第7話:ハブられる。娘に守られる。
【翌日】
ウリエルの「時間軸操作」のおかげで、脇腹の痛みは嘘のように消えている。
だが、心に刻まれた「敗北感」までは消せなかった。
(…無力だな、俺は)
東大卒、トップセールス。空手の有段者。
どんな修羅場も強靭な肉体と精神力で切り抜けてきた自負があった。
だが、先日の倉庫での俺は無様だった。
「無敵の人」の暴力の前に、俺は娘を守ることもできず、ただ地面に転がることしかできなかった。
「パパ…ユナちゃん、本当に大丈夫? 痛くない?」
浮かない顔をしている俺を、ユイが心配そうに見つめる。
自分だって怖かったはずなのに、この子は俺のことばかり心配している。
「俺は問題ない。それよりユイ、自分の心配をしなさい」
(学校で変な噂が立っている可能性がある)
俺の予想は、的中していた。
【教室】
俺が教室のドアを開けた瞬間、ざわついていた空気がピタリと止まった。
視線が刺さるが、すぐに逸らされる。
だが、その視線は先日までの「好奇の目」とはニュアンスが異なっていた。
「黒崎ってヤベぇよな」
「あの、狂犬と呼ばれた切島の不良グループを半殺しにした…」
「黒崎さん、裏社会と繋がってるらしいよ」
ヒソヒソと交わされる、根拠のない毒。
これだ。
学校という閉鎖的な組織において、一度広まった「噂」は実体以上の威力を持つ。
俺は慣れている。
社内政治の足の引っ張り合いなど、これより陰湿なものをいくらでも経験してきた。
だが、ユイは違う。
休み時間。
俺はコッソリとユイのクラスを覗いた。
いつもユイの周りにいた女子たちが、目も合わせずにユイから離れていくのが見えた。
ユイが話しかけようと一歩踏み出すと、彼女たちは露骨に距離を取った。
「…あ、ごめん。これから移動教室だから」
見え透いた嘘。
ユイはひとりでポツンと、そこにいる。
(…クソが)
俺は胸が張り裂けそうな気分だった。
おそらく、俺が学校を休んだ昨日からこうだったんだろう。
今すぐあいつらの元へ行き、その非論理的な行動をコンプラ違反で断罪してやりたい。
だが、今の俺がそれをやれば、ユイの孤立は決定的になる。悪手の極みだ。
「父親」なら学校に怒鳴り込める。
「上司」なら人事権でねじ伏せられる。
だが今の俺は、ただの「双子の姉」だ。
全くの、無力。
この身体になって、初めてこの言葉の真意を理解した。
【放課後】
誰もいない屋上で、俺はウリエルに詰め寄った。
「おい、ウリエル。お前の力で、学校の生徒の記憶を書き換えろ」
「…え?」
「先日の事件も、今の噂も、全部だ。ユイがハブられている現状を今すぐリセットしろ」
俺の言葉は、ただの八つ当たりだった。
商社マンの俺なら、こんなクレーマーの様な要求は絶対にしない。
それほどまでに、今の俺は追い詰められていた。
ウリエルは、いつものヘラヘラした顔ではなかった。静かに首を振った。
「黒崎さん。それはできません」
「なぜだ! お前たち天界のミスで俺たちはこんな目に遭ってるんだぞ!」
「あなたが女性になったのは天界のミスの修正です。しかし、今のこの状況は天界のせいで起きた事態ではありません」
「原因は、あなた自身にあります」
ウリエルが、俺の目を見据える。
「…。」
返す言葉がなかった。
全ては、俺自身の蒔いた種だった。
トラブルへの対処は初動が肝心。
これはビジネスでの鉄則だ。
しかし、今の俺には手札が何も無い。
だからウリエルに責任転嫁して他力本願でなんとかしようとした。
俺がいつも軽蔑しているコネ入社の無能どもと同じだ。
「パパ…ユナちゃん?」
屋上のドアが開き、ユイが顔を出した。
彼女は俺の険しい表情を見て、すべてを察したように優しく笑った。
「いいんだよ、パパ。私は大丈夫だから。パパが…ユナちゃんが一緒にいてくれるだけで、私は平気だよ」
ユイの笑顔。
強がりではなかった。確固たる思いでユイが発した言葉だ。
(…守られているのは、俺の方か)
俺は自分の無力さを呪った。しかし、この逆境を乗り越えなければならない、という闘志も湧いてきた。
ユイは俺を信じてくれている。他に何が必要なんだ?それだけで充分だろ?
「…いっしょに帰ろう、ユイ」
「うん!」
俺たちは並んで校門を出た。
背後に広がる沈みかけの夕陽が、俺たちの影を長く、強く伸ばしていた。
(見てろよ…このまんまじゃ終わらせない)




