第34話 魔女の覚悟と治癒魔法
激痛の濁流に、サキには、どれくらいの時が経ったのかさえ分からなくなっていた。
皮膚の隙間から噴き出す自身のマナの熱に灼かれ、ただ絶叫を上げ続けるしかなかったサキの視界が、不意に暗転しかける。――その瞬間、全身の回路を強引に蹂躙していたユカリの漆黒の魔力が、ふっと嘘のように引いていった。サキへのマナの送り込みが、ようやく止められたのだ。
「あ……、が、は……っ」
拡張され、傷だらけになった体内の術式から、凄まじい反動がサキの肉体を襲う。
全身の毛細血管が破裂し、肌のあちこちからじわりと赤い血を流しながら、もう自分の力では立っていられないほどボロボロになってしまったサキは、糸が切れた人形のように、ばたりと冷たい石床に倒れ込んだ。
「サキっち!」
それまで必死に耐えて見守っていたクティラが、悲鳴を上げて駆け寄る。
クティラは自身の青黒い触手を大きく、そして羽毛のように柔らかく膨らませると、サキの傷ついた身体を優しく包み込むようにして、その上に横たえた。
触手越しに伝わるサキの体温は異常に高く、呼吸は浅く荒いままだ。
「ユカリ様、サキっち大丈夫……?」
クティラは涙を浮かべた大きな瞳で、主であるユカリを振り返り、縋るように問いかけた。
「そうね……。これだけ急に、私の異質なマナを大量に送り込まれたのだから……。彼女の回路は今、無理に押し広げられてボロボロになっている状態よ」
ユカリはいつものように冷徹で、表情一つ変えない声音のままサキを見下ろしている。
しかし、その声はどこか、僅かにかすれているようにも聞こえた。
「だからお願い、クティラ。サキをすぐに上の部屋に連れて行って、少しでも体力を回復させるために食事を摂らせてあげてくれないかしら。それと、アザレアのところへ連れて行って、彼女の容態を診てもらって。回路の修復はアザレアの術が一番強くて確実だから」
「は、はい! サキっち、今すぐアザレアのところに連れていくからね……っ!」
クティラはあたふたとした様子で、サキを大きな触手に乗せたまま、弾むようにして大急ぎで地下訓練室から出て行った。
静まり返った地下室。扉が閉まり、完全に一人残されたユカリは、サキたちが去った通路をじっと見つめていたが――。
「……がはっっ!」
不意に、ユカリはその美しい胸元を激しく押さえ、口からどす黒い血の塊を床へと吐き出した。
冷酷な魔女の仮面が剥がれ落ち、その顔が一気に土気色へと変わる。ユカリは壁に片手を突き、折れそうな身体をどうにか支えながら、荒い呼吸を繰り返した。
「はぁ、はぁ……っ……。くっ……わ、私も、少し無理をしたかしら……」
床に落ちた自身の血を忌々しげに見つめながら、ユカリは苦しげに胸をかきむしった。
世界を揺るがすほどのサキの「規格外の器の、出入り口」を、自らの魔力だけで、無理やり押し広げるという暴挙。
それは、いくらセラーノ王国でトップクラスを誇る、高位の魔女であるユカリにとっても、自身の魔術回路を限界まで酷使し、削り取るような自傷行為に等しかったのだ。
ユカリは誰もいない暗闇の中で、ぽつりと、掠れた声で呟いた。
「サキ、ウル……ごめんなさい。私が不甲斐ないばかりに……あなたたち二人にまで、こんな凄まじい負担をかけてしまって……っ」
その声には、サキたちの前で見せる冷酷な支配者の面影は一切なかった。
そこにあるのは、愛する者たちを傷つけてしまったことへの、深い悔恨と痛みの色だけだった。
ウルのマナが枯渇したのも、サキがボロボロになってまで力を欲しているのも、全ては自分がハイパーボリアを退けるだけの圧倒的な力を示せなかったからだという、強い自責の念。
ユカリは溢れそうになる弱音を振り払うように、自らの唇を血が滲むほど強く噛み締めた。
「……でも、私はこのセラーノ王国の魔法を司る魔女。誰に対しても、決して弱いところは見せられない……っ。どんな手段を使ってでも、少しでも早く、二人を……」
一人地下室の暗闇の中で、苦しそうに、けれど狂気的なまでの決意を秘めて呟くユカリ。
その瞳には、大切なものを守るためなら、自らの身が破滅へと向かうことすら厭わないという、昏い炎が揺らめいていた。
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「サキっち! 大丈夫? 息してる? しっかりして、もう少しで、お部屋だから!」
地下訓練室の重厚な扉を飛び出したクティラは、半ばパニックになりながらも、その大きな青黒い触手でサキの身体を壊れ物を扱うように優しく包み込んでいた。
サキの身体のあちこちからは、過剰なマナの圧力によって、破裂した毛細血管から、じわりと鮮血が滲み出ており、意識は完全に途絶えている。
クティラはサキを乗せた部分の触手を、自分の後ろへと長く伸ばし、まるで大きなナメクジのように床の上をズリズリと這わせながら、一刻も早くサキを休ませるために長い回廊を猛スピードで急いだ。
(早く、早くサキっちをベッドに寝かせてあげないと…… でも、私だけの力じゃ、壊れた回路は治せない)
走りながら、クティラは自身の触手の一部をピんと空中へ突き立て、精神を集中させた。
「――アザレアっち! 起きてる!? 大変なの!今すぐ、サキっちの部屋、来て!」
移動の合間を縫って、クティラは緊迫した通信魔法をアザレアへと飛ばした。
通信の向こうで、ウルに張り付いていたはずのアザレアが小さく驚く気配が伝わってくる。
クティラはそれ以上の説明を省き、ただひたすらに廊下を滑るように進み、サキの私室があるエリアへと辿り着いた。
部屋の前に差し掛かると、そこにはすでに、クティラのただならぬ通信を受けて急行してきたアザレアが待っていた。
「あ、アザレアっち! サキっち、連れて来た!」
息を弾ませながら触手を滑り込ませたクティラに対し、アザレアは「一体何があったっていうのよ、ウルちゃんやみんなの看病の途中なのに……」と口を開けかけたが――次の瞬間、触手の上に横たわるサキの姿を目にしたアザレアは、その大きな瞳を極限まで見開いた。
「うわ! 何これ?!ちょっとサキ、血まみれじゃん! 信じられない……いくらなんでも、そんなに酷い特訓だったの?!」
ふだんのおちゃらけた態度を完全に消し去り、アザレアは悲鳴のような声を上げた。
サキの衣服は血に染まり、華奢な肌は内側からの魔力の暴走で、痛々しくひび割れているようにすら見える。
「うん……ユカリ様がサキっちに、一気に大量の魔法をすっごく、長い時間送り込んで、サキちゃんの、魔法回路を無理に広げた。終わった瞬間、サキっち、ばたりって、倒れた」
クティラが涙目を潤ませながら状況を説明すると、アザレアはすぐに状況の深刻さを理解したようで、きりりと表情を引き締めた。
「そっか……あの人、本気でサキの未熟な回路を力技でこじ開けたのね。……分かった、突っ立ってても始まらないわ! クティラ、とにかく部屋のベッドに寝かせて!」
二人は手際よくサキを部屋の柔らかいベッドへと移した。
横たえられたサキはピクリとも動かず、ただ浅い呼吸を繰り返している。
アザレアはサキの手首を掴み、自身の魔力を流し込んで体内の状態をスキャンした。
「なるほどね、これは酷いわ……。じゃあ、まずは私が魔法回路の内壁の修理をする。急激に押し広げられてズタズタになった術式の通り道を綺麗に繋ぎ直して、滞っているマナを彼女の身体中へとスムーズに行き渡らせないと、脳や内臓がマナの毒素でやられちゃう。――クティラ! あなたにも手伝ってもらうわよ!」
「うん! 私、何すればいい?」
「あなたは『ノーデンスの魔法』を展開して! その深淵の癒やしの力で、彼女の血管からの出血を内側から完全に止めて、肌の傷口を全部塞いでちょうだい! 外側と内側の出血を止めながらじゃないと、私の回路修復の魔術が血と一緒に流れ出ちゃうわ!」
「う、うん。分かった。やってみる」
クティラは力強く頷くと、ベッドの脇に立ち、その青黒い触手をサキの身体の上へと優しくかざした。
クティラの口から、古代の深海を思わせる厳かで不気味な、しかしどこか絶対的な安心感を抱かせる不思議な呪文の詠唱が漏れ出す。
深淵の古き神、ノーデンスの加護を宿した清冽な蒼い光が、クティラの触手から溢れ出し、サキの血まみれの肉体を包み込んでいった。その蒼い光が浸透していくにつれ、サキの肌のひび割れから溢れていた赤い血が、ピタリとその流れを止め、傷口が生き物のように急速に塞がり始める。
それと同時に、アザレアはサキの胸元に両手を当て、自身の緑色の治癒魔術を送り込んだ。
「サキ、痛いだろうけど、我慢してよね……。今、破れてバラバラになった回路の『壁』を、一本ずつ繋ぎ直してあげるから!」
アザレアの魔術は、サキの体内で断裂していた魔術回路の内壁へと優しく染み渡り、ユカリの漆黒の魔力によって強引に広げられた歪な通り道を、滑らかに、そして強固に補修していく。
行き場を失って体内で暴れていたサキ自身の膨大なマナが、アザレアの誘導によって、新しく広がった回路の奥へと綺麗に流れ込み、全身の細胞へと行き渡り始めた。
「サキっち、がんばれ……がんばれ……」
クティラは懸命にノーデンスの慈雨のような蒼い魔力を注ぎ続け、アザレアもまた、額に汗を浮かべながら精密な回路修復の作業を止めなかった。
二人はただひたすらに、自分たちの大切な仲間であるサキの回復を心から祈りながら。
その癒やしの魔法の光の中で、ゆっくりと、しかし確実に、サキの酷く傷ついてしまった身体と回路の修復に、全神経を注ぎ込み続けた。
補足です。サキのマナの生成と、器自体は大きいのですが、そこに至る魔女回路が貧弱なため、マナの割に魔法を使えないのです。また、回路が育っていないので、体内でマナを分散出来ないために、マナが溜まってしまうので、男達に渡さないといけないのです。




