第59話 解けた意図
「サキさん、おめでとうございます。……お見事です、命中です」
「へ?めいちゅう……?ほ、本当に当たったのか?」
エルダの、少しトーンの上がった、純粋な賞賛を含んだ声が静まり返った訓練室に響いていた。しかし、サキの視界は未だに、自身の跳ね返ったケラエノ・ボルトによって焼き焦がされた、果てのない絶対の暗闇の中にあった。
命中した。その確かな手応えと、自分の身体に一切の衝撃が返ってこなかったという事実だけが、サキの胸を満たしている。
暗闇の向こうから、カツン、カツンと、聞き慣れたハイヒールの静かな足音が、サキの方へと近づいてきた。
「サキ、やっと気づいたわね」
頭上で、ユカリの抑揚のない、けれど、どこか厳かな声が降ってくる。
「目で見ているだけだと、そうやって魔法を撃っても、その効果を最大化することが出来なくなるのよ。確かに、あなたが相手にするのが普通の人間であれば、あなたの狙った肉体的な急所――眉間や心臓を狙うだけで十分だったかもしれないわ。けれど、私たちが今後対峙する相手は、異形の魔獣や獣人、そして他国の強力な魔女よ。彼女たちには、人間の肉体的な急所の常識なんて、これっぽっちも当てはまらないの。だからこそ……眼で見る肉体ではなく、その奥にある『マナの流れ』や、命の源そのものを直接感じ、狙えるようにならないといけないのよ」
ユカリの言葉を聞き、サキは暗闇の中でハッとした。
(じゃあ……ユカリ様は、これを私に気づかせるために……っ)
ただの理不尽なサディズムでも、いじめでもなかった。
自分の魔法の2倍の威力が返ってくるという、一見すれば生存不可能なエルダの絶対防御の術式。
それは、目で見える「肉体のど真ん中」ではなく、防壁を展開しているマナの歪みの中に存在する、コンマ数ミリ以下の「マナの急所」を、視覚以外の感覚で捉えさせるための、極限の荒治療だったのだ。
目で見ているうちは、どうしても肉体的な座標に引っ張られて、コンマ数ミリのズレが生じる。目が見えなくなり、五感が研ぎ澄まされて初めて、サキはマナそのものを視る領域へと到達できたのだ。
「こほん、ま、まあ、きょ、今日は……よく……頑張った、わね……」
「え……?」
不意に、ユカリの口から漏れた、これまで聞いたことがないほどにたどたどしく、小さく、そしてほんの少しだけ恥ずかしそうな労いの言葉。 あまりの衝撃に、サキは思わず自分の耳を疑った。
「ユカリ様……」
「べ、別に手放しで褒めているわけじゃないのよ……!時間はかかりすぎだし、途中で目まで焼き焦がすだなんて、不格好極まりないわ。全く、もっとスマートに私の意図を汲み取れなかったのかしら」
サキの見えないところで、ユカリがぷいっと顔を逸らし、腕を組んで早口で言い訳をまくし立てているのが、その声の調子だけでありありと伝わってきた。
サキは、身体の激痛も忘れて、思わずフフッと喉を鳴らした。
「ははは……。ユカリ様も、ツンデレなんだな……」
「ツンデレ……?一体誰の事かしら?」
ユカリが眉をひそめ、言葉を返した。彼女は、サキを召喚をしただけあって、異世界の言語にも明るい。
その時、横からエルダがすっと、生真面目な様子で口を挟んだ。
「サキさん。2倍の反射火力によく耐えられましたね。マナの動きにもよく気づかれました。ユカリ様のおっしゃる通り、あなたはこれから大きく成長する方だと思います。……実はユカリ様、昨日からあなたのことを本当に心配されていて、防壁の威力調整も『万が一にも肉体が消滅しないよう、障壁の自動減衰を細かく組み込め』と、私に何度も指示を出されていたんですよ」
「エルダ!ちょ、待ちなさい!そ、それは言わなくてもいいことよ!」
ユカリが慌てたように声を荒らげる。あの絶対者であるユカリが、これほど取り乱した声を出すなど、サキにとっては初めてのことだった。
「ありがとうございます、エルダさん。おかげで、誰かさんは本物のドSなツンデレなんだって、よく分かりました。ははは……っ、いたた……笑うと脇腹が痛い……」
「だから、そのツンデレとは誰のことよ!」
「つんでれ?」と、エルダが首を傾げ、不思議そうな表情で呟く。
「いえいえ、前の世界の言葉ですから、気にしないでください……」
ユカリは冷徹な仮面を完全にはがされ、恥ずかしさと憤りでその白い頬を微かに朱に染めていたが、これ以上サキにからかわれてはたまらないとばかりに、コホンと一つ咳払いをして、声を鋭く尖らせた。
「ユカリ様、顔赤い」
「クティラ、言わなくてもいいの!」
「とにかく、サキ。あとで話があるから、覚悟しておきなさいね」
「は、はい……。お仕置き、じゃなきゃいいですけど……」
サキが首をすくめると、部屋の隅から、ものすごい勢いで何かが突っ込んできた。
「サキちゃん、すごい!クティラ、本当に感動した!すぐにノーデンスかけてあげる!」
「あ、クティラ――うわっ!?」
クティラがサキの胸元へと勢いよく飛びつき、そのままサキの顔面や首筋、焦げた腕に向けて、お尻の上から生えた青くふかふかとした触手を「きゅむきゅむっ」とこれ以上ないほど強力に密着させた。
その吸盤の先端が、エメラルドグリーンの眩い温かな光を放ち始める。
じわぁ、とサキの焼き焦げた視神経、そしてヒビの入った肋骨、体中の焦げ付いた皮膚の奥へと、驚異的な治癒のマナが染み込んでいく。
「あ……。目が見えてきた。良かった……」
白濁していた暗闇の世界が急速に晴れ渡り、視界が光を取り戻していく。
目の前には、涙をボロボロとこぼしながら、サキの胸に顔をすり寄せているクティラの、愛らしくも必死な顔があった。
「クティラ、ありがとう。もう大丈夫だよ、目も、ちゃんと見えるようになった」
「よかった!サキちゃん、本当に死んじゃうかと思った!」
「サキお姉様、素晴らしいですわ!わたくしも、お姉様を癒して差し上げますわ!」
ルクレツィアも駆け寄り、その細い指先をサキの肩へと当てた。
彼女の指先から、お裁縫の糸のように細く洗練されたマナの治癒回路がサキの体内に接続され、体内の循環を急速に安定させていく。
「ふふ、二人ともありがとう……。本当にあったかいよ……」
二人の温かなマナに包まれ、サキは心からの安堵を覚えながら、嬉しそうに、そして少し恥ずかしそうに笑った。
その様子から少し離れた、訓練室の入口付近。 ユカリとエルダは、三人で身を寄せ合い、治療を行っている姿を、静かに見つめていた。
「ユカリ様。やはりこのサキというお方は、まだまだ底知れない伸び代が、ございますね。今後、このセラーノ王国を背負って立つ人材になるかと思われます」
エルダが、爬虫類のような紫色の縦長瞳孔に確かな信頼の光を宿し、呟いた。
「そうね……。もともと体内のマナの生成量自体は、他の魔女たちと比べても目を見張るものがあったけれど。まさか、たった一回の訓練の間に、自力で治癒魔法の真似事をしてのけ、挙句の果てには本当に防壁のマナの急所を撃ち抜いてみせるなんてね。私の想定以上のスピードで、その殻を破り始めているわ」
ユカリは腕を組んだまま、静かに、しかし誇らしげに呟く。
「ただ……やはり、彼女の様な、まだ魔術の道に入って三ヶ月ほどの人間にとっては、少々ハードすぎる訓練だったかと思われます。一歩間違えれば、恐怖で精神が完全に瓦壊していてもおかしくありませんでしたが?」
「そんなこと、百も承知よ。……けれど、私たちにはもう、のんびりと彼女の成長を待っている時間など残されていないの」
ユカリの切れ長の目が、一瞬だけ鋭く細められた。
「ハイパーボリアの不穏な動き、そしてこの絶対防壁をすり抜ける『空間湾曲』の侵入。……ウルが眠っている今、いつ何時、奴らが大規模な襲撃を仕掛けてくるか分からない。ここで駄目になるような器なら、今のうちに見切りをつけなければ、それこそ本戦で彼女を死なせることになる。だからこその、試練よ」
「……フフ。それは建前で、本当は最初から、ユカリ様が彼女を見切るおつもりなど、微塵もなかったと推察いたしますが」
エルダが、その白磁の肌の端正な口元に、珍しくからかうような小さな笑みを浮かべた。
「な……! エルダ! あなた、本当に今日はずいぶんと余計な口を叩くのね。これ以上私を愚弄するなら、あなたにもきついお仕置きが必要なのかしら?」
ユカリが顔を真っ赤にして睨みつけると、エルダは表情一つ変えることなく、自身の右手の人差し指を、薄い唇の前でぴっと立ててみせた。
「はい。これ以上は、お口にチャック、ですね」
エルダはすました顔で小さく一礼すると、カツン、と静かに靴音を響かせ、ユカリの隣を通り過ぎて出口へと向かって歩き出した。
その背中は、生真面目ながらも、どこか楽しげに揺れていた。
「全く、どいつもこいつも、私に対して不敬がすぎるわね……」
ユカリはぷいっと溜め息を吐きながら、もう一度、サキたちの方へと視線を戻した。
クティラの柔らかい触手に全身を包み込まれ、ルクレツィアにマナの糸をくすぐったそうに解されながら、恥ずかしそうに、しかし心から楽しそうに笑っているサキ。
その幸せそうな彼女の笑顔を、少し離れた薄暗い影の中から見つめながら、ユカリは、誰にも気づかれないように、とても柔らかく、満足そうな微笑みをその冷徹な横顔にそっと浮かべるのだった。
無事に訓練を突破したサキ。
ユカリの意図も判明しました。
さらに、ユカリのツンデレが発動しましたが……(笑)




