第52話 魔法の応用
一方その頃、訓練室では、重苦しい静寂の中で、サキの荒い呼吸の音だけが、響き渡っていた。
「はあ……はあ、やっと……やっと、ここまで。もう、自分が何発の雷撃弾を撃ったのか、途中で数えるのを諦めちゃったよ……」
サキは両膝に手を突き、肩を大きく上下させながら、目の前にある岩の残骸を見つめて嘆いた。
全身から吹き出た冷や汗が床にぽたぽたと滴り落ち、移植されたばかりの心臓の魔女回路が、激しい運動の後マナを急速に循環させようとしてドクドクと熱い脈動を繰り返している。
「サキお姉様、今ので、ちょうど75発目ですわよ」
背後の壁際でその様子を真剣に記録していたルクレツィアが、感心したような、けれど少し心配そうな声を上げた。
「そ、そんなに撃ってたのか、私。一発撃つだけでも、以前はあれだけヘトヘトになってたのに……。でも、ノルマのクリアまではもう少しかな……?」
サキは額の汗を手の甲で拭いながら、自分の特訓の成果に視線を戻した。 最初にユカリから指定された、人間の子供ほどの大きさがあったはずの頑丈な岩は、いまやサキが片手で軽く握り込めるほどの小石のような、無数の細かな石ころの山へと姿を変えていた。
サキの連射性能が上がり、的確にヒビ割れの中央へと雷撃を叩き込み続けた結果、岩自体は確かに粉々に近い状態へと粉砕されていた。
しかし、サキの胸の中を占めているのは、達成感よりも圧倒的な絶望感だった。
「いや、待てよ……。ユカリ様は、あの岩が『塵一つ残らず粉々になるまで撃ち続けろ』って言ったんだよな。と、いうことは、この目の前にある何十、何百という無数の小石の一つ一つに向けて、これから全部ケラエノボルトを撃ち続けなきゃいけないってことか? そんなの、あと何百発、何千発撃たなきゃいけないんだよ……!」
ガックリと、サキは両肩を落として床にへたり込みそうになった。
いくら新しい魔女回路がよく馴染んでマナの供給がスムーズになっているとはいえ、これだけの数の小石を一個ずつ雷撃弾で消滅させるなど、気が遠くなるような作業だ。
そんなサキの様子を見て、クティラが三つ編みの青い髪を弾ませながら、背中からふよふよと柔らかそうな触手ちゃんを伸ばして近づいてきた。
「サキちゃん、そんなに落ち込まないで。私の触手ちゃん、あれくらいの小石の山、ぐしゃっと一撃で跡形もなく消し去ってあげられる」
クティラは触手の吸盤をきゅむきゅむと動かしながら、いつでも加勢できるとばかりに自信満々に提案した。
その愛らしい笑顔の裏にある、狂暴なまでの破壊力を知っているサキは、引き攣った笑みを見せる。
「クティラ、駄目ですわ。それではサキ姉様の訓練になりませんわよ。さっきも、わたくしがそう言って、お止めしたではありませんか」
ルクレツィアがすぐさま歩み寄り、クティラの頬をごく軽く引っ張ってたしなめる。
「むぅ〜!でも、サキちゃん本当にお疲れみたい、可哀想……」
頬を膨らませるクティラに対し、サキはなんとか呼吸を整えて立ち上がり、笑いかけた。
「あはは、クティラ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。でもね、ここで甘えちゃったら、私の訓練にならないのは本当だからさ。ルクレツィアの言う通り、最後まで、ちゃんと自分の力だけでやってみるよ」
サキのその強い意志を宿した瞳を見て、ルクレツィアは何かをひらめいたように人差し指を立て、その吊り目を輝かせた。
「お姉様、もしそれほどの、執念と覚悟がおありでしたら、ここでケラエノボルトではなく、かつてお姉様が放ったことのある『クトゥグア・バースト』を、この岩の山に向けて撃たれてみてはいかがでしょうか?」
「クトゥグア・バースト?」
サキは聞き慣れない単語に首を傾げたが、すぐにその意味を察した。
「クトゥグアの炎……なら、確かに前に一度だけ、ピンチの時にめちゃくちゃに暴走させて撃ったことはあるけれど……。あの魔法、この新しい魔女回路で、今すぐコントロールして撃てるのかな?」
「お姉様が『クトゥグア』のマナを体内で自発的に引き出せるのでしたら、原理としては十分に可能ですわ。やり方を教えますので、イメージを強く持って聞いてくださいまし」
ルクレツィアはサキの手を優しく取り、その感覚を導くように囁いた。
「体内の心臓の回路から、クトゥグアの熱い炎のマナを引き出し、それを両手のひらに集めてください。そして、ただ放出するのではなく、その集めた炎を、頭の中でギュッと、限界まで一箇所に押し潰して『圧縮凝縮』させて、固めるイメージを考えるのです。極限まで小さく固められた超高密度のエネルギーの塊。それを、目の前の目標に向けて、一気に解放して解き放つのですわ。やってみてくださいな、お姉様」
「マナを……圧縮、凝縮させて、固める……」
サキは目を閉じ、ルクレツィアに言われた通りのイメージを脳裏に思い描いた。
移植された回路が、サキの意志に反応してトクンと熱狂的な拍動を打つ。
全身のバイパスから吸い上げられたマナが、これまでにない「熱」を持って両手のひらへと集中していった。
それは雷撃のピリピリとした感覚とは異なる、じりじりと皮膚を焦がすような本物の太陽の火熱だ。
その暴れ狂う炎を、サキは頭の中で強く、丸い檻の中に押し込めるようにして、どんどん小さく、収縮させていく。
(もっと小さく、もっと、限界まで凝縮させて、一粒の弾丸にするんだ!)
サキの両手の隙間で、青白く、不気味な熱を持った小さな火球が激しく回転し始めた。
「――いけっ!!」
サキは目を見開き、両手のひらを目の前の小石の山へと向け、凝縮させていたクトゥグアの炎を一気に解放し、放った。
ドゴォォォォォンッッ!!!
訓練室の空気がビリビリと震動し、眩い光が部屋全体を白く染め上げた。
激しい爆風と土埃が巻き起こり、クティラとルクレツィアが髪を激しくなびかせながらその光景を見守る。
やがて、もうもうと立ち込めていた土埃がゆっくりと落ち着き、視界が開けていくと――。
「……あれ?」
サキは驚きの声を上げた。
つい先ほどまで地面に散らばっていた大量の小石の山は、影も形もなく、それこそ塵一つ残らず綺麗さっぱりと、高熱の炎によって文字通り消滅していた。
床の石畳には、ただ黒く焦げた巨大なクレーターのような跡だけが残されている。
「やったぁぁぁー!本当に綺麗さっぱり消えた!」
サキは自分の放った魔法の威力に驚愕しながらも、嬉しさのあまり飛び跳ねて、二人の向けて、ガッツポーズを作った。
「おめでとうございます、サキ姉様! お姉様が移植された回路をこれほど見事に使いこなしてくださるなんて、本当に光栄ですわ!」
ルクレツィアが我が事のように興奮して手を叩きながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「サキちゃん、やったぁー! すごーい!」
クティラも大喜びしながら、触手を弾ませて、サキの細い身体に勢いよく飛びついて抱きしめた。
「二人とも、本当にありがとう! ルクレツィアの的確なアドバイスと、クティラがずっと側で応援してくれたおかげだよ!」
サキはクティラを両腕で抱きしめ返したが、すぐに「う、うぐっ」と声を漏らした。
「クティラ、ちょっと、いたたた……吸盤!クティラの吸盤の吸いつきが、いつもより強いよ〜!」
「大丈夫?クティラの触手ちゃん、嬉しくなると、吸いつきが、強くなっちゃう」
クティラはサキの首筋や腕にしがみつきながら、嬉しそうに、ふにふにと身体を擦り寄せてくる。
「ははは、そうなの?でもこれ、本当に全身に赤くて丸い跡が、残りそうなんだけどね……」
サキは苦笑いを浮かべながら、吸盤を優しく剥がそうとした。
そして、ようやくノルマを達成した安堵感に浸りながら、「あ、そうだ。ちゃんとユカリ様に報告しないと。また怒られちゃうからな……」と呟いた、その瞬間、サキの頭の芯に、直接、あの冷徹で洗練された声が直接響き渡った。
『一応、ちゃんと出来たようね。お疲れ様』
「え、えっ!? な、なんでユカリ様の声が頭の中に!?」
サキは慌てて辺りを見回したが、訓練室の周囲には、当然ユカリの姿などどこにもない。
ルクレツィアが「それは『念話』の術式ですわ」と小声で教えてくれる。
『なんでって、最初から最後まで、私の透視術式を使って、訓練室の様子はすべて見ていたわよ』
「ゲェッ! 透視!? の、覗き見されてたの!?」
サキの頭の中に、ユカリの面白がるような、冷たいクスリとした笑い声が届く。
『人聞きが悪いわね。ちゃんとあなたが訓練をしているか確認していたのよ。
もし途中でクティラの誘惑に負けて手伝わせていたとしたら、今頃あなたには、とても厳しい、お仕置きが待っていたところだったわ』
その念話の冷酷さに、サキは背筋が凍りつき、クティラの手伝いを頑なに断って本当に良かったと心から安堵した。
『まあ、最後の最後でクティラに手伝わせず、自分のマナだけでやり切った判断は偉いわね。時間は、かなりかかったけれど』
「くそっ……!ユカリ様、褒めるのは本当に一瞬だけかよ!」
『私は、ケラエノ・ボルトだけで粉々にしなさいとは言ってなかったでしょう?ルクレツィアに言われる前から、クトゥグア・バーストを早めに撃っていれば、もっと早く終われたのよ』
「そ、そんなの今まで撃ったことがなかったから……」
『魔法の撃ち方だけではなくて、あなたはもっと魔法の種類も勉強しないといけないわね。撃つ相手によって、どんな魔法が有効か、より効果を発揮するのかを考えて、撃たないといけないのよ』
確かにそうだ、自分は一つの魔法にこだわって時間を無駄にしてしまった。
『分かったでしょう?あなたがそこまで褒められなかったのも、当然でしょう?』
「はぁ……そうだよな……それにしても、直接部屋に見に来てない時まで、見られているって、相変わらず私にはプライバシーが一切ないのかよ!!」
サキが心の中で盛大に叫ぶと、ユカリの声はどこか意地悪く、楽しげに弾んだ。
『そうやって覗かれるのが嫌だと思うのなら、私に心を読まれないように、体内のマナの表出を完璧にコントロールする技術を身につけることね。まあ、あなたのプライベートの時間は興味がないので見ていないから、安心していいわよ。明日は、また今日とは全く違う、とても過酷で、楽しい特訓を用意しているから、十分に覚悟しておきなさい。今日の訓練はこれで終わっていいわよ。お疲れ様』
プチ、と頭の中で何かが切れるような感覚と共に、ユカリからの念話の気配が綺麗に消え去った。
サキはぐったりと溜め息を吐き出しながら、首を捻って待機していた二人を振り返った。
「ふぅ……。ユカリ様が、今日の訓練はこれでもう終わってもいいってさ」
「まあ! では、今日の過酷な試練はすべて終了ということですわね! お姉様、さっそく食堂で美味しいお食事をして体力を回復させてから、お部屋で、『あにめ風』の絵のお披露目を、何卒よろしくお願いいたしますわ!」
ルクレツィアは、喜びにツインテールを激しく揺らしながら、まるで宝物を手に入れる前の子供のように両手を組んで懇願してきた。
「クティラも、サキちゃんのお部屋、いつもと同じで、一緒についてく。」
クティラも便乗して楽しそうに触手を揺らす。
「はは、そうだね。二人のおかげで無事にクリアできたんだし、約束通り、とびきり可愛い女の子の絵を描いてあげるよ。……じゃあ、まずはご飯を食べに行こうか!」
サキは疲れも忘れて笑顔を見せ、三人で賑やかに、薄暗いけれどどこか温かみのある廊下へと歩き出すのだった。
少しづつ魔法の扱い方を習得して来たサキ。
三人での、楽しい夜が始まります。




