強く生きなさい
延長二年(924年)四月一日 癸巳
平安京。
この日の夜、土御門大路の一角に構えられている一つの邸宅が、落雷にあった。
轟音とともに落ちた雷はやがて炎となり、その邸宅を、あっという間に炎で包み込んだ。
邸宅の中にいた家人たちは皆、逃げる暇もなく、生きたまま体を焼かれ、苦しみ悶えながらやがて倒れていく。
轟轟と燃える炎、焼け落ちていく木材。その中で、落ちてきた木材に体が挟まれて動けなくなっている男が1人。
そしてその傍らには、男を必死に助けようとしている幼い童子が1人いた。
童子は黒くなった小さな両手で、男の着ている服の袖を掴み、必死に木材の間から男の体を引っ張り出そうと踏ん張るが、幼い童子の力でどうにかなる訳もなく、何度も足を滑らせては床にべしゃりと転がり込む。
それでも童子は立ち上がり、時折煙で咳き込みながらも男を救出しようとただ1人、奮闘していた。
「……お前は……逃げなさい」
男が今にも消えそうな小さな声で言った。
「……いやです……! わたしが……かならず……! ちちうえを……おたすけして……!」
童子は決して諦めず、歯を食いしばって男の袖を引っ張り続けた。
だが同時に、童子のすぐ後ろに、燃えた木材が崩れ落ちてきた。
童子は熱風と息苦しさで、ついに倒れ込んだ。
「ちち、うえ……」
朦朧としてくる意識の中、童子は小さな手を、必死に伸ばして父を呼ぶ。
童子の父は、そんな小さな体を、唯一動く片腕を使って、強く抱き寄せた。
「……__、父の言うことを……、よく、聞きなさい」
父は、童子の耳元で息も絶え絶えになりながらも、必死で童子に語りかけた。
「賀茂、忠行という……、男の所へ、行きなさい。そこに行けば……、必ず、お前を……、助け……て、くれる……」
どんどん父の声が掠れていき、途切れ途切れになっていく。
瞳はすでに虚ろで、焦点は合っていない。
童子は首を横に振りながら、ぎゅっと父にしがみついた。
「ちちうえも……、いっしょ……じゃなきゃ、イヤです……!」
「私はもう……、共には……行けない」
バラバラと音を立てて、天井が崩れてくる。
もう大人1人が逃げられるような道は、どこにもない。
「なんで……どうして……」
童子は両の瞳から大粒の涙をポロポロと流し、初めて見る父の、力の無い瞳を見て、己の無力さを思い知った。
「晴明……、強く生きなさい」
「ちちうえ……?」
そして父は最後に、童子の名前を呼びながら強く、強く抱きしめると、片手で童子の襟を掴み、最後の力を振り絞って屋敷の外へ向かって童子を放り投げた。
宙に浮かんだ童子の体は、炎の中を突き抜けて、外へと転がり落ちた。
「ちちうえ!!」
炎の手が届かない場所まで転がった童子は、泥だらけになってしまった姿にも構わずに、立ち上がって父を助けようと再び中に戻ろうとした。
しかし、近くにいた大人がその体を押さえ込んだ。
「ちちうえ!! ……ちちうえ……!」
炎に飲まれ、一つの邸宅が無惨にも崩れ行く。
たった1人の童子を残して。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この場を借りまして、御礼申し上げます。
次回以降より、再び断章、平安時代のお話に入ります。
陰陽師である前に、一人の小さな人間として生きたであろう、安倍晴明の幼少期のお話になります。
引き続きお付き合い頂けたなら幸いにございます。
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