれてんだ?」
現れたのは、ジャイアンとスネ夫。
クラス中が凍りついた。先日、彼ら不良グループを病院送りにした「黒崎姉妹」と、その被害者であるはずのジャイアンたちが対峙したのだから。
だが、続く光景に、クラスメイトたちはさらに目を見開くことになった。
ジャイアンたちの後ろから、ユイが満面の笑みで顔を出したのだ。
「な…」
俺は驚き、彼らを見上げた。
「黒崎! 学食の朝限定のクリームパン、買いに行こうぜ!」
「ユイも食いたいってよ! お前、知らねーのかよ、あれマジで美味いんだぜ?」
「ユナちゃん! 行こう、売り切れちゃう!」
ジャイアンとユイに両腕を掴まれ、俺は半ば強引に席から引きずり出された。
静まり返る教室。
そこにはもう、「怯え」はない。あるのは「え、あいつら…友達なの?」という強烈な困惑と、急速に書き換えられていく噂の残骸だ。
【廊下:学食への道】
「おい、ジャイアン。…やりすぎだ。目立ちすぎる」
廊下に出た途端、俺は小声で釘を刺した。
だが、ジャイアンの顔に迷いはなかった。
「いいんだよ。俺らがこうしてつるんでりゃ、変な噂も消えるだろ? これが俺たちの火消しさ」
ジャイアンはニカッと笑い、さらに声を落とした。
「黒崎…切島さん、喜んでたぜ」
「…そうか」
「あの後、俺らも見舞いに行ったんだ。突然やってきた生意気な女子高生にハッパかけられてビックリしたってさ。…久しぶりに、あの人が笑ってるのを見たよ」
ジャイアンは少し照れくさそうに頭をかき、真っ直ぐに俺を見た。
「ありがとうな、黒崎。…お前、マジでかっけーよ」
俺は何も答えず、ただ少しだけ歩調を早めた。
女子高生の身体は、おっさんの心臓よりも少しだけ鼓動が早い。
学食に到着すると、そこには既に人だかりができていた。
だが、ジャイアンが「どけよ!」と道を作り、俺とユイを一番前へエスコートする。
「ほう、このクリームパンは…材料が良いな。カスタードの原価率が高そうだ」
「…パパ、まーた仕事の話してる」
ユイに苦笑されながら、俺は焼きたてのパンを頬張った。
甘い。
そして、先週までの刺すような視線が、少しずつ「羨望」や「興味」というポジティブなものに変わっていくのを、肌で感じていた。
(…初動のリカバリーは成功だな)
俺は、隣で笑うユイと、パンのカスを口につけているジャイアンたちを眺める。
不条理なマーケットをひっくり返す。
その第一歩は、案外、一個のクリームパンから始まるのかもしれない。
…そういえば、以前の仕事でストリートファイト系のプロデューサーと仕事したことあったな。
俺の仕事の履歴を引き継いでいるサチコの名刺管理アプリに入っているはずだ。
あの男に切島を紹介してみよう。
現役時代の俺と同レベルのポテンシャルを秘めた未成年だ。
筋を整えてやれば、結構いいところまでいくはずだ。
(伸びしろは、十分だ。…待ってろよ、切島。俺が最高の舞台を用意してやる)
ただしその「マーケット」は、俺の予測とはかなり違った方向に進んでしまう事をこの時点では俺は想像もしていなかった。




