↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
15/55

第15話「もしも…」


 夏の日差しが、容赦なく降り注いでいた。


 夏休みまで、あと1週間。


 日曜日、堀田ほったは近所の空手教室へ向かって歩いていた。


 そういえば、美咲(みさき)はあれから桜谷さくらたにへ嫌がらせをしなくなった。


 むしろ、自分から避けている。


 ……何があったんだ。


「きゃー!」


 道端では、近所の子供たちが水鉄砲で遊んでいた。


「あっつ……」


 このままでは倒れそうだ。


 暑いと思うから暑い。


 堀田は体育会系の精神論で、無理やり楽しいことを考えた。


 楽しいこと。


 今、君野きみのがここにいたら――。


「ん……?」


 陽炎の揺れる橋の向こうへ目を凝らす。


「あれ?君野!」


 空手で精神を鍛えすぎて、とうとう幻覚まで見えるようになったのか。


 君野が、あの雨の日を思わせる足取りでふらふらと歩いてくる。


 まるで意思のないゾンビだった。


「君野!」


 呼びかけても反応がない。


 堀田は近づいてきた君野の肩を掴んだ。


「おい!」


「……あれ?」


 ようやく目に生気が戻る。


 君野は辺りを見回した。


「ここ、どこ?」


「またかよ……」


 半袖に短パン、足元はサンダル。


 財布も、連絡手段もない。


 また幼児退行ようじたいこうのような状態で、ここまで歩いてきたらしい。


 炎天下を歩き続けた顔は真っ赤だった。


「……とりあえず、空手は休むか」


 堀田は君野を連れ、近くの喫茶店へ駆け込んだ。


 堀田はスマートフォンを取り出し、君野の母親へ電話をかけた。


 向かいでは、君野が呑気にクリームソーダを食べている。


 冷たいものを口へ運ぶたび、みるみる元気になっていった。


 母親はパート先が忙しく、すぐには迎えに来られないらしい。


 堀田が責任を持って家まで送り届けると伝えると、何度も礼を言われた。


「堀田くん、食べる?」


「ん?」


 君野がビニール袋を差し出した。


「何だ、それ」


「お惣菜みたい」


「みたいって……まさか盗ってきたんじゃないだろうな」


「違うよ」


 君野は首を横へ振る。


「僕、近所でちょっとした名物になってるんだって」


「名物?」


「気づいたら、商店街のコロッケとか、お団子とか、お菓子を持ってることがあるの」


「何でだよ」


「すごく愛嬌を振りまいてるみたい」


「この酷暑の中、何時間もコロッケ片手に歩いてきたのかよ……」


 堀田は呆れながらも、君野の状態が気になった。


 少し休ませるため、そのまま自宅へ連れていくことにした。


「わあ!エレベーターが2つもある!」


「そんなに珍しいか?」


 2人は7階にある堀田の家へ向かった。


 部屋へ入った途端、君野が鼻を動かす。


「ああ、この匂い!堀田くんの家だ!」


「またお前と来ることになるとはな……」


 デジャブすぎる。


 堀田は君野を椅子へ座らせた。


 君野は体ごとくるくる動かしながら、物珍しそうに部屋を見回している。


「あ」


 視線が本棚で止まった。


 そこには『幼児退行』『マインドコントロール』『記憶喪失』などの専門書が並んでいる。


「ああ、これな」


 堀田は1冊取り出した。


「少しずつ読んでるんだ。難しいけど」


「お医者さんみたい!」


「将来、医者になるのもいいかもな」


「本当?」


「こういう病気を治せたら格好いいだろ」


「堀田くんがお医者さんになったら、僕、いっぱい通う!」


「いっぱいは通うなよ!」


 堀田は吹き出した。


 相変わらず。


 かわいいか……!


「ねえ。コロッケ、食べる?」


 君野がビニール袋を差し出した。


「家族で食べて!」


「いいのか?ありがとな」


 堀田は冷たくなったコロッケを受け取った。


 さて。


 何をするか。


 この部屋にはテレビもゲーム機もない。


「あ」


 堀田は何かを思い出し、机の棚を探った。


 取り出したのは、1つのカードゲーム。


「これ、やるか?」


「何それ?」


「友達の忘れ物だ」


 箱を開ける。


「カードに書かれた台詞を、指定された気持ちで言うんだ。相手は、どういう意味で言ったのかを当てる」


「やりたい!やりたい!」


「じゃあ最初は、俺が当てるからな」


 堀田はカードを机へ広げた。


 君野が1枚引く。


 カードを見つめたあと、上目遣いで堀田を見た。


「これで終わりだね!」


 堀田は少し考える。


「文化祭の片づけが、ようやく終わった。だな?」


「正解!」


 君野は頭の上で大きな丸を作った。


 その後も、君野が問題を出し、堀田が答える。


 正解したカードは、笑ってしまうほど高く積み上がった。


「堀田くん、このゲーム得意なの?」


「いや」


 堀田は当然のように答える。


「君野だから分かる。外す気がしない」


「ふふふ」


 君野が小悪魔のように笑った。


 残っているのは、最後の1枚。


「じゃあ、最後いくよ」


 君野はカードを胸元へ隠した。


 さっきまでとは違い、なかなか口を開かない。


 やがて小さく咳払いした。


「大好きだよ」


 堀田の動きが止まった。


 嬉しい。


 そう思った瞬間。


 ――ど変態。


 桜谷の声が、耳の奥で蘇る。


 違う。


 俺は――。


 堀田は視線を逸らした。


「……家族に言うやつ、とか?」


「不正解」


「じゃあ、クラスメイト?」


「違う」


「友達に言うやつか?」


「もう!」


 君野は頬を膨らませた。


「全然違う!」


 太ももの上で、「大好き」と書かれたカードを揺らす。


「ごめんな」


 堀田は慌てて言った。


「俺も、さすがに疲れたんだよ」


「……」


「どうしたんだよ。ゲームだろ?」


「ここまで全部分かったのに」


 君野は俯いた。


「どうして、僕の『好き』だけ伝わらなかったんだろうって思っただけ」


「……あれは事故だよ」


 堀田の声が硬くなる。


「今までのことも、全部事故だ」


 ――兄のふりをして近づくなんて。


 違う。


 そんなつもりじゃない。


 俺は変態でも、卑劣でもない。


「もう1回、同じの言う」


 君野はカードを握り締めた。


「今度は、ちゃんと当てて」


「お、おう」


 再びカードを胸の前へ掲げる。


「だ……」


 だが、続かなかった。


「だい……す……」


 唇だけが震える。


 最後まで言えず、カードを太ももの上へ下ろした。


「泣いてるのか?」


 君野の頬を、涙が伝っていた。


 堀田は指先でそっと拭う。


「何でだろう」


 君野は困ったように笑った。


「僕、罪悪感を感じてる。でも、どうしてなのか分からない」


「もういい」


 堀田は優しく言った。


「ゲームはやめよう」


「違う!」


 君野はきつく目を閉じた。


「これは、ゲームなんかじゃない!」


 首を大きく横へ振る。


「ちゃんと聞いてよ!」


 顔を上げた。


「大好きだよ!」


「……君野」


 堀田の声が震えた。


 その目を見続けることができない。


 返事を探す。


 けれど、見つからなかった。


「俺も、愛してるよ」


 少しだけ間が空く。


「……兄弟としてな」


「……うん」


 君野がかすかに笑った。


「正解。答えは、兄弟に言う『大好き』だよ」


「そ、そうだよな」


 堀田は胸を撫で下ろした。


 これでよかった。


 これで、いいはずだ。


「ちょっと、トイレ行ってくるね」


「ああ。玄関の近くにあるからな」


 君野が部屋を出ていく。


 もうゲームは終わりでいい。


 堀田は机のカードを片づけ始めた。


 ふと、最後の1枚の端に小さな文字があることに気づく。


 ――好きな人へ。


「……」


 カードには、君野が強く握り締めた爪痕が残っていた。


 ぽたり。


 堀田の涙が落ちる。


 黒いインクが滲み、「好きな人へ」の文字がゆっくり崩れていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。