殺意感染――次の犠牲者は チャプター13
「初めまして。人殺し」
「お前が、姫路か」
「そうだよ? まさか野本がしくじるとは思ってなかったから、驚いた。彼は優秀な手ごまだった。まさか、逆に殺されることになるなんて。……もう一人のほうは?」
「逃がしたよ。これで皆殺し計画はチャラになったざまあみろ」
「残念だけど、君を殺してさっさと追えばいいだけだ。時間はたっぷりあるんだから……指、大丈夫? 血、止まってないけど」
舐るような視線の美愛と向かい合う俺。
この連続殺人を決行し、真をひき殺した運転手含む六人の殺人、および教唆を行った、真犯人。
「どうして……とは、聞くまでもないか」
「貴方も分かっているはずでしょ。どうしてこうなったのか」
「……あんたの姉を見殺しにしたから、か」
「ええ。倉森さんを野本に殺害させたあたりで、私、計画が最後までうまくいくことを確信してたのに、まさか、別にさえないサラリーマンみたいなあんたが、このことを解き明かすとはね」
こうなるなら、早く殺しておくべきだったと悪びれずに美愛はポケットをまさぐった。
取り出されたのは、刺身包丁だった。
「……俺の部屋にあったやつか」
「私があんたを殺すつもりで、血まみれのペイントをつけて追跡した時逃げられちゃったでしょ。貴方の布団の傍にあったちゃぶ台にこれを備えていたんだもん。部屋に入ってすぐあんたを殺すつもりだったのに、いなかったし。むしゃくしゃしてもらってきちゃったよ」
細身のナイフはギラギラと獲物を求めるように鈍色を発していた。残虐な彼女の顔は、まるで無邪気な子供そのものだ。
「どうして、俺たちが見殺しにしたとわかった」
あの場には、俺達しかいなかったはずなのに。
「あの時、誰もいなかった。俺たち以外」
「いたんだよ。私は」
「……どこに」
「正面のビルよ。……あんたたちも入ったでしょ? ずっと廃墟だったところよ」
俺は思い出す。
そうだ、俺はあの時、上のことを見ていなかった。ただひたすら街道しか見ていなかった。
そして、ビルは、廃屋だったか?
「あの時ね、姉貴、看護師やっててね。夜勤を終えて帰ってくるところだったのよ。私はその時中学生でね。まあいうなればシスコンだった。私は上階から見下ろしてた」
上で、美愛は目撃していたのだ。
俺たちが逃げたところを。
「私はすぐに下へ降りた。エレベーターが作動してなかったし、なにしろ足ががくがくしていたから、あんたらと合流することは叶わなかったけど、お姉ちゃんは生きてた。……ごめんねって何度もつぶやいてたわ。何に対してかはわからなかったけれど」
その数分後、私が通報したけれど、結果的に姉は助からなかった。
「けど姫路の家は一軒家だった。廃ビルじゃなかったはずだ」
寺井の死体とともに燃やされた一軒家が、姫路家だった。廃ビルではない。
「私の姉貴が帰る道を私が把握していなかったと思う? ビルの上に上がって、声をかけて驚かせるつもりだった。一緒に帰ろうというつもりだった」
結果として、彼女は現場を目撃した。
「あんたが殺したようなものよ。あんたらがもっと早く通報していれば助かったかもしれなかった。最終的に結果論だけど、けれど、諦めきれないのよ」
美愛は刺身包丁をくるりと回転させ、俺に向ける。
「野本にあったのは本当に偶然。あんたらの痕跡を探しまくってね。最近はインスタグラムとか、織田や寺井がやってたから追跡したり、大学身辺を洗ったり。そしたら、野本が私と同じ大学に在籍してることに気づいたの」
美愛が大学三年のころに、野本が入学してきた。
「私は驚いたわ。こんな偶然がある? 日本には何百もの大学があり、まさか、ここで再会することができるなんてね。だから私は彼にアプローチを掛けた。彼ってば簡単に騙されちゃって。彼と交際することは簡単だった」
「野本を利用するのはお前の計画の内だったのか」
「ええ。酒の勢いでカマを掛けたら、案の定簡単にぼろを出して。おかしったらありゃしない」
「野本は自発的に協力したのか?」
「ええ。驚いたことにね。貴方の助けになりたいとほざいて。利用されてることも知らずに、哀れな男。彼、ヤンデレ気質なところあるでしょ。私のためにひたすら尽くしてくれたわ。本当に爆笑したわ」
彼女は刺身包丁を固く握りしめる。
「親指を切断して痛いでしょ? すぐに楽にしてあげるわ」
「……夢の中で、あんたの姉にあったよ」
「姉貴の?」
興味深そうに首をかしげる美愛。
「お前を止めてくれって言ってた。あの人は、本当に優しい人だよ」
「知っているわ。あんたよりも知ってる。だからこそあんたを殺さなきゃいけない」
「あんたの姉は、真さんが、あんたに復讐してほしいと思うような人なのかよ!」
「お前が姉貴を語るな!」
激昂する彼女が刺身包丁を振り上げる。
即座に俺は身を引き、それを回避する。
「あんたに! 姉貴を! 語る資格なんて! あるはずないでしょ!」
刃が壁を引き裂き、俺の腕にナイフが掠り、血の線が浮き出る。
「殺したお前を、殺さないと、私の贖罪にはならないのよ! だからさっさと死ね!」
背中に壁が当たる。とっさに首を引っ込めると、横一文字に刃が頭上を通り過ぎた。
「ふざけるなよ!」
彼女の腕をとらえる。ナイフを振りかざすことに慣れていないのだ、簡単に取り押さえることができた。
「確かに俺たちはあいつを見殺しにした! 美愛、お前が俺たちを恨むのは分かる。だけど、だからと言って生きている皆を殺し続けることは間違ってる!」
「法廷で裁けないお前らが生きていることが害悪そのものなんだよ!」
不意に鳩尾に激痛が走った。
膝で思い切り突かれたのだ。
思わず手の力が緩み、その場に崩れ落ちる。
刹那、肩に痛みが走った。
「ああ!」
逆手に持った美愛のナイフが左肩を突き刺したのだ。
「自分を正当化しているお前みたいなやつが生きていることがいらいらする!」
引き抜かれたナイフ。傷口からコ゚ポリと血が溢れる感覚がする。
痛くはない。ただ、ひたすら熱い。
「ク……」
渾身の蹴りが美愛の腕をはじき、手からナイフが落ちた。
「しま――」
表情を崩す美愛の一瞬の隙を取って、俺は美愛に馬乗りになる。
「けれど、天澤を殺す必要なんてなかっただろう!」
「大切な人が殺される気持ちが分かっただろうが!」
不意に彼女がポケットに手を突っ込んだ。
「あんたも地獄へ送ってやるよ!」
飛び出したのは……。
拳銃だった。
「どうしてそれを……」
俺の腹部に銃口を押し付ける美愛は、勝ち誇ったように嗤った。
「私が奥の手を持っていないはずないでしょ。バァカ!」
鋭い発砲音が鳴った。
耳がガンガンする。音だけで視界がぐらつくほどの轟音。
地面に血が滴り落ちた。
吐血したのは。
美愛だった。
「なん……で……」
美愛は絶句しながら、俺を見上げる。
彼女の脇腹には、ナイフが突き立てられていた。
美愛は何が分かったか分からないようで、拳銃を上に構えながら硬直していた。
「あれ……私……なんで、刺され……て」
発砲される寸前、転がったナイフを握りしめ、思い切り彼女の肢体に突き刺したのだ。
じわじわと広がる血の円。
口から血潮を吹く美愛は、やがて状況を全て理解したようで、引き笑いをしながら宙に浮かせた腕を地面に垂らす。
しかし、俺も美愛に覆いかぶさるようにして倒れた。
口から血が溢れる。
指が無くなり、左腕を刺され、腹部を撃ちぬかれたのだ。
「くっそ……」
美愛はカラカラと笑いながらも、美愛は浅い呼吸を繰り返す。濃厚な血の臭いが漂い、地面が二人の血でぬれていく。
「はは……私の……勝ち……だ……ざまあみ……ろ……」
やがて彼女は意識を失ったようで、そのまま目を瞑り静かになった。
死んだのかと思ったのだが、わずかながら呼吸があった。……出血により気絶しただけだろう。
「……ふざけやがって。何が、勝ちだよ」
立ち上がると激痛が走る。もうどこが痛いのかが分からない。体じゅうに激痛が反響しているという表現正しいだろうか。意識ももうろうとし、白いシャツが赤く染まっていくのが見える。
必死に体を起こすと、ぴちゃぴちゃと地面に自分の血が滴り落ちる。激痛を堪えながら、ひざを折って、ふらふらとまるでゾンビのように立ち上がる。
「平塚は……もう、通報、したのか……」
水を打ったように静まり返る室内。俺は玄関に向かい、鍵を開ける。
難なく解錠することができた。結局スマホは見つからなかったため、警察に連絡する手段はない。弥生はうまい具合に公衆電話を見つけることができただろうか。
いずれにせよ、まだ美愛は生きている。
「警察に……」
壁に手を当て、這うように外へ出る。
ただの住宅街だ。しかし現在位置は見当がつかない。
「くそ……どこだよ……ここ」
閑散とした住宅街。しかし、ややわずかに空が明るくなりはじめていた。そろそろ五時を指そうという頃合いだろう。始発もそろそろ始まっている時間。
たった一日で、たくさんの人が死んだ。
そして今や俺も死にかけている。
「終わったんだな、全て」
朝焼けに染まる空を見、ポツリと俺は独白した。
これで、全てが終わったのだ。
これ以上の犠牲が出ることは。
弥生が非業の死を遂げることは。
もう、二度とないのだ。
何も成せず、守れなかった俺は、唯一弥生を守り切ることができた。
それだけが、今の俺の虚無感と絶望の中、唯一の希望のように思えてならなかった。
ぽたぽたと俺が歩いた道に自分の血が落ちていく。
激痛で膝から崩れ落ちそうになるのを必死にこらえ、震える体に鞭打ってひたすら歩き続ける。
鳩尾に強く手を当て、止血を試みるが、結局意味がなく、手のひらから血が滴り落ちる。
「……死ぬのか、俺は」
心のどこかで思っていた、自分は生き残れるという確信。きっと、殺される直前に陥った倉森たちも、俺と同じ気持ちを味わい死んでいったのだろう。
こんな時に限って誰もいない。助けてくれる者はいない。あの日、真を助けなかったように。
「因果応報というもの、か」
真は妹を止めろと願った。それを俺は叶えることができなかった。
そして、本来なら平凡の道を歩むはずだった美愛を、復讐鬼にしてしまった。
彼女も、憐れむべき被害者なのだ。
そしてそれを作り出したのは、俺達。
時が戻るならば、やり直したい。
真を救い、全ての元凶を破壊したい。
あの時、俺たちにその勇気がなかった。
見殺しにする以外の選択肢を選ぶことができなかった。
「何も成せなかった」
何もできなかったことが、全ての原因だったのだ。
そして、そのために、俺も死ぬのだ。
何分経過しただろうか、もはや時間感覚すら狂っており、視界がぼやける。
しかし、俺は唐突に気づいた。
本当に唐突に、だ。
「ここは……」
全ての始まりの場所。
天高く伸びる廃屋のビル。
わずかに見える商店街の一角。
電柱に添えられた花。
「まさか、ここにくるとはな」
五年前、姫路真が死んだ道が、そこにはあった。
薄く白掛かった空。
先ほど俺と弥生が、織田の救援要請を受けて訪れた廃ビルもある。
稲村が地面に叩きつけられたらしき血の跡は残っているが、警官の姿はない。大方事件性はないとか判断して引き上げたのだろう。
そういえば、織田の亡骸は見つかったのだろうか。
「ここからなら、交番が、近い、はず」
しかし、かなり距離がある。
不意に足がふらついた。バランスを保てず崩れ落ちる俺。
悔しいが、足が動きそうになかった。まるで自分の足でないかのように、感覚がなく、意思に反して動くことがなかった。
「動け……!」
のどがカラカラだ。呼吸するたびに下腹部に激痛が走り、地面に血が広がっていく。道のど真ん中に倒れたまま、指一本も動かすことができない。
苦しい。痛い。怖い。吐きそう。絶望。焦燥。
「誰か……」
刹那、耳に異音が入る。
視線だけずらし、道の奥行きを見、絶句した。
大型のトラックが、俺めがけて突進してきていた。
運転手が唖然とした表情をしていたのが、やけにスローモーションに映った。きっと、この時間帯には人がいないと思い込んでいたのだろう。急ブレーキの甲高い音と相反し、凶悪な鉄の塊のスピードは一切落ちる気配がない。
ああ、死ぬ。
姫路真は、まさに俺と同じ感覚を味わって死んだのか。
あっさりと俺は、自分の生命をあきらめる決意をしていた。
近づくトラック。
動けない俺。
運転手が何か叫んだが、聞こえることはなかった。
「ごめんな、皆」
今まで感じたことのない衝撃とともに、俺の意識は吹き飛び、視界が闇へ落ちた。




