賀茂忠行、息子・保憲の才を知る
「父上、起きてください……! 外……外に……!」
保憲は何度も何度も忠行の体を揺さぶり、起こそうとした。晴明も真似をするように忠行の袖を掴んだ。だが忠行は一向に起きる気配を見せず、深い眠りについている。
「父上……! 父上……!」
何をしても起きない忠行に、保憲はポロポロと涙を流し、恐怖に耐えながら父を呼び続けた。
「……晴明?」
すると、ずっと忠行の袖を引っ張っていた晴明が、彼の正面にくると、
「!?」
小さな右手を大きく振りかぶり、忠行の頬に向かって思い切り平手打ちをしたのである。
乾いた音が、車内だけでなく外にも響き渡り、近くにいたお供の肩が思わず震えた。
「……?、?」
そして強制的に叩き起こされた忠行は、まだ完全には頭が覚醒していないのか、何が起きたが分からず茫然としていた。
「父上……! お休みのところ、申し訳、ございません……!」
「ど、どうした保憲!? 何かあったのか!?」
だが泣き腫らした顔をしている保憲を見ると、忠行も異常事態が起こったのをすぐに察し、赤くなった頬もそのままに保憲をあやしつつ詳細を聞いたものの、当の保憲はぐずぐずと泣いていて何を言っているのかよく聞き取れない。
「晴明。何があったんだ?」
一方で、泣くこともなく無表情のまま忠行を見ていた晴明は、再び外に向かって指をさした。
「……あれは……!」
忠行が外を見てみると、人ならざる者たちの群れがすぐそこまで迫っていた。
「大変だ……!」
忠行は視線を二人に戻すと、
「お前たち、これから私が『いい』と言うまで、決して目を開けてはいけないよ、言葉も発してはいけない」
深刻な表情で警告する忠行に、二人はただコクリと頷いた。
「『かたしはや____……』」
そして忠行が呪文のような言葉を唱えている間、晴明と保憲は忠行の腕の中で目をぎゅっと瞑って、人ならざる者たちが通り過ぎるのを待った。
「……二人とも、もういいよ」
どれくらい経っただろうか、ふと忠行の優しい声色が降り注いだ。保憲が恐る恐る目を開けると、同じように目を開けていた晴明と目が合った。
「怖かっただろう。もう大丈夫だからね」
まだ少し警戒している二人の頭を、大きな手が優しく撫で付けた。その感覚が心地よく思わず堪能してしまったが、すぐにこれまでの状況を思い出し、同時にあまりに情けない姿を晒してしまったことに、保憲は顔を真っ赤にしながら急いで上半身を起こした。
そして正座に座り直してからピシリと姿勢を正し、赤くなった顔を隠すように頭を下げた。
「す、すみません……! お疲れのところを……起こしてしまって……!」
「大丈夫。アレを見れば、誰だって混乱してしまうさ」
忠行は柔らかく笑いながら、未だひっつき虫のようにしがみつき、頭を撫でてくれている忠行の手をのほほんと堪能している晴明に対して「晴明は大丈夫だったか?」と問うている。すると晴明は小さくコクリと頷いた。
そんな二人を見て、保憲は何事もなくて良かったと安堵した反面、先ほど見たものはなんだったのだろうと疑問を持った。
「父上……、私たちが見たものは……なんだったのですか?」
「すまない、すっかり失念していた……」
「?」
「今日は29日。庚辰の日だ」
「かのえ……? ……あ」
忠行は申し訳なさそうに眉を下げた。保憲は一体なんのことだと首を傾げたが、以前教えてもらった、日の干支毎に設定されている凶日があることを、忠行に教えてもらったことを思い出した。
「忌夜行日……! では、アレが……!」
「そう、百鬼夜行だ。ただ……、必ずしも万人に見えるわけではなく、『視える』者と『視えない』者がいる……。お前たちには視えたのか……」
深刻そうな表情で、忠行は顎に指を当てて少し考え込んだ。
「あの、私たちに、何かできることが、あるのでしょうか……?」
「無い」
「へ?」
てっきり彼らを調伏させる重要な術でも教えてくれるのかと身構えていた保憲だったが、それとは真逆な忠行の回答にポカンとしてしまっていた。そんな保憲の頭を再び忠行の大きな手が優しく撫で付ける。
「あくまで陰陽師は占いが専門だ。かつて存在していた呪禁師の技をいくつか継承して、病や穢れを未然に防いだり、侵攻を食い止めるための処置は行えど、すでにこの世のものではなくなっている怨霊等に関わってはいけないんだ。そちらは僧侶の管轄になるからね」
忠行は保憲の頭から手を離して腕を組むと、
「でも彼らは、こちらの都合などお構いなしに、今のような百鬼夜行として……、時には日常に紛れ込んで、姿を現してくる者もいる。生者と似たような格好で出てくる場合もあるから、それが特に厄介だ」
再び困ったように笑いながら眉を下げた。
その雰囲気から忠行も過去に、同じような事柄に遭遇したことがあるのだろうという苦労が伺えた。
「で、では……どうすれば……?」
「大丈夫だよ。見分け方とその対処法を、私がしっかりと教えるから」
カラカラと動いていた牛車が、賀茂邸に到着したのかその音と共に動きを止めた。
「でも、これだけは覚えておきなさい」
外でお供たちが忠行たちを降ろすための準備をしている間、忠行は柔らかい笑みを浮かべながら、二人の頭に大きな両手を乗せた。
「決して、彼らのような存在と関わってはいけない。彼らと関わることは、陰陽師としても重大な違反行為となる。いいね」
父の頼もしい姿を見て、早く父のそばで働きたいという思いをより一層強めながら、保憲は赤くなった目元と鼻を擦りながら、
「はい!」
と、元気な返事を返した。
源為憲撰「口遊」(平安時代中期に編纂された貴族の子ども向け教科書)より、百鬼夜行に出会した時に唱える呪い歌。
「かたしはや ゑかせせくりに かめるさけ てゑひあしゑひ われゑひにけり」
とあります。訳すと
「堅い磐でも何でもこい。私は戯れに飲んだ酒で手も足も酔い、酔っ払ってしまった」
らしいです。なぜこの歌が百鬼夜行に効くのかは……なんででしょうね?
もし今後、何かの拍子で百鬼夜行に遭遇してしまった時は(自己責任で)どうぞ。
以下、どうでもいい陰陽師裏話。
平安時代の死後観は現代と異なり、日本古来の神道の考えである、死によって発生する「穢れ」を非常に嫌っておりました。更に墓参りという習慣も当時はまだなかったため、身内が亡くなっても土葬ではなく、風葬地までご遺体を運んでそのまま放置するのが普通でした。
そんな死後観に変革をもたらしたのが仏教であり、お坊さんが死者のご供養を担当するようになりました。陰陽師も個人では仏教徒が多かったみたいですが(晴明も不動明王を信仰していた仏教徒だったらしい)、死者の御供養などに関わることは、平安中期の時点では御法度とされておりました。
実際、11世紀初頭に、とある陰陽師が死者の魂を呼び戻す儀式を行った際、上司から「何やってくれてんだオメー」と厳重注意処分を受けた。という記録も残っています。
伝説の中では「怨霊退治もやってやんぜ」な晴明さんですが、実はバチバチに違反行為だったみたいです。
意外っすよね。




