『朗』らかに『晴』れると書いて
「そうだ」
「なんでしょうか?」
日が暮れて、そろそろホテルへ向かおうと、名残惜しい気持ちになりながらもししゃもと別れを告げて外に出た時、
「名前、まだ聞いてなかったな」
そういえば大事なことを聞き忘れていたと、晴朗が振り返りざまに問いかけた。
晴朗の問いに対し、占い師は少し考える素振りを見せると、何かいいことを思いついたのように、含みある笑いを浮かべながら、
「晴明です」
そう答えた。
晴朗は一瞬呆気に取られたような顔になったが、
「……そうか、」
『名前も、好きにすればいい』と言ったのは、他でもない自分だったことを思い出し、占い師晴明につられるように笑った。
「では俺からも……、今の俺は『朗』らかに『晴』れると書いて晴朗だ」
「……そう、ですか……。……晴朗さん」
「なんだ」
「お会いできて……、貴方のお力になれて光栄です。……どうか、ご無理はなさらずに」
「……あぁ、こちらこそ、お前に出会えてよかった。ありがとう」
「もしまた京に来ることがあれば、あるいは私の力が必要になったら、いつでもご連絡ください」
控えめに手を振りながら、「良い旅を」と見送ってくれる晴明の姿を背に、三人は雪が降る中ホテルへと向かった。
忠行が運転する車は、鴨川にかかる五条大橋を渡っていく。
「明日時間があったら、上賀茂と下鴨神社にも行ってみようか」
「賛成です。……それにしても、昔はことあるごとに氾濫していた鴨川も、随分大人しくなりましたね」
「そうだね。毎年3月には上巳の祓えをやったり……、懐かしいね」
「やりましたね……。今も上賀茂神社では、ひな祭りの日に『雛流し』という行事名で続いているそうですよ」
「そうなんだ。ちょっと見てみたいね」
親子が明日について話している中、後部座席に座っている晴朗は、穏やかに流れる鴨川を眺めた。
「……」
「お前よりよっぽど晴明っぽかったな」
ふと、保憲が茶化すように話しかけてきた。晴朗はちょっと鬱陶しそうに、
「うるさいな」
とだけ返した。
******
夜、宿泊するホテルに無事到着した3人はチェックインや夕食を終えて、束の間の休息の時間を過ごしていた。
「……あれ?」
風呂から出て部屋に戻ってみると、いるはずの晴朗の姿が見えなかった。
不思議に思った保憲がスマホで連絡すると、メッセージアプリで《外》とだけ返事があったので、保憲はストールを羽織って探しに出た。
「晴朗!」
しんしんと雪が降っている中、保憲は外に出ると晴朗の姿を探した。しばらく敷地内を探し回るが晴朗の姿はどこにもない。保憲はついに敷地の外、道路へと出てみた。するとしばらく道なりに進んだ先にある辻の一角に、晴朗は立っていた。
防寒着も着ず、耳当てもつけず、部屋着にもこもこのマフラーだけを首に巻いた状態のまま、ただ一点を見つめていた。
「探したぞ、何やってるんだ」
近づいてよく見ると、晴朗の鼻は猫アレルギーに反応している時とはまた違う、寒さでほんのりと赤くなっている。保憲は「京の冬舐めてんのか」と悪態をつきながらも、自らが羽織っていたストールを脱ぐと晴朗の体にぐるぐると巻きつけた。
「寒いから早く……」
「あのへんに、桜の木があった」
「は?」
ストールを巻かれていた時もずっとされるがままだった晴朗が、ある一点を指差しながら呟いた。
「……花が好きだったから、庭に沢山植えて……夏には紫陽花に桔梗、秋には女郎花と彼岸花、冬は水仙に山茶花……。賑やかだったな」
晴朗は当時の自邸の庭に植えていた花たちを、まるで昨日のことのように思い出しながら口元を綻ばせた。
「……花じゃないが、俺の家に生えてたススキ、勝手に引っこ抜いてったろ」
「吉昌がな。俺じゃないぞ」
「……お前んとこの身内の腕力どうなってんだ本当……」
保憲も釣られるように当時を思い出し、いつの日か、自邸の庭に自生していたススキたちが、ある日突然ごっそり無くなっていたことを冗談めかしく尋ねた。すると晴朗は、顔中泥だらけにして両手いっぱいにススキを抱えて持って帰ってきたわんぱくな息子の姿を思い起こし、クスリと笑った。
「……断片的にある過去の記憶の中でも……、多分、一番色濃く残ってる」
晴朗は暗い空を見上げた。
「……崩れていく柱、皮膚を溶かすほどの熱風と痛み、鼻をつく焦げた臭い……」
空からは音もなく、しんしんと降り続ける雪が2人の頭や肩に積もっていく。だが今、晴朗の記憶の中にある風景は、目の前に見えているものとは全く異なっていた。
「俺はここで一度、全てを失ったんだ」




