第48話 詠唱
その言葉をユカリに言われ、サキはハッとした。
確かに、ただ指を刺されたという恐怖だけで避けたのではない。
あの瞬間、ユカリの指先を中心に、訓練室全体の空気が歪むほど強力な魔法が発動する『予兆』を、目に見えないマナの奔流として、サキは確かに感じ取っていたのだ。
「ルクレツィアに感謝しなさいね。それから、あなたの痛々しい怪我を、大急ぎで癒してくれた、クティラにも」
「……ああ、分かっているよ。二人とも、改めてありがとう」
サキは壁際に佇む二人を振り返り、優しく微笑みかけた。
そのサキに手を振りかえす二人。
(そっか、昨日と今日、あの激痛に耐えたお陰で、私の体内で魔女回路が少しずつ、確実に定着し始めているんだ。少しづつ、本物の魔女に一歩、近づいているんだ)
指先からツルツルとした、新しい再生した皮膚を見つめているうちに、サキの胸の内に、小さないたずら心がムクムクと頭をもたげてきた。
サキは、ユカリに心の内の意図を読み取られないよう、出来るだけ頭の中で『攻撃する』という意志や思考を考えないように、無心を作る。
そして、ユカリに見えないように細心の注意を払いながら、自身の右手の指先にマナをそっと集中させようとした――その瞬間。
バシィッッ!!!
「――っぶあっ!?」
激しい肉体の衝撃と共に、サキの右手首が強引に掴み取られ、そのまま背後へと力任せに捻り上げられた。
「いたたたたたっっ!!指が、指が折れるーーっっ!!」
容赦なく捻り込まれる痛みに、サキは訓練室の冷たい床に顔を押し付けるようにして悲鳴を上げた。
「サキ。あなたは本当に馬鹿ね。あなたのマナの動きぐらい、わざわざ心の中を読まなくたって、見なくても手に取るように分かるわ」
ユカリはサキの腕を極限まで捻り上げたまま、その耳元で冷ややかに囁いた。
「私に対して、隠れてコソコソと魔法を撃とうとしていたでしょう?」
「うぐぅ……っ!」
サキは床に頬を擦り付けながら、心の中で激しく涙を流した。
(くそっ!やっぱり、本物の魔女の前じゃ、何もかもが無理か……っ!マナを少し動かしただけで一瞬でバレるなんて、どんな超感覚をしてるんだよ……っ!)
ユカリはフッと冷たい笑みを湛え、さらに腕の捻りを強くした。
「サキ、あなたはこの国で第一位であるこの私に、そんな生半可な不意打ちを仕掛けようなんて、喧嘩を売っているのかしら?あなた……もしかしてあなた、死にたいの?」
と、視線だけで人を殺せるのではないか?という表情で睨みつける。
「ひっ!いや、冗談!今の冗談だから!冗談です!ごめんなさい!許してください!!ユカリ様ぁぁぁーっっ!!」
サキが必死に叫ぶと、ユカリはようやくサキの手首を解放した。
サキは解放された右腕を抱えて、床の上でさすりながら涙目で見上げる。
「もしあなたが敵だったなら、今この場で、跡形もなく消してあげられたのだけれど……残念ね」
「ご、ごめんなさい……っっ!!」
ゾッとするほどの本気の殺気を微かに感じ取り、サキは完全に縮こまって土下座で平謝りした。
「まあ、いいわ」
ユカリはすっと居住まいを正すと、訓練室の片隅、瓦礫が積み重なった一角を美しく白い手で指し示した。
「じゃあ、あそこにある岩に向かって、一度あなたのケラエノ・ボルト(雷撃弾)を撃ってみなさい」
サキは捻られた腕の痛みを堪えながら立ち上がり、部屋の隅にある、ちょうど人間の子供ほどの大きさの頑丈な岩へと視線を向けた。
これまでの訓練であれば、頭の中で魔術の複雑な回路図を必死に思い描き、マナの設計図を脳裏に固定しなければ魔法を形にすることはできなかった。
だが、サキが指先を岩へと向け、ただ『ケラエノ・ボルト』と頭の中で強く思い浮かべた――その瞬間だった。
(あれ……!?)
脳内に回路図を構築する手順を踏むまでもなく、ただ魔法の名前を思い浮かべるだけで、サキの体内にある新しい魔女回路が自律的にガチリと噛み合い、指先へとマナが吸い寄せられるように集まってくる。
その明確で心地よい感触が、サキの指先をピリピリと痺れさせた。
サキは、岩のちょうど中央の一点へと意識をピタリと置いた。
――いけっ!!
ビシィィィィィンッッ!!!
サキの指先から、眩い紫色の雷撃が塊となって発射され、空気を切り裂いて一直線に飛んでいった。
雷撃弾は見事に目標の岩のど真ん中へと命中し、バリバリと激しいスパークを散らしながら、岩の表面にビシッと大きな割れ目を走らせた。
「ひぇ〜〜!」と、思わず呟くサキ。
それを見たユカリは、ふっとかすかに、満足そうに頷いた。
「効果自体はまだまだ未熟で、出力も弱いけれど、魔法の正しい撃ち方、マナの通し方は確実に分かり出して来たようね。慣れてくると、当てるべき場所へ、何を撃つかを頭に思い浮かべるだけで、術式を通さずとも魔法が撃てるようになるわ」
サキは、自分の放った雷撃の成果に手応えを感じつつも、元の世界での、アニオタとしての長年の疑問を、ふと思い立ってユカリにぶつけてみた。
「あのさ、ユカリ様。魔法ってほら……詠唱が必要だとか、呪文を唱えることで威力が上がるとかって、異世界モノの定番っていうか……そういう呪文とか詠唱って、この世界にはないの?」
「詠唱?」
ユカリは、サキの言葉に不思議そうに片眉を上げたが、すぐに意地悪そうな冷たい笑みを口元に浮かべた。
ユカリへの儚い、イタズラを試みたサキ。
ユカリは魔法だけではなく、近接攻撃にも強い能力を持った魔女なのです。
もちろん、サキに腕力で勝てる相手ではありません。




