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殺意感染――次の犠牲者は チャプター11

 気づくと俺は道に突っ立っていた。

 言わずもがな、あの時、俺たちが彼女――姫路を見捨て、逃げた、因縁の場所。

 「ここは……」

 何度も、何度も逃げたことを後悔したな、と感傷に浸りながらも、俺は周囲を見渡す。

 突き抜けるような、雲一つない青い空。

 そして、誰もいない、閑散とした空間。

 姫路も、野本も、稲村も、織田も、倉森も、寺井も、車も、姫路も、何もない。

 俺一人だった。

 「懐かしいな。なんというか、夢にしてはリアルだな」

 頬をつまむと痛いし、しかも感覚がリアルだ。ムシムシした暑さで汗がじっとりと出るほどだ。

 夢だと理解できている、夢。

 「誰も、いないのか」

 織田や稲村が死んだビル。

 花が添えてあった電柱。

 まさにここで、惨劇の原点である事件が起こった。

 「藤間さんだよね」

 振り返ると、ある女性が立っていた。その顔には見覚えがあった。

 「……姫路さん」

 姫路真は血まみれでなく、ましてや肢体も満足についていて、まるで生者のようだった。

 美しい女性だった。長い髪の毛は熱風にふわりと揺らぎ、大人っぽい色香がある女性だった。

 「久しぶりですね、といっても、会いたくなかったでしょうけど」

 「……ずっと、謝りたかった」

 思わず口から出たのは謝罪の言葉だった。十年前、ずっと言いたかったことだ。

 真は一切攻めることなく、俺を許した。

 「仕方ないわ。私だって逆の立場だったら逃げるし」

 気さくに話しかける姫路は、本当に俺のことを恨んでいなさそうだった――結局夢の中だからこそ、俺の願望でしかなかったのかもしれないが――。

 「私も、もちろん死にたくなかったわ。……けど、それよりも、正直、妹が暴走しているのは嫌だと思う」

 「妹?」

 姫路美愛のことを指しているのは、明らかだった。

 「……やっぱり、彼女が犯人なんですか」

 俺の言葉に真は曖昧に笑みを浮かべるだけにとどめた。

 「どうして俺に忠告してくれるんですか」

 不可解だった。夢とはいえ、このような忠告を姫路がしてくれる義理などないではないか。

 けれど、彼女は微笑を浮かべたまま、そうだなーと笑う。

 「ある女性にね、貴方のところに行きなさいって言われたの。だから、ここに来た。もう、この惨劇を終わらせてほしかったから」

 彼女は少しだけ表情を曇らせた後、やがて悲しげに笑った。

 「手遅れかもしれない。けれど、私は貴方に懸けたい」

 姫路の体が、やがて透明になっていく。

 「お願い」

 妹を止めて。

 その言葉を最後に、俺の意識は再びブラックアウトした。





 「――! ――――君――! ――――間君!」

 ぼんやりと視界に光が入る。

 「……ん?」

 ほの暗く照らし出された室内。

 窓があるだけの、がらんどうとした部屋。

 「……ここは」

 起き上がろうとした途端、頭に激痛が突き抜けた。思わず両手で頭を押さえようとして、初めて自分の左手が手錠ではめられていることに気づく。その手錠は、白い壁に据え付けられている用途不明の鉄格子にかかっており、逃げ出すことはできないようだった。見れば弥生も俺と同じようにつながれており、脱走は不可能だった。

 「大丈夫? 藤間君」

 聞かれた途端、俺はすぐに気づく。

 「そうだ、俺は――」

 確か、背後から殴られて――。

 「くそ、めっちゃ痛い」

 ズキズキと思い出したように痛みが走る。窓の外は未だ暗雲とした夜空が覗いている。

 そばには、弥生がいた。

 「……! 平塚!」

 「大丈夫? 血が頭から出てるよ」

 「……ああ」

 思い切り殴られたのだ、殺されていないだけ、まだましだ。

 ……しかし。

 「ここは、どこなんだ?」

 「私もわからない。気づいたらここにいて、そしたらそばに藤間君が……」

 どうやら弥生も数分前ほどに目を覚ましたらしく、俺たちをここへ監禁した人間は分からないらしかった。

 俺は窓の外を見やる。

 ……目下に住宅街が広がっているだけだ。二階なのだろう。窓の隙間から覗く街路は閑散としており、天には月が上っているだけで、星すらも望めない。

 「……叩き割るか」

 「けど、二階だよ。しかも手錠があるし」

 弥生は自分の華奢な手首に幕突く手錠を見やる。銀色の手錠は、俺自身の温度を吸収し、やや生ぬるくなっている。

 電気は天井に吊り下げられたランプだけだ。電化製品の類はあるものの、消灯されている。地面は埃はなく、どこか生活臭を漂わせている。

 ……誰かが住んでいる。

 俺たちの他に、誰かがいるということだ。

 「……くそ」

 「どうしよう。……私たち、どうなるの」

 「分からない……お前、消えた時に何か見たか?」

 弥生曰く、人影――これはのち転落死した稲村だったわけだけれど――を確認し、俺に降りるように指示された直後、突如後頭部を殴られ、意識を失ったという。

 そして、今ここにいるらしい。

 「というより、手首にかかった手錠を何とかしなければならないよな」

 抜けそうで抜けない。力任せに引っ張るも意味がなかった。

 けれど、抜けなければ、俺は殺される。

 「せめて親指を何とか出来れば……」

 ひたすら四苦八苦していると、どさりと胸元から本が落ちた。

 数学の参考書だった。

 何故ここにあるのか。

 「……なにこれ」

 「倉森の研究室にあったんだ」

 「まさか、暗号?」

 「ああ。途中までは分かったんだけど」

 「途中までって……すごいじゃない! よくわかったね」

 「天澤がいてくれたから。……もう、死んじまったけど」

 手短に俺は事の経緯を話すと、弥生は絶句した。

 「そうなの……それは、つらかったわね」

 「だからこそ、生きてここから脱出するんだ。……あいつの分まで生きなければいけない」

 なんとしてでも奴が来る前に手錠を外さないと。

 「というか、この紙も?」

 「そう」

 「どこまでわかったの?」

 「Caesar以外ならすべてわかった。あとはどうすればいいか分からない」

 「シーザー?」

 弥生はそれきり黙り込んだ。俺もいまさらそんな話をしている余裕はなかったので、黙々と試行錯誤を重ねる。

 「……シーザー暗号」

 不意に、彼女が呟いた。

 「何?」

 「シーザー暗号って知ってる?」

 「シーザー暗号?」

 聞いたことがない。

 「なんだ、それ」

 「非常に簡単な暗号よ。古代ローマでカエサル――英語でシーザーと呼ばれる人が用いた物なの小説を書くときに知識として仕入れたことがある」

 弥生はこめかみに手を当てながら、淡々と説明していく。

 「暗号はアルゴリズムと鍵ーーようは数字のことーーと呼ばれるもので形成されている。アルゴリズムを解読するには鍵が必要なの。暗号はローマ字が使われる。そこには一見意味のなさない羅列が並べられている。しかし、鍵によって、ローマ字を鍵の数と同じように辞書順にずらし、意味を成す文体として形成されるものなの」

 彼女も完璧に把握していないようで、時々つっかえたように考えるそぶりを見せていた。

 「よく意味が分からない。具体的な例はないのか?」

 「そうね。例えば、GHQZCTJZ XZXNHという文字。この鍵を一として、前に変換するとどうなると思う?」

 「それは……」

 鍵を一。

 辞書順とは、a,b,c,dという羅列を指している。

 ……前に変換。

 「HIRADUKA YAYOI。平塚弥生、か」

 だとしたら、これは。

 俺はポケットから暗号を取り出す。

 

  『Caesar


  [p213 245番(3)]


 →LMKMRMFY CDHZUDIJ FJITVFPNCV』



 (3) 2+(nー1)3


 「n=1からの代入なら、2、5、8、11、14」

 だとしたらこれは、シーザー暗号の鍵を示していたのではないか。そして、三つの行があるということは、最初の答えから三つが鍵。

 「最初の文字の羅列は二文字前にずらし、次の行は五つ……最後が八つ……」

 俺は数学の参考書の最後のページを開き、空白のページに、胸ポケットから取り出したシャーペンで、必死に変換を始める。しかし、焦っているためかひどく時間がかかる。

 「Lは……N」

 シーザー式暗号は、慣れてしまえば簡単なものだ。そして、鍵がない限り、容易な解読はできない。

 だから、倉森はこの方式で遺した。

 「間に合ってくれ……」

 変換。

 変換。

 変換。

 ゆっくりと、でも確実に、彼女の伝えたい内容が見えてくる。ローマ字がぐるぐると頭の中で旋回する。

 弥生は不安そうに、手錠をいじくっている。目が覚めてから十分ほどが経過している。……そろそろ、俺たちを監禁した主が現れても、おかしくない時間だった。

 そして、唐突に俺は理解した。

 「まさか……」

 けど、これは。

 「どうして……」

 倉森の糸を完全に理解した俺に、弥生は不安げに尋ねる。

 「なんて書いてあったの?」

 弥生の問いに答えることができないほどに、俺は衝撃を受けていた。

 ……いや、違う。

 本当はうっすらと分かっていたのかもしれない。この一連の事件は、弥生の呼びかけによってすべてが始まり、惨劇はその直後に発生していた。

 次々とあの時のメンバーが襲撃されていく中、俺は無意識にその考えに至らないようにセーブを掛けていたのだ。

 俺は……。


 コンコン。


 前触れもなく、俺たちがいる部屋の扉がノックされた。くぐもった音と、ピリリと針い詰められた空気に弥生の肩がびくりと跳ね上がる。俺は暗号に目を落としたまま、動くことができなかった。

 やがて、扉が開かれる音が鳴り、弥生が息を呑む。

 俺は『奴』を睨みつける。

 そして、ああ、倉森は真実まで行きついていたんだなと改めて理解させられたのだ。

 「どうして、貴方が……」

 戦慄く弥生に相反し、俺は呟く。

 「倉森を最初に殺したのは、お前が犯人であると目星をつけてしまったためということか?」

 『奴』は突然の発言に目を丸くする。

 「倉森はあんたの正体に気づいていた。そして、お前と姫路をつなぐ関係性も、恐らく理解していた。理由は分からない。けれど、彼女は聡明だった。だからあんたは倉森を殺害した。あのビルは古くて、監視カメラも作動していないようなものだった。……殺すのは、簡単だったはずだ」

 奴はにたりと微笑をたたえ、頷く。

 彼の手に握られていたのは、一本の中華包丁。

 スーツを着た彼は、屈託ない笑みを浮かべながらも、冷酷な目をしたまま、俺たちを見下ろしていた。

 「全く、驚いたよ。倉森を殺して口封じしたはずなのに、どうしてばれちゃったんだろう」

 「あいつが遺しておいてくれた。パソコンの裏にな」

 「あれ? ……あ、そうか。メモにして残してたんだ。倉森、死ぬ前にパソコンをちらちら見てたから、ダイイングメッセージでもあるのかなと思ってぶっ壊したんだけど、なるほど、メッセージを残すのに最も適しているパソコンを初期に破壊させることで、他のメッセージを探そうという行動をおのずと選択させない腹積もりだったんだ」

 うかつだったなと彼は笑う。

 その表情は、既に狂気に塗れたそれだった。

 「……倉森のパスワードを教えてやるよ」

 倉森の遺志を継ぐ。

 「LMKMRMFY CDHZUDIJ FJITVFPNCV。

 これを変換する」

 俺は先ほどとったメモを、奴の面前に突き付けた。

 nomotohahimezinokonyakusha

 「野本は姫路の婚約者。……お前は、姫路の復讐の代行者だったんだ」

 俺の言葉に、『奴』――野本竜輝は、正解だと嗤った。

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