第17話「忘れたくても忘れられない」
桜谷が1階の自動販売機前へ着いた時には、堀田はすでに君野を抱き締めていた。
白昼堂々、まるで恋人のように。
「……大暴発」
桜谷は忌々しそうに舌を鳴らした。
しかし、すぐには止めに入らない。
外廊下と中廊下の境目へ身を隠し、2人を見つめる。
その時、先ほどゴミ捨てへ向かった男子生徒が、大きなゴミ袋を下げて歩いてきた。
堀田が捨てた「兄」キーホルダー。
桜谷は男子生徒へ駆け寄り、ゴミ袋をひったくった。
「おっと!」
男子生徒がよろめく。
桜谷は構わず物陰へ入り、袋の結び目を必死にほどいた。
開いた瞬間、悪臭が鼻をつく。
それでも迷わず手を突っ込み、紙くずや食べ残しをかき分けた。
「あった!」
「兄」キーホルダー。
桜谷はそれを宝物のように掲げ、口元を歪めた。
「あは……あはは……!」
これに、閉じ込めてやる。
近くの水道へ走り、キーホルダーと汚れた腕を念入りに洗った。
数分経っても、堀田と君野は抱き合ったままだった。
「堀田くん、苦しいよ……」
「悪い……力入れすぎたな」
堀田が腕を緩める。
君野の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
ティッシュを差し出すと、君野は思い切り鼻をかむ。
「また、仲良くしてくれる……?」
潤んだ瞳で見上げられ、堀田の心臓が跳ねた。
「もちろんだ!」
迷わず答える。
「兄弟なんてやめたくなるくらい、お前が好きなんだよ!」
「その『好き』って、どういう好きなの?」
「それは……」
勢いが止まった。
「たとえば、男と女がするような……キ、キスをするような……」
脳裏に、棒チョコで唇が触れた時のことが蘇る。
全身が熱くなった。
「お前と、ほら……前にお菓子食ってた時みたいなやつとか……」
「お菓子?」
君野は首を傾げる。
「そんなこと、あったっけ……」
「俺とキスしたこと忘れたのか!?」
「あ……桜谷さんのお土産の棒チョコ?」
「俺は、もっとああいうことがしたい!」
言った。
言ってしまった。
気持ち悪ッ!
俺、超気持ち悪い!
「……君野」
内心で悶絶しながらも、もう気持ちは止まらなかった。
触れたい。
今度は事故ではなく、自分の意思で。
堀田は君野の唇へ目を落とした。
君野は逃げない。
ゆっくり顔を近づける。
あと少し――。
「堀田くん。大事な物、見つかったわ」
「!」
寸前で振り返った。
真後ろには、「兄」キーホルダーを掲げた桜谷が立っていた。
「それ、どうしたんだよ……!」
「これ、君野くんとの大事な物でしょう?」
桜谷は軽く揺らした。
「落としたら駄目じゃない」
「いや、違うんだ、桜谷」
「いいのよ」
桜谷は言葉を遮った。
「堀田くんは、君野くんの公式お兄ちゃんだもの」
そして君野の二の腕を掴み、顔を近づける。
「そうでしょう、君野くん?」
「え……」
君野は戸惑いながら、小さく頷いた。
「堀田くんって、詐欺師なの?」
「さ、詐欺師!?」
「自分の寂しさを埋めるために、『弟』なんて言葉で近づいたんでしょう?」
「違う……」
「相手の気持ちをごまかして、自分に都合のいい居場所を作る。美咲さんと同じね」
「ち、違う!」
「違わないわ」
桜谷は冷たく言い切った。
「関係に名前をつけて逃げて、都合が悪くなったら今度は捨てる」
「……」
「君野くんを、自分の寂しさと欲を埋める道具にしているだけ」
「あのな……」
「最低ね」
桜谷は目を細めた。
「本当に気持ち悪い」
「いや……」
「変態詐欺師」
何も言い返せなくなった堀田の手へ、桜谷は「兄」キーホルダーを押しつけた。
「肝に銘じるのよ、堀田くん」
今度は、その手を両手で包み込む。
「満月の夜にまたケダモノになっても、これがあれば大丈夫」
にっこりと笑った。
「絶対に離してはいけないわ」
「……」
「戻りましょう。次は移動授業よ」
桜谷は手を2度叩き、悠然と歩き去った。
堀田は手の中の「兄」を見下ろした。
君野も何も言わず、俯いている。
俺は。
君野にビンタしたあいつより、ひどいことをしているのか。
顔を上げると、遠ざかっていく桜谷の背中が見えた。
まるで敵将の首でも持ち帰る将軍のようだった。
放課後。
堀田は体育館の隅へ座り、バスケ部の試合をぼんやり眺めていた。
「俺の気持ちは……兄弟愛の暴走だったのか?」
弱い相手へつけ込む男の事件が、朝のニュースから蘇る。
俺も、同じなのか。
「変態……詐欺師……」
ビ――――ッ!
ブザーが鳴った。
コートでは、勝利した選手たちがハイタッチを交わしている。
似た光景が記憶の奥から浮かんだ。
君野と仲直りした、あの日の体育。
堀田の目から、涙が1筋落ちた。
悔しいのか。
悲しいのか。
怖いのか。
自分でも分からない。
手の中の「兄」キーホルダーを強く握った。
どうしたらいい。
俺は――。
これを、またつけるべきなのか。
次の日。
火曜日の朝。
堀田と君野は、下駄箱の前で鉢合わせた。
「おはよう!堀田くん!」
「お、おう。おはよう。桜谷は?」
「先生に呼ばれてったよ。朝の放送で、標語の受賞インタビューするんだって」
「そうなのか」
堀田は君野のリュックへ目をやった。
そこには、まだ「弟」キーホルダーがついている。
「なあ、君野。あのさ……」
「あれ?『兄』キーホルダーは!?もしかして、落としちゃったの?」
「え?いや、落としてない。ほら」
ポケットから「兄」を取り出した。
相当迷ったが、今日もつけられなかった。
「何でつけてないの?壊れちゃった?」
「いや……昨日、あんなことあったからさ。申し訳ないっていうか……」
「昨日って、何?」
「はあああああ!?」
大声が下駄箱へ響き、周囲の生徒が振り返った。
「ま、マジで言ってんの……?」
「マジだよ~」
君野は、にこにこと笑っている。
まるで時間が巻き戻ったようだった。
あれほど悩んでいたことが、あっけなく消えた。
堀田は息を吐く。
また、やり直せる。
そう安心してしまった。
同時に、その忘却へつけ込みたい自分もいた。
「あ、そうだ!僕、トイレ行きたかったんだ!行ってくる!」
「あ、おい!」
君野は慌ただしく男子トイレへ走っていった。
「……また記憶が飛んだのか」
でも。
本当に、喜んでいいのか。
「堀田くーん!ねえ、何してるのー?」
「げっ!」
男子トイレの前へ向かおうとした堀田を、美咲たちが取り囲んだ。
「ぐすっ……ううっ……」
男子トイレの個室。
君野はリュックを抱え、便器の前へしゃがみ込んでいた。
「……これでいいんだ」
昨日のことを、忘れたふりをした。
そうしなければ、堀田の前で普通に笑えそうになかった。
「どうして……」
堀田くんを好きになると、こんなにも罪悪感でいっぱいになるんだろう。
リュックについた「弟」キーホルダーを、ぎゅっと握り締める。
細い指が震えた。
「大好きだよ……堀田くん……」
君野は壁へ寄りかかり、誰にも聞こえないよう声を殺して泣き続けた。




