第7話 窓口担当――その男、何でも屋②
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ジョ・イ迷宮。
初心者向け。E〜Dランク推奨。
俺は頭の中でジョ・イ迷宮の情報を整理する。
狭くて、浅くて、簡単。三拍子揃ったイージー迷宮だ。
訓練生の試験会場として、使われることもある。
うちが所有する迷宮の中で一番安全だった。
「チーフちゃん……」
「おい、チーフ。これってよぉ」
数分もしないうちに、二人とも迷宮に対して違和感を感じ取っていた。
もちろん、俺も。
「まだ一階なのに、静かすぎるわぁ」
「もう封鎖は解かれてるのに、誰もいねぇな」
人の気配が感じない。
それどころか魔物の気配すらなかった。
迷宮のあちこちでずっしりとした重たい空気が漂っている。
「調査が入るから、迷宮に潜るのを控えているのかしらねぇ」
「はん! んなわけねぇよ」
グレアさんの意見にジャックは鼻で笑った。
「どいつもこいつも、その日の食い扶持がかかってんだぜ。
封鎖が解除されりゃ、速攻で潜ってるはずだ」
ギルド職員としては、俺もジャックと同意見だ。
稼ぎの少ない初心者冒険者。
孤児院の子ども。その日暮らしの貧しい人たち。
ジョ・イ迷宮は日銭を稼ぐための場所にもなっている。
ざっくりと一階を見て回った。が、結果は変わらずだ。
人も魔物もいない。不気味なほどしんと静まりかえっている。
これ以上、ここにいても得られるものはない。
奇妙な違和感を感じつつ、俺たちはそのまま地下二階へと足を進めた。
階層を降りるとさらに重たい空気がまとわりつく。
それに、さっきから俺の中で警報がぐわんぐわん鳴っている。
気分が悪い。――間違いねぇ、迷宮変化が起こっていやがる。
「ここにもいねぇ……。冒険者も魔物も何もかもだ」
「これはもう、確定だわ。迷宮変化よ。
どうする? 私は引き返したほうがいいと思うけどねぇ」
だけど今帰ったところで、ギルド長は納得しない。
俺が黙っていると、ジャックが肩を竦めて「行くぞ」と声をかける。
「ジャック! おい、何が起こるか分かんねぇのに、先に進むな!」
「ちんたらしてる方が危ねぇだろ。さっさと頭でっかちが納得する証拠を集めてずらかるぞ」
むかつく言い方だが、ジャックの言い分は正しい。
伊達に、現役で迷宮を潜ってないということだ。
迷宮で迷ってちゃ命にかかわる。
しかも、今のジョ・イ迷宮は迷宮変化状態。
危険度が跳ね上がっている。何が起こるか予想もつかない。
「治療院に来た子は、地下三層で魔物に毒を受けたって。
危険だけれど、そこまで行ってみましょう」
グレアさんの言葉に俺たちは頷く。
最大限、警戒はしつつ、速足で地下三層への階段を目指す。
――ぐちゃり。
何かを踏んだ感触。喉元まで不快感がせり上がってくる。
とっさに足元を見た。
「……なんだこれ」
黒い塊が地面に広がっている。
どろっと濁った何か。泥のようにブーツにこびりつく。
思わず後ずさる。
この黒い塊からひどい腐臭がしていて、顔をしかめる。
グレアさんが近づいてしゃがみこむ。
おもむろにそれを指でなぞった。
「グレアさん! 何やってんだ!」
思わず声が出る。
だがグレアさんは、静かに首を振った。
「大丈夫。これ自体は平気よ」
きっぱりと言い切る。
その表情からはのほほんとした気配は消えていた。
熟練冒険者の顔つき。
「ばーさん。こりゃ一体なんだぁ? 気持ちわりぃし、酷い臭いだぜ」
ジャックが眉をひそめる。
「するどいわねぇ。ジャックちゃんの言う通り、これは色んなものが混ざっている」
混ざっているという言葉にぞわり、と背筋が粟立つ。
魔物が一匹もいない静かな迷宮。
そこへ唐突に現れた、何かが混ざった物体。
「これはその“残りかす”。お下品な言い方をすると、吐瀉物よ」
嫌な予感が的中してしまった。
「……何かが、ここで魔物……を、大量に“消費した”のね」
グレアさんが魔物のあとの言葉を少し濁す。
微かに「冒険者」と聞こえた。
(せめて、犠牲が少ないことを願おう)
グレアさんは無表情だ。
ジャックは舌打ちをして、フードを深く被りなおしている。
俺はぎゅっと拳を握りしめる。
爪が肉に食い込み、血が滲む感触がした。
三人とも何も言えず、沈黙だけが流れる。
そのときだった。
――ズル。
何かが這う音。
――ピチャ。
粘着質の何かがこっちに向かってきている。
水音のような。肉が擦れるような。
不快な音が近づいていた。
――ぐちゅり。
俺たちは三人同時に顔を上げる。
「二人とも気を付けて、来るわ」
「わかってます」
「言われるまでもねぇ」
通路の奥だ。
松明の届かない、暗がりの中で、何かが動いた。
グレアさんが真っ先に拳を構える。
「へっ! 本命のお出ましってか」
ジャックが笑う。
だが、いつものふざけた笑いではない。
真剣な顔つき。獲物を見定める狩人の目つきだ。
俺も武器に手をかけて、いつでも動けるように臨戦態勢をとる。
(なんだ、これは……)
俺たちの前に現れたのは、奇妙な物体。
形が、はっきりしない。不定形のスライムのような魔物だ。
魔物と言っていいのかもわからないが。
「ひどい臭いだ……」
「まったくだな。コートに臭いが染みついちまいそうだぜ」
通路を覆い尽くすほどの大きさ。
そいつの身体がぼこぼこと沸騰したように泡立つ。
――バチャ。メリッ。ゴキュ。
腕が生えた。人間の腕だ。
まるでもがくように、ぶらぶらと腕が揺れる。
続いて目がぎょろと浮かび上がった。それも無数に。
どれも魔物のもの。
ゴブリンにコボルト、一階の魔物だ。
目と視線が合う。
一斉にこちらを見つめている。
『ギェエエエェェ』
『こっちこっち。やっときた。タスケテぇ』
魔物の断末魔に人語が混じって、めちゃくちゃだ。
『タスケテ』
『タスケテ』
助けを求めているようだが、そうじゃない。
どの目もぎらぎらしていて、明確な殺意を持ってこっちを見ている。
明らかな捕食者の目。
「チーフちゃん、ジャックちゃん」
グレアさんの声が低くなる。
「ええ。分かってます。俺たちがここで止める!」
もう、これは調査どころじゃない。
俺たちは迷宮変化に巻き込まれた。
よりによって大当たり。とんでもないのと遭遇しちまった。
しかも、かなり悪趣味で、吐き気がするやつだ。
「ばーさん! チーフ! 構えろッ、来るぞ!」
言われるまでもない。
ここで討伐しなきゃ、被害が拡大しちまう。
(ちくしょう! 俺はただの窓口係だってのにな!)
心の中でギルド長とジャックへありったけの罵詈雑言を吐き出す。
巻き込んでしまったグレアさんには土下座だ。
ナイフを引き抜き、油断なく構える。
まだ調査は終わりそうにない。
――その瞬間、ソイツが“動いた”。




