我慢できんかった
「あ、ねこ」
4人で雑談に興じていると、僅かに空いていた襖の隙間から、かぎしっぽが特徴的な黒猫が顔を覗かせた。
「可愛い……」
動物が好きな忠行は口元を緩ませて、そろりそろりと居間の中に入ってくる猫をじっと見つめた。すると猫は、そんな熱い視線に気付いたのか、自ら忠行の膝の上に乗ると体を丸めるように座ってそのまま落ち着いた。
「あの、……差し支えなければ、ねこちゃんの写真を撮っても……?」
「ふふ、どうぞ」
忠行は少々照れ気味に伺い、飼い主の了承を無事に得ると、「かわいいちゃんだねぇ〜」などと猫撫で声を発して、ふわふわの毛をもふもふと撫でながらパシャパシャと一人撮影会を始めた。
「名前はなんと?」
「『ししゃも』です」
猫の名前を聞かれた占い師は、ちょっと照れくさそうに「ししゃもが大好物で……」と笑った。
ちなみに猫にししゃもを与える際は、少量をごくたまにであれば問題はないが、干物は塩分が多く含まれているので、与えすぎると腎臓病を引き起こす危険性がある。
占い師ももちろん、そのことを理解した上で、ししゃもを焼くときには注意を払っているという。
「名前もかわいい……」
黒猫の『ししゃも』が現れたことでほんわかとした空気が流れている中、晴朗だけはずっと、何かを我慢しているように顔を歪ませていた。
「ちょっと……もう、……限界……」
「晴朗、どうし……」
「ぶぇックショイ!!!」
晴朗の様子がおかしいことに気づいた保憲が、どうしたのか聞こうとした時、晴朗の豪快なくしゃみが居間に響き渡った。その声量にししゃもは全身の毛を逆立てて驚き、脱兎の如く逃げ出してしまった。1人撮影会を行なっていた忠行は「あ……ししゃも……」と心底残念そうに肩を落とした。
「そうだった……。お前、猫アレルギーだったな……」
「すまん……我慢できんかった……べぶしゅ!!」
晴朗は鼻を真っ赤にさせながらズビズビと啜り、何度も豪快なくしゃみを繰り返している。
「大丈夫ですか? ちり紙ちり紙……」
占い師は焦りながら、どこからか箱ティシュを持ち出すと、箱ごと晴朗に渡した。
「……今世こそは存分に猫と戯れようと思っていたのに……。神仏はイジワルだ」
「今世こそは……? ということは昔も?」
「昔はアレルギーなんて概念存在しなかったから……内裏でくしゃみをする度に白い目で見られてたな……ぐしゅん!」
平安時代においては、くしゃみをすることも不吉の象徴として扱われていた。
晴朗は受け取ったティッシュで鼻をかみながら「休息万命急急如律令……」と、ぶつぶつとおまじないを呟いた。
「かつての内裏には猫がいたのですか?」
「あぁ……といっても野良猫が勝手に住み着いてただけなんだが……土足で内裏に上がり込んでは自由に寛いでたもんだから……道長のバカが、わざわざ猫に叙爵までさせてたくらいには可愛がってたな……ぶぇクシュ!!」
「俺たちが血反吐吐きながらやっとのことで得られた従五位下の位階を……勝手に住み着いたってだけで猫が得ていたと思うと……ちょっと複雑だよな……」
占い師は、今度はゴミ箱をどこからか取り出すと、それを晴朗に渡した。
空っぽだったゴミ箱は、あっという間にティッシュで満杯になってしまった。
「意外ですね……あの晴明公の弱点とも言えるものが猫だとは……」
「俺を手っ取り早く再起不能にさせたいなら猫をあてがうといいぞ……べくしゅん!」
「猫といえば……昔、ちょっと面白いことがありましてね」
「面白いこと?」
「えぇ、コイツが陰陽寮に入ってすぐの頃だったかな。仕事で一度だけ、二人で関東へ出張に行ったことがあるのですが……」
保憲がちょっと笑いを堪えながら、過去の思い出を占い師に語り始めた。
それは保憲が陰陽頭になって間も無くの頃でもあった。
陰陽頭は定期的に、地方へ出向している陰陽師達の様子を伺いに、定期的に京を離れることがあった。保憲もその例に漏れず、当時陰陽寮に入りたてだった晴明を連れて関東に出向いた際、途中常陸国、現在の茨城県にある、とある集落に立ち寄った。
「そこが猫好きなら誰もが羨む野良猫天国でして……」
「俺がちょっと目を離した隙に、保憲が猫の大軍に囲まれてて、身動きが取れなくなってたんだ……へクシュ!」
「最初は一匹しかいなかったから、かるーくもふらせて貰おうと思っただけなんですけど……気づいたら四方八方猫まみれで……」
その村は『猫島』と呼ばれているほど、たくさんの猫が住み着いている場所で有名だったらしい。
保憲は宿を見に行っている晴明を待つ間、とても人懐っこい子猫がちょろちょろと近づいてきた。その愛らしさに思わず手が伸び、構い始めた。すると何かの合図のように、草むらの至る場所から猫が現れて、あっという間に保憲を取り囲んでしまった。
しばらくして、宿の確認が取れた晴明が戻ってきてみると、大量の猫に囲まれて動けなくなっている保憲の姿を発見した。足元だけでなく、鋭い爪を使って保憲の体によじ登っている猫もいる。
保憲は困っているんだか、それとも可愛い猫に囲まれて頬が緩んでいるんだか、よくわからない複雑な表情のまま、小さな声で晴明に助けを求めた。
「で、俺が助けようと思ったんだが……その前にアレルギー反応が出て、でかいくしゃみを一発した途端……」
「先ほどのししゃもくんのように、驚いた猫が一斉に逃げて行きまして……その時の晴明の顔と言ったら……はは、ダメだ思い出したら笑っちまう……」
「笑うな……ベクしょい!」
蜘蛛の子を散らすように逃げて行った猫達を、保憲と晴明はただ茫然としながら見送った。
その時の晴明の、何が起こったのかまだ処理しきれていない間の抜けた顔を思い出した保憲は、ついに耐えられなくなり腹を抱えて笑い出した。
しばらくしてようやくくしゃみが一段落した頃、戻ってきたししゃもが、恐る恐る障子の隙間から半分だけ顔を覗かせて中の様子を伺っていた。そしてするりと中に入ってくると、先ほどの仕返しとばかりに、晴朗のポケットに入っていたスマホを器用に爪で引っ張り出し、ストラップで戯れ始めた。
「コラ、俺のスマホで遊ぶなって……」
晴朗は鼻にティッシュを押し当てながら、傷がつく前にスマホを回収した。
ゆらゆらと揺れ動くストラップを、ししゃもはぴょんぴょんと飛び跳ねながら戯れ続けている。
晴朗はそんなししゃもの姿と、スマホを強奪していったカラスの姿が、一瞬重なったように見えた。
「お前……黒毛玉か?」
思わず晴朗の口から、カラスを呼んでいた時の名称が溢れ出た。
「ええ、黒毛玉ですね」
するとストラップにじゃれついていた猫を占い師が抱き上げて、自らの腕の中に収めた。占い師はただ、「大人しくしていなさい」と言いながらししゃもに微笑みかけている。
ししゃもは、返事をするかのように、「にゃー」と、一声鳴いた。
以下どうでもいい平安時代のめんどくさいあれやこれ
平安時代においては、くしゃみをすることも不吉とみなされておりました。
清少納言の「枕草子」では、こんなエピソードが、、、
清少納言がまだ新米女房だった頃、藤原定子(一条天皇の皇后)から「お前は私のことをちゃんと慕っているんでしょうねぇ?」と、これまためんどくさい問いを投げかけられます。
清少納言は「もちろんでございますわよオホホ」と波風を立てないように答えたものの、宮中のどこからか、誰かのクソデカくしゃみが聞こえてきたそうな。
それを聞いた定子は「あらイヤだ。あなた、嘘をついているのね。はいはいわかりましたよ」と言い残し、拗ねて奥に引っ込んでしまったという。
その後清少納言は機転を効かして、無事定子に気に入られることができたそうですが、それにしても誰がしたかもわからんくしゃみ一発で、主君からの信用を失いかけるという、とんでもねぇ災難を経験した清少納言。
おそらく清少納言だけでなく、他の貴族達もこういった災難に直面することは往々にしてあったのかもしれないっすね
ちなみこれもどうでもいい余談ですが、
くしゃみが予告する「不吉な前兆」というのは、その日の干支によって異なります。
例えば1月30日は甲辰、辰の日なので、「揉め事に巻き込まれるかも」です。
そんな不吉を避けるために、かつての人々は晴朗氏が唱えていた呪文を唱えていたそうです。
海外でいうところの「Bless you(神のご加護を)」みたいな感じでしょうか。
もしくしゃみをしてしまった時はお好みでどうぞ。




