第7話 初めての理解者
そして、ある日の夜。
サキの仕事部屋の扉が、静かに開いた。
入ってきたのは、元の世界ではイケメンと言われる様な、容姿の整った一人の青年だった。
年齢は二十代半ばほど。夜の闇を溶かし込んだような漆黒の髪に、どこか悪戯っぽく細められた琥珀色の瞳。仕立ての良い上質な衣服を気崩し、まるで自分の書斎にでも入るかのような、ひどく自然で、どこか浮世離れした足取りで部屋に足を踏み入れてきた。
「初めまして、サキお嬢さん。私が今夜の君の『客』だ」
青年はそう言って、優雅に一礼した。
サキはベッドの端で、思わず身構えた。
これまでの客が放っていた、ねっとりとした欲望の気配が、この男からは一切感じられない。
その雰囲気に、ホッとすると同時に、そう思ってしまった、後悔の念が襲って来た。
いやいやいや、別に俺はこういう男が好きなんじゃないぞ!
まだまだ俺の気持ちは男なんだから!
これまでの客よりは、こいつの相手をする嫌悪感が少ないというだけなんだ!そうなんだ!
しかし彼の色男っぽい言動は、サキのオタク特有の警戒センサーをビンビンに刺激した。
(しかし何だ、この男……。こういった軽い雰囲気のキャラって、アニメやラノベで出て来る、実は強キャラだったというパターンが多いよな)
「私の名前はナイアル。呼び捨てでいいから、気軽に呼んでおくれ」
ナイアルはサキの警戒を気にする風でもなく、部屋の唯一の椅子に勝手に腰掛けた。
「ユカリさんから君の噂を聞いてね。なんでも、娼婦なのに男と寝ない。これまでの客をことごとく驚かせる、不思議なマナの持ち主だとか。……おや?その指先どうしたんだい?ひどい火傷だね」
「こ、これは……どうでもいいだろっ。ただの火傷だよ!」
サキは、三ヶ月の特訓で赤黒く腫れ上がった人差し指を、慌てて袖の中に隠し、手を後ろに回した。
「こんなの、あんたには関係ないだろ。……仕事はするから、さっさと済ませて帰ってくれ!」
サキはベッドの端に座った。
マナを分け与え、男を悦ばせ、彼女にとって、生きるための虚無の時間をやり過ごす。
それが、この娼館『蜘蛛の糸』での、サキの大きな仕事の一つだ。
だが、ナイアルはクスクスと肩を揺らして笑った。
「おっと、誤解しないでほしいな。私は君の瑞々しいマナを貪りに来たわけじゃない。私が興味があるのは――君の、その不器用な『足掻き』の方だ」
「……何?」
サキが顔を上げると、ナイアルは琥珀色の瞳を細め、サキの袖の中に隠された指先をじっと見つめていた。
「見せてごらん。君が三ヶ月間、死に物狂いで練り上げた、その五歳児の火花を」
心臓が、ドクンと跳ね上がった。
(なんで、それを知ってる……!?)
昨日、ユカリと二人きりの部屋で交わした会話だ。
誰にも聞かれているはずがない。
サキの顔が、驚愕で強張る。
「そんなに怯えないでくれ。ユカリが外で愚痴っていたのさ。『あの子はバカみたいに指先を焦がして、ようやく火花を出して喜んでいる』ってね。ひどい言い草だよね、可哀想に」
ナイアルは少し表情を落とし、首を傾げた。
「でも、私はそうは思わない。アザトースの、あの底なしの混沌を、肉体を爆発させずに『針の先』まで絞り込んだんだろ? それは五歳児の遊びなんかじゃない。――正気の沙汰ではない、極限の精密制御だ」
「――!」
初めてだった。
この世界に来てから、女の身体に変えられ、娼館に落とされ、誰からも尊厳を認められず、ただの便利な「マナの貯蔵、分配庫」として扱われてきた。
幸い、初日のユカリ以来、客たちとは抱き合う程度で、マナを分け与えられていたため、身体は守れていたが、それでも元男としてのプライドはこの三ヶ月間ほぼ毎日、男の相手をさせられ、ズタズタだった。
ユカリにすら「五歳児並み」と切り捨てられた自分の地獄のような三ヶ月を、この男は、正確に、完璧に理解して、評価してくれたのだ。
誠としての、そしてサキとしての心の奥底の氷が、ピキリと音を立てて融けたような気がした。
「あんた……、何者なんだ?」
「ただの物好きな暇人さ」
ナイアルはウィンクすると、懐から一本の、細い水晶で作られた様な結晶のペンを取り出した。
「君の魔力コントロールは素晴らしい。だが、アニオタ――おっと、君の頭の中にある『異世界の概念』をそのままこの世界の言語に翻訳するには、少しだけ『魔女回路』が足りていない」
「……え?」
今、この男、何と言った?
アニオタ? 異世界の概念?
サキが混乱する前に、ナイアルは結晶のペンを空中でさらさらと動かした。
空間に、淡い光の術式が浮かび上がる。
「魔法はイメージだ。君はダムの蛇口を絞るようにマナを出しているね? けれど、それだと摩擦で肉体が焼けてしまう。絞るんじゃない。――『細い管をたくさん作って、一本だけを残して残りを閉じる』んだ。魔女回路の並列の遮断。そのイメージなら、君の得意分野だろう?」
(な、なるほど!そういうイメージなのか!)
脳天を殴られたような衝撃だった。
電流が走るように、ナイアルの言葉がサキのオタク脳に完璧に同期する。
(そうか……! 一本の管を細くしようとするから、圧力がかかって熱傷になるんだ。最初から同じ細さの回路を無数に想定して、他をシャットダウンすれば……!)
サキは夢中でベッドの上に座り直し、右手を突き出した。
イメージする。脳内に張り巡らされた、無数の光の回線。それを、パチ、パチ、パチと、手前から順番にスイッチをオフにしていく。
最後に残った、たった一本の、極細のルート。そこに、アザトースのマナを滑り込ませる――。
チリ……。
パチチチチッ!!!
昨日とは比べ物にならない、鮮烈で、眩いほどの『紫色の電撃』が、サキの指先から勢いよく弾け飛んだ。
部屋の空気が、一瞬だけオゾンの様な匂いで満たされる。
「できた……。熱くない……! 皮膚が、焦げてない!やった!」
サキは自分の指先を見つめ、歓喜の声をあげた。
「ほ〜、素晴らしい。やっぱり君は天才だ。言われてすぐに、具現化できるとは」
ナイアルは立ち上がり、パチパチと小さく拍手を送った。
「今日はこれくらいにしておこうか。これ以上やると、外で見張っている怖い魔女様に、しかられてしまうからね」
ナイアルは扉へと歩き、ノブに手をかけた。そして、振り返って悪戯っぽく微笑む。
「また来るよ、サキ。君と話すのは、この退屈な世界で一番面白い。……次は、その異世界の『あにめ』とやらの話でも、ゆっくり聞かせておくれ」
「あ……、おい!ちょっと……」
「また来るよ、誠さん。いや、今はサキさん、か』
「え……?ちょ、ちょっと!」
サキの呼びかけに答えることなく、ナイアルはひらひらと手を振って、部屋の外へと消えていった。
静まり返った部屋で、サキは自分の指先をじっと見つめていた。
まだ、指先には心地よい電撃の余韻が残っている。
(あいつ……、俺の正体を知ってるみたいだったな。……高位の魔法使いなのか?)
不思議と、彼に対しての恐怖はなかった。
むしろ、この暗澹たる異世界で、初めて「自分の名前」を呼んでくれた、対等な友人ができたような――そんな温かい高揚感が、サキの胸に確かに灯っていた。
謎の多そうな新キャラのナイアル。
サキの過去を知っている様でしたが、彼女とどういった関係になるのか?
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