第34話「キーホルダーの絆」
綾目と桜谷が病院で向かい合っていた頃。
君野と堀田は、駅前の商業施設へ来ていた。
堀田はもう、あの白い枕を持っていない。
それだけで嬉しくて、君野は弾むように隣を歩いた。
「堀田くん、覚えてる?僕たち、ここでアイスを食べて、この『兄弟』キーホルダーを買ったの!」
黄色いリュックについた『兄』を見せる。
堀田の白いエナメルバッグにも、『弟』が戻っていた。
「そうだったか?」
「え?覚えてないの?」
「ああ……」
まだ、おかしい。
太い眉にはいつもの力がなく、表情もほとんど動かない。
――やっぱり、まだ宇宙人が乗り移ってるんだ。
「……お前、さっきから何で唇に指当てて喋ってるんだ?」
「今日はたらこがないから。これなら僕の言葉が通じやすいかなって……」
人差し指と中指を唇へ当てたまま答える。
堀田は無表情で君野を見つめた。
「思い出ツアーしたいの」
「思い出ツアー?」
「僕たちの聖地巡礼みたいなやつ。……いい?」
「……ああ」
「じゃあ、最初はアイス!」
「寒くないか?」
「冬に食べるアイスって格別じゃない?毛布にくるまりながら食べるの、僕好きなんだ」
2人はアイス店のある4階へ向かった。
列へ並ぶと、君野は堀田を見上げる。
「覚えてる?数か月前、堀田くんが僕をいじめっ子から助けてくれたんだよ」
「……」
「僕にとって、堀田くんはスーパーヒーローなんだ」
「……ヒーロー」
「うん。僕の憧れだったの。あの時、本当に嬉しくて……」
目が潤む。
「そんなことで泣くなよ」
――駄目だ。
僕が泣いたら。
今苦しいのは、堀田くんの方なんだから。
「今日は僕がおごっていい?」
「金ならあるぞ」
「思い出のお返し!だからトリプルにしよう!」
君野は堀田の腕へぎゅっと抱きついた。
普段なら、照れてすぐ引っ込められてしまう腕。
今日は、そのままだった。
少しだけ得をした気分になる。
「ご注文はお決まりですか?」
「バニラを3つお願いします!」
「ぶっ!」
突然、堀田が吹き出した。
「はははは!何だそれ!バニラ3つって!」
「あっ!」
この日初めての、大きな笑い声。
「前にもやった!その時も堀田くん笑ってた!」
「ははは!こんだけ味があるのに、全部バニラって!」
「そこまでは笑ってなかったよ……」
少し笑いすぎだ。
君野は唇を尖らせた。
以前と同じ、店の奥の席。
堀田は3段すべて白いアイスを眺めた。
「……お前、面白いやつなんだな」
「変?」
「いや」
堀田は少しだけ笑う。
「いいと思う。1本、芯が通ってる」
アイスを食べ終えると、君野はまた唇へ2本の指を当てた。
「ここで話したこと、覚えてる?」
「さあ……」
「堀田くんがスマホで調べて、僕たちは前世でも兄弟だったって言ったんだよ」
「俺、そんなこと言ったのか?」
「言ったよ!」
その後も、君野は1つずつ思い出を話した。
そして最後に、兄弟キーホルダーを買った雑貨店へ向かう。
「……あれ?」
店があった場所で、足が止まった。
「どうした?」
「お店が……」
楽しげだった雑貨店はなくなり、保険代理店へ変わっている。
「……なんでもない」
本当は、ここが思い出ツアーの一番大事な場所だった。
「ほかに寄りたいところある?」
「ない」
「そっか。じゃあ帰ろう」
結局、ほとんどアイスを食べに来ただけになった。
でも。
堀田くんの笑顔を、もう一度見られた。
それだけでいい。
君野はそう思いながら、隣を歩いた。
地下の駅へ向かうエスカレーター。
そこで。
『ねえ、堀田くん』
少女の声がした。
『キーホルダーを握って』
「……綾目」
「ん?あやめ?」
君野が顔を覗き込む。
堀田はエナメルバッグについた『弟』を握った。
すると、頭の中へ再び霧がかかる。
『大切なものを壊した自覚があるんでしょう?』
『なのに、また同じことをするの?』
「……」
『ねえ、堀田くん』
『彼を私のところへ連れてきて』
『これからは、私が管理してあげる』
『あなたは弟の枕だけを抱いていればいいの』
親指の下で、『弟』の文字が軋んだ。
「えっ!?」
駅へ着いた途端。
堀田は君野の腕を掴んだ。
「どうしたの?」
答えない。
そのまま、普段とは違う路線の改札へ向かう。
「待って!カード、リュックの中!」
君野は慌てて交通系カードを取り出し、あとを追った。
人気の少ないホーム。
――どこへ連れていかれるんだろう。
――宇宙人の住処……?
君野は思い出したように、2本の指を唇へ当てた。
やがて電車が滑り込んできた。
堀田は君野の腕を掴んだまま車内へ入る。
「大丈夫だよ、堀田くん」
君野は震えながら笑った。
「僕、何があっても逃げないから」
「……」
君野は長椅子の端へ座った。
堀田は目の前に立ち、逃げ道を塞ぐように見下ろしている。
怖い。
もし、このまま宇宙人の住処へ連れていかれたら。
堀田くんを助けられなかったら。
もし、これが最後なら――。
「……あのね」
君野はリュックで顔を半分隠した。
「僕、堀田くんのことが大好きなんだ」
「……」
「本当は……手をつないだり、キスしたりもしてみたいって思ってる」
声が震える。
「でも、堀田くんからしたら、おかしいよね……」
返事はない。
君野は『兄』のキーホルダーへ目を落とした。
「雑貨屋さん、なくなってたでしょ?」
「……」
「このキーホルダー、もう僕たちが持ってる2つしかないんだ」
少しだけ笑う。
「それが分かった時、ちょっと嬉しかったんだ……」
「降りるぞ」
堀田が言葉を遮った。
電車が停車する。
再び腕を掴まれ、立たされた。
『堀田くん』
『堀田くん』
綾目の声が、足を速める。
堀田は君野を連れ、駅を出た。
白い息を吐きながら5分ほど歩く。
やがて、大きな総合病院が現れた。
「病院……?」
君野の頬と鼻は寒さで赤い。
それでも、宇宙人対策の2本指だけは唇へ当てたままだった。
夜の中、病院だけが不自然なほど明るい。
正面玄関の前。
堀田の足が止まった。
『どうしたの?』
『ほら、窓辺にいる私を見て』
声に導かれるまま、窓を見上げる。
ピンク色のパジャマを着た少女が立っていた。
こちらへ、ゆっくりと手を振っている。
「誰?」
君野も見上げた。
「堀田くんが、いつも会ってた女の子?」
『堀田くん』
『早く会いたいの』
綾目の声が、頭の中を埋めていく。
その時。
ピシッ!
「……!」
握り締めていた『弟』のキーホルダーに、1本の亀裂が走った。
そして。
別の声が蘇る。
『僕、堀田くんのことが大好きなんだ』
『このキーホルダー、もう僕たちが持ってる2つしかないんだ』
『それが分かった時、ちょっと嬉しかったんだ……』
「……無理だ」
「え?」
「できない」
堀田の手が震える。
「お前を……誰かに渡すなんて」
「堀田くん……?」
「考えられない」
堀田は君野へ顔を近づけた。
「……!」
唇が触れる。
ただし。
2人の間には、君野が宇宙人対策で当てていた2本の指。
堀田の唇は、その指先へそっと触れていた。
君野は完全に固まった。
「……」
窓を見る。
もう、綾目はいない。
「帰るぞ」
「え?どうしたの?」
堀田は今度こそ君野の手を握った。
目を固く閉じ、来た道を引き返す。
『臆病者』
『裏切り者』
うるさい。
『また大切な人を失うわよ』
うるさい。
『堀田くん』
うるさい――!
吹雪をかき分けるように。
堀田は頭の中の声へ逆らい続けた。
温かい電車へ戻るまで。
君野の手だけは、決して離さなかった。




