17.
王宮の正門前。馬車から降りた私は、緊張で少し震える弟の手を優しく握った。
「大丈夫よ、エミル。私がついてるから」 「うん……ありがとう、姉さん。姉さんがパートナーで本当によかった」
エミルは今日、男爵家の当主代理として招待されている。 サイズの合った礼服に身を包み、儚げに微笑むその姿は、まさに「守ってあげたくなる美少年」そのものだ。
「……おい。いつまで入り口で立ち止まっているつもりだ」
背後から、不機嫌そうな低音が響いた。 振り返ると、そこには「彼」が立っていた。
「ク、クライヴ様……」
私は思わず息を呑んだ。 今日のクライヴ様は、いつものボサボサ頭の引きこもり魔術師ではない。
腰まである長い銀髪は艶やかに手入れされ、首の後ろで黒いベルベットのリボンによって一つに束ねられている。 露わになった端正な額と、鋭い眉。漆黒の燕尾服に、私とお揃いのアメジストのタイ。 大人の男の色気と、王族のような威圧感を纏ったその姿は、直視できないほど美しかった。
「行くぞ。私の視界から離れるな」
彼は招待状も持たずに(顔パスで)、私たち二人の背後を護衛のように歩き出した。
◇
会場の巨大な扉が開かれる。
「――バーンズ男爵家当主代理、エミル様。ならびに姉君、ルチア様ご入場!」
アナウンスと共に、私とエミルは腕を組んで大広間へと進んだ。 そして、その数歩後ろから、悠然とクライヴ様が続く。
その瞬間、会場の空気が一変した。 視線の先は、私たちではなく、背後の「銀髪の美丈夫」に釘付けになったのだ。
「まあ、あの方どなた? 異国の公爵様?」 「なんて美しい銀髪……。それにあの色気、ただ者ではないわ」
令嬢たちが扇子で口元を隠し、頬を染めて色めき立つ。 しかし、その熱気はすぐに冷ややかな「恐怖」へと変わった。 誰かが、彼の特徴的な「アメジストの瞳」と、圧倒的な魔力に気づいたからだ。
「……おい、待て。あの銀髪に紫の瞳……まさか」 「数十年間、塔に引きこもって出てこないという、あの……?」 「『元勇者』クライヴか!? なぜこんな所に!?」
会場に戦慄が走る。 変わり者の引きこもり。気に入らないことがあれば王都ごと焼き払いかねない歩く災害。 人々が遠巻きに彼を恐れ始めた。
◇
王の挨拶が終わると私たちは注目の的だった。クライヴ様へ恐怖を示す貴族もいるが、おおよそがその美貌に釘付けなご令嬢たちの視線。そして、エミルもその視線を集める一人であった。
エミルは私の腰にギュッと抱きついた。 周囲の女性たちが「まあ、なんて可愛らしいご兄弟」「可憐だわ」と黄色い声を上げる。 エミルはその整った顔立ちと、病弱さが醸し出す儚い雰囲気で、昔からマダムたちのアイドルだったのだ。
クライヴ様の大人の色気に対比するような庇護欲をそそられる可憐な可愛さがあるエミル。また、病弱なことから表舞台に顔出すことも滅多にないので男爵の位ながら、人気があり、その姿を見られた際には運が良いということで、「幸運の天使」と呼ばれている。
私はエミルに飲み物を渡そうとしたが、背後からの視線が痛い。 クライヴ様が、仁王立ちで私たちを見下ろしているのだ。
「……クライヴ様、そんなに睨まないでください。怖がられますよ」 「睨んでなどいない。監視しているだけだ」
彼が不満げに鼻を鳴らした時、エミルが動いた。 彼は私の腕にギュッと抱きつくと、上目遣いでクライヴ様を見上げた。
「……はじめまして、クライヴ様。 姉がお世話になっています。弟のエミルです」
エミルは怯えた小動物のように震えて見せた。完璧な演技だ。
「……ああ。クライヴだ」
クライヴ様は、ルチアの手前、渋々といった様子で挨拶を返した。 だが、その瞳はお互いに笑っていない。
(……チッ。なんだこの甘ったれたガキは。ルチアにベタベタと……引き剥がしてやりたいが、今は我慢か) (……昔と変わらず気に食わない勇者だな。こっちの正体には気づいてない馬鹿が。確かにすごい魔力だけど、姉さんの前じゃ「怖い人」にはなれないよね?)
火花散る視線の交錯。 先に仕掛けたのはエミルだった。
「姉さん、あっちの料理が美味しそうだよ。一緒に取りに行こう?」 「ええ、いいわよ」
エミルが私の手を引いて歩き出す。 すると、クライヴ様が耐えきれずに私の反対の手を掴んだ。
「待て。勝手に連れ回すな」 「え?」 「ルチアは私の専属だ。私のそばにいろ」
グイッ。 クライヴ様が私を引き寄せる。
「痛っ……!」
「 クライヴ様、乱暴にしないでください! 姉さんが痛がってるじゃないですか!」
エミルも負けじと私の手を引っ張り返す。
「離してください! 今日の姉さんのパートナーは僕です! あなたじゃない!」 「パートナーだと? 笑わせるな。そのか細い腕で何ができる」 「 独身の部外者おじさんは引っ込んでて!」 「……誰がおじさんだ、クソガキ」
ピキッ。 クライヴ様のこめかみに青筋が浮かんだ。 彼は長い銀髪を揺らし、わずかに殺気(魔力)を漏らして一歩踏み出した。
「少し、躾が必要か?」
その瞬間、エミルは好機とばかりに、大げさに悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
「ひっ……!! こ、怖い……!! 殺される……っ!」
エミルはガタガタと震え、涙目で私を見上げた。
「ね、姉さん……助けて……! この人が……魔法で僕を潰そうとしてくる……っ! 息が……っ! ゲホッ、ゲホッ!」 「エミル!?」
私は慌てて弟を抱き起こし、そしてクライヴ様をキッと睨みつけた。
「クライヴ様ッ!!」
「……あ? いや、私はただ……」
「何やってるんですか! 病人のエミルを脅すなんて、大人気なさすぎます!」
私の怒号が響き渡り、周囲の貴族たちがギョッとして振り返った。 あの「生ける災害」に対し、小柄な女性が本気で説教を始めたからだ。
「エミルは今日、勇気を出してここに来たんです! パートナーの私だって、精一杯サポートしようとしてるのに! そんなに意地悪するなら、もう口きいてあげません! 明日の朝ごはんも抜きです!」
シーン……。 会場が凍りつく。 誰もが、私が黒焦げにされる未来を想像した。
しかし、クライヴ様はバツが悪そうに視線を泳がせ、長い髪を指でいじりながらボソッと言った。
「……悪かった。……手は出していないぞ」 「態度が問題なんです! ほら、少し離れていてください! 私はエミルを休ませてきます!」
私はプイッと彼に背を向け、エミルを支えてソファの方へと歩き出した。
取り残された最強の魔導師。 その背中には「怒られた……」という哀愁が漂い、周囲からは「あの大魔導師が尻に敷かれている……」という、畏怖とはまた別のどよめきが巻き起こった。
そして私の腕の中で、エミルだけが、クライヴ様に向けてニヤリと舌を出していた。 (勝ーち。……やっぱりチョロいね、勇者様)




