第40話 涙
「――はぁ、はぁ、……お、おしまいですわ。今日はこれで、終わりにいたしますわね……」
地獄のような時間が過ぎ、地下訓練室の張り詰めた空気を焦がしていた金色の光が、ルクレツィアの両掌からゆっくりと収まっていった。
ルクレツィアは額にびっしりと汗を浮かべ、肩で息をしながら、のたうち回るサキの身体から静かに手を離した。
「これ以上の魔女回路の調整は、今のサキさんの心臓が持ちませんわ。……よく、これだけの痛みや苦しさに耐え抜かれましたわね……頑張られましたわね」
「サキっち!!」
金色の光が完全に消えた瞬間、壁際で青髪の三つ編みを震わせていたクティラが、涙をボロボロと流しながらサキの元へ駆け寄った。
サキはこれ以上の痛みの波が来ないため、覚醒する事なく意識を失い、失神してしまっていた。
クティラは自身の背後から伸ばした青黒い触手を大きく、そして羽毛のように柔らかく膨らませると、床に倒れ込んだサキの身体を優しくその上に乗せた。
クティラは両手をサキの身体にかざすと、深淵の古き神の加護を宿した、ノーデンスの優しく白い治癒の光をサキへと当て始める。
「サキちゃん、痛いの痛いの飛んでいけっ。がんばったね、がんばったね……」
サキが床を掻きむしったせいで、爪の剥がれてしまった指先を、クティラは自身の触手で、これ以上痛まないようにそっと優しく包み込み、ノーデンスの蒼い光でその傷口を丁寧に塞いでいく。
その横では、ルクレツィアもまた、自身の掌からノーデンスの魔法の蒼い光を出し、サキの胸元の痛みを和らげるように魔力を注ぎ込んでいた。
その二人の様子を背後で見つめていたユカリは、すぐさま通信魔法を展開し、地上にいるアザレアへと連絡を繋いだ。
「――アザレア、今すぐ地下の訓練室まで急いで来て! 癒しの魔法はあなたがこの国で一番だから、サキをすぐに診て癒して欲しいの」
『えっ、またですか!? ……はぁ、分かりました、すぐ行きます!』
通信の向こうでアザレアが呆れたような、けれど焦ったような声を上げ、数分もしないうちに、アザレアが部屋の扉を激しく開けて急いで入ってきた。
「な!なっ!!ここまで……酷い……一体、誰が……」
アザレアは触手のベッドの上のサキを一目見ただけで、その高度な医療知識により、何がサキの身体に起こっているかを完璧に把握した。
ルクレツィアが限界ギリギリまで、サキの魔女回路の根元――心臓を力技で、拡張していたからだ。
「ごめんなさい、アザレア。わたくしがしたことですわ……」
俯き、謝罪をするルクレツィア。
「ル、ルクレツィア!あんたなんて事を!?」
「…………ごめんなさい」
「アザレア、彼女が悪いんじゃないの。私が頼んだのよ」
「えっ?!ユカリ様、この前といい、あまりにもサキに対して……」
「分かっているわ。万が一、何かあれば、全て私が責任を持つから」
「……で、でも」
「サキにも悪いとは思っているわ。ごめんなさい、アザレア、サキをお願いします」
「わ、分かりました……」
ユカリにここまで下手に出られては、流石のアザレアも、これ以上の文句は言えなかった。
「二人とも、そのままノーデンスの魔法で外傷の傷を治して!彼女の体内の、魔女回路の奥に滞ってるマナの循環と治療は私がするから!」
アザレアの的確な指示のもと、三人がサキの周りにぴったりと集まり、それぞれの治癒魔法を重ね合わせてかけていく。
蒼と白の光が混ざり合い、サキの荒い呼吸が少しずつ、穏やかなものへと変わっていった。
それを見届けたユカリは、いつもの冷徹な仮面を崩さないまま、静かに告げた。
「これ以上は、今日のサキの身体では持たないわね。クティラ、治癒が終わったらサキを上の部屋に連れて行ってあげて」
「分かった」
クティラがサキを大切そうに、触手で抱え直す。
アザレア、ルクレツィア、クティラの三人がサキの治療と移動に全神経を集中させ、自分たちの方を一切見ていないことを確認すると――ユカリはそっと三人に背を向けた。
そして、誰も見ていない地下室の暗がりのなかで、その美しい瞳にじわりと溜まっていた涙を、指先でそっと拭き、鼻を啜った。我が身を削るようなサキの特訓を、誰よりも痛ましく思っているのは、彼女を召喚したユカリ自身だった。
「本当に……本当に……頑張ったわ……サキ。あなたは偉いわ……」
クティラの柔らかい触手に乗せられ、再び自分の部屋のベッドへと、戻ってきたサキ。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
サキがうっすらと意識を取り戻し、掠れた声を漏らすと、目の前で青髪の三つ編みを揺らしていた少女がパッと顔を輝かせた。
「あっ! サキっち、目が覚めた!」
クティラが嬉しそうにサキの顔を覗き込んできた。
「う……クティ、ラ……?」
「サキっちすごい! 今度は目を覚ますの、この前より、すっごく早い!」
サキはまだ少し重い身体を起こそうとしながら、不思議そうに呟いた。
「え……? 早いって……私、どのくらい眠ってたんだ?」
「ルクっちの調整が終わってから、三時間ほど寝てた。前は二日間も起きなかったのに、今回はたったの三時間」
「三時間……。そうか。……クティラ、また付き添ってくれてたんだな。ありがとう」
「ううん、大丈夫!」
クティラがふよふよと触手を揺らして微笑む。サキは完全に上半身を起こし、辺りを見回した。
「あれ? そういえば、ルクレツィアは……?」
「ルクっち、今ユカリ様のお部屋で、これからサキっちをどういうメニューで訓練していくか、話し合い、してる」
「そっか……。あの人も、私のためにそこまでしてくれてるんだな……」
サキは、自分の心臓を鷲掴みにされたあの恐怖の激痛を思い出し、背筋を寒くしながらも、ルクレツィアへの感謝を感じていた。
だが、その時、サキの胸の奥を激しい焦燥感と、ある少女への強い想いが突き動かした。
あの地獄の苦しみの中で、自分を支えてくれたウルの笑顔が、どうしても頭から離れないのだ。
「な、なあ、クティラ」
「なに?サキっち」
「……ウルちゃんに、会いたいんだ」
サキのその切実な言葉に、クティラは少し困ったように首を傾げた。
「ウルっち? でも、ウルっちはまだ魔法の使いすぎで、すやすや寝てる」
「うん、それは分かってる。でも……眠ったままでもいいから、一目だけでも会ってみたいんだよ」
「……会うだけ、なら。それでいい?」
クティラが念を押すように言うと、サキは強く頷いた。
「うん、会うだけだから。お願い、連れていってくれない?」
「分かった。じゃあ、私の触手ちゃん、乗って」
クティラがスカートの裾から太い触手をベッドの上に伸ばすと、サキはそこに慎重に腰掛けた。
「こ、こう?」
「うん、落ちないよう、吸盤でしっかり吸い付ける」
言うが早いか、ペタペタペタッ!と、クティラの強力な吸盤がサキの太ももや腰に容赦なく吸い付き、固定した。
「ちょ、ちょっとクティラ! 吸い付きが強すぎるよ! 肌に跡が残りそうなんだけど!」
「ダメ!サキっち、まだ起きたばかり、フラフラだから、途中で落ちちゃったら、危ない」
クティラは大真面目な顔でそう言うと、サキを触手でがっちりとホールドしたまま、ナメクジのように触手を廊下に滑らし、ウルの寝室へと向かった。
サキたちからは見えない場所で、涙を流すユカリ。
これにはちゃんとした理由があるのですが、いつか書きますので、よろしくです。




