第49話 成長と懸念
「ああ、詠唱ね……、心配しなくても、現在のあなたの赤子のようなレベルでは、詠唱を必要とするほどの第一級の高位魔法なんて、逆立ちしたってまだ扱えないわ。だから、そんな余計な知識は今は知らなくても全く大丈夫よ。……まあ、あなたがいつか、その高位魔法を扱えるほどに成長できたら、その時には直々に教えてあげるわ。いつになるか分からないけれど」
と、ふっと冷笑を浮かべるユカリ。
「くそっ!馬鹿にしやがって! 今にそんな高位魔法だって、余裕で扱えるようになってやるよ!」
鼻で笑われた悔しさから、サキは拳を握りしめてユカリを睨みつけた。
「そう、その意気よ。頑張りなさいね、サキ」
ユカリはサキの悔しがる姿を見て、嬉しそうに切れ長の目を細めると、岩の亀裂を指差した。
「それじゃあ――あの岩が、塵一つ残らず粉々になるまで、魔法を撃ち続けなさい。それが今日の訓練よ」
「え? こ、粉々に……!?」
サキは、自分の放った雷撃で、ようやく数本の亀裂が入った程度の頑丈な岩を見つめ、驚愕の声を上げた。
「そうよ。本当は一人前の魔女であれば、あのような小さな岩なら、一撃で一瞬にして粉々に粉砕しなければいけないのだけれどね。それが不甲斐ないあなたへの、今日のノルマよ。それが出来たら今日はお終いよ。終わったら教えてね」
と、訓練室を出ていくユカリ。
後に残されたサキは、岩に刻まれた割れ目と、自分の少し熱を持った指先を交互に見つめ、絶望的な気分に陥った。
「はぁ〜……。あの岩を粉々にするのに、一体何十発どころか、何百発撃たなきゃいけないんだよ……」
サキは深い溜め息を漏らしながらも、体内のマナの熱い脈動を感じ、再び指先を岩へと向けるのだった。
ユカリが訓練の様子を見届け、訓練室を出て行ったあと、サキが一人で岩に向き合っていると、背後からクティラがふわふよと触手を揺らしながら近づいてきた。
「サキちゃん、あの岩くらいなら私の触手ちゃんで一撃。ユカリ様いないし、私が代わりに、ぐしゃっと潰しちゃうよ?」
クティラは肩から垂らした大きな青髪の三つ編みを弾ませ、膝丈のスカートの裾から覗くふかふかの触手を自慢げに動かしてみせた。
「ははは……。ま、まあ、クティラの触手ちゃんの強さは私もよく知っているからね。でも、クティラに潰してもらっちゃったら、私の訓練にはならないからさ」
サキは引き攣った笑顔を浮かべながら、ゆるゆると首を横に振った。
その脳裏には、以前に襲撃してきた刺客たちを、クティラがその愛らしい見た目からは想像もつかない凶悪な触手の一撃で肉塊へとぐしゃぐしゃに粉砕した、あの恐ろしい光景がはっきりとフラッシュバックしていた。
(確かに、クティラが本気を出せばあの岩なんて一瞬で消し飛ぶだろうな……)
サキは背中に冷や汗をたらたらと流しながら、心の中でブルリと身震いする。
すると、後ろからルクレツィアが、ツインテールを揺らしながら歩み寄り、クティラの頬をごく軽くつねった。
「クティラ、それではサキお姉様の魔法が全く上達しませんことよ。お姉様、頑張ってくださいね。私もここでしっかり見守っておりますから、もし万が一、魔女回路の調整が必要になれば、すぐに私に言ってくださいましね」
「ありがとう、ルクレツィア。頼りにしてるよ」
サキが心から感謝を伝えると、ルクレツィアは嬉しそうにその吊り目気味の瞳を細め、素早くサキの顔に近寄って囁いた。
「いいえ、いいえ。お礼なんて結構ですわ。その代わり……今日の全ての訓練が終わりましたら、あの『あにめ風』の可愛い絵を、どうかよろしくお願いいたしますわ!」
「はは、そうだね。忘れずにちゃんと描くから、心配しないで」
サキは彼女の相変わらずのオタク精神に苦笑いを浮かべつつ、笑顔を返した。
そして、ゆっくりと息を吐き出すと、目の前にある、数本の深いひび割れが入った頑丈な岩へと向き直る。
(よし……やるぞ!)
サキがスッと右手を伸ばし、あの一点を見つめると、不思議な変化が起きた。
以前のように必死に頭の中で複雑な回路を思い浮かべる必要は、もうなかった。
ただ「あそこへ雷撃弾を撃ち込む」と思っただけで、新しく移植されたばかりの心臓の魔女回路がトクンと温かい脈動を打ち、そこから全身へとマナを運ぶバイパスがガチリ、ガチリと自動的に噛み合って繋がっていく。その明確な感触が、サキの指先をピリピリとした心地よい電流で痺れさせた。
狙うは、岩の中央に走る割れ目の、まさにその中心。
――いけっ!
ビシィィィッ!!
サキの指先から、眩い紫色の雷撃弾が一直線に放たれ、空気を焦がす音を立てて岩の裂け目へと吸い込まれるように命中した。
「よし!ひび割れがさっきより広がったぞ!」
確かな手応えにサキは小さくガッツポーズを取った。 だが、ユカリが求めているのは「塵一つ残らず粉々に粉砕すること」だ。
今の確実な一撃を以てしても、岩はいくつかの大きな破片に分かれそうになっているだけで、粉々という領域にはまだまだ程遠い。
(でも、くじけている暇はないんだ。クティラも、ルクレツィアも、こうして私の後ろで一生懸命に見守って応援してくれているんだから……早くこのノルマをクリアして、みんなを安心させてあげないと)
サキの胸の内に、静かな闘志がメラメラと燃え上がる。 今までは一発撃つごとに大きく息を整えなければならなかったが、今のサキには新しく通った強靭な魔女回路がある。 サキは呼吸を乱すことなく、指先を岩へ向けたまま、頭の中で『ケラエノボルト』の名前を連続で思い浮かべ始めた。
ビシィィィッ!ビシィィィッ!ビシィィィッ!
いつの間にかサキは、一発ずつではなく、機関銃のように連続で雷撃弾を放ち始めていた。
体内のマナが回路を通じて淀みなく指先へと汲み上げられ、紫色の光弾となって次々と撃ち出されていく。
サキの意識は、完全に岩の一点へと深く集中していた。
そんなサキの驚異的な連射の様子を見て、後ろで見守っていたルクレツィアが、感嘆の声を上げた。
「サキお姉様、すごいですわ……!回路を通るマナの収束速度が、先ほどよりも格段に上がっていますわ!」
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頑丈な鉄扉を閉め、サキたちの熱気が満ちる訓練室を後にしたユカリは、薄暗い石造りの廊下を、黒い衣服の裾を静かに揺らしながら歩いていた。
(……思ったより早めにものになりそうね)
ユカリは歩みを止めることなく、自身の内心でサキの驚異的な成長スピードを思い返し、ふっと微かな満足感を抱いていた。
あれほど凄まじい激痛を伴うルクレツィアの第二段階の回路調整を耐え抜き、意識を失うどころか即座にマナの流れを掴んで『ケラエノ・ボルト』を連射してみせた。
異世界人という肉体のハンデを考慮しても、サキの精神的なタフさとマナの順応力は、ユカリの想定を遥かに超えるものだった。
しかし、廊下を進むユカリの表情は、すぐに冷徹で険しいものへと戻った。
(それよりも……また、あの不可解な刺客たちが侵入して来たという事実のほうね。この娼館には、外部からの不純な侵入を完全に阻む、最高峰の防護結界が幾重にも張り巡らされているはず。それなのに、鼠のように易々と踏み込まれるだなんて……。どこかに、防御魔法の網の目をすり抜けるような、術式の致命的なほつれでもあるのかしら?)
今日は痛い目には遭わないですが、厳しい訓練を科されたサキ。
さらに『蜘蛛の糸』の防御にも綻びが……




