第42話 触手たち
凄絶な地獄の調整特訓が行われた、次の日の朝。
窓から差し込む柔らかな朝日の光を浴びながら、サキはベッドの上でゆっくりと目を覚ました。
「う〜ん……あれ?」
身体を起こそうとした瞬間、サキは自分の肉体に起きた劇的な、そして決定的な「異変」に気づいて動きを止めた。
昨日までの、常にどこか重苦しくて、異物であるマナに振り回されていたような肉体の違和感が、嘘のように綺麗さっぱり消え去っている。
それどころか、昨日までは全く感じることのなかった、体全体へと清らかなマナが隅々までスムーズに行き渡るような、全身に心地よい力がみなぎる未知の感覚が、サキの全身を包み込んでいた。
(何だこれ……。身体がめちゃくちゃ軽い。それに、自分の意思を動かすよりも早く、体内の何かが脈打って活力が湧いてくるみたいだ……これって、マナの大元である心臓が、ルクレツィアの金色の光で強化されて、全身の魔女回路も綺麗に調整されたからなのか?)
サキが自分の両掌を見つめ、驚きと戸惑いの声を漏らすと、すぐ隣から、聞き慣れたのんびりとした声が返ってきた。
「そうだよ」
「え? うわっ――!?ク、クティラっ?!びっくりしたぁ――!!」
突然の返声に飛び上がるほど驚いて横を向くと、そこにはサキのベッドの布団にちゃっかりともぐり込み、肩から垂らした大きな青髪で三つ編みを解き、枕の上に散らせたクティラが、綺麗な瞳をぱちくりとさせて寝そべっていた。
サキは胸を押さえながらベッドの上で這いずり、声を裏返らせる。
「な、なんでクティラが私のベッドにいるんだよ!?」
クティラは悪びれる様子もなく、布団から両手を出すと、ふにゃりと可愛らしく微笑んだ。
「昨日、ユカリ様が、ウルっちの部屋からサキっちをここまでお姫様抱っこで連れて来て、ベッドに寝かした。そしたらサキっち、疲れ果ててて、そのまますぐに、寝ちゃった。じゃあ、私もサキっちと一緒に寝よ〜って、ここに入った」
「だから一緒に寝よ〜って……おいおい」
サキは額を押さえて、思わず苦笑してしまった。
相変わらずクティラは、どこか掴みどころのない不思議ちゃんだけれど、昨日のあの地獄のような苦しみの中で、彼女が泣きながら、自分を必死に応援してくれようとしていた姿を、サキは朧気ながらもしっかりと覚えていた。
「……ん? サキっち、どうした?」
不思議そうに首を傾げるクティラに対し、サキはふっと表情を和らげ、心からの笑みを浮かべた。
「……ありがとう、クティラ。何だかんだ言って、昨日も私のことをずっと傍で見守ってくれてたんだよな。嬉しかったよ」
サキがそう言って彼女の頭に手を置こうとすると、クティラは嬉しそうに目を細め、ふよふよと数本の細い触手たちを這い出させてきた。
「へへへ〜、どういたしまして。クティラと、この触手ちゃんたち、みんなサキっちのことが大、大、大のお気に入り」
クティラはそう言うと、自身の華奢な両腕だけでなく、衣服の裾から伸ばした何本もの愛らしい触手ちゃんたちを同時にサキの身体へと絡ませ、ぎゅーーっと親愛の情を込めて抱きしめてきた。
「しょ、触手ちゃんたちも、私がお気に入りなの? ま、まあ……あはは、ありがとう。ちょっとくすぐったいけど、すごく嬉しいよ」
触手たちの独特のひんやりとした感触に戸惑いつつも、サキは優しくクティラの背中をぽんぽんと叩いて受け入れた。
だが、抱きしめられながら会話をしているうちに、サキはクティラの言葉の変化に気がついた。
「そういえばクティラ……昨日から、私の呼び名が変わってない?」
「うん。昨日、サキちゃん、頑張ってるの見て、もっと仲良くなりたい、って思ったから、昨日から『サキっち』って呼ぶことにした」
クティラはサキの胸元に顔をすり寄せながら、満面の笑顔でそう答えた。
「そ、そうなんだ。……サキっち、か。うん、なんだか親しみやすくて良いね。これからもよろしくね、クティラ」
「うんうん!」
クティラは青髪を嬉しそうに跳ねさせながら、何度も元気よく頷いた。その屈託のない笑顔を見ていると、昨日の凄絶な激痛の記憶も、綺麗に癒やされていくような気がした。
「あ、そうだ……」
サキは、自分の体内でこれまで以上に濃密に、そして激しく脈打っているマナの奔流を感じ取り、思い出して自分の頭を叩いた。
「クティラの顔を見て思い出したよ。また午前中は男たちに私のマナを分け与えて、暴走を抑えないといけなかったよね。あれ?でも昨日はしなかったっけ……?私ヤバくない?破裂しちゃわない?」
サキがベッドの上で身構えると、クティラは意外なことに、その細い首を左右に小さく振った。
「ううん、もう毎日、しなくてもいいんだよ」
「へ?……なんで?毎日マナを吸わせないと、私のマナが暴走して……」
サキが目を丸くして問い返すと、クティラはドヤ顔で胸を張り、ルクレツィアの真似をするように人差し指を立ててみせた。
「昨日、ルクレっちの調整で、サキっちの身体、マナをすごく上手く循環して、制御できる様になった。だから、男にマナを分け与えるのは、これからは毎日しなくても、3日に一回くらいの間隔で、いいって、ルクレっちが、言ってた」
「えっ……本当に!?じゃあ、男たちと、毎日毎日しなくて済むのか……!」
サキはパッと顔を輝かせた。あの、精神的にも肉体的にもひどく消耗するマナ分配の手続きから一時的にでも解放されるのは、純粋にありがたかった。
「あ、でも……」
サキは、みなぎる体内のマナをもう一度意識し、それから自分の小さな両手を見つめた。
3日に一回に減ったとはいえ、あの男たちにマナを分け与えるという、この世界の理不尽な仕組みとしての義務を、これからも定期的に続けなければいけない、という事実に変わりはないのだ。
この過酷な異世界カルコサで生きていくための代償とはいえ、完全に解放されたわけではない。
「はぁ〜、回数は減ったけど、結局はまだ、あのマナ分配を、続けないといけないんだよな……」
サキはせっかくの素晴らしい目覚めと身体の強化だったというのに、今後のマナ分配の義務を思い出してしまい、少しだけガックリと肩を落として深い溜め息を漏らすのだった。
「まあまあ、でもルクレっちが言ってた、もっと調整出来て、サキっちのマナの容量が増えて、魔法でマナ、上手く消費できれば、そういうの、しなくてもいいらしい」
「マジか!じゃあ、訓練はキツイけど頑張ろう!ウルちゃんとも早く話をしたいし!」
「サキっち、頑張れ!」
と、温かいクティラの応援を受けるサキだった。




