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第16話「取り返しのつかない選択」



 次の日の月曜日――。


 堀田ほったは胸の奥に引っかかるものを抱えたまま、後ろの席を振り返った。


 君野きみの桜谷さくらたには、相変わらず楽しそうに話している。


 ……いや。


 楽しそうすぎる。


 遠目にも、君野が桜谷を好いていると分かった。


 昨日、自分へ向けられた「大好き」など、最初から存在しなかったように。


 君野が顔を上げ、堀田と目が合った。


 すると荷物を持ち、こちらへ歩いてくる。


「おはよう、堀田くん」


「おう。おはよう」


「昨日はありがとう。これ、おまんじゅう。お母さんが、また家まで送ってくれたお礼だって」


「あ、ああ……ありがとな」


 紙袋を受け取る。


 何だ。


 そんなことか。


 昨日の出来事など、何もなかったようだった。


 駄目だ。


 君野が普通すぎて、動揺している自分のほうがおかしいように思えてくる。


 君野はそのまま自分の席へ戻っていった。


「何かあったの?」


 桜谷は、戻ってきた君野へすぐ尋ねた。


「昨日、堀田くんが僕を助けてくれたんだよ。また堀田くんのお母さんに、家まで送ってもらっちゃった」


「へえ……」


「堀田くんの家って、きれいなマンションの7階なんだよ。都会の人って感じ!」


「家へ行ったのね」


 桜谷の目がわずかに細くなる。


「何をして遊んだの?」


「カードゲーム!」


「……堀田くん、何か言いたそうだったわ」


「そう?僕はあんまり感じなかったけど」


「君野くん、今日すごく淡白ね。何かあった?」


「え?何もないよ!」


 返事は明るい。


 けれど、妙に大人びて見えた。


 2日前、自分と過ごした君野が、昨日は堀田と会った。


 その間に何かがあった。


 桜谷は眼鏡越しに、堀田へ鋭い視線を向けた。




 2時間目の休み時間。


「君野、そっちじゃないぞ」


 移動教室先の男子トイレから出た君野が、教室とは反対方向へ歩いていく。


 堀田は追いかけ、その右手を掴んだ。


「あ、ごめんね。びっくりしちゃって……」


「いや、大丈夫」


 堀田は手を離し、君野の顔を覗き込む。


「お前、今日いつもよりテンション低くないか?」


「そんなことないよ」


「……昨日、俺、何かやらかしたか?」


「ううん。何もしてないよ」


「そうか……」


 どう考えても、昨日のことだ。


 やっぱり、俺が逃げたから。


 堀田はもう1度、君野の手を掴んだ。


「俺さ……昨日、逃げたんだ」


「……堀田くんは、結局何が言いたいの?」


「昨日の『大好き』のカード……あれ、俺を『好きな人』に選んだんだろ?」


「……うん。そうだよ」


 心臓が大きく跳ねた。


 それなら。


 今度こそ――。


「俺さ……!」


「でも、昨日みたいには、もう素直になれないんだ」


「どういう意味だ?」


「今日になって、桜谷さんのことを思い出したんだ」


「……」


 理解するまで、数秒かかった。


 膝から力が抜けそうになる。


 ふざけんなよ。


 そんなの。


 昨日の君野は、俺だけを見てくれていたのに。


「なあ、君野!時間を戻せないか?俺、本当はお前のこと……!」


「大好きだよ」


「……!」


「それが、僕の今の気持ち」


 君野は寂しそうに笑った。


 堀田は、その頬へそっと手を添える。


 昨日のカードについた爪痕。


 涙で滲んだ文字。


 全部、まだ鮮明に覚えていた。


 ふと、背中へ冷たい視線を感じた。


 振り返る。


 離れた場所に、桜谷が立っていた。


 眼鏡越しの目が、じっとこちらを見ていた。



「おい……堀田!堀田!」


 藤井の声で、堀田は我に返った。


 その日の校外授業。


 1年生は近くの公園で、俳句を詠む課題に取り組んでいた。


 堀田のプリントは、まだ真っ白だった。


「まだ何も書いてないじゃないか」


「ああ……」


「どうせ、また桜谷さんと君野のことだろ」


「そうなんだけど……俺がやらかしたっぽい」


「とりあえず、その気持ちを俳句にしろよ。あと15分しかないぞ」


「ぼーっとしてた……」


 蝉の声を聞きながら、堀田はようやくペンを走らせた。


 ――届かずに 君の気持ちや 蝉しぐれ


 「まんまだな」


 藤井が苦笑する。


 堀田は横に置いた白いエナメルバッグへ目をやった。


 そこには、いつもの「兄」キーホルダー。


 今日は、その文字がやけに目につく。


 「……こんなもの……」


 堀田はキーホルダーを握り締めた。


 そして勢いよく、チェーンを引きちぎった。


 切れたキーホルダーをポケットへ押し込む。


 もう、自分を「兄」だと言い聞かせることはできなかった。


 


 昼休み。


 河川敷では、桜谷と君野がレジャーシートを広げていた。


 そこへ堀田も現れ、自分のシートをぴったりつなげる。


 君野は弁当を抱え、申し訳なさそうに2人の間へ座った。


「……」


「……」


「……」


 周囲では楽しそうな声が飛び交っている。


 3人の間だけ、妙に静かだった。


「ねえ。いつものキーホルダー、どうしたの?」


 桜谷が堀田のバッグを見る。


「あ、ああ……チェーンが切れちゃってな」


「ふーん……」


 君野は何も言わず、おにぎりを頬張っている。


 堀田は耐えきれず口を開いた。


「ツ、ツナおにぎりか?」


「うん」


 それだけで会話が終わった。




 「ごめんね、堀田くん」


 昼休みの終わり。


 桜谷がプリントを提出しに離れ、2人きりになった。


 君野がそっと身を寄せ、堀田の制服の袖へ触れる。


「明日からは普通にできるようにするから。今は、ごめんね……」


「あ、あのな……俺……」


 その時、桜谷が戻ってきた。


 また言えなかった。


 そもそも、自分が何を伝えたいのかさえ整理できていない。


 掃除の時間。


 堀田は黙々と教室を掃いていた。


 ふと、ポケットへ手を入れる。


「あ……そうだ」


 さっき外したキーホルダー。


 これがある限り、自分は「兄」から抜け出せない気がした。


 廊下へ出ると、ちょうど男子生徒がゴミ袋を運んでいた。


「なあ、これも捨てといてくれ!」


「ん?いいけど」


 袋の口が開く。


 堀田は迷わず、「兄」のキーホルダーを放り込んだ。


 その瞬間。


 カチャン。


 背後で、ほうきが床へ落ちた。


「どうして……!」


 振り返る。


 君野が、青ざめた顔で立っていた。


「っ……ぐすっ……」


 大粒の涙がこぼれる。


「君野!」


 呼び止めるより早く、君野は走り出した。


 堀田も慌てて追う。


 後ろから桜谷も駆けてくる気配がした。


「うわあああああん……!」


 君野は泣きじゃくりながら廊下を走る。


 堀田は1階外の自動販売機前で追いついた。


「君野!」


 背中を何度も優しくさする。


「……ごめん、なさ……い。今日、自分でも……変だって分かって……。素直に、なれなくて……。でも……絶交、したくない……」


「違う!絶交なんかじゃない!」


「こんな形で……堀田くんとの思い出を……僕だけの思い出に、したくない……」


「……」


 あのキーホルダーは、俺だけのものじゃなかった。


 2人で兄弟になると決めた日の証だった。


「ごめんな……」


「謝るなら……どうして捨てたの……?」


 堀田は君野の両肩へ手を置いた。


「もう、『兄』じゃ無理なんだ」


 声が震える。


「悪い意味じゃない。絶交したいわけでもない。ただ……兄弟だって自分に言い聞かせることが、もうできない」


 君野の濡れた瞳が、真っ直ぐこちらを見ていた。


 もう逃げたくなかった。


「俺、お前のことが好きだ」


 堀田は君野を抱きしめた。


 腕の中で、君野の体が小さく震えている。


 返事はない。


 それでも、堀田はもう「兄弟」という言葉で自分の気持ちを隠すことができなかった。


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