第74話 暗転
「あれ、ナイアル?どうしてこんなところにいるんだ?」
サキが驚いて声を上げると、中性的な美貌に悪戯っぽい笑みを浮かべたナイアルは、肩をすくめてみせた。
「それはこっちのセリフだよ、サキちゃん。この前に刺客に襲われたばかりなのに、そんなにのんきに出歩いていて、大丈夫なのかい?」
「大丈夫、大丈夫!今日はエルダさんに強力な防御魔法をかけてもらってるからさ!」
サキが胸を張ると、ナイアルはサキの周囲の何もない空間へと視線を漂わせ、ふむ、と顎に手をあてた。
「ふうん……これは『エルダー・シグナ』か」
その言葉に、サキよりも先にエルダが小さく眉をひそめた。
エルダー・シグナの簡易防壁は、展開した瞬間に光を消し、現在は完全に不可視の状態になっている。魔女であっても、マナの波長を極限まで研ぎ澄まさなければ感知することすら難しいはずの術式を、目の前の青年は一瞬で見抜いてみせたのだ。
「え?お前、これ見て分かるの!?」
サキが素直に驚くと、ナイアルは事もなげに笑った。
「分かるさ。これでも、うちの一族の中では魔女よりも魔法に一番詳しいからね」
「へえ、そうなんだ。確か、この世界の貴族なら、男でも魔法を使える人がいるんだっけ?」
「そうだよ。僕は一族の中でも、知識とマナの量なら一番さ」
「お〜、自慢かよ〜!羨ましいよ、魔法を自在に扱えるなんてさ」
サキが少し羨ましそうに言うと、ナイアルはクスリと微笑み、サキをじっと見つめた。
「何を言っているんだい。サキちゃんのマナの量だって、相当なものだよ」
「あ、やっぱりお前にも分かるんだ。そりゃあね……だから、あんたも私のマナ目当てで、娼館(蜘蛛の糸)で、客として来たんだよな」
「まあ、そうだったんだけどね、マナの量と質がすごい女の子がいるって耳にしたからね」
まあ、あの時は毎日客を取っていたから、そういう噂を聞いてくるのが多かったから。
「今は魔法が扱える様になって、マナを解放出来るから、毎日じゃないんだよね」
「そうなんだよ。早くやめたいんだけど、今は5日に1回で済む様になってるよ」
「だよね……今は、なかなか君との予約が取れないんだよ」
「お前は来ても、話をするだけで、マナを渡したことなかったろ?」
「まあ、確かにそうなんだけどね」
「あ、そうそう言っておくけど、私は一人として客とは、してないからな!」
「客とは、してない……?」
ナイアルがどこか意味深に片眉を上げると、サキは自分が墓穴を掘ったことに気づき、真っ赤になって慌てて両手を振った。
「あ……っ!そ、それは言葉のあやだから!だから、そういう、大人のあやしいこととかは一切してないっつうの!客と言っても健全に、マナを渡すだけの相手だけだから!」
「うん、そうだろうね。それは最初から分かっていたよ」
「……お前、なんでそんなに詳しいんだよ?」
「まあ、ユカリさんが時々、君について呆れたように、こぼしているのを聞いたこともあるしね」
「あのドS魔女、私のいないところで何を喋ってやがるんだ……」
サキは娼館の方角を向いて睨んでから、ふと、ナイアルがこの前の襲撃の際に自分を助けてくれたことを思い出した。サキは小さく咳払いをして、ナイアルに向かって律儀に頭を下げた。
「あ、そうだ。お礼を言うのが遅くなって悪かったけれど……この前は助けてくれてありがとうな」
「そんな, いいよいいよ。可愛い子が危ない目に遭っているのを放っておくなんて、僕の美学が許さなかったからさ」
「うわ!出たよ色男発言。お前、やっぱりうちの娼館でも、他の女の子たちに手を付けまくってるだろ?」
「前にも言ったけど、僕は純粋にお話をしに行っているだけだからね。女の子の手は握るかもしれないけれど、それ以上は紳士の境界線を越えたりしないさ」
「それなのに、わざわざ娼館に通う必要あるか?」
「前にも言ったろ?君みたいに、異世界から来て女の子になっている人がいるって噂を聞いたから、その話に興味があって聞きに行っているんだよ。珍しいお伽話を聞くようなものさ」
「まあ……そういうことにしておいてやるよ」
サキが少しからかうように言うと、ナイアルはふっと笑みを深めた。
「サキちゃん、そういうことなんだけど、僕は一応君の客だったんだよ?」
と、ふっと笑う。
「あ、そうか、今めっちゃフランクに話してたけど、客で命の恩人だったよな……そうだな、これからは、あなた様と、敬語で話した方が良かったかしら?」
「いや、タメ口でいいよ、変に君に敬語を使われると、なんかキモいし」
ナイアルは悪戯っぽく、けれどどこか吸い込まれそうなほど爽やかな微笑みを浮かべた。
「うるさい!キモいっていうな!」
(う〜ん……男の時なら、こういう絵に描いたようなイケメンって絶対に苦手な部類だったんだけどな。でも、性別が変わると、なんか……いやいや! 別に男が好きになったわけじゃないからな!話しやすそうっていうだけだ!しかし、毎回こいつと話すとなんか変に意識しちゃうな……いや、そうじゃなくて!!)
サキが自分の不甲斐ない思考に悶々としながら、無意識に自分の頬をパタパタと扇いでいると、ナイアルが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんだい?顔が赤いよ」
「うん、クティラもサキっちの顔、赤いと思う」
「ク、クティラまで!?いや、何でもない、何でもない!あ、そうそう。助けてもらったお礼と言っちゃ何だけどさ。お前もこのルルカ焼き、食べるか?私が奢ってやるよ!」
と、話を逸そうと話題を変える。
「いいのかい?」
「いいって、いいって!日頃の感謝を還元する日だから!」
サキは気前よく笑うと、出店のおっちゃんに向かって手を上げた。
「おう!おっちゃん!ルルカ焼き、もう一枚追加で!」
「へいよ!毎度あり!!」
おっちゃんが手際よく焼き上げたアツアツのルルカ焼きを、サキは木のヘラと一緒にナイアルへと手渡した。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
ナイアルが嬉そうにそれを受け取るのを見届け、サキも自分の木の皿に残っていた最後のルルカ焼きを口へと放り込んだ。
もぐもぐと咀嚼し、飲み込んだ、まさにその時だった。
(……あれ?)
突如として、頭の芯がぐにゃりと歪むような、奇妙な感覚がサキを襲った。
まるで世界全体の重力が急に十倍になったかのように、急激に、身体が引きずり下ろされるような感覚。
「サキっち?どうした?」
隣にいたクティラが、サキの様子がおかしいことに気づいて、その袖を引いた。
「いや……なん、か……急に、力が抜けて……」
言葉の途中で、サキの視界が急速に色を失い、完全に暗転した。
立っていることすらできず、サキの細い身体は、糸の切れた人形のように石畳の上へと崩れ落ち、そのままぐったりと仰向けに倒れ込んだ。
「サキっち!?」
「お姉様!!」
「サキさん!?」
クティラ、ルクレツィア、エルダの三人が血相を変えてサキの元へと駆け寄る。
サキの顔面はみるみるうちに蒼白になり、呼吸は浅く、体内のマナの脈動がまるで泥水に沈んでいくかのように急速に弱まり始めていた。
「サキちゃん、どうしたんだい!?」
ナイアルも驚いた表情で、手に持っていたルルカ焼きを置いてサキを覗き込む。
しかし、倒れたサキの意識はすでに深い闇の底へと沈みかけており、周囲の悲鳴のような呼びかけに応えることはできなかった。
(な、なんだろ……まさか食中毒じゃないし……一体何が起こったんだ……)
サキの意識は、そのまま深い意識の泥の中へ沈み込んでしまった。
いきなりの展開。
原因は?この後サキは、どうなるのでしょうか?




