『不吉の子』
延長3年(925年) 9月8日 戊寅
賀茂家に拾われてから1年。
この時忠行様は28歳、保憲は8歳、俺は4歳を迎えた。
現代にしてみれば、4歳は幼稚園か保育園に通っていて、元気に喋り倒していても、なんらおかしくはない。
けれども俺は賀茂家に来てから1年間。一度も言葉を発したことはない。
相変わらず、俺を見る家人たちの目は冷たい。
忠行様と保憲が、誰かに対して不当な扱いを強いる。といった愚行を嫌っていることを知ってか、二人がいる時は取り繕っているものの、俺が一人になった途端、まるでここには誰もいないかのように、俺を無視してくる。だが俺は、そんな家人たちの態度に子どもながら腹が立っていたので、彼らに向かって虫を投げつけたり、動物の粗相を投げつけたりといった報復行動に出ることを覚えた。もちろん、あの二人がいない時に、だ。
我ながらクソガキだったと思う。でも仕掛けてきたのは向こうだ。やられる覚悟がない癖にやるな。という話だ。
忠行様と保憲の知らない所で度々勃発していた、俺vs賀茂家の家人たちによるしょうもない泥仕合は、俺が喋れるようになるまで続いた。
俺が喋りたいと思うようになったのは、この年、賀茂家にもう一人の家族ができてからだった。
「保憲、お前の弟だよ」
「弟……?」
忠行様の腕に抱えられてきた。小さな小さな命。
「名前は『保遠』だ」
白い布に包まれて、保遠と名付けられた赤子は、忠行様の腕の中でスヤスヤと眠っている。
「保憲、そして晴明も。お兄さんとして、仲良くしてやってくれ」
「……はい!」
「!」
保憲が大きな声で返事をすると、驚いたのか、保遠が泣き出してしまった。
「あっ、あっ……、ごめんな、保遠」
「はっは、元気な子だ。おー、よしよし」
「……」
俺はじっと、おぎゃあおぎゃあと泣く保遠の顔をじっと見つめていた。
当時、赤子の面倒は親ではなく、乳母がみる。
その乳母が、当時の俺にとっては天敵そのものだった。
____……アレがそばにいると、この子まで言葉を発しなくなりそうだ。
____……アレをこの子の側に近づけさせるな。縁起でもない。
____……忠行様も保憲様も、人が良すぎる。なぜあのような不吉の子を、いつまでも置いておくのか……。
もはや『アレ』だったり『不吉の子』呼ばわり……。
『狐の子』と呼ばれた方が、まだマシな気がする。
とにかくこの乳母は、俺の存在を嫌った。
二人がいない時に至っては、棒を振り回し追い払われたこともあった。
だから俺も仕返しとして、乳母が洗濯をしている時に、籠の中にカエルを忍ばせたり、乳母の寝床には蛇を忍ばせたりした。
その度にひどく曲がった腰が、ピンと垂直に伸びるまで驚き、尻餅をついている姿を見ては、一人勝ち誇ったように笑った。
だが、どんなに物理的な報復で憂さ晴らしをしても、俺が喋れないという事実は変わらない。
それに今はまだ良いが、これからはどうする?
今後元服したとして、果たして俺を受け入れてくれる場所が見つかるか。
当時は、そういった精神的な疾患は、全て災いの前兆として忌み嫌われ、排除される。
このままでは俺を受け入れてくれた恩人である、忠行様や保憲にもきっと迷惑がかかる。
生まれたばかりの保遠にも、危害が及んでしまうかもしれない。
だから俺は、3人のためにも、なんとかしなくてはと、喋るための勉強を始めた。
そんな考えに至ってから、俺は保憲と一緒に読み書きの勉強に励んだ。
「晴明。これは『山茶花』だ」
「……っ……」
庭に咲いている花の名前を、保憲が教えてくれながら、俺は保憲の言葉を復唱する。けれども俺の口は、ただパクパクと開閉するだけ。保憲から見れば、水面に浮かんで、必死に酸素を求めている魚みたいに、きっと滑稽に映っていたんだろう。
うまく発声出来なくて、何度か無言の癇癪も起こした。
それでも忠行様や保憲は、怒ったりもせず、急かしたりもせず、根気よく教えてくれた。
「焦るな、お前ならきっと何とかなる」
そう言って励ましてくれる二人は、とても頼もしくて、心強かった。
どんな時も寄り添ってくれた二人の思いになんとかして応えねばと、俺は毎日必死に、発声の練習をした。
そうして、俺がようやく喋れるようになったのは、更に3年後。俺と忠行様、保憲が百鬼夜行に遭遇してしばらく経った、ある日の夜だった。




