第78話 鼓動
「アザレア、心臓のマナはどう!?」
ユカリの鋭い声が、魔導灯の光が白く浮かび上がらせる救護室に響き渡った。
額から大粒の汗を流しながら、アザレアはサキの胸元にかざした両手に全力でマナを注ぎ込み、必死の形相で答えた。
「はい!ま、まだ持ち堪えられそうですが、このままでは心臓から出たマナが、呪いですぐに負のマナになってしまいます!それが心臓へ逆流してしまうと、心臓を止めてしまいますわ!また、それ以外の汚れた負のマナが全身へも!」
「お願い!何とかマナを呪いに触れさせないように、汚れていない魔女回路に逃して!私は呪いで汚れた魔女回路を浄化させるから!少しでも逃せる回路を増やすわ!」
「はい!やってみます!でも、心臓からのマナの出力がどんどん上がってきているので、このままでは汚れた魔女回路を経由して全身へ……!」
アザレアの指先が、過度なマナの伝達に耐えかねて細かく震え始める。
浸食の速度は彼女たちの想定を遥かに超えていた。
「アザレア!諦めないで!!ここまでのマナの量の浄化は、あなたにしか出来ないの!だから!お願い!」
ユカリのこれまでにない必死の叫びが、アザレアの背中を強く押した。
「はい!もう、サキー!あなたこれだけの強い呪い、どこでもらって来たのよー!治ったら一生下僕にしてやるからね!?」
アザレアの怒声交じりの必死の叫びに、ユカリもまた自身のマナを限界まで引き上げながら応じる。
「その意気よ、アザレア!でも本当にどうして!?どうしてこんなに全身に回るまで気付かなかったの!?サキ!あなた、鈍いにも程があるわよ!それと、ウタはどうしたの?!」
死線にありながらも、ユカリは思わず普段の様子で毒づいた。しかし、その手から放たれる浄化の紫電は、一筋の淀みもなくサキの太ももの裏の刺入口から伸びる経路を焼き払おうとしていた。
「ユカリ様、ウタと連絡が取れません。今は寝ている時間だと思います」
「くっ!それなら、間に合わないわね……」
「ウタ、来ないのか……」
クティラが、がっかりとした表情で俯いた。
「仕方がありませんわ……それなら、私たちは祈ることしかありませんわ」
その凄惨な治療の光景を、部屋の隅で見守るクティラとルクレツィアは、ただ祈るように見つめることしかできなかった。
(サキっち!頑張れ!ユカリ様、アザレアっち!頑張れ!お願い、サキっちを助けて……!)
涙を絶え間なく流しながら、胸の前で小さな手のひらをきつく組み合わせるクティラ。
(お姉様!いやですわ、もっともっと、これからも、お姉様にわたくしの作品を見てもらいたいのです!お願いします!ユカリ様! アザレア!お姉様を助けてください!!)
ルクレツィアも涙を堪え、ただ一心に祈り続けた。
しかし、状況は遅々として好転しなかった。 アザレアの最高峰の術式をもってしても、サキの心臓から次々と放出される莫大なマナは、体内の通路を通る瞬間にイエロー・サインの毒素と交じり合い、瞬時に汚れた負のマナへと変質してしまう。
そして、その汚れたマナが再び全身のバイパスを巡り、浄化の終わった場所さえも容赦なく再汚染していくのだ。
「サキー!なんでこんなにマナの量が多いの!!浄化が間に合わないじゃない!!あなたおかしいんじゃないの!!」
アザレアの悲鳴のような叫びが、救護室の冷たい空気を震わせる。
「どうして……回路を浄化しても、すぐに汚れたマナが元に戻してしまう。やはり、この子のマナの量は異常だわ……」
ユカリの表情にも、かつてない焦燥と絶望の影が差し始めていた。
サキがこの部屋に運び込まれてから、一体どれほどの時間が経過したのだろうか。
閉め切られた救護室の隙間から差し込む光が、少しずつ、夜から白々と明ける朝の兆しを告げるように明るみ出してきた。
「はあ……はあ……サキ!あなた、次から次へと、どれだけマナが溢れるのよー!」
アザレアの肌はすでに血の気が引き、その呼吸は完全に乱れていた。
一晩中、世界最高峰の浄化を維持し続けたことで、彼女の精神も限界に達している。
「浄化が……、間に合わないじゃない……」
「アザレア!お願い!頑張って!」
「はい、ユカリ様。ただ、私のマナも厳しくなってきてて……あっ!また、マナが汚れて……!」
「もうー!頑張れ、私!こんなところで意識を落とすなー!」
アザレアは自身を奮い立たせるように叫ぶ。
それと同時にユカリはサキの心臓部へ、その魔眼を向けた。
(心臓のマナの量は……?)
サキの胸元を透視したユカリは、思わず息を呑んだ。
(うそ……どうして、まだこんなにマナが出てくるの……?これじゃあ、アザレアでも浄化しきれない!)
これだけの呪詛に侵され、循環を阻害されているというのに、サキの心臓の魔女回路は、枯れることのない泉のように膨大なエネルギーを放出し続けていた。
その異常な生命力が、逆に呪いの拡大を爆発的に手助けしてしまっている。
それから、さらに数時間が経過した。
完全に陽が上り、午前中の眩しい光が部屋に差し込む頃。
「ユ、ユカリ様……もう……私のマナが……」
アザレアの視界がかすみ、かざした手の隙間から血がじわりとにじみ出た。魔力欠乏による肉体の崩壊が始まっていた。
「ダメです、心臓からの、マナの量があまりにも多すぎて……なんなの、この子……! こんな膨大なマナを……っ!あ……あ……」
アザレアの手から淡緑色の光がプツリと途切れた。
その瞬間、せき止められていた呪いの濁流が、一気にサキの心臓の深部へと流れ込んだ。サキの心臓の脈動が、それまでとは明らかに違う速度で、引きずり込まれるようにゆっくりと、弱々しくなっていく。
サキの白かった顔が、急速に生気を失い、土気色の青ざめた色へと変色していく。
「サキっち!!」
クティラが耐えかねて悲鳴を上げた。
「サキっちが!サキっちが!どんどん壊れてく……!血が、マナが……!」
声を出すのを止められず、クティラは床へと崩れ落ちて大粒の涙を流した。
「あああ……サキっち……がんば、ってよ……っ」
「お姉様……いやですわ、ユカリ様やアザレアがこんなに頑張っているのですから、お姉様も……頑張って……ううっ……」
ルクレツィアもまた、サキの変わり果てた姿に顔を覆って泣き崩れた。
サキの完全に青ざめ、命の灯が消えかかっている顔を見つめたユカリは、静かにアザレアの肩を叩いた。
「アザレア、ここはいいわ。あなたは休みなさい」
「でも、でも私が止めれば……!」
「あなたのマナが、欠乏してしまうわ。今これ以上の浄化は、あなたの体への負担が高すぎるわ」
「でも、でも……!」
「いいから、今あなたは無理をしないで。下がっていなさい!」
「でも……心臓が、どんどん弱く……」
「分かっているわ。だけど、あなたまで倒れたら誰がこの後を看るの。もうあなたは休息を取りなさい」
ユカリの低く、静かな声には、抗えない絶対の意志が宿っていた。
アザレアは唇を血が出るほどに噛み締め、悔し涙を流しながら、よろよろとベッドから手を離した。
「ユカリ様……ああっ!ちょ、ちょっと!!サキ!サキっ!」
手を離し、心臓の残響を感じ取っていたアザレアが、突如として目を見開いて叫んだ。
「どうしたの、アザレアっち!?」
「どうしたのですか!?」
クティラとルクレツィアが弾かれたように顔を上げる。
ベッドの上に横たわるサキの胸元を凝視したまま、アザレアは血の気の失せた唇を震わせ、か細い声で呟いた。
「あ……あ……サキの……心臓が……」
一筋の、静寂が室内に満ちた。
「……止まった……」
止まってしまったサキの心臓の鼓動。
この世界でも、死者を蘇生させる方法は無いので、厳しい状況になってしまいました。




