感謝しろ!
「……?」
階段を降り始めてしばらく、ヒュウヒュウと吹いていた風が突如、ピタリと止んだ。
木の葉同士が擦れる音や、自然の音は何も聞こえない。
先ほどまであんなに賑やかだった、観光客同士の会話も一切聞こえない。
ただ細やかな雪だけが、音もなく降り続いている。
時間の流れさえ、曖昧になるほどの静寂に包まれる。
____空気が変わった。
晴朗は一度息を呑むと、緊張した面持ちのまま歩みを続けた。
この道はあまり観光客には知られていないのか、誰ともすれ違うことなく、晴朗は緩やかな下り坂を歩き続けた。聞こえてくるのは己の靴音のみ。
奉納されて時が経ち、朽ちかけている鳥居もあれば、鳥居の形すらなく、土台だけが残されているものもある。
空を覆い隠すほどの木々。曇天という天候も相まって、周囲はさらに薄暗く、少しでも道順から外れてしまえば、森の中に飲み込まれてしまいそうだった。
更に歩いていくと、水の流れる音と建物が見えてきた。
最後の階段を降り、たどり着いたのは小さな社とお塚がある場所だった。
右手には龍を模した像の口から、チョロチョロと、途絶えることなく流れ落ちている小さな滝があった。
拝殿前、双方には狛狐が鎮座し、静かに晴朗を見下ろしている。けれどもその鋭く、見定めるような眼光に、自然と晴朗の背筋が伸びる。
「……あ! あった!」
狛狐の更に奥、拝殿には本坪鈴とお賽銭箱が設置されているのだが、そのお賽銭箱の上には、まるでお供えされているかの様に、晴朗のスマホが無造作に置かれていた。
晴朗はまたカラスに強奪される前に、急いでスマホを回収した。
「壊れて……、……無い、な……。よかった……」
おもかる石の前で画面をつつかれてはいたものの、防護シートを貼っていたおかげか、幸いにも画面にヒビは入っていない。その他大きな傷も見られず、起動ボタンを押せば問題なくいつものロック画面が表示された。
晴朗はここにきて、ようやくホッと胸を撫で下ろすことができた。
「あの黒毛玉め、謝罪も無しか……。でもまぁ、無事に帰ってきたから……今回は特別に許す!」
周囲を見渡してみても、カラスの姿はどこにもない。
晴朗は「俺の寛大な心に感謝しろ!」と文句を連ねながらも、最後に拝殿の前で、お賽銭と共にスマホが無事に見つかった感謝の祈りを静かに捧げた。
「さて……、二人と合流して……」
晴朗はスマホがまた強奪されないようしっかりと握りしめて、忠行のスマホに電話をかけた。
「……出ないな……」
しかし数度かけ直してみるも、山中で電波が届きにくいのか、忠行が応えることは無かった。
「仕方ない……」
晴朗は通話アプリを起動し、忠行あてに《無事スマホを奪還しました。今から合流します》というメッセージを送り、社を後にした。
******
「……ん?」
社を出て、しばらく道なりに歩いていくと、再び風がそよそよと吹き始めた。
まるで時間が正常を取り戻したかのように、天高く伸びる木々はゆらゆらと揺れ動き、木の葉の擦れる音、別の参拝客とすれ違うことも増え、遠くからは鳥の囀りも聞こえてくる。
冷たいが心地の良い風を受けて、晴朗はハイキング気分のまま、手に握りしめていたマフラーを巻き直して歩みを進めた。
「……お、出口か?」
やがて、晴朗は山道を抜けて住宅街へと出ていた。
ここまで来れば電波も問題なく届くだろうと、晴朗は再びスマホを取り出し、まずは現在地を確認しようと地図アプリを起動させた。
「なんだ……、ここ……?」
すると、とある地点に、つけた覚えのない目印がつけられていた。不思議に思い詳細を見てみるも、衛星写真ではただの民家と一般道が写るのみ。
「……?」
カラスが画面をつついた時に誤作動でも起こったのかと訝しんでいると、突如画面が着信に切り替わった。
相手は忠行だった。
「晴朗! 無事か!」
「はい、無事スマホは奪還しました」
電話口の向こうでは親子二人が「良かった……」と胸を撫で下ろす声が聞こえる。
「何度か保憲のスマホに電話したんだが、全然反応がなくて、心配していたんだ」
「すみません……私の方からも何度か連絡したのですが……山の中だからか、電波が届きづらいみたいで……」
「そうだったか……今どこにいるんだ?」
「稲荷山からはもう出ていて、今は____……」
その後、3人は稲荷大社の拝殿前で合流しようという話になった。
晴朗は通話を切ると、再び地図アプリを起動して境内までの道なりを検索した。
すると境内までの道すがら、先ほど不自然に目印が付けられていた場所の付近を通ることに、気がついた。
「……一応……、気にしておくか」
晴朗はここまで、占い師に至る情報を全く手にしていない。ただカラスのイタズラに遭っただけである。だがもしかしたら、災い転じて福となすといったことわざのように、思わぬ収穫が手に入るかもしれない。
晴朗は一縷の望みをかけて、住宅街の中を歩き始めた。




