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第5話 アザトースのマナ

 ユカリが入って来たのは、リザードマンが満足げに部屋を去った直後だった。

 マナを放出したサキに、与えられた休息の時間は、あまりにも短かった。


「いつまで伸びてるの?ベッドから起きなさい、サキ。今日からあなたの特訓を始めるわ」


「もう……?今客が帰ったばかりなのに」


 まだ身体の奥に残る不快感に眉をひそめているサキの前に、ユカリは容赦なく冷酷な声を投げかけた。


「私について来なさい」


「特訓って、魔法の?」


「そうよ、でもまずは、マナの扱い方からよ」


  連れて行かれたのは、塔の最下層にある、窓のない石造りの地下室だった。

 部屋の中央には魔法陣のような模様が刻まれており、不気味な魔力の気配が満ちている。


「ここは魔術の訓練室よ。あなたがこの世界で生き延びるためには、体内のマナを自分でコントロールできるようにならなければいけないの。まずは、その膨大なマナを指先から『針のように細く』出す練習よ」


「……指先から、細く?マナを?」


「そう、私たちは魔女回路と呼んでいるけれど、回路というマナの通り道を、マナの源である心臓から指先へと繋いでいくイメージを持ちなさい」


 サキは自分の右手を見つめた。 言われた通りに意識を集中させてみるが、体内のマナはまるで檻に閉じ込められた凶暴な猛獣のようで、全く言うことを聞かない。


 それどころか、少し力を入れただけで、右腕全体が破裂しそうなほどの熱い衝撃が駆け巡る。


「くっ……、あ……!」


「駄目!集中が足りないわ」


 ビシッ、と激しい衝撃がサキの頬を襲った。

 ユカリが手にした、魔力を帯びた細い鞭が、サキの肌を容赦なく叩いたのだ。


 白い頬に、見る見るうちに赤い筋が浮かび上がる。


「いたっ……!」


「そんな甘い覚悟で私の魔法を盗むつもり? 笑わせないで。あなたはただの無能な人間よ。マナの扱い方も知らない出来損ない!」


 冷徹な瞳で見下ろし、容赦のない罵声を浴びせてくるユカリ。

 その言葉の数々と、頬の痛みが、サキの心の中で煮え繰り返る怒りに火をつけた。

 

 元男としてのプライドが、そして自分をこんな目に遭わせた元凶への憎悪が、限界を超えて爆発する。


(ふざけるな……。誰のせいでこんな身体になったと思ってるんだ……!!好きでこんなになったんじゃないのに!)


「うるさい!うるさいッ!黙れ!!」


 サキが激昂した瞬間、体内のマナが感情に呼応して完全に暴走を始めた。

 ドクン、と心臓が跳ね上がり、鼓動がどんどん早くなる。

 サキの身体から赤黒い凶悪な魔力の嵐が吹き荒れ出した。


 地下室の石壁がミシミシと音を立てて軋み、サキ自身の肉体が、内側からマナの圧力で崩壊しかける。


「あ、が……ッ、は……あ……!?」


 自分で自分の制御が出来ない。このまま魔力が破裂して死ぬ――そうサキが思った瞬間だった。

 強い力で肩を掴まれ、視界がユカリの美貌で満たされた。


「えっ?!」


 次の瞬間、サキの唇に、柔らかく冷たいものが強く押し当てられた。


「――んん、んぐっ!?」


 ユカリが、サキの唇を奪ったのだ。

 強引で、容赦のない。だが狂おしいほどに濃厚な口づけ。


 それと同時に、サキの身体を内側から引き裂こうとしていた暴走したマナが、ユカリの唇を通じて、津波のように一気に吸い取られていった。


「ん、むぅ……、う、く……!」


 サキは必死に抵抗しようとしたが、頭が酸欠のようにボヤけ、身体の力が抜けていく。

 (ああ、駄目だ……身体から一気に力が抜けていく……)


 どれほどの時間が経っただろうか。

 サキの体内の暴走が完全に収まったのを見届けてから、ユカリは静かに唇を離した。

 その口元からは、吸い取りきれなかったサキの魔力が、妖しい光の粒子となって微かに漏れている。


「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……!」


 サキが激しい虚脱感の中で息を荒げる中、マナを吸い取ったユカリは、冷たい指先でサキの顎を乱暴に持ち上げた。


「……信じられない。まさかこれほどのマナの量だなんてね。あなた、あのままだったら身体が耐えきれずに、崩壊していたわよ。」


「な、なに……」


「あなたの体内に眠る、その底なしの混沌の源。神話の時代に世界を滅ぼしかけた、盲目白痴の魔王の力、『アザトースのマナ』よ」


「アザトースのマナ?何なんだよ、それ!?」


 ユカリの瞳に、仄暗い歓喜と、それ以上の恐怖がよぎる。


「普通の人間なら、アザトースのマナを宿された瞬間に、肉体が内側から反転して消滅してしまっているはず。それをあなたは、異界の魂という不純物のおかげで、奇跡的に生かされている。……生き延びたければ、魔女回路を扱って、その暴れ馬を御して、死に物狂いで私の魔法を盗みなさい、そしてそのマナを魔法として。外に解き放てる様に制御するのね」


「そ、そんな、ものが俺に……?なんで?なんで俺になんだ?!」


「あなたはそういう事を考えなくてもいいの。もう今日はここまでにしましょう。部屋に帰って、自分の無力さをよく噛み締めなさい。もっとマナを制御できる様になさい」


 ユカリはそれだけ言い残すと、左手をサキに向け、ハァハァと息を荒げるサキに魔法を放った。

 するとサキの姿は一瞬にして消えてしまった。


 いきなり自分の部屋に転送されたサキは、自室の床に膝をつき、奪われた唇を細い指で拭いながら、遠ざかる背中を激しく睨みつけた。


「これが、て、転移魔法ってやつか……すごい……」


(だがユカリ……お前は、俺の初めてを、またそうやって……っ。お前が勝手に俺を呼び出して、勝手に性転換させられて、今度は今まで使ったこともねえ魔法が使えねえからと!!ふざけるな、あのドS女!絶対に、絶対に、あいつは許さねえ……!もし元の世界で会ってたら、一目惚れする容姿だが、今の俺は男っじゃねえし、あいつは俺をこんなところに召喚しやがった元凶だ!)


 サキの心には、屈辱と、それを上回るドス黒い復讐心が深く刻み込まれた。

 ――だが、サキは知らなかった。


 地下室を出て、自分の部屋へと戻る長い螺旋階段の途中で、ユカリが突然その場に激しく蹲ったことを。


「――がはっ……、ウ、クッ……!!」

 ユカリの薄い唇から、ドス黒い鮮血が、冷たい石床へと激しく吐き出された。


 彼女は激しく胸を押さえ、 苦しげに荒い呼吸を繰り返す。

 その身体は、小刻みにガタガタと震えていた。


 サキから吸い取った、あの凶悪な量のアザートスのマナ。

 その影響が今になって出て来ていた。

 しかも、この世界での転移魔法は術者に大きな負担を与えてしまう。


 この国でも卓越したマナの量を持つユカリでさえ、サキのアザトースのマナを吸ってしまったがために、体内のマナの制御が困難になってしまい、本来ユカリの持っているマナが、弾け出される様に放出されてしまったのであった。そのため彼女の身体に、深刻な影響を与えていた。


 ユカリは口元の血を手の甲で拭うと、誰もいない暗闇の中で、ぽつりと 呟いた。


「な、何とか、転移魔法で飛ばしたから、気づかれなかったけれど、さすがの私でも転移魔法は堪える……ただ、サキ……、これはあなたに対しての、私の……私への……罰」


 その声と表情は、地下室で見せたあの冷徹な魔女のものとは完全に異なっていた。

サキから溢れ出たアザトースのマナ。

これからは厨二病設定のオンパレードです。

お楽しみに。

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