第83話 囮の牙、遅滞の黒乙女
「でも……何で私ばかりが狙われるんだろ?」
救護室の重苦しい空気の中、サキはふと、心臓に手を当てたまま眉をひそめた。 まだ全身にピリピリとした電撃の余韻が残っている。
「いくら私の体内のマナの量が多いって言っても……将来、まだどうなるかも分からない見習いの私なんかより、この国にはもっともっと力のある魔女がたくさんいるはずなのに。それに、私の周りにみんなが集まってきたら、他の場所の警戒がそれだけ薄くなるんだし……あっ!」
そこまで考えたところで、サキの脳裏に、心臓が凍りつくような最悪の仮説が浮かび上がった。サキはガタガタと震える唇を必死に動かし、喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。
「ウ、ウルちゃん!眠っているウルちゃんが狙われたりは……!?もしかして、私を狙ったのは、私を囮にして、ユカリ様やみんなの目をこっちに引きつけるためだったんじゃ……っ!?」
「――ッ!?」
ユカリの冷徹な魔眼が、驚愕でギョッと見開かれた。
サキへの治療に手を取られ、この娼館の絶対防壁をすり抜ける『空間湾曲』の真の脅威から、一時的に意識が逸らされていたのだ。
「アザレア!!」
「は、はい!」
「早く、ウルの病室へ行きなさい!」
「はいっ!」
アザレアは自身の限界に近い疲労も忘れ、弾かれたように救護室を飛び出していった。
「クティラもお願い!」
ユカリの指示に、クティラも「分かった!」と鋭く答え、触手を弾ませながらアザレアの後を猛スピードで追う。
「ごめんなさい、私はまだ、マナの循環が完全には戻っていないから……くっ」
歯噛みするユカリを見て、サキはベッドから身を乗り出した。
「ごめんなさい、ユカリ様!私も行っていいですか!?」
「いいけれど……あなた、身体は大丈夫なの?」
「はい、なんとか。私もウルが心配です!!」
サキの強い眼差しに、ユカリは一瞬の躊躇のあと、小さく頷いた。
「それじゃあ、お願い。サキ」
「はい!」
サキはボロボロになった衣服の裾を翻し、アザレアたちが向かった廊下へと全速力で駆け出した。残されたルクレツィアは、ベッドの横でユカリの手をしっかりと握る。
「ルクレツィア、ユカリ様をお願い」
「分かりましたわ!おまかせください、お姉様!」
エルダはすぐさま自身の胸元の星紋へマナを接続し、鋭い声を張った。
「私は魔警察をこちらへ呼び出します。ウルの病室の警備を即座に厚くしておかなければ……!」
通信魔法の幾何学模様が、エルダの前にきらびやかに展開していくのを背中で感じながら、サキは廊下をひた走った。
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その頃、ウルの眠る奥の病室へと辿り着いたアザレア、クティラ、サキの三人。 アザレアが力任せに扉を開け、部屋へと押し入る。
「あっ!あの時のっ!」
サキは目の前の光景に、息を呑んだ。
そこには、サキが記憶の情景で描き出し、先ほど特定したばかりの、肩までの長さの、茶色い癖のある髪をした五、六歳ほどの幼い少女が赤いワンピース姿でぽつんと立っていた。 その小さな左手には、マナの黒い光を帯びた長く、鋭く細い金属針が、不気味に握られている。
少女はゆっくりとこちらを振り向くと、子供特有の無邪気で、しかし寒気がするほど冷酷な笑みをその愛らしい顔に浮かべた。
「きゃきゃきゃ〜、やっと気がついたんだ。お前らおっそ〜い!セラーノの魔女って、ほんっと〜に、鈍い馬鹿ばっかりだよねぇ〜!」
「このぉぉぉっ!!」
クティラの青い瞳が怒りで緋色へと染まり、スカートの裾から伸びた巨大な青い触手が一瞬にして硬質化。ウルのベッドの脇にいた少女を、天井が抜けるほどの勢いで上から叩き潰した。
ドゴォォォンッ!!!
「ちょ、クティラ!潰しちゃったら背後関係が――」
サキが慌てて叫んだが、粉砕された床の瓦礫の煙の奥から、クティラは鋭い声を上げた。
「……逃げた」
「えっ?どこに!?」
「上」と、天井を指差す。
アザレアとサキが弾かれたように見上げると――なんと、重力を無視して、少女が天井にピタリと両足で立ち、こちらを逆さまに見下ろしていた。
「きゃきゃきゃ〜!力技だね〜!頭の弱いタコちゃん!」
「クティラ、タコ違うぅぅーーっっ!」
激怒して触手をうねらせるクティラを制し、アザレアが鋭い殺気を込めて叫ぶ。
「お前は何者!?ハイパーボリアの人間か?!」
「名前が聞きたいの〜?え〜?私のぉ〜?私って人気者だね〜。ど〜しよっかな〜?きゃきゃきゃ〜!」
少女は天井でくるりと身軽に一回転してみせると、小悪魔のように首を傾げた。
「私の名前を聞いたって、どうせあんた達、近いうちにみ〜んな死んじゃうんだし〜。その子の次にね〜」
少女の小さな指先が、ベッドの上で静かに眠るウルをピっと指差した。
「まさか……!?」
アザレアとサキは青ざめ、ベッドの上のウルへと駆け寄った。
「あんた(サキ)に植え付けたのは、じわじわ効く遅効性の呪いだけどぉ〜、この子は、早く死んでもらわないといけないからね。もう仕込みは終わっちゃったよ。きゃきゃきゃ〜」
「ウルーーーッ!!」
サキとアザレアがウルの小さな胸元に手をかざす。その瞬間、少女が天井からサキの無防備な背中に向かって、鋭い針を構えて飛び降りてきた。
「サキ〜、今度はすぐに死んじゃえ〜!」
「こいつぅっ!」
クティラの敏捷な触手が空中でそれを薙ぎ払い、少女は身軽に後方へと着地する。
「きゃきゃきゃ〜、危ない危ない!タコちゃんにぐしゃって、潰されちゃうとこだったよ〜!」
「タコ違うーーーっ!!」
不敵に笑う少女には目もくれず、アザレアはウルの胸元を透視し、恐怖に顔を歪めて叫んだ。
「ウル!ああっ、呪いが……なんでー!?何でこんなに呪いの周りが早いのよ!心臓のマナがどんどん食い尽くされていく……っ!」
「きゃきゃきゃ〜!そりゃあ、私の即効性の呪いだもん、効果早いよ〜!もうその子には、さよならしておいた方がいいよ〜!」
「くっ……!」
サキは少女を鋭く睨みつけたが、今は少女を捕らえることよりも、ウルの心臓を守る方が一刻を争う。ウルの胸元からは、黒紫色の邪悪な泥のようなマナが凄まじい速度で全身のバイパスへと溢れ出し、ただでさえマナを減らしている彼女の弱々しい生命力を完全に蝕もうとしていた。
「これじゃあ、私の浄化魔法でも全然間に合わない……っ!そうだ!」
アザレアは絶望に唇を噛み締めながら、咄嗟に自身のこめかみへ手を当て、最大出力の通信魔法を、どこかへと叩き込んだ。
「ウターー!!もう起きたでしょ!?病室へ、すぐに!!早く、早く来てーーっ!!」
アザレアの悲痛な叫びが部屋中に響き渡った、まさにその直後だった。
「はい」
「うわっ!!」
「もうー!いつも突然だから?!」
急に目の前に現れた少女に驚くサキを横目に、あまりにも静かな、そして眠たげな少女の声が、ウルのベッド脇から響いた。
そこには、一人の奇妙なゴスロリ少女が立っていた。
頭の左斜め上に一本だけ生えた小さな黒いツノ。
青白く健康的な赤みのない、陶器のような肌。
そして、気怠げに半分閉じられた、深い闇のような黒い瞳に、目の下には濃いクマ。
服装は、フリルの多いゴシック調の黒いレースをあしらったミニ丈のワンピースを纏い、首からは金のチェーンにぶら下げられた小さな金の懐中時計。
細い足には黒い網タイツと、黒い厚底の編み上げブーツという、時計以外は、全身「死」を象徴するような、真っ黒なゴスロリ衣装で包んでいた。
「ウタ!お願い!ウルの時間を今すぐ止めて!」
「分かりました」
ウタは眠たげな瞳のまま、一切の動揺を見せることなくベッドの上のウルへと右手を向けた。左手は懐中時計を握っている。そして、その薄い唇から、歌うような静かな調子で、魔法の名前が紡がれる。
「――『遅滞領域』」
キィィィィィン……。
ウタの細い指先から、目に見えない無色透明の波紋が波立つのを、サキは自らの体内の『魔女回路』を通じてダイレクトに感じ取った。波紋がウルの全身を優しく包み込んだ瞬間、彼女の胸元で暴れ狂い、全身へ巡ろうとしていたあの黒紫色の呪詛のマナが――不自然なほどに、完全にその動きを「静止」させた。
呪いの浸食スピードがゼロになり、死へ向かうウルの体内時間が、その座標において完全に凍りついたのだ。
「ふゎゎ……、彼女の時間を止めました」
ウタは小さくあくびを噛み殺しながら、静かに右手を下ろした。
「ありがと!ウタ!」
「どういたしまして」
時を操作する、そのあまりにも規格外で、圧倒的に美しい「絶対防御」の力を前に、天井から着地した茶色い髪の工作員の少女は、初めてその不敵な笑みを消し、忌々しそうに顔を引き攣らせた。
「チッ、ウタウスか……」
「ウタっち!」
クティラがすかさず、天井近くでウタを見つめる少女を指差した。
その青い三つ編みが、戦闘の熱気で激しく弾ける。
「ウタっち、あいつの時間も止めて!あいつが、ウルっちを刺した犯人なの!捕まえる!」
ウタは眠たげな黒い瞳をゆっくりと動かし、部屋を汚す不穏な闖入者へと、その静かな「眼差し」を向けた。
ウタウスの初登場です。
実は以前の話で彼女の話が出た事があります。
彼女の姿は私の好みが多分に反映されています(笑)




