第76話 黄衣の罠、迫る刻限
「サキっち!サキっち!死なないで、お願い!しっかりぃ!」
激しく揺れる馬車の中で、普段のおっとりした様子からは想像もつかないほど、クティラが涙をボロボロと流しながら必死に泣き叫んでいた。
その何本もの触手が、ぐったりとしたサキの身体を、壊れ物を扱うように優しく抱きしめている。
「クティラさん、お気を確かに……っ!ユカリ様が何とかしてくださいますわ!絶対に、絶対に、大丈夫ですわ!」
ルクレツィアがクティラの肩を抱き寄せながら、自分自身をも安心させるように、必死に声を震わせて叫んだ。その顔は恐怖で真っ白に染まっている。
サキの冷たくなり始めた手首を掴み、じっと目を閉じて脈を取っていたナイアルが、険しい表情のまま口を開いた。
「まだ脈はしっかりとしている……けれど、少しずつ弱くなりつつあるね。これは、心臓からマナがどんどん減りつつあるのかもしれない」
「エルダっちーー!早く! 早くぅー!」
クティラの悲痛な叫びに、魔導馬車の最前列で、直接マナの糸を伸ばして馬たちを制御していたエルダが、額に大粒の汗を浮かべて応じる。
「分かっています!もう少し、もう少しで着きます!」
エルダは脳内でユカリとの通信魔法を維持し、現在のサキの状態をリアルタイムで伝えながら、夜のルルイエの最短ルートを弾き出していた。
限界を超えてマナを注ぎ込まれた馬車の制御術式が、キィキィと軋んだ悲鳴を上げる。
『 門を開けさせてあるから、そのまま飛び込みなさい!』
頭の中に響いたユカリの鋭い声と同時に、見慣れた『蜘蛛の糸』の重厚な門が夜闇の中に現れた。
魔導馬車が凄まじい火花を散らして、娼館の敷地内へと滑り込み、急停止する。
その正面玄関の前には、夜風に黒いドレスを翻したユカリと、白衣姿のアザレアが、焦燥を孕んだ瞳で待ち受けていた。
馬車の扉が勢いよく開くと同時、クティラの触手に載せられたサキの身体が滑り出てくる。
ユカリは一歩前に踏み出すと、横たわるサキの前に膝をつき、すぐさまその左胸へと白く細い手をかざした。
ユカリの放つ妖艶な紫のマナがサキの胸元を透過し、その心臓の奥深くへと潜り込んでいく。その間にアザレアは、サキの脈を取り、自分のマナを流し込み容体を調べている。
数秒の後、ユカリの美しい眉が不快そうに、そして怒りに満ちて大きく跳ね上がった。
「――これは、『黄衣の刻印』ね」
わたしもそうだと思います。とアザレアが焦った口調で告げる。
「イエロー・サインなのですか……!そんな、いつの間に……」
その名を聞いたエルダの顔が、恐怖で引き攣る。
ユカリはサキの胸から手を離すと、立ち上がりながら冷酷な声でその呪詛の性質を告げた。
「ハイパーボリアの連中が好む、実におぞましい遅効性の呪いよ。刺された瞬間は微かな針の痛み程度しか感じさせず、数時間をかけてじわじわと体内に浸透し、マナの源である心臓と、本人のマナの結合を強制的に解除していくの。完全に結合が解ければ、この子は二度と目を覚まさなくなってしまうわ」
ユカリの言葉に、クティラが息を呑む。
しかし、ユカリはすぐに厳しい眼差しで全員を見据え、毅然と言い放った。
「クティラ!サキを救護室へ運びなさい!アザレア!ルクレツィア!二人も一緒に来て!それと、ウタを呼んで!」
「分かった!」
「はい!ユカリ様」
「承知いたしましたわ!」
泣き言を引っ込め、クティラは触手を力強くうねらせると、サキの身体を抱えたまま、娼館の奥へと猛スピードで駆け込み、その後をユカリとアザレアが追って行った。




