第73話 異世界の鉄板、懐かしの味
救療院でのすべての魔法治療を終えた四人は、正面玄関の重厚な扉の前で足を止めた。 外からは、ルルイエの街の賑やかな喧騒と、潮風に混ざる美味そうな食べ物の香りが漂ってきている。
「それでは皆さん、行きましょう」
エルダが生真面目な顔で前に進み出ると、スッと目を閉じ、自身の胸元に刻まれた「木の葉型の星紋」へとマナを集中させた。
彼女が細い人差し指を空中に滑らせると、淡い光を放つ星型の幾何学模様が浮かび上がり、それが波紋のように広がってサキ、クティラ、ルクレツィア、そしてエルダ自身の四人を包み込むようにして消えた。
「これは『エルダー・シグナ』の簡易防壁です。主に敵対的な魔法攻撃を防ぐための障壁ですので、物質に対する遮断能力はありません。ですから、歩行中に普通に他人とすれ違ったり、触れ合ったりすることは可能ですのでご安心ください」
「へえ、すごいよ!防壁なのにすり抜けられるんだ。さすが防衛の専門家だね、エルダさん!」
「過分なお褒めのお言葉をいただき、恐縮です」
エルダは相変わらず表情を崩さなかったが、ツノを微かに揺らして嬉しそうに一礼した。
「よし!それじゃあ、みんなで街に繰り出そう!」
「お〜」
「はい!お姉様!」
サキが元気よく号令をかけると、隣にいたクティラが嬉しそうに、サキの細い手をぎゅっと握りしめて歩き出した。
その後ろを、ルクレツィアとエルダが並んでついてくる。
クティラとエルダは任務や買い出しなどで、街を歩いた経験があるようだが、サキとルクレツィアにとって、自分の足でこのルルイエの街を散策するのは文字通り初めてのことだった。
大通りの左右にひしめき合う商店の軒先や、カラフルな天幕を張った出店に売られている不思議な品々を見るたび、二人は並んで目を輝かせた。
「あ、ねえねえ、クティラ。あのイカみたいな、めちゃくちゃ香ばしい匂いをさせて美味しそうに焼いてるやつってなんなの?」
サキが指差した先では、炭火の上で醤油に似た焦げ茶色のタレを塗られた、奇妙な多脚の生き物がジュージューと焼かれていた。
「あれ、クラーケンの子供を焼いたやつ。……触手ちゃんに似てるから、クティラ、ちょっと苦手。食べない」
「そ、そうなんだ……」
クティラは自分のスカートの裾に隠れている青い触手たちを意識したのか、少しだけ嫌そうな顔をしてサキの手を引っ張った。
(あ、はは……。まあ、クティラの触手ってどっちかって言うとタコに似てるけどな……。めちゃくちゃ旨そうだけど、クティラが嫌がるなら、今日はやめておこう)
サキが苦笑いしながら歩みを進めると、今度は後ろを歩いていたルクレツィアが、見たこともないほど興奮した様子で声を上げた。
「あの、エルダ様。あれ、あそこにあるのは何なのですの!?何か大きなお魚が氷の上に丸ごと売られていますけれど!」
ルクレツィアが指差したのは、魚屋の店先に並ぶ、大人の胴体ほどもある立派な赤身の丸魚だった。
「ああ、あれはモグロ(マグロみたいな魚)よ。主にルルイエ近海で獲れる高位の魔魚ね。味はとても美味よ」
エルダが冷静に教えると、ルクレツィアは両手を頬に当て、驚愕のあまりツインテールを激しく揺らした。
「まあ! あれがモグロですの!?わたくし、モグロとは赤くて四角いお肉が、そのまま海を泳いでいるかと思っていましたわ!」
「ははは……」
その衝撃的な箱入り発言に、さすがのエルダも引き攣った笑いを浮かべて苦笑いするしかなかった。
(なるほどな……。元の世界でも、スーパーの魚の切り身しか見たことがなくて、切り身のまま泳いでると思ってる子供がいるって聞いたことあるけど。完全な箱入り娘のルクレツィアなら、そう思っててもしょうがないんだろうな……。なんか妙なところで親近感が湧くよ)
サキが一人で納得してにやにやしていると、今度はぐいぐいとクティラに手を引っ張られた。
「サキっち、クティラ、あれ食べたい!」
「ん、どれどれ?」
クティラが指差した先には、丸い大きな鉄板を何枚も並べ、威勢のいいおっちゃんが何かをヘラでひっくり返している出店があった。
鉄板の上でジュージューと焼かれているのは、刻んだキャベツのような野菜と肉を混ぜ合わせ、丸く平らに焼き上げられた――どう見ても、サキの元の世界における「お好み焼き」そのものだった。
「へ〜!異世界にもお好み焼きみたいなのがあるんだ!」
サキが近寄って覗き込むと、店のおっちゃんは焼きたての生地の上に、焦げ茶色の甘酸っぱいソースをたっぷりと塗り、仕上げに白いマヨネーズのようなソースを美しく格子状にかけてみせた。看板には『ルルカ焼き』と書かれている。
「え〜っ!!ソースもマヨネーズみたいなのも、この世界にあるじゃん!……これじゃあ、前の世界の知識を使って『これがマヨネーズっていう調味料だよ!』とか言って、自慢したり、知識無双したりできないじゃん……!ちょっとガッカリだな〜」
アニオタとしての淡い異世界転生ファンタジーを打ち砕かれ、サキは肩を落とした。しかし、鉄板から立ち上るソースの焦げる香ばしい匂いは、そんな愚痴を吹き飛ばすほどに暴力的で、猛烈に食欲をそそってきた。
「でも、めちゃくちゃ美味しそうだな……。お、値段も安い。これなら、さっきお小遣いって言ってた手持ちの小銭で、四人分余裕で買えるよ!」
サキは嬉しそうに懐から小銭入れを取り出すと、三人を振り返った。
「よし!私がみんなの分を奢るよ!」
「えっ?サキさん、そこまでされては……。私は護衛ですし、訓練の後の救療院への付き添いでしたので、お気になさらず」
エルダが生真面目に遠慮しようとしたが、サキはそれを笑って手で制した。
「いいのいいの!いつも三人には、特訓の時も、怪我した時もめちゃくちゃお世話になってるからさ。これくらい、日頃の感謝として奢らせてよ。おっちゃん、このルルカ焼き、四つね!」
「へい!毎度あり!!」
おっちゃんは手際よく薄い木の皮の皿にルルカ焼きを盛り付け、四人に手渡してくれた。サキはそれぞれに配ると、近くの広場にあった、ちょうどベンチ代わりになっている大きな丸太を見つけて並んで座る。
「それじゃあ、いただきま〜す!」
サキが木のヘラで一口大に切り分け、口に放り込む。
「うお!美味しい!これ、まんまお好み焼きじゃん!」
外はカリッと香ばしく、中はトロリとしていて、ソースのコクとマヨネーズの酸味が完璧に絡み合っている。元の世界で食べていた懐かしい味が口いっぱいに広がり、サキは感動に震えた。
「クティラ、ルルカ焼き好き!すっごく美味しい!」
クティラは口の周りにソースをいっぱいつけながら、嬉しそうに足をバタバタと揺らして頬張っている。
「なんですの!?このお食事、美味しすぎますわ!わたくし、このような、街の方々が召し上がるお食事を初めていただきましたけれど、皆様こんなに美味しい物を召し上がられているんですの?!これは、家に戻ってからシェフに、同じものを作らせるしかありませんわ!ルルカ焼きですわね!」
ハフハフと熱そうにしながら、ルクレツィアもその吊り目を丸くして大絶賛していた。
「うん……。確かに、このお店のルルカ焼きは特に美味しいですね。マナの消費で疲れた身体に、この濃い塩分と酸味が染み渡ります」
エルダも小さく口元を和らげ、上品にルルカ焼きを口へと運んでいる。
「あはは、みんなに喜んでもらえて良かったよ」
美味しそうに食べる三人の笑顔を見つめながら、サキの胸の奥は、これまでにない温かさで満たされていた。
ただの過酷な、痛みに満ちただけの異世界だと思っていた。けれど、こうして美味しいものを食べ、誰かと笑い合う時間が、確かにここには存在しているのだ。
(なんか、こうなるとこの異世界も、なかなか面白くなってきたな。それと同時に……)
サキは、賑わうルルイエの美しい石造りの街並みを見渡した。
(もしハイパーボリアの奴らが本当に攻めてきたら、こういう、何の罪もない普通の人たちの平和な日常も全部、めちゃくちゃに壊されちゃうんだよな。ウルを救うためだけじゃなくて、この平和を守るためにも……。よし、明日からの訓練は、もっともっと本気で頑張るしかないな!)
サキは、胸の奥でメラメラと、今までにない静かで強い覚悟の炎を燃やし、拳を固く握りしめた。
その時だった。
「あれ?サキちゃん?」
すぐ横から、聞き覚えのある、どこか中性的な少年のような、透き通った声が聞こえてきた。
サキが驚いて振り向くと、そこには、いつの間にかすぐ側に立ってこちらを覗き込んでいる、見覚えのある人物がいた。
「お〜、ナイアル!?どうして、お前こんなところにいるんだ?」
それは、サキがこの世界で出会った、どこか掴みどころのない不思議な雰囲気を纏う人物、ナイアルだった。
飯テロを狙ってみましたww
それはともかく、ノンビリした時間を過ごすサキ達の目の前にナイアル。
どんな出来事が起きるのでしょうか?




