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第10話:禁断のプレゼンテーション

俺は切島の件を「すぐ動かないと間に合わない」という焦りと、サチコに頼るのはリスクがあることは自覚していた。


「これは危険な賭けだ」


「だが他にルートがない」


【夜・リビング】


サチコが帰宅し、ソファで一息ついたところを見計らって、俺は切り出した。


手には、彼女が以前から好んでいた銘柄のハーブティーを淹れたカップがある。


「ママ?ちょっと、お願いがあるんだけど」


サチコが不思議そうに顔を上げた。


「お願い? ユナちゃんからなんて珍しいわね。何かしら?」


俺は慎重に言葉を選ぶ。


「私の…友達で、格闘技の才能がある男の子がいるの。本気で上を目指したいって言ってるんだけど…」


「その子、天涯孤独でツテがなくて。ママのお仕事関係に、そういうプロデューサーの人、いなかったっけ?」


サチコの目が、一瞬で「仕事の顔」に変わった。


「格闘技? …まあ、佐藤さんのことかしら。でも、どうしてユナちゃんがそんな子を?」


「…彼、すごく複雑な環境にいて。でも、今の自分を変えたいって必死なの。私が、力になってあげたくて」


嘘は言っていない。


サチコは少し考え込み、俺が淹れたハーブティーを一口飲んだ。


彼女は手慣れた手つきでスマホの名刺管理アプリを開く。


次々とスワイプされる画面を横から覗き見て、俺は息を呑んだ。


そこには、俺が何年も狙っていて、結局落としきれなかった企業の決定権者たちの名刺が、事も無げに並んでいた。


(…ショックだな。サチコ、お前…いつの間にこんなところまで)


本来なら俺がこのポジションにいるはずだった?いや…違う。サチコの実力だ。


営業マンとしての敗北感。だが、今はそれを表に出すわけにはいかない。


「いいわよ。佐藤さんには私から連絡しておく。…でもね、ユナちゃん」


サチコが真剣な表情で俺を見つめる。


「ママは、あなたが変な事件に巻き込まれないか、それだけが心配なの。あの事件の犯人も、まだ捕まってないんでしょう?」


(犯人は、今、俺が救おうとしている男だ)


胸の奥が鋭く痛んだ。


もし、彼が「ユナ」をボコボコにした張本人だとバレたら、サチコは怒り狂うだろう。


慈愛に満ちた妻の瞳が、今の俺には直視できない。


(すまない、サチコ。だが、あいつを救うことが、結果としてこの不条理な連鎖を止める唯一の道なんだ)


【後日・切島の病室】


「…本気かよ、お前」


切島が、包帯の巻かれた顔を上げ、呆然と俺を見ている。


俺は彼のベッドの上に、数枚のプリントを広げた。


本来ならこういう手法はあまり好みではないが…だが、今は他に選択肢がない。


「本気だ。君の暴力は、ルールという枠をはめ、ストーリーを付与すれば熱狂を生むコンテンツに変わる。リブランディングってヤツだな」


提示したのは、切島の再起を賭けた格闘家デビューのロードマップ。


「大検合格を目指す、元・最凶のアウトローという世間が好む更生と挑戦のパッケージだ」


「俺の知り合いに頼んで、有力なプロデューサーに話は通してある」


「だが、それだけでは足りない。君がペンを握り、勉強に励む姿。それが、スポンサーを引き寄せる最大のフックになる」


「勉強か…俺、バカだからさ。やってはみたんだけどな」


「俺が教えると言っただろ? 勉強ってのはテクニックだ。100点を取るのは難しいが、80点ならテクニックで取れる」


俺は真っ直ぐに切島の目を見据えた。


「切島、お前の価値は、強さじゃない。どん底から這い上がろうとする意志そのものにあるんだ。それを世の中に高く売りつけてやる」


切島は、俺の言葉を咀嚼するように、じっとプリントを見つめていた。


やがて、彼は小さく、だが力強く頷いた。


「…やってやるよ。黒崎に恥はかかせねえ」


「いい返事だ。期待しているぜ、切島」


病室を出る俺の足取りは、ひどく重かった。


「これで本当に救いになるのか」


「それとも別の地獄を作るだけか」


サチコは、大きな組織で今日も戦っている。


名刺アプリの中の彼女は、俺がいなくなった穴を埋めるどころか、俺が届かなかった高みへ手を伸ばしていた。


(……サチコ。君の優しさを利用したことは、いつか必ず償う)


夕暮れの病院の窓に、凛とした女子高生の姿が映る。


その瞳には、かつてのトップセールスマンとしての冷徹な野心と、一人の父親としての深い苦悩が、複雑に混ざり合っていた。



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