食っちゃダメだぞ!
____人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』に出てくる俺……、安倍の童子は、かなりわんぱくな小僧として描かれている。
『コレコレ坊ンち。昨日も父様、こいつには悪い癖がある。たゞ虫けらを殺したがる、今から殺生好んで碌な人にはなるまい、必ずやんま釣るなよ。ねぎやいなごを殺すな、とお叱りなされたを忘れてか。必ず必ず庭より外で、悪あがきしてたもんなや。サアこゝへおぢやこゝへおぢや。さつきにから間もある。乳飲んで昼寝しや』
『アイそんなら母様、晩には松虫塚へ虫をたんと取りに行くぞや』
『オゝ安いこと。それも父様連れてござらう。コレ小言言わずとねんねこせねんねこせが、守はどこへ行た』
手間暇取らず、すやすやと母に添ひ寝の稚子は、如何なるよい夢みるやらん。
____今のは人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』の、『葛の葉子別れの段』の一幕だ。
妖狐葛の葉と安倍保名の間に生まれた子、安倍の童子は、悪気なく無邪気に虫を殺生し、その悪癖について母親である葛の葉が難儀する……。といった内容なのが……。
実はこのくだり、実際にも似たようなことを、俺はやらかしている。
そう、あれは……、住む場所を無くした俺が、賀茂邸での生活を余儀なくするようになってから、しばらくのことだった。
◇◇◇◇◇◇
延長二年 (924年)四月二十七日 己未
「……晴明? どこだ?」
「……っ、……」
この時、俺は言葉を発することができなくなっていた。
忠行様や保憲は、まだ幼いが故に話せないと思っていたのだろうが、今思うと恐らく俺は、父を喪った精神的なストレスが原因の、失声症になっていたのだと思う。
当時はそんなことわかるはずもないから、俺は賀茂家の家人たちからは、いつまでも言葉を発しない気味の悪い子として、煙たがられた。
思えばこの頃から、安倍晴明=普通の人間ではない。といったイメージはつき始めていたのかもしれない。
けれども忠行様と保憲は、普通に接してくれた。読み書きや喋り方も教えてくれた。その優しさはとても温かくて、嬉しかった。
二人の献身あってか、賀茂邸での生活に慣れてくる頃には、俺は常に保憲の後ろをついて歩くようになった。
アイツの後ろにいるかぎりは、家人たちの憐れめいた視線を浴びることはないから。
保憲からして見れば、自分の周囲をちょろちょろと歩き回られて、めんどくさったのかもしれないけれど。
「晴明? どこにいるんだ?」
「……、」
その日、俺は外に出て、一人で邸内を散策していた。
保憲は読み書きの勉強を終えて、俺の姿を探しているのか、邸内を探し回っているらしい。
呼びかけに応じてやりたいが、やはり声は出ない。
仕方がないから、俺はその場にとどまって、あいつが見つけてくれるのを待った。
平安時代の邸宅といえば、豪勢な寝殿造りといったイメージが強いが、それは一部の公卿といった上級貴族が持てる家。
多くの中級、下級貴族は、規模が小さめで、言葉を選ばずして言うのならボロ屋みたいなものだ。
夏は一層暑いし、冬は死ぬほど寒い。
家人もそう多くないし、庭に生えている雑草は基本そのまま。手入れなんてそうそうしない。
どんどん伸び続ける雑草は、小さな童子の体なんてすっぽりと隠してしまう。
「晴明〜?」
早く見つけてくれないだろうか。
そんなことを考えながら、俺はなんとなく地面を見た。すると、
「……!」
足元に、芋虫がにょろにょろと這いずり回っていた。
「見つけた!」
ここでやっと、保憲が俺を見つけてくれたが、俺の興味はすでに、足元にいる芋虫へと向いていた。
「晴明。何してるんだ?」
保憲が俺の隣に来ると同じようにしゃがみ込んだ。
「……あぁ、虫がいるのか。踏まないように気をつけるんだぞ」
小さな虫とはいえ立派な命。
アイツは優しいから、誤って踏みつけてしまわないよう、安全な場所まで連れて行ってやろうとでも思ったのか、芋虫に向かって手を伸ばしていた。
「……晴明?」
だが、保憲が捕まえる前に、俺が芋虫をその手で捕まえた。
アイツは不思議そうに、俺を見つめていた。
子どもというのは、時折大人には想像がつかないような、とんでもない行動に出ることがしばしばある。
例えば人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』に出てくる俺……、安倍の童子のように。
俺は手に取った芋虫をそのまま……。
「……!? ……っ!!」
そこから先は俺の口からは言わないでおこう。その衝撃的瞬間を目の当たりにしてしまったアイツの顔色が、段々悪くなっていくのを見て察してほしい。
「父上ぇえーーーー!!!」
そして火事場の馬鹿力が発動したのか、アイツは何事もなかったかのような顔をしている俺を小脇に担いで、忠行様の所へと連れて行った。
「な、なんだ!? ど、どうした保憲!?」
「父上!! 大変です!! は、は、晴明が……!」
「落ち着きなさい! 晴明がどうした!」
「晴明が……! む、虫を……、た、食べてしまいました……!」
まぁ……、そういうことだ。
んでもってその後も大変だった。
「晴明! すぐに吐き出して……何!? もう手遅れ!?」
「ち、ち、父上! ど、ど、どうすればよいでしょうか!?」
「い、急ぎ典薬寮に行って薬を……いや、今から行っても……。では腹痛に効く呪いを……!」
「父上! それは『馬』の腹痛に効く呪いです!」
「そ、そうだった……! ど、ど、どうすれば良いのだ……!? あぁ益材……! お前の息子が大変な時に何もしてやれない、こんな不甲斐ない私で済まない……!」
「父上! 晴明はお腹が空いているのではないでしょうか!?」
「腹が減ったか! ではたらふく食わせれば腹を誤魔化せるか……!?」
「誤魔化すのはいかがなものかと思います!」
……とまぁ、こんな感じで、忠行様と保憲があたわたしている間も、俺は何食わぬ顔をして、二人を見ていた。
しかしながら……、一体どこからこの思い出が漏れ、形を変えて語られることになったのだろうか。
当時その現場を目撃したのは二人の他、賀茂家のわずかな家人たち……。忠行様が外部に話すことはまずあり得ない。
だから十中八九保憲だろう。アイツがどこかのタイミングで、吉平か吉昌のどちらか、あるいはその両方にでも話したのだろう。
一体誰に似たのか、口が軽いあの二人のことだ。いいネタをゲットしたぜとばかりに、周囲にペラペラと話したに違いない。
……あの野郎も、覚えてろよ。いつか俺しか知らないアイツの情報を根拠ありでSNSに流して、賀茂保憲という陰陽師は実はこんな男だった。という記事でいっぱいにしてやる。
ちなみにその日以降、アイツは虫を見かける度に、
「虫も毎日必死に生きてるんだから! 食っちゃダメだぞ!」
そう言って来るようになった。
本文の『蘆屋道満大内鑑』を簡単に現代語訳すると
「これこれ坊や、あなたには虫を殺したがる悪い癖があります。今から殺生を好んでいてはろくな人にはならないでしょう。バッタやイナゴを殺すなと叱られたのを忘れたのですか。留守の間に池に落ちたり傷でもついたら母はどうすればよいのです。庭の外でいたずらをしてはいけません。さあ、ここへおいでなさい。乳を飲んで昼寝なさい」
「そんならかか様、晩になったら松虫塚へ虫をたんと取りに行きましょうか」
「容易いこと。とと様も連れて行きましょう。小言を言ってないでねんねこせ。こんなに愛しい者を、ほかにこれ以上の者がいると言えようか。ねんねこせ。ねんねが森はどこへ行った山を越えて里へ行った。里の土産に何もろた。でんでん太鼓に振鼓」
立派な楽や囃子は必要ない。手間暇取らずすやすやと、母に添い寝する幼子は、どんないい夢を見るのだろうか。
です。
親子の情愛がテーマの異類婚姻譚となっており、江戸時代中期に人形浄瑠璃として上演された人気演目です。
悪役として描かれることの多かった道満が、今作では良い人として描かれていることも特徴です。
それにしても安倍の童子くん。とんでもないクソが……わんぱく小僧ですね。




