第38話 調整と強化
「さあ、サキ、ルクレツィア。いつまでも話し込んでいないで、さっそく訓練に行くわよ」
ユカリの冷徹な一言が、盛り上がるオタクトークに、冷水を浴びせかける。
ルクレツィアは「あら、ユカリ様、申し訳ありませんでしたわ」と上品に微笑みながらも、ベッドから立ち上がったサキの横にぴったりと寄り添い、移動の間もずっと「サキお姉様、先ほどの、あの丸いお耳のバランスなのですけれど……」と、目を輝かせながら異世界のファンシーグッズについて楽しそうに語りかけ続けた。
その後ろでは、いつもサキの隣を独占していたクティラが、完全にルクレツィアにその座を奪われてしまったことに頬を信じられないほどぷくーっと膨らませ、不満そうに触手をふよふよと波立たせている。
「ユカリ様、サキちゃんの横、クティラの場所」
「まあ、まあ」
ユカリはそんなクティラの青髪の頭をぽんぽんと叩いて宥めながら、歩調を合わせて後ろから苦笑しつつ付いていくのだった。
やがて一行が、娼館の最下層にある、重厚な地下の訓練室に到着すると、室内の張り詰めた魔術空気が一同の身を包んだ。ユカリの合図で、サキとルクレツィアの二人が、部屋の中心にある魔術陣へと進み、残りのユカリとクティラの二人は壁際へと移動して、特訓を見守る配置についた。
「さ、サキさん。これから本格的な訓練を始めますわよ。……ですがその前に、まずはあなたさまの、体内の魔女回路の精密な『調整と強化』をいたしますわ」
ルクレツィアがそう告げた途端、彼女の吊り目気味の瞳から、先ほどまでの天然なファンシーさが消え、深階第五位の魔女としての冷徹な輝きが宿った。
これまでとは違った厳しく冷たいルクレツィアの視線に、ギョッとするサキ。
ルクレツィアがそっと胸の前で構えた両掌が、淡く柔らかい、翡翠のような光に包まれる。
ルクレツィアはその両手を、サキの身体に直接触れさせることなく、頭のてっぺんから爪先まで、ゆっくりと上から下へとスキャンするように動かして照らし出した。
光がサキの全身を通り過ぎると、ルクレツィアはふむ、と小さく頷いた。
「なるほど……。サキさんの魔女回路は、元が違う世界の男の人の魂だった影響もあるのか、全体的に非常に歪で、かつ未成熟な状態ですわね。ですから、まずはわたくしがこのマナの光を全身へと行き渡らせながら、最も重要な魔法の源である『心臓』から伸びる回路をもう少し太くしてあげて、全体的に回路の内面を綺麗に強化しますわね」
サキは目を丸くして自分の身体を見つめた。
「え……? そんな、他人の体内の回路を直接作り変えるようなことが、本当に出来るの?」
「ふふ、驚かれました? わたくし、これでもエイボン家に伝わる、魔女回路の調整や術式の最適化が、一番の得意分野なのですから、どうぞこのルクレツィアに安心して、お任せくださいましな」
ルクレツィアは誇らしげにふんわりとしたツインテールを揺らしたが、すぐにその顔に、先ほどのオタク特有のギラギラとした笑みを戻してサキに顔を近づけた。
「その代わりと言ってはなんですけれど……この調整が終わりましたら、先ほどのあの素晴らしい『あにめ調』のマスコットの下絵を、わたくしのために、たくさん描いてくださいましね!」
「あ〜、うん、そういうので良ければ、いくらでも描くけど……」
サキが少し圧倒されながら答えると、ルクレツィアはブンブンと激しく首を横に振った。
「そういうの、なんて滅相もありませんわ! わたくしにとっては、サキお姉様の描いてくださるあの完璧な黄金比率の下絵は、これからの人生における最高の宝物になると、確信しているのですから!!」
ルクレツィアは再び両目をこれ以上ないほどキラキラと輝かせている。
その姿を見て、サキは心の中で遠い目をした。
(あ〜……。この世界、しかもこんな厳格そうな貴族のお嬢様の中にも、やっぱりこういうタイプの一途なオタクの子がいるんだな……。ははは……世界が違っても、人間の本質って変わらないんだな……)
壁際でその様子を見ていたユカリは、少し呆れ顔になりながらも、話がまとまったのを見届けて声をかけた。
「……ルクレツィア、話がまとまったのなら、そろそろ始めてちょうだい」
「はい、ユカリ様、その前によろしいでしょうか?ユカリ様は、サキさんのこの未成熟な身体にご自分の20%のマナを注いだんですの?なんでそんな自殺行為の様な事を?無茶は困りますわ!」
「そ、それは……私もサキの熱意に押されて……私だってウルを早く回復させたかったし……」
「深階1位のユカリ様とも思えない、やり方ですわ」
「ごめんなさい、ルクレツィア」
(ユカリ様でも、人に謝ることがあるんだ、意外……普段からそうならいいのに。でも、あの時大変だった私にも謝って欲しいんだけど)
「サキ、私は自分の過ちに対しては、ちゃんと謝罪をするわよ、あなたに対しては、あなたからのどうしてもとの、強いお願いがあったから受けたのよ」
げ、考えがバレバレなのって、やだよ、安心できないよ……。
「ユカリ様、どうぞこれからは、お気をつけくださいましね――それではサキさん、ここからは少しばかり大変な痛みを伴いますが、どうか頑張ってくださいましね」
「う、うん……。……え、そんなに痛いの?少し大変って……」
サキがルクレツィアの「少し大変」という言葉のニュアンスに不穏な予感を覚えて冷や汗を流すと、ルクレツィアは申し訳なさそうに、けれど一切の妥協のない目で微笑んだ。
「魔女にとって最も大切な第二の生命器官である、魔女回路そのものを内側から作り変えることになるのですから、どうか我慢してくださいましね。特に、元男性であって、元々魔法が全く存在しない異世界から来られたサキさんですから、この国の純粋な魔女の方の肉体よりも、遥かに大きな負担と衝撃がかかるかと思いますの。お覚悟ください。それでは、参ります」
ルクレツィアが両掌を再び突き出すと、そこから放たれる輝きが、先ほどの柔らかな翡翠色から、神聖で、かつ凄まじいほどの熱量を持った、怪しい「金色の光」へと変化した。
「それでは、サキさん、失礼いたしますわ」
ルクレツィアが、サキの膨らみ始めた左胸へと、その金色の光を帯びた手を翳した――その直後だった。
「――ぐっっ!?」
サキの呼吸が、一瞬で完全に停止した。
体内の奥深く、心臓そのものを、目に見えない巨大な鉄の爪で直接、限界まで鷲掴みにされ、力任せに雑に捻り潰されるような、凄絶な衝撃と激痛がサキの全身を駆け巡ったのだ。
「んんんんんー!!いい、 痛い、痛い、痛いー!! ぎぎぎぎぎ――っっ!?」
前回のユカリからのマナの注入とはまた違う、神経を一本ずつ精密にピンセットで引き抜かれては焼き切られるような凄惨な痛みに、サキは声を上げて魔術陣の床にのたうち回り、鼻水や涙と涎をボロボロと流しながら絶叫した。
「痛い痛い痛いー!助けて!助けてーーー!ル、ルクレツィアーー!痛いーー!お願いーー!」
「サキさん、頑張ってくださいまし!!まずは魔法のすべての源流となる、心臓の魔女回路の根元を無理やり強化しているのです!今、この瞬間が一番きつい山場だと思いますので、どうか意識を保って頑張ってください!」
ルクレツィアは真剣な表情で金色のマナをコントロールし、苦しみ、四つん這いになるサキの背中から、心臓に向け、術式を流し込み続ける。サキは床を爪でガリガリと掻きむしりながら、全身の血管を浮き上がらせて、必死にその狂気的な痛みに耐え続けた。
「ぐああああーーっっ!! んんんーーっっ!!」
「ああ……サキちゃん……」
「クティラ、これは異世界人であるサキが、魔女回路を定着させるために、必要なことなの。あなたも見ていて苦しいかと思うけれど、見守ってあげててね」
「う、うん……」
壁際で、クティラがその痛々しいサキの絶叫を聞き、触手で耳を塞ぎながら涙を流し。自分のことのように胸を痛めて、心配そうに身体を縮める。
そのクティラの横で、ユカリはただ静かに腕を組み、魔女回路の激変に必死で耐え抜こうとしているサキの姿を、微動だにせず、じっとその鋭い眼差しで見つめ続けていた。
またもやサキにとっての、苦しい試練の始まりです。
成長するには、苦しみが必要という厳しい世界。
サキは、どれだけ成長できるのでしょうか?




