16.
数日後。 平和な塔でのランチタイムに、一通の手紙が舞い込んだ。 差出人は、愛する弟のエミルだ。
「……えっ」
手紙を読み進めるにつれ、私の視界が涙で滲んでいく。
『拝啓、大好きな姉さんへ。 体の調子はどうですか? 僕は少し良くなったよ。 実は今度、お城で「建国記念舞踏会」があるんだ。 僕、男爵家の当主代理として、勇気を出して出席しようと思う。 でも……やっぱり一人だと怖いし、発作が起きたらどうしようって不安で……。 姉さん、もし迷惑じゃなかったら、僕のパートナーとして付き添ってくれないかな? エミルより』
「エミル……っ! なんて健気なの……!」
私は手紙を胸に抱きしめて泣いた。 あの病弱で、部屋から出るのも怖がっていたあの子が、家の名誉のために公の場に出ようとしている。 成長したんだわ。私が家を出てから、あの子なりに頑張っていたのね。
「クライヴ様! お願いがあります!」
私は食後の紅茶を飲んでいたクライヴ様に詰め寄った。
「来週の舞踏会の日、お休みをください! 弟の付き添いに行かなくちゃいけないんです!」
クライヴ様はカップを置くと、興味なさげに私の方を見た。
「ほう。あの『弟君』からか」 「はい! あ、そうだクライヴ様、聞いてください。この手紙、弟が魔法で転送してくれたんです。あの子、昔から体が弱い代わりに、魔法の才能は天才的なんですよ!」
私は弟の自慢をしたくて、目を輝かせて力説した。 けれど、クライヴ様は「ふーん」と軽く鼻を鳴らしただけだった。
「空間転移か。まあ、人間にしては筋がいいかもしれんが……」
彼は優雅に足を組み替え、呆れたように肩をすくめた。
「所詮は児戯だ。この私に比べれば、赤子のハイハイのようなものだろう」
(ううっ、相変わらず自信家なんだから……)
クライヴにとって、エミルは「取るに足らない病弱な人間」でしかないようだ。 実際、エミルは完璧に「無害な弟」を演じきっており、魔力を完全に隠蔽していたため、さすがの大魔導師クライヴも、彼が「同格の脅威(魔王)」だとは夢にも思っていなかった。
「で、君は行くつもりなのか?」 「はい、もちろん! ……と言いたいところなんですが」
私は自分の服装を見下ろし、シュンと肩を落とした。
「私、舞踏会に着ていけるようなドレスを持ってないんです。実家にあったドレスは全部売っちゃいましたし……。 こんな古着のワンピースで隣を歩いたら、頑張って出席するエミルの顔に泥を塗ってしまいます」
私は手紙を大切に畳み、悲しげに微笑んだ。
「だから、残念ですけど欠席の手紙を書きます。エミルには申し訳ないですけど……」 「……はぁ」
突然、クライヴ様がわざとらしいほど大きなため息をついた。
「君は本当に、欲がないというかなんというか……。 主人の私が許可を出しているのに、服ごときで諦めるつもりか?」
「え? でも、ドレスなんて高いですし……」 「金の話などしていない。君は私の『専属』だと言っただろう」
クライヴ様は立ち上がると、パチンと指を鳴らした。
シュオオオッ……!
その瞬間、部屋の中にあるカーテンの布地や、花瓶の花々が光の粒子となって舞い上がった。 それらが私の体の周りを螺旋状に回り、瞬く間に形を変えていく。
「え、えええっ!?」
光が収まった時。 私が着ていた質素な服は、夜空を切り取ったような「アメジスト色のドレス」に変わっていた。
「す、すごい……!」
鏡を見て息を呑む。 深い紫色の生地は、見る角度によって妖艶な光沢を放ち、腰回りには銀糸の刺繍が施されている。 背中が大きく開いたデザインは少し大胆だけれど、品があって、何より――。
「……うん。悪くない」
クライヴ様が背後から近づき、満足げに私の腰に手を回した。 鏡越しに目が合う。 彼の瞳の色と、私のドレスの色。 そして、私の胸元で輝くネックレス。 すべてが同じ「紫色」で統一されていた。
「これなら、遠目からでも君が『誰のもの』か一目瞭然だ」 「え?」 「いや、なんでもない。虫除けには十分だということだ」
彼は私の耳元で囁くと、意地悪く口角を上げた。
「さあ、私も同行するぞ、ルチア。 王宮には古狸(国王)もいれば、性悪な聖女もいる。そんな魔窟に、大事な部下を丸腰で放り込めるわけがないからな」
はい? 私は思わず目を丸くした。
「く、クライヴ様がですか? でも、招待状がないと入れませんし、そもそもクライヴ様は人混みが嫌いじゃ……」
「招待状? そんな紙切れ、私が会場に行けばフリーパスだ。誰がこの私を止められる?」
確かに。 元・救国の英雄にして、現・最強の大魔導師。 門番が槍を向けた瞬間に、門ごと消し炭にされそうだ。
彼は「これは業務命令だ」と言わんばかりの顔で断言した。 うう、正論だ。聖女グレンダ様と再会することを考えると、確かに一人では胃が痛くなる。
こうして、私たちは戦場(舞踏会)へと向かうことになった。 「健気な弟」を完璧に演じるエミル。 それを「ただの病弱なシスコン弟」と侮っているクライヴ。 そして、何も知らずに二人の間で揺れ動く私。
それぞれの思惑を乗せて、運命の舞踏会の夜が近づいていた。




