第6話:妻(課長)の激怒と哀しみ。
俺は自室のベッドに寝かされていた。
朦朧とした意識が浮上するたびに脇腹に焼けるような痛みが走る。
肋骨は全て折れ、左腕にはヒビ。内臓にも軽微な損傷。
本来なら全治三ヶ月の重傷だ。
(…やれやれ、女子高生の身体に無茶をさせすぎたな)
前世の俺なら、この程度の負傷、精神力でねじ伏せていたかもしれない。
だが今の俺は、指先一本動かすのにも「か弱い少女の限界」を突きつけられる。
「黒崎さん、動かないで。今、天界の術式を編んでますから」
横でウリエルが、いつになく真剣な顔で指先を動かしていた。
「患部だけ時間軸をズラして、24時間で完治させる」という、反則じみた天界スキル。
おかげで、鉛のように重かった体が、少しづつだが軽くなっていくのが分かる。
21時に玄関が開く音がして、やがて家の中の空気が凍りついた。
仕事から帰宅した妻・サチコは、ベッドに横たわるボロボロの俺を見るなり、悲鳴すら上げずにその場に崩れ落ちた。
「…何、これ。どういうこと、ウリエル君」
その声は、震えていた。だが次の瞬間、彼女の目は「冷徹なエリート商社マン」のそれへと豹変した。
「今すぐ会社の顧問弁護団を招集するわ」
「相手の特定は済んでいるんでしょ?」
「 徹底的にやるわ」
「刑事も民事もギッチギチに締め上げて、社会的に抹殺してやる!!」
…サチコ。気持ちは嬉しいが、一介の不良相手に商社の最終兵器を出すのはやめろ。
ウリエルが必死に立ち回っていた。
「僕も相手をボコボコに殴って蹴って…ユナちゃん以上の大怪我を負わせたので、どうか、どうか落ち着いて!」
過剰防衛で相手にそれ以上のダメージを与えたから、表沙汰にするとこちらの首も締まる…。
商社マンに響きそうな言葉を並べ立てて、なんとかサチコを宥めている。
サチコは俺の枕元に膝をつき、震える手で俺の頬を撫でた。
「こんなに可愛い女の子を殴ったり蹴ったり…人間の所業じゃないわ。絶対に、絶対に許さない…」
ボロボロと溢れる涙。
彼女が見ているのは、中身(夫)ではない。
かけがえのない「愛娘」の姿だ。
母親の、剥き出しの愛情。
それが指先から痛いほど伝わってきて、俺の胸の奥が熱くなった。
(サチコ……中身は俺だ。お前の夫だぞ)
そう心の中で毒づくのが、今の俺にできる精一杯の強がりだった。
深夜。サチコが疲れ果てて隣で眠りについた後。
俺は微かな月明かりの中で、自分のか細い指を見つめていた。
「…なぁ、ウリエル」
「はい、黒崎さん」
「…俺、ずっとこのままなのか」
エリート商社マンとして、常に「最適解」を選んできた。
最短ルートで成果を出し、最短ルートで地位を築いてきた。
だが、今のこの状況、「娘」として妻に泣かれ、「姉」としてユイに心配されるこの状況は、俺がこれまで顧みて来なかった「家族の絆」そのものだった。
その夜、天界の監視ログから“黒崎ユナ”という個体情報だけが、一時的に消失していた。
【翌朝】
驚くべきことに、痛みはかなり軽減されている。
ウリエルの時間操作術式は完璧だ。
彼はサチコをなだめすかして会社へ送り出すと、俺に向かって深々と頭を下げた。
「今日は念のために、ユイちゃんにずっと付き添っておきますね」
(ああ。…頼んだぞ、ウリエル)
このアホ天使に、初めて素直な感謝の言葉が浮かぶ。
ユイは家を出る直前、俺の枕元に駆け寄ってきた。
そして、俺の頭を優しく、慈しむように撫でた。
「パパ、今日はちゃんと寝ててね。動いちゃダメだよ?」
「…分かってるよ」
「学校の帰りに、美味しいスイーツ買って帰るから! パパの好きな、あのモンブラン!」
そう言って、ユイは最高の笑顔を見せた。
パパ、という言葉。
彼女の指先の温もり。
この先、俺が元に戻れるのか、どうなるのかはまだ分からない。
だが、俺はこの「家族」だけは、何があっても守り通さなければならない。
女子高生の身体に宿る「父親の魂」を、窓から差し込む朝陽の中で、改めてそう、深く心に刻んだ。




