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殺意感染――次の犠牲者は チャプター7

 「どういうことよ!」

 忌まわしい惨殺事件から、二日が経過した。

 俺達五人は、野本の病室に集まっていた。

 「野本が襲われて、寺井がいなくなって、運転手が死んで、そして今度は倉森が殺された! どうしてこんな理不尽な目に合わないといけないのよ! ふざけんじゃねーよ!」

 「織田さん、落ち着いてよ!」

 「お前は怖くないの? 普通じゃないわよあんな死に方!」

 荒ぶる織田が、空のごみ箱を思い切りけり倒す。カラカラと転がるプラスチック製のごみ箱。

 夕焼けの空は、まるで血の色だ。カーテンを揺らし吹き込む蝉の鳴き声はいら立ちを通り越して殺意すら湧くほどに、俺は、いや、多分俺含む五人は精神的な摩耗を見せていた。

 稲村は黙りこくったまま、感情の抜け落ちた人形のようにベッドに座っているだけで、織田の狂乱には目もくれない。

 もう、これは偶然とは呼べない。

 「やっぱりあたしたち呪われたんだよ! あの姫路っていう女に! きっとそうよ!」

 キンキンと彼女の断末魔にも似た主張に、反論できるものは一人もいなかった。織田の剣幕もそうだが、それ以前に、彼女の言い分に反論できる要素を見いだせなかったからだ。

 冷静で理知的な倉森は死んだ。

 俺たちは頭脳という点で致命的な欠落を許容してしまったのだ。

 「……正直、お前らに聞きたい」

 「なんだ? 藤間」

 「幽霊の仕業だと、皆はそう思っているのか?」

 倉森は最期まで人間の起こした事件だと考えていた。事実、俺は未だに迷っている。人がやったのか、それとも呪いなのか。

 天澤の考察も、もはや心もとないものとなっていた。理不尽は人を疑心暗鬼に陥れる。何が事実で、何が架空なのか、それ全てが分からない。

 「……否定、できないと思う」

 「相変わらず視線を感じているのかい」

 野本の問いに、コクンと頷く弥生。

 「あれから、ずっと感じるの。神経過敏になってるのかもしれない」

 「そりゃそうだろ。あんなことがあったんだから」

 事実、俺も嫌な幻覚を見たり、悪夢に苛まれた。

 悪夢の内容は覚えていない。ただし、目が覚めると、いつだって寝具が汗でべったりと肌に張り付いている。

 幻覚はひどいもので、視界の隅にちらりと女の影が映ったと錯覚してしまうのだ。

 何かがいるのではないか。誰かが見張っているのではないか。

 もはやそれは強迫観念と化していて、弥生と同じく、視線を感じるという被害妄想にも似た薄気味悪さを腹に抱えているのだ。

 「もう、止められない」

 稲村が顔を上げ、天を見つめる。焦点の合わない目に、俺は得も言われぬ気持ち悪さを感じた。

 「俺らはもう、全員殺される。それが遅いか早いかの違いだけ」

 ぼそぼそと聞こえづらいはずの音程は、奇妙なほどに遠くまで響いた。

 「結局、行きつく先は、皆殺しだ」

 「これ以上不安にさせるようなこと言わないでよ!」

 織田が稲村につかみかかった。

 「人の不安を煽って楽しい?」

 「やめようよ、織田さん!」

 強引に間に割って入る弥生。織田は激昂で顔を真っ赤にしながら、荒い息をついている。

 「こんな喧嘩したってどうしようもないよ! ね、そうでしょ!」

 「はぁ? 大体、こんなことになったのだってお前が悪いんじゃねーか! 平塚」

 「え……私が?」

 弥生に攻め寄る織田は、唾を飛ばしながらわめきたてる。

 「大体あんたが稲村のために変なもんを企画したからこんなことが起きてるんじゃないの! あんたと関わんなかった十年間、あたしたち何も起きて無かったよね! だとしたらあんたがこの事態を引き起こしたも同然なのよ分かる?」

 「そ、そんなこと……」

 「全部あんたのせいだ! あんたが全部悪い! あんたがこんなくそみたいなことに誘わなければ、こんなことにはならなかったのよ!」

 弥生は言葉に窮したらしい、おびえた眼差しを織田に向けるだけだ。

 「織田、疲れてるんなら今日は――」

 「大体お前があの時稲村と一緒に走って、彼を押したから姫路さんの乗った自転車は倒れた! お前と稲村が全部悪い! お前らが姫路を殺して! あたしたちがこんな目に逢っているんでしょ!」

 「ち、違うよ! 私はただ――」

 「ふっざけんな売女! お前らが全部悪い! お前らのせいでこんなことになった! あんた一回死んでよ! こんなことにあたしたちを巻き込みやがって! 大体倉森だってあんな所に行こうと提案したじゃない、それがすべて悪かったのよ! あんな女、死んで当然!」

 「落ち着けよ!」

 ついに野本がキレた。

 「お前だけが怖いわけじゃないだろう。僕の病室で騒がないでくれ! 死んだ人間を侮辱してどうにかなるの?」

 「ふざけるなよ! 被害者ぶってるんじゃねーよ!」

 「被害者ぶってるのはお前だろう! グダグダグダグダやかましいんだよ! そんなことしてる暇があったら俺たちがどうやって生き延びられるか考えてくれないかな!」

 俺が助け船を出す。さすがにこれは目に余る行為だ。人に責任転嫁して、自分は潔白だと主張する態度に腹が立つ。織田は言葉を窮するように押し黙る。

 「僕だってこんなことを言いたくない。けどさ、分かるよね。まだ僕は死にたくないんだよ!」 

 重苦しい沈黙が下りる。野本は思い出したように右肩を抑え、歯を食いしばる。

 「けれど、問題はこれからどうするか、だよね」

 弥生が尋ねる。

 「もう、どうしようもないよ」

 「稲村は黙ってよ!」

 「織田! ……稲村も不安になる言い草はよせ」

 俺が宥めると、再び二人は静まり返る。無気力な稲村と違い、織田は彼を殺意を込めた目で見つめていた。

 現時点で、俺たちはそれぞれの情報を共有していた。数日前――警察の事情聴取を受けたあと――倉森の考えと、廃墟で起こった一連の出来事などはすでに話し終えている。

 「警察は使えない中、俺たちはなるべく一緒に行動するべきだと思う」

 事実俺たちは指し合わせ、全員が倉森の家に遊びに行き、死体を発見したという経緯をそれぞれ取調室で話していた。

 もし下手な発言をすると、十年前見殺しにしたことが露見する。だからこそ、多くを語らず、このような趣旨の供述を形成したのだ。

 第一幽霊に追われているなんて警察に言えるはずなんてないだろう。

 必然的に、俺たちは自衛をしなければならないのだ。

 俺達だけの、力で。

 「……提案があるの」

 「なんだ?」

 「全員でまとまらない? もし何かあっても、近くに皆がいさえすれば何とかなると思うの」

 弥生が説明する。

 「野本君の病室を拠点にして、全員で監視しあうの。そうすれば」

 「却下するよ」

 間髪入れずに首を振ったのは稲村だった。

 「どうせ死ぬんだ、こんなところにいたくないね」

 「あたしだってごめんだわ。……あんたらと一緒にいたくないわ。殺人犯たち」

 ぎろりと野本を睨みつけ、舌打ち交じりに病室から出ていった。野本は面食らった様子だったが、やがて表情が曇る。

 「稲村君は絶対一緒にいたほうがいいよ! 殺されるかもしれないんだよ!」

 その通りだ。彼の精神面から考慮しても、なるべく他者とともに行動をしたほうがいいだろう。

 「言っただろ、皆死ぬって。こんなところで無為に時間を過ごすわけにはいかないから」

 眼鏡を押し上げ、彼も退出する。

 「待ってよ、稲村君!」

 弥生の呼びかけを黙殺し、彼は立ち去ってしまった。残されたのは、俺と弥生、野本だけだった。

 「僕は賛成――と言いたいところだけど、病室は夜六時までしか開いていない……」

 はっと表情をこわばらせる弥生。そうだ、親族でもない俺たちが、野本の部屋に泊まることなんてできない。彼の意思がどうであれ、弥生の策は実行不可能なのだ。

 「けど、野本の場合は何かあったらナースコールを呼べる。幸運なことに、野本の病室のすぐそばにナース室がある」

 「そっか。じゃあ、二人だけだね」

 「……そうだな」

 残ったのは、俺と弥生。

 そろそろ、面会時間が終わろうとしていた。


 「失礼します」

 弥生の住むアパートは、俺が住んでいるものとは全く違い、ひどく絢爛だった。

 大きなリビングに、広い台所。彼女自身は自炊をしているらしく、水場には使用済みの食器が置かれていた。

 「狭くてごめんね」

 「いや。俺の家よりいいところに住んでるんだな」

 リビングの大きな机には紙の原稿が重ねられていた。弥生曰く、ワープロ系に苦手意識があるらしく、未だに直筆の原稿を使っているそうだ。

 「古風だな。今の時代に」

 「もともとキーボードのタイピングが不得手だから。それに生の原稿に文字を落としていると、ああ、私は小説を書いているんだという気分に浸れるんだ」

 「そういうものなんだ」

 ふかふかのソファに腰を下ろすと、思いのほか沈むため驚く。お母さんが送ってきてくれたんだ、と微笑し、弥生は何が食べたい? と聞く。

 「作ってくれるの?」

 「貴方ずぼらそうだし、大したもの食べたないでしょ」

 「ご名答。カップ麺しか食べてないわ」

 「カルボナーラでいいかしら」

 「なんでも食える。ありがとな」

 俺が弥生の家に転がり込んだ理由は至極簡単だ。

 あの血まみれの女は俺の住宅街付近にいた。いつあの女が表札でも確認して――相手が俺の素性を知っているかどうかはこちらからは分からないけれど、常に最悪の想定をしなければいけないというのが双方の合意で決まっていた。――特定されるか分からない。

 ならば足がついていない弥生の家にいたほうが一番良いと彼女が提案したのだ。

 正直女性の家に寝泊まりすることなんて今までの人生でなかったため、緊張してないと言えばうそになる。しかし、この現状ときめいている場合なんてない。

 「俺も手伝うよ」

 「大丈夫。藤間君はゆっくりしてて」

 弥生はかたくなに俺の手伝いを拒む。彼女からしたら、俺はお客さんなのだろう、手を煩わせたくないという意図が見て取れた。

 暫くの静寂は、いつもの重苦しい雰囲気ではない、どこか温度がある静けさだった。

 夜のとばりに包まれた大空。時刻は夜の十時を回っていた。

 「そうだ、藤間君、自分の着替えを私の部屋の片隅に置いといて」

 「ああ。悪いな」

 一度家に帰り持ってきた生活必需品が詰まったスーツケースをころころと転がし、俺は弥生の部屋に入る。

 ベッドがあるだけの、殺風景な部屋だった。

 なるべく邪魔にならないように、俺は部屋の角にスーツケースを置く。

 部屋には良い香りが広がっていた。弥生が身にまとっている香水だろうか。

 唐突に俺は、異性の部屋に合法的にいる状況に気づく。ドキドキしてしまうのは仕方がないだろう。高校時代で俺は一人の女性と付き合ったことがあるが、一年ほど過ぎたあたりでフェードアウトしてしまった。

 「そういや、あの子の部屋に入ったこともなかったな」

 相手が交際を申し出たから、彼女ありというステータスを得るために付き合っただけだった。そこには愛なんて介在していなかったし、結局は不誠実の塊だった気もする。

 「はぁ、こんな事態じゃなかったら素直に喜べたんだけどな……」

 そう思いながら、俺はふっとベッドの上にノートがあるのを見つけた。可愛いピンクのマスコットキャラクターが笑顔で手を振っている表紙。

 「あいつらしいな」

 名前のところに日記、と書かれ、伏せられているノート。

 何気なく日記を見、俺は戦慄する。


 『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい』

 

 「藤間君、何してるの? そろそろカルボナーラできるわよ」

 「分かった!」

 ドキリと心臓が跳ねる。

 俺はなるべく先ほどの通りに日記を伏せ、再びリビングへ舞い戻った。


 「おいしかったー! けどごめんね、皿洗いやってもらって」

 「さすがにそれくらいやらねーとな。一人に負担させたくないんだ」

 シャコシャコと食器をゆすぐ傍らに、弥生が申し訳なさそうな表情で突っ立っている。

 「それに、こんな時だ。助けあわないと」

 「家事くらい一人でできるのに。ま、楽になったわ、ありがと」

 「ああ」

 カルボナーラは添えられたセロリすらおいしく感じてしまうほどに美味だった。

 「こうしてみるとさ」

 「なんだ?」

 「まるで結婚してるみたいだよね」

 結婚の一言に、思わず俺は危うく滑らせそうになる。

 「あらあら。可愛い反応するじゃん」

 ニマニマと笑う弥生。思わず頬が赤くなってしまうのは仕方がないだろう。

 「全く、意識しないでよ。正直言ってこれはやむを得ない手段なんだから」

 「分かってるって」

 「……同じ部屋だからと言って、襲わないでね」

 「マジで止めてくれ」

 そんなことするはずがないだろう。からかってくる彼女を人にらみすると、弥生は冗談冗談と笑い返した。

 「けど、ちょっとだけ心強い」

 しかし、継がれた言葉には、先ほどの覇気はなく。

 どこか、寂しげに聞こえた。

 「……まあな。立て続けに異変が起こってるし、しかも、倉森は」

 ついに死者まで出た。もう、偶然では済まされない。

 助かるための一手を打たなければならないのだ、俺たちは。

 「……藤間君はさ」

 食器を洗い終え、水を止める俺の背中に、弥生の小さな手が当たる。暖かい、生の温度。

 「私を置いて、いなくなったりしないよね」

 柔らかい弥生の手は、かすかに震えていることに俺はようやく気付く。

 弥生は怖いのだ。また再び、何かが起こるという確信があるから。

 次に殺されるのは、弥生かもしれないのだから。

 「……いなくならないよ。絶対」

 振り返り、俺は弥生の手を取る。びくりと弥生の肩が震える。

 「……全部、私のせいだったのかな」

 「仕方がなかっただろ。あれは、どうしようもなかった」

 「けど!」

 「お前のせいだけじゃない。俺たち全員が偶然を重ねてしまったんだ……織田もそれを分かってると思う」

 「そう、だよね」

 瞳に涙を浮かべ、弥生は開いた手で両目をこする。喉からかすかに漏れる嗚咽が、シンクに水滴がぽつ、ぽつと落ちる音と混ざりこむ。

 「だから、そう自分を責めるな。な?」

 突破口は現在見えないし、これからどうすればいいのかもわからない。だからこそ、今は彼女の精神安定剤になってやらなければならない。ただでさえ織田の身勝手な攻撃を受けてつらい目を見ているのだ、他の連中は自分勝手な奴や、不可抗力で動けない人しかいない。

 「藤間君は優しいね」

 鼻をすすり、弥生は跪き、こらえきれずに涙を流す。よほど追い詰められていたのだろう。

 「そんなことないよ。……何とかするんだ、俺達で」

 俺が、守ってやるしかないんだ。

 どうすればよいか、指標が見つかるまで。


 この日は、比較的に安定した夜を過ごした。異変が起こり始めたころ合いから、俺は立て続けに記憶に残らないものの、怖い夢を見続けていた。

 しかし、今夜はそんなことはなく、目が覚めた時にもひどい汗をかかずに済んだ。

 それは寝る前に弥生と交わったからか、あるいはたまたまなのか。

 誘ってきたのは弥生だった。

 「一緒に寝てほしいんだ」

 風呂から上がり、時刻は十二時を過ぎていた。俺には明日仕事があるし、弥生も執筆のノルマをこなさなければならない。早急に寝なければならない中、弥生はどういうことか、添い寝を所望してきた。

 「いや、俺は別に地面で眠れる。それにソファだってあるし」

 「……そばにいてよ。お願いだから」

 弥生はベッドの隅により、ポンポンと開いたスペースをたたく。

 「不安なの」

 うるんだ瞳で懇願されてしまえば、断るという選択肢は完全に消滅した。結局俺は弥生の隣に転がることになった。弥生の香りが、より一層濃くなる。

 「もっと、そばに」

 恐怖というものは性欲を刺激するものだ、と天澤が話していた――酒の席での出来事だったため、確証なんてないけれど――。弥生の声は彼女としてではなく、女としての色っぽさがにじみ出ていた。

 怖い。

 いつ死ぬか分からない。

 だから俺は弥生を抱いた。異様な状況に侵されて、明日には死ぬ可能性だってゼロではないのだから。

 弥生が俺の挙動一つ一つに感じてくれることを、愛おしいと思いながら、俺は結局最後までしてしまったのだ。

 不誠実かもしれないし、ゴムもつけてなかった。

 普通だったならば糾弾されるその行為を、俺と弥生は黙認した。

 そして、事後の弥生の蕩けた、安心した顔を見、俺はこの人を絶対に守り切ってやると覚悟を決めることになる。

 事実、この出来事は次の日目が覚めてからタブーのような扱いになっていて、二度とこのことを話すことはなかった。けれど何となく、俺と弥生の距離は縮まっていった。


 「へ~平塚さんとヤッたんだ」

 「お前……言い方何とかならねーの?」

 「けどヤッたんだろ?」

 「そうだけどさ……」

 出張を終えた天澤は、何故か日焼けしていた。聞けば出張先でダイビングやら海水浴を楽しんだという。

 昼休みは一時間。その間に、俺と天澤はファミリーレストランにて落ち合っていた。

 「ほら、この前借りていた本」

 「サンキュ」

 あの日、血まみれの女と遭遇した時にならされた電話で話題に上がった本だ。

 「面白かったよ。やっぱりホラーの金字塔は伊達じゃないね。千ページ以上あるから、読破するのが大変だったけど、それ以上に先を読みたいという衝動が強くなる、素晴らしい作品だった」

 「だろ。俺もめちゃくちゃ気に入ってな」

 ラーメンをすすりながら、天澤はずっしりとした重みがある小説を返した。

 「……で、お前はどうするつもりなんだ?」

 「どうするって?」

 「一人、死んだんだろ? 寺井というのも行方不明になっているまま」

 そう、ここに天澤を呼んだ理由は、もちろんこの事態の解決をどうするかを決めたいという意思もあった。

 「どうすればいいかわかってたら、この場にいないだろ」

 「そうだろうね……けど、俺も少しこの状況が手に負えないと思い始めていたんだ」

 「どういうこと?」

 「俺が上げた理論は、ことごとく外れている。それは謝罪するところでもある。悪かった」

 「お前のせいじゃねーよ」

 俺は微笑を浮かべる。見てみると、天澤の目元にはうっすらとした隈があった。

 「現時点でお前らは間違いなくマークされている。平塚さんも同様だ。このままいけば、全滅の可能性だってあるかもしれない。だから対策を打つ必要がある」

 俺はカツカレーを頬張りながら、思考を働かせる。

 「……対策って、どうすれば」

 「先に言っておく。この意見は却下してくれてもかまわない」

 天澤は指を一本立てる。

 その提案は、俺をあの事件から遠ざけるどころか、さらに近づけるものであった。

 「殺された倉森さんが、何に気づいていたか。一緒に探ってみる気はないかい?」

 

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