第35話 秘密の看病、読まれる本音
「ん、んん……っ……」
深い、底のない闇の底から浮上するように、サキはゆっくりと意識を取り戻した。
まだ頭の芯が少しぼんやりとしており、瞼が鉛のように重い。
サキはうっすらと重い瞼を開き、光の差し込む部屋の景色を捉えようとした。しかし、視界が焦点を結んだ瞬間、サキの視界のほぼ全てを、ピンク色をした不気味にうごめく巨大な円形の物体が埋め尽くしていた。
「うわあぁぁぁっ!?」
いきなり目の前に現れた、粘液質で生々しい大きな吸盤の群れに、サキは心臓が跳ね上がるほど驚いて声を上げた。
反射的に飛び起きようとしたが、身体がまだ思うように動かない。
「ん……あ! サキっち、 起きた?」
サキの悲鳴に反応して、その巨大な吸盤の主である青黒い触手が、ずるずると音を立ててベッドの脇へと退いていった。
触手の隙間からひょっこりと顔を出したのは、大きな瞳を嬉しそうに輝かせたクティラだった。
「なんだ……。ああ、クティラの吸盤か……。いきなり目の前にあったから、てっきり、また別の刺客にでも襲われたのかと思って、本気で驚いたよ……」
サキはトクトクと激しく打つ胸を押さえながら、大きく安堵のため息を漏らした。
「えへへ、驚かせてごめん。これなら、もしサキっちが狙われても、大丈夫。目が覚めて本当によかった!」
クティラは心底ホッとしたように触手をふよふよと揺らし、ベッドの端に腰掛けた。
サキはそこでようやく、自室のベッドに横たわっていることに気がつき、首を傾げた。
「ん? ここは……私の部屋? クティラ、私どのくらい眠っていたの?」
「そう、ここはサキっちのお部屋。サキっちね、あれから2日間ず〜っと眠ってた」
「え? 2日も……!?」
「うん」
サキは驚いて自分の身体や両手を見つめた。
内側から爆発しそうだったあの凄まじい激痛や熱は綺麗に引いており、肌のひび割れもすっかり元通りになっている。
けれど、まさか丸2日も意識を失っていたとは思わなかった。
サキは隣でニコニコしているクティラを見つめ、ふとある可能性に思い至った。
「クティラ……もしかしてあなた、私が眠っている間ずっとここにいてくれたの?」
「サキっちの事、すっごく心配だった。ずっとここで、悪い夢を、見ないように、見守ってた。えっへん!」
クティラは胸を張ってドヤ顔を決めてみせる。
サキはその健気で優しいカルコサの仲間に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じ、思わずクティラを抱きしめた。
「ありがとう、クティラ。2日間も付きっきりにさせちゃってごめん。本当にありがとう、感謝してるよ」
「ううん、いい。私はずっとここにいただけ。それより、アザレアっち、サキちゃんが眠ってる間も、ずーっと付きっきりで、サキちゃんの魔法回路の修復、してくれてた」
「そ、そうなんだ……。アザレアが……。じゃあ、今アザレアは?」
サキが辺りを見回すと、クティラは少し声を落として教えてくれた。
「今は、教護室で、ウルちゃんや、今回のハイパーボリアの襲撃でケガした、ほかの魔女さんたちを、診て回ってる。アザレアっちも、サキっちが安定するまで、一歩も部屋から出ないで、頑張ってくれてた」
サキは現代日本にいた頃の友人たちよりも、この娼館「蜘蛛の糸」の魔女たちの方が、よほど自分のことを想ってくれているのではないか、と強く感じ、クティラと、アザレアへの深い感謝を心に刻んだ。
「やっと目覚めたのね。いつまで無様に寝惚けているのかしら」
その時、部屋の入口から、氷のように冷たくも気品に溢れる、凛とした声が響いた。
サキとクティラが同時に視線を向けると、そこには部屋のドアに寄りかかり、美しい腕を組みながらこちらを見つめているユカリの姿があった。
その切れ長の瞳は、いつものように感情を読み取らせない冷徹な光を宿している。
「ユカリ様……」
サキが身を固くすると、ユカリはゆっくりとベッドの方へ歩み寄ってきて、サキの全身を一瞥した。
「まあ、あれだけの上位のマナを強引に受け止めておきながら、たった2日間の安静でそれだけ回復しているなら、まあまあね」
「え……?」
サキは意外な言葉に一瞬、耳を疑った。あの冷酷無比で、いつも自分を泥人形呼ばわりして見下してくるユカリの口から、僅かとはいえ評価するような言葉が出たのだ。
サキは恐る恐る、ベッドの中からユカリを見上げた。
「あの……ユカリ様。それって、もしかして私がカルコサに来てから、初めて褒められた?」
「褒めてなんかないわよ。相変わらず、おめでたい頭をしてるのね」
ユカリはフンと冷たい鼻を鳴らし、視線をそらした。
「私はただ、あなたのその規格外の、無駄に頑丈な身体の構造がしぶとかった、と言っているだけよ。勘違いしないでちょうだい」
「は、はあ……。そりゃどうも……」
サキはがっくりと肩を落とし、心の中でやっぱりな、と毒づいた。
(……やっぱり、相変わらず冷血ドS魔女のユカリだ。素直に私を認めわけがないか……地下でのあの恐怖の特訓だって、やっぱりドS女の趣味だったのか)
「誰が冷血ドS魔女だって?」
「ぶっ!?」
ユカリの冷徹なツッコミが飛んできて、サキは飛び上がった。
「あ……しまった! つい油断して、心を読まれた……っ!」
サキが慌てて自分の口を押さえる中、横で聞いていたクティラが、ぷくーっと頬を膨らませてサキの衣服の袖を怒ったように引っ張った。
「サキっち、ユカリ様に、そんな事言っちゃダメ。サキっちが寝ている間、ユカリ様、すっごく心配して、お仕事の合間を縫って、1時間おきに、サキっちの様子を見に、このお部屋に来てたの」
「ちょっと、クティラ!! 余計なことを言わなくていいの!!」
「ユカリ様、顔真っ赤」
「クティラ〜!」
ユカリの顔が、一瞬にして真っ赤に染まった。怒りのあまりか、それとも気恥ずかしさからか、ユカリは声を荒げてクティラを睨みつける。
クティラは「ひっ!」と短い悲鳴を上げて触手の後ろへと隠れてしまった。
ベッドの上のサキは、ユカリのその見たこともない慌てぶりに、完全に呆気に取られていた。
(え……うそ? ユカリ様が、あのユカリ様が、私が寝てる間……1時間おきに様子を見に来てたって?!)
サキは、頬を赤く染めながらも必死に冷酷な魔女の表情を取り戻そうとしているユカリの顔を、じーっと見つめた。
(はは〜ん、そういうことか。ユカリ様も、巷で言うところの『ツンデレ』ってやつなのか……? いや、これまでの彼女のドSな仕打ちや支配欲を考えると、どちらかというと『ヤンデレ』っぽい気もするけど……)
「私はどちらでもないわよ。くだらない俗称で私を分類しようとしないでちょうだい!」
ユカリは即座に右手の人差し指をビシッと向け、サキの脳内の思考をシャットアウトするように、冷ややかな、けれどどこか居心地の悪そうな声音で一蹴した。
「あ〜、はい……。すみません……」
サキは、思考が筒抜けのこの環境では何も迂闊に考えられないな、と心中で苦笑するしかなかった。
それでも、ユカリの内に秘められた不器用な優しさを知ったことで、これからの過酷な戦いへの恐怖が、ほんの少しだけ和らぐのを感じるサキだった。
ヤンデレと思わせて、ツンデレ?のユカリ。
ただ、これまで酷い目に遭わされた、サキのユカリへの気持ちも多少は和らぐのでしょうか?




